「第5章 未練作りの一環として」(2-2)
(2-2)
知らない部屋で一人になってしまうと、どうしても視界が動いてしまう。無闇に見てはいけないと自覚している上でだ。
教室ではよく本を読んでいるイメージがあるが、普段どんな本を読んでいるのだろうか。そう思った澄人はデスク横に置かれた本棚へ目が向かう。並べられているのは小説が多い。教科書に出て来るような作品から書店に平積みされているような作品まで数多くの作品が並んでいた。中には自分の知っている作品もある。
その中で不意に背表紙がない単行本が目に入った。他の本と同様に並んでいるので、逆に違和感がある。気になった澄人は立ち上がり、問題の本へと手を伸ばす。すっと抜いてからパラパラと捲ると思わず「あっ」と小さな声が出た。
そう、澄人が見つけてしまったのは彩乃の日記だったのだ。すぐに日記を閉じて本棚へ戻す。まだ彼女が戻って来ていないのが幸いだった。これ以上、余計な事はせず、大人しくしていようと、澄人は座椅子へと戻る。
それから少しして彩乃がマグカップを二つ乗せたトレイを持って来た。
「あ、ちゃんと待っててくれてる」
「え? どういう意味?」
澄人が聞くと彩乃は持っていたトレイをローテーブルへ置く。
「いや、てっきり色々と物色してるかと思ってたから」
「まさか、そんな事はしないよ」
指摘された事に一瞬、心臓が浮く感覚があったが、知らないフリをした。彩乃はトレイに乗せていた二つのマグカップと個包装された外国製のクッキーが入った小皿をローテーブルに置いた。
「別に見られて困る物なんてないんだけど」
「誰でも見られたら嫌な物くらいあるでしょ?」
例えば日記とか。と言い掛けたがそこは出るギリギリで抑えた。澄人の問いに彩乃は腕を組んで「うーん」と唸り考えたが、やがて首を横に振った。
「やっぱりないかな。そういうのはもう全部処分したから」
「処分?」
力なく笑う彩乃の笑顔に諦めにも似た寂しさが浮かぶ。
「はいはい。あんまり三嶋君をいじめても可哀想だし。そろそろ話ますか。えっとどこから話そうかな」
「ちょっと待って」
澄人が話を始めようとする彩乃を制止する。元々、いつか言わなければと思っていたので、言うなら今しかない。
「どうしたの?」
今から話し始めようとしていた彩乃は、首を傾げた。
「実は、ずっと言い出せなかったんだけど、前に瀬川さんに会って」
「え? 智香ちゃん?」
「うん。そこで和倉さんの中学時代の話を聞いた」
心に溜まっていた膿を吐き出す。言ってしまった事で勝手に救われてしまった気がしたが、同時に彩乃の反応が見れず、顔が固まる。
「そっか。智香ちゃんから聞いているなら、話が早い。でもそれなら教えてくれても良かったのに」
「……ごめん。言おう言おうと思ってたんだけど、言い出せなくて」
澄人が消えそうな声で謝罪すると、頭の上からプッと笑い声が聞こえた。
「そんなにシュンとしなくても大丈夫。別に怒っている訳がじゃないから。むしろ、知ってもらってた方が、話が早くて助かるし」
「ありがとう」
てっきり怒られると思っていた澄人は彩乃の予想外の反応に戸惑いつつも感謝する。
「でも、意外だった」
「え? 何が?」
「智香ちゃんと仲良かったなんて知らなかった。あの子、気難しいのに」
「別に仲良しって程じゃないよ。和倉さんの事で注意されただけだから」
「へぇ。あの子がねー。ま、いっか」
瀬川に注意された事を話すと彩乃はスッと一歩後退したように引いた。関係の中心にいたのが自分だった事にやはり、腹を立てたのだろうか。
「やっぱり、もっと早く話すべきだった。ゴメン」
彩乃は、澄人の謝罪に仕切り直しと言った風に手を叩く。
「何度も謝らなくていいって。正直に告白してくれた気持ちは嬉しいから。さて、じゃあ今度こそ話そうかな」
「ありがとう」
「中学二年生までは自分でいうのを何だけど、普通の子だったんだよ。お父さんとお母さんに囲まれて大きくも小さくもない一軒家に住んでた。事情が変わったのは、三年生の夏休みから。その日私は風邪を引いて家で寝てたの」
「うん……」
両手に持ったマグカップを見つめてポツポツと話す彩乃。その繊細で少し力を加えれば壊れてしまいそうな話し方に小さな恐怖を感じてしまっていた。
「夏休みだから学校はないでしょ? だから午後に病院に行こうって話になった。お母さんは午前中用事があって出掛けなきゃ行けなかったから。それに朝だから仕事に行くお父さんを駅まで送る事にもなってた」
「うん……」
「お父さんを送って用事を済ませたらすぐに帰ってくるから。それまでおかゆを食べて待っていて。それがお母さんが私に言ってくれた最後の言葉。二人を乗せた車は、無理な日程で長距離運転をしていた大型トラックと衝突。二人は即死」
淡々と話す彩乃の説明には遠い世界の情報を伝える為に話しているようにも思えた。それが自身の話であるとはとても分からない程だ。
彩乃が短いため息を吐く。吐息の中にはコーヒーの香りが混ざっていた。
「そこからはトントン拍子。両親の死と引き換えに手元に来たのは二人の保険金や遺産、売却した当時住んでいた一軒家のお金。あと、それ目当てに群がってくる親戚」
「その親戚が今日、改札で会った正弘さん?」
「そう。当初は他にも何人か私のお金を欲しがってた人はいたんだけど、昭彦さんがブロックしてくれた。正弘さんだけが未だにしつこい」
二人の間に沈黙が流れる。代わりに彩乃が点けたエアコンと加湿器の音が大きくなった。澄人は何か話さないと思いながらも口に出せない。彼の人生でこれ程の問題には直面した事がない。
どのような言葉をかければいいのか。頭に浮かぶ言葉はどれも陳腐で、とても言葉には出来ない。
澄人が迷っていると、それは彼女にも伝わったようだった。
「ごめんね、急にこんな話されても困るよね。それは分かってるんだけど……」
「あ、いやっ! そんな事はっ! 話してくれただけでも凄い嬉しいし。それこそ、今やってる未練探しにもより力が入るって言うか……っ!」
苦笑する彩乃に慌てて首を左右に振って否定する。元々、浮かべていた言葉ではなく、勢いに任せて色々と口から出てしまった。
澄人の言い訳にも似た弁解に彩乃は小さく笑う。そんな彼女の頭には薄くなったとは言っても今もオレンジの栞がハッキリと挟まっており、本人の精神状態を強く表している。
「これで私の身の上話は終わり。未練探しにお金の心配をしなくていいって言ったのは、そういう事。隠すつもりは無かったんだけど、特別話す必要もないかなって思ってた。でも最初に話すべきだった。ごめんなさい」
そう言って彩乃は頭を下げる。最初の彼女の態度から信用されていないのは分かっていた。仮に立場が逆だったら、同じ事をしていただろう。
澄人は思った事を丁寧に口にする。
「大丈夫。最初は信用されなくて当然だと思うから。教えてくれて本当に感謝してる。他人に話したくなかったと思うし。これからも頑張るよ」
「ありがとう。これで私はもう……、何も三嶋君に隠し事はしていないから」
「了解」
隠し事はないと言う彩乃の言葉に一瞬、本当に一瞬、彼女の頭上にある栞に目が行った。だが、こんな事を話しても信じて貰える訳がない。
これは隠すのではなく、言う必要がない事だ。
澄人は自身にそう結論付ける。その結論が正しいのかそれとも間違っているのか。それは本人しか分かっていない。
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