「第5章 未練作りの一環として」(2-1)

(2-1)


——三嶋君、着いたよ。あれ? 寝てる?


——日頃から彩乃が色々とワガママ言ってるからな。疲れたんだろう。


——そんな事ないよ。きっと昭彦さんの運転がスマートで気持ち良かったんだよ。


——そうだと運転手冥利に尽きるがね。


 前方から微かに話し声が聞こえる。それを聞いて、ああ今まで自分は眠っていたんだなと俯瞰で見ていた。


——ぐっすり眠ってるところ可哀想だけど、そろそろ起こしてあげないと。


 彩乃がそう言って、ドアを開ける。そして後方のドアを開けた。それまでヒーターで満たされていた暖気が皆、外に逃げ出して代わりに冬の寒気が澄人の頬を撫でる。


「三嶋君、着いたよ」


 軽く右肩を揺すられる。既に意識はあった澄人は少しワザとらしく鼻息を漏らしてから、目を開けた。


「あ、ああ。ごめん、寝てたみたい」


「ううん。大丈夫、むしろ起こしてごめんなさい。本当はもう少し寝かせてあげたかったんだけど……」


 澄人が謝ると何故か彩乃も謝った。そして、運転席のシートベルトを外した昭彦が振り返る。


「申し訳ない。さっき事務所からメールが来て、至急で片付けないといけない仕事が出来てしまった。部屋で出来るんだが、流石に車内では難しい」


 苦笑いでそう話す昭彦。状況を理解した澄人はすぐにシートベルトを外す。


「すいません。俺のせいで」


 すぐに通学カバンを手に取り車から出る。コンクリートの固さと冷たさが、まだ僅かに残ってる眠気を完全に吹き飛ばした。


「ココは……」


 澄人が車から降りたのは住宅街の一角で目の前には大きなタワーマンションが見えた。ガラス張りになっているエントラスはまるでホテルのようで、外から覗くだけでも緊張してしまう。


 彩乃は彼の質問に何て事ない風に答える。


「昭彦さんが住んでるマンション。そこに私が居候してる。前に住んでた家はもうないから」


「ゴメン……」


 家がもうないという言葉に反射的に謝罪すると、彩乃は澄人の方を向く事なく学校指定のダッフルコートのポケットに両手を入れた。


「別にいいよ。昭彦さん、綺麗好きだから部屋も綺麗だし。駅近だから通学に不自由はないし」


「ああ、うん……。それで昭彦さんは?」


「駐車場。先にココで降りてからの方が、遠回りする必要がないからって。もう少し待ってたら来るよ。ほらっ」


 彩乃の視線の先から、茶色のトートバックを肩に掛けた昭彦がやって来た。


「すまないね。待たせてしまって」


「いえ、全然大丈夫です」


「それなら良かったよ。じゃあ行こうか」


 スーツの内ポケットからキーウォレットを取り出してマンションに入る。彩乃、澄人もそれに続いた。


 エントンスに入ると白い大理石と四脚の革張りのソファが置かれている。奥にはそれこそホテルのカウンターのようにスーツを来た男性が立っていた。彼は昭彦と目が合うと「おかえりなさいませ」と会釈をする。それに対して昭彦は「ただいま」と会釈を返した。


 歩く彩乃は特に何をする訳でもなくスタスタと歩く。澄人は緊張しつつ、彼女の隣を歩いた。


 三人はエレベーターに乗り、部屋へと向かう。静音のエレベーターは二十七階で止まった。薄暗い廊下からはそんなに多くない部屋のドアが見える。その中の一つの前に昭彦が立ち止まり、キーを回した。


 中に入る二人に続き、澄人が入る。入る前に「お邪魔します」と頭を下げると、昭彦が振り返り「いらっしゃい」と笑顔で答えた。答えてくれた事が嬉しくて言って良かったと思った。


 バリアフリーの玄関から見える廊下はドアが幾つかある。突き当たりのドアだけが他のドアと比べて大きいので、そこがリビングなのだろう。澄人がそんな事を考えていると、ローファを脱いだ彩乃が口を開く


「じゃあ先に手洗いうがいしてから私の部屋に行こう。昭彦さんは部屋で仕事なんだよね?」


「ああ、そうさせてもらおう」


「後でコーヒー持って行くよ」


「ああ、それは嬉しいな」


 彩乃にそう礼を言って昭彦は革靴を脱ぎスリッパに履き替えてリビングから一つ手前のドアに入った。あそこが彼の自室なのだと澄人は理解する。


「昭彦さん、私達が手洗いしてから使うみたい。行こっか」


 彼の行動を見てそう判断した彩乃は、ラックに掛けられたスリッパを取り澄人の前に置く。置かれたスリッパに足を入れて彼女が開けたドアに入る。


 二つの並んだ洗面台で手洗いとうがいを済ませた二人は、彩乃の部屋へ入る。彼女の部屋は、昭彦の隣の部屋だった。


「どうぞ入って」


「うん」


 彩乃に促されて彼女の部屋へと入る。同じクラスの女子の部屋に入るのは初めてで澄人は緊張していた。


 彩乃の部屋はシンプルな構成だった。


 ベッドとローテーブル、銀のノートパソコンが置かれたデスクに本棚。そしてクローゼット加湿器と必要な物のみが揃えられていて、オシャレな物だとか可愛らしい雑貨みたいな類の物は見当たらない。置かれている家具も茶色や白系が多く、女子の部屋という印象はあまり見受けれなかった。


 彩乃に座るよう言われてローテーブル前の座椅子に澄人は、腰を下ろす。彼女は自身の通学カバンをデスク横に置き、学校指定のダッフルコートを脱いで、クローゼットの木製ハンガーに掛けた。


「コーヒー淹れてくるからちょっと待ってて。すぐだから」


「了解」


 彩乃は澄人の了承を聞いてすぐに部屋から出て行った。

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