「第4章 何気なくを人工的にやる人」(3)

(3)

 

 それからしばらく経ったある日の昼休み、何かを思い出したように小さく「あっ」と言った佐川から始まった。


「そう言えばさ、澄人って和倉さんと仲良いの?」


「えっ?」


 いつものように前野の席に集まり二週間後の中間テストの話をしていたはずだったのに急に予想外の話を始める佐川。彼の唐突な質問に弁当を食べる澄人の手がピタリと止まった。


 固まる澄人を余所に隣でパンを食べていた前野が口を開く。


「どうした佐川。急にそんな事を言うなんて。コーラの飲み過ぎで骨ばかりか、とうとう理性まで溶けたか?」


「前野君? いくら俺でもそれは傷つきますよ? 別に深い意味はないって。先週の土曜日に街で二人で歩いているのを見たんだよ。結構、仲良さそうに歩いているからさ。声はかけなかったけど」


「ほー」


 佐川の発言に毒づいて話を遮ろうとした前野も澄人を一瞥する。


 二人の視線を向けられて、思わず澄人は振り返って彩乃の方を向きそうになったが、ギリギリのところで抑える。二人に気付かれない程度の小さくて短いため息を吐いてから説明を始めた。


「仲は悪くはない。先週はちょっと予定があったから。二人で会ったんだよ」


「何々、もしかして二人は付き合ってるの?」


「どうしてそうなる?」


 佐川の不躾な質問を一蹴する。


「和倉さんが今まで誰かと仲良くしてるのって見た事ないから。友達とかいるんだって思って」


「一人が好きなイメージはあるが、その言い方は失礼だろ」


 前野がそう言うと、机に突っ伏して眠っていた彩乃本人が席を立ち上がり廊下に出た。ガヤガヤとした休み時間特有の空気、彼女に今の会話が聞こえていたかどうかは分からない。ただ、それはあまりにもタイミングが良過ぎた。

嫌になるくらいに。


 前野、佐川が二人揃って口を閉ざす。


 やがて佐川が口を開いた。


「本当ごめん、調子乗った……」


「いや、聞こえてなくて偶然かも知れないから」


 佐川の謝罪をそうフォローする澄人。だが、彼のフォローを無視して今度は、前野が口を開く。


「澄人、悪いが追いかけてくれないか? 佐川の説教はその後だ」


 前野が言った言葉は、ドライヤー熱のように澄人の頭から一気に流れていった。気付けば返事を返すよりも早く、席から立ち上がり教室を飛び出していた。


 廊下に一歩出ると、昼休み中頃のガヤガヤとした空気。その空気を一切体に纏わずに歩く彩乃は、澄人の目には青いバリアを張っているように見えた。


 廊下で話し込む生徒達の間を抜けるようにして、スタスタと歩く彩乃に澄人は駆け寄った。


「和倉さんっ、」


 彩乃の肩を掴んで彼女を呼び止める。


「何?」


 振り返った彩乃は極めて平常心と言った顔で澄人を真っ直ぐに見ている。茶色い二つの瞳に見つめられて、彼が思わずたじろぐ。すると彼女が小さくため息を吐いた。


「今、三嶋君が考えている事、何となく分かる。ちょっとあっちで話そ? ココで話すには内容が嫌」


「あ、ああ……」


 場所を変えようと提案する彩乃に賛成して二人は、一つ上の階に上がった。そして、移動教室でしか使用機会のない多目的室の前で止まる。昼休みの為、周囲に生徒の姿はない。もう話していい事を把握した澄人は、早速説明を始める。


「さっきの教室で佐川が話してた件だけど……聞こえてた?」


「そりゃあんなに大きな声で話されたら、嫌でも耳に入りますけど?」


 念の為の確認だったが、彩乃は腕を組み目を細めて答えた。その態度で彼女がどう思っているかを察した澄人は慌てて頭を下げる。


「ゴメンッ! あいつも馬鹿だけど悪気があって言った訳じゃないんだっ!」


「悪気がないなら、何言っても許される訳?」


「いや、そう言う訳じゃないんだけど……」


 彩乃の口からは明らかに怒りがプラスされている言葉だけが返される。彼女が言う事はもっともで、どう返したらいいか澄人が迷っていると「まあ、別にいいけど」と向こうから返してきた。


「佐川君が言う事ももっともだし? 私にも自覚はある。ただ、ああいう風に言われるとムカツく」


「だよな。佐川には俺からもキツく言っておくよ」


 澄人の同意に彩乃は「よろしく」と言って頷く。


「それでどうする?」


「どうするって何が?」


「未練作り。佐川君にも余計な誤解を与えちゃったみたいだし。どうする? 続ける?」


「それは勿論、続けるよ」


 佐川に何をどう思われようと澄人には関係ない。最初に比べて彩乃のオレンジは大分薄くなってきたのだ。こんな所で止めてしまったら、意味がない。成果が出ている以上、もうちょっとなのだ。


 澄人がそう考えていると、彩乃は首を傾げる。


「どうして続けるの? 屋上の罪悪感なら何回か未練作りをやったから、もう平気でしょ? 今は何を原動力にしているの? グリーンドアの話なら、もう大丈夫だから」


 彩乃からの純粋な問い。それに対して澄人は、オレンジの栞の事を話せたらどれだけいいかと思ったが、それは出来ないので(おそらく話しても理解されない)戸惑いながらも口を開く。


「いや……、ちゃんと最後まで面倒みるから。ココで止めたら中途半端になっちゃう。そういうの嫌なんだよね」


「そっ、分かった。じゃあ次もヨロシク」


 返事を聞いた彩乃は、淡々とそう言って教室へと戻る。


 スタスタと離れていく彼女の背中を見つつ、腕時計で時間を確認するとそろそろ昼休みが終わろうとしていた。


 教室に向かうにつれて、廊下に出ている生徒の数は減っていき、殆どの生徒が教室に戻っていた。澄人も教室に戻ると、先に席に座っていた彩乃は文庫本を読んでいた。いつも彼女は本を読んでいる印象があるが、赤い布のブックカバーを付けているので、タイトルは分からない。


 澄人が席に座ろうとすると、前野が彼を呼ぶ。隣の席には佐川も座っていた。彼らに呼ばれて席に座らず、そちらへ向かう。昼食時とは違って今日欠席の生徒の席に座ると、佐川が申し訳なさそうな顔を見せた。


「ごめん澄人。それでどうだった?」


「あー、うん……」


 彩乃と廊下で話していた内容を頭の中で反復する。彼女と約束した通り、その時の感情を佐川に伝える。


「ああいう言い方をされるのはムカツくって」


「だぁ〜。やっぱりか。そりゃムカツいて当然だよな」


「自業自得。お前が悪い」


 肩を落として反省のオーラを出している佐川を前野がバッサリと切る。


「分かってるよ。言ってくれてありがとな澄人」


「いや、俺は別に」


 彩乃の言葉を伝えた事に感謝されて礼を言われた。


「彼女にも謝罪をした方がいいんじゃないか?」


「やっぱりそうだよな」


 前野の提案に佐川が弱々しく首を縦に振る。慌てて澄人が右手を横に振って「いやいやいや」と返した。


「行かなくていい。今まで話した事ないんだし。向こうだっていきなり佐川に謝られると緊張するって言うか……」


 佐川と彩乃が会話している姿が想像出来なくて、上手く言葉に出来ず否定的な事を話す澄人。


「分かった。なら申し訳ないけど、和倉さんには澄人から謝っておいてくれ」


「了解」


 佐川にそう言われて、澄人の心が軽くなった。心のどこかと聞かれると、具体的に説明出来ないが、確かに軽くなったのを感じていた。

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