「第5章 未練作りの一環として」(3-1)

(3-1)


 二人はそれから他愛のない話をした。彩乃が自分の話をした事も大きいのだろう。今まで一度も話した事のない学校の話で盛り上がった。


 声も次第に大きくなり、嫌な教科担当や授業の話の愚痴を話して、話の流れが佐川と前野のやり取りになると、彩乃は小さく手を叩いて笑った。


 それは澄人が初めて見る彼女の自然体の笑顔だった。


 こういう風に彩乃と話せるのはとても楽しくて彼女との間にあった緊張が薄れていく。このままずっと話していたいと、澄人は話しながらそう思っていた。


 しかし、そういう時に限って時間の流れは容赦がない。


 ココには来た時はまだ夕方で西日はカーテンのレースを透けていたのに、今はそれがない。


 澄人の視線に気付いた彩乃は「あっ」と小さく口を開く。


「もう外真っ暗じゃん。そろそろ帰った方がいいよね」


「あー、うん。確かに帰った方がいいかも」


 焦る彩乃を見て澄人は名残惜しさを感じた。携帯電話で時間を確認する。確かにそろそろ帰らないといけない。


「ごめんね、長い時間付き合わせて」


「ううん、全然大丈夫。こっちこそ遅くまでお邪魔してしまって」


 澄人は立ち上がり、脱いで畳んでいた学校指定のダッフルコートを手に取り、袖に腕を通す。そして置いていた通学カバンを手に取り、部屋から出た。後ろから彩乃も付いてくる。


 そのまま玄関へ行こうと足を向けた澄人。そんな彼に彩乃が「待って」とストップを掛けた。そして、自分の部屋より一つ奥の部屋。つまり、昭彦の部屋に向かう。仕事中の邪魔をしてはいけないのではと不安になる彼を余所に彼女はドアをトントンとノックした。


 中から「はーい」と二時間ぶりの昭彦の声が聞こえた。


「これから三嶋君帰るから駅まで送っていく」


 彩乃がドアの向こうからそう告げると、ドアがガチャっと開いた。帰ったままのスーツ姿の昭彦が顔を出す。彼は澄人と目が合うと優しく笑った。


「三嶋君、ちょっと来てくれないか?」


「えっ? あ……、はい」


 まさか呼ばれるとは思っていなかったので、完全に油断してしまう。


「大丈夫、別に怒ったりしないから。少しだけ話がしたいだけなんだ」


「分かりました」


 玄関へ向けていた足を昭彦の部屋へと向ける。


「私は部屋で待っていた方がいい?」


「そうしてくれる? すぐに終わるから」


「はいはい」


 少し不満気に返す彩乃は自分の部屋へと帰った。彼女と廊下ですれ違いになった時、「ごめん、なるべく早く終わらすから」と澄人は頭を下げる。


「別に怒ってないって。部屋で待ってるから終わったら呼んで」


「ありがとう」


 彩乃がドアを閉めるのを見届けてから澄人は昭彦の部屋に入る。


「失礼します」


 昭彦の部屋は、部屋の広さこそ、彩乃と同じだが置かれている家具が違っていた。ローテーブルの前に置かれているのは高級そうな黒い革張りのソファ。


 デスクに置かれているのは大きなディスプレイ。画面はログアウト状態だが、机に置かれている書類から、まだ仕事中だったのようだ。


 デスク横に置かれた本棚は彩乃と同じタイプだった。彼女の本棚には小説が多く置かれていたが、昭彦の場合はビジネス書やパソコン関係の本が多かった。


 澄人がドアの前に立ちっぱなしでいると、昭彦は首を傾げる。


「どうした? 早く入りなさい」


「はい」


 昭彦に促されて部屋に入り、ドアを閉める。パタンと言う音と共に彩乃の部屋にはない香りがした。そしてそのままソファに腰を下ろす。


「君にはずっと礼を言わないといけないと思っていたんだ」


「礼ですか?」


 開口一番、昭彦が発したのは、澄人のどの予想にも当てはまらなかった。目を丸くしていると、昭彦は少し笑う。


「いきなり礼と言われても戸惑うだろう。ただ、僕は君が彩乃を連れ出してくれた事に感謝をしているんだ」


「何か……、本人から聞いているんですか?」


 もし、昭彦が未練探しの事を知っているのなら……。


 まるで綿飴にも似た不安定な軽さで慎重に澄人は尋ねる。


 すると、昭彦は「いーや」と首を左右に振った。


「大丈夫、僕は本当に何も知らない。言っただろう? 知っているの、彩乃を君が連れ出している事だけ。最初は正直不安もあった。それこそ正弘のような輩の可能性だってあると。だが、毎週末になると嬉しそうに部屋から出ていく彼女の様子を見て安心出来た」


 昭彦の目線から聞く出発前の彩乃の様子。それは決して知る事は出来なかった事であり、知ってしまう事に若干の恥ずかしさを覚えた。


 澄人が何を言っていいか分からず、上手く言葉に出来ないでいると、昭彦は話を続ける。


「少し前の彩乃は週末は一歩も家から出ずにずっと本を読んでいた。確かに読書も悪くはない。だが、やはりそれだけはなく、外にも行ってほしかった。とはいえ、僕が言っても彼女には響かない」


 自分が言っても彩乃には響かない。そう話す昭彦だが、澄人からすれば、彼女との距離は大分近いように見える。むしろ、こちらなんかよりも余程。


 澄人がそれを言おうか迷っている間に昭彦に口から小さく息を吐いた。


「そこに君が現れた。急に毎週どこかに出掛けるようになったので心配になって聞いてみたら、クラスメイトと遊びに行っていると話したんだ。しかも男子。てっきり彼氏が出来たのかと思ったが、それは違うとキッパリと言われた」


「あはは……」


 キッパリと否定するところがいかにも彩乃らしい。昭彦に話す姿が容易に想像出来た。


「三嶋君、どんな事情があるのかは知らないが、これからも彩乃と仲良くしてやってほしい。あの子の心の闇はとても深い。情けない話だが僕は彼女を救けられなかった」


 そう言って昭彦は頭を下げた。

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