第92話 08月21日【2】

 司会進行役の女性が、高らかにコールを発した。

 期待と緊張に私までソワソワしてしまう。彼女達は一体どんな衣装で登場するのだろう。

 胸の中がむず痒くなる感覚をこらえステージに注目していると、清廉な音楽と共にお嬢ちゃんが姿を現した。

 

 瞬間、私は凍り付いてしまう。

 

 なにせステージに登場したお嬢ちゃんは、純白のウエディングドレスに身を包んでいるのだから。


 その姿は、さながら天使か女神。


 スパンコール眩いドレスに、お嬢ちゃんの可憐さが相まって黄金比の美術品を思わせる。

 周りの観客たちも、その姿に「おお〜っ」と歓声を漏らした。


 「先生ー!」


 今度は客席から幼い声が響いた。見れば小学生くらいの女の子が4人、お嬢ちゃんに向けて手を振っている。たぶん彼女が講師インストラクターを務めるモデル教室の子共達だ。

 お嬢ちゃんはそちらを向くと、喜色満面に手を振り返した。

 続け様に私にも、向日葵のような笑顔で手を振ってくれる。

 恥ずかしさに顔を赤らめながら、私も小さく手を振り返した。

 およそ1分。ステージの上でドレスを披露したお嬢ちゃんは、おもむろに舞台の端へ寄った。


 そして入れ替わるよう、今度は光希みつきさんが袖から現れる。

 艶やかな漆黒の髪と、白いドレスが奏でるコントラストはまさにネモフィラの花。

 大きな胸から谷間を覗かせているが、そこにあるのは淫靡でなく婉美えんび

 舞台の上でも堂々としている様は、流石は光希みつきさんと言ったところか。


 代わって次は薬局王キングが登場する。

 前の二人より小柄だが、そのスレンダーな体躯を引き立てるデザインに、凛と咲き誇る白薔薇が思い浮かんだ。

 肩を露出したデザインも、絹のようにきめ細やかと肌と相乗効果シナジーを醸している。

 だが二人よりは明らかに緊張感が伝わってきた。表情もどことなく強張っている。

 

 いよいよ、綾部あやべさんの出番となった。

 白雪を思わせるウェディングドレスは熱を持たぬ宝石のよう。それが彼女の静かな表情と相まって、水晶の如く透き通る可憐さがそこにあった。

 淡いヴェールで覆った顔は俯き加減。

 だがステージ中央に立つと、綾部あやべさんは僅かに視線を上げて、私だけに微笑みかけた。

 それはまるで、雪の中に咲き誇る待雪草スノードロップ

 天使の思いが生んだ白花が如く、言葉には表しきれな美しさが、其処そこにはあった。


 フィナーレには4人並んでステージに立ち、デザイナーの女性が簡単な衣装の紹介とテーマの説明を行った。

 正直、言葉など一つも耳に入らなかった。

 なぜなら私の意識は、4人の花嫁に奪われていたのだから。

 その最中に、私はふと思った。

 この中の誰かが、いつか同じ姿で私の隣に立つのだろうか、と…。



 ※※※



 そうして恙無つつがなくお嬢ちゃんらの出演は終わった。

 私はまだ続行されるイベントを抜けて、控室近くのカフェで皆を待った。

 しばらくすると従業員用の扉から、お嬢ちゃんだけが先に出てきた。もちろん私服姿で。

 キョロキョロと辺りを見回しているが、私を探しているのだろうか。

 声を掛けようと席を立った、その時。

 

 お嬢ちゃんに、スーツ姿の男性が近づいた。


 白髪交じりの男を見るや、お嬢ちゃんはビクリと肩を震わせた。

 私はすぐさまカフェを飛び出し、お嬢ちゃんの元へ走った。

 が、しかし。


「あ、事務長っ」


打って変わって、お嬢ちゃんは明るい声で私を迎えた。そして同時に、白髪交じる男の隣に立つ。


 「紹介するね。こちら私の働いてる小児科さんの事務長さん」


「……へ?」


間抜け面で思考停止する私の前に、男性が立った。皺の深い笑みに高い上背。180㎝はあるだろうか。


「こちら、私の父です」


「はじめまして。娘がいつも、お世話になっております」


男性は渋い声で頭を垂れた。回路を再接続した私は、慌てて「こちらこそ」と頭を下げる。

 そんな不格好な私にも、男性は柔和な笑みを浮かべた。

 お嬢ちゃんの話からは『厳格な父親』という印象だったが、存外優しそうなお父様ではないか。なんとなくオーラのようなものを感じるが。

 頭を上げたお父上は、おもむろに革製の小さなケースを取り出した。


「申し遅れました。改めまして、小篠こしのと申します」


差し出された名刺。私も急いで財布から名刺を取りだす。

 下手したてに交換したそれに視線落とせば、『代表取締役』と書かれている。


 「しゃ、社長さんなんですか?」

「はい。お恥ずかしながら医療経営のコンサル会社を運営しております。まだまだ小さな事業では御座いますが。宜しければ今度、事務長様の経営手腕を勉強させていただけませんか?」

「そ、そんな。僕……はそのような手腕なんて…」

「御謙遜を。娘からは、いつも事務長様のお人柄を伺っております。どうぞ是非一度お食事でも」


言いながら、お父上は右手を差し出した。

 求められた握手。私はズボンで掌を拭き、模倣するよう右手を出した。

 厚く熱い手に握りられた瞬間、その感触に私は父と同じものを感じた。


 「それでは、私はこれで失礼いたします。娘共々、今後ともどうぞ宜しくお願い致します」


定規で測ったみたく綺麗なお辞儀をして、お父上は颯爽ときびす返し去っていった。


 私の両手に、名刺と熱を残して…。

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