第93話 08月21日【3】

 「みなさん、今日はありがとうございました。 お疲れさまでしたっ」

「お疲れー」「お疲れ様です」「お疲れ様」「お疲れ様でした」


お嬢ちゃんの音頭に合わせて、私達は乾杯にグラスを打ち合わせた。中身は全てウーロン茶だ。


 モデルイベントも無事に終了し、私達は早々と帰路に着いた。皆緊張から気疲れしていたようなので、シオンモールで買い物などはせず、早めの夕食を食べて帰ることになった。


 有難いことに、お嬢ちゃんの先輩からバイト代を頂戴したので、ちょっと贅沢に焼肉だ。なお、この店は食べ放題ではない。

 意気揚々と入店したまでは良かったが、案内された座敷席に上がった瞬間、私以外の四人が顔を見合わせた。


『誰がどこに座るのか』


四つの綺麗な顔には、そう書かれていた。


 「とりあえず、一番年上の翔介しょうすけさんは上座の中央ですね」


光希みつきさんの提案に皆が頷いた。

 上座に座るなど少々気が引けるが、遠慮した所で余計な手間が増えるだけだ。私は黙って指示された座椅子に腰を下ろした。

 

「じゃあ、わたしはここですね」


言いながら、お嬢ちゃんは出入り口に一番近い下座を陣取った。『自分が最年少』という意味もあるだろうが、彼女なりに気を遣っているのだろう。


 問題はここからだ。


 残る座席は私の両隣と斜向かい(お嬢ちゃんの隣)だが、三人はじりじりと間合いを図るように、互いを見据え合う。いい大人が焼肉屋で何をやっているんだ。


 「仕方がありません。ここはジャンケンで決めましょう」

「それしか無いようね」

「望むところです」


光希みつきさんの提案に三人は拳を構えた。なんでも良いから早くしてくれ。


「「「ジャンケン、ポン!」」」


 ――そうして、ようやくと成された乾杯だった。


 最終的な席位置は私の右側に薬局王キング、左手に光希みつきさん、綾部あやべさんとお嬢ちゃんが向かいに座る形となった。


 「翔介しょうすけさん、こちらのカルビを召し上がって下さい。良い具合に焼けています」

「ありがとうございます。頂きます」


翔介しょうすけ! この上タン塩が美味しいわよ!」

「おお、サンキュー」


「事務長。こちらのハラミをどうぞ」

「ど、どうも」


「事務長っ、カボチャ食べませんかっ?」

「う……うん」


気付けば目の前に大量の肉と野菜が置かれて、皆がそれを見つめている。

 切迫感に駆られ、私は必死で山盛りの肉と野菜を頬張った。


翔介しょうすけさん」「翔介しょうすけ!」「事務長」「事務長っ」


だが次から次へと、私の皿に取り分けられていく。

 たまの焼肉くらい、自分の好きなように食べさせてはくれまいか…。



 ※※※



 「あー、気持ち悪…」


夕暮れの街に車を走らせながら、私は蒼い顔をして呟いた。

 あれよあれよと盛られた肉や野菜。必死の思いで全て平らげたが、肉の脂で胸焼けが酷い。三十路にあの量はこたえる。


「大丈夫ですか、事務長?」


後部座席の綾部あやべさんが、不安げな面持ちで声をかけてくれた。


「うん……店出る時、薬局王キング六君子湯りっくんしとうもらって飲んだから…」


痩せ我慢の笑みを浮かべて。私は答えた。

 光希みつきさんは、彼女の自宅から程近い駅で先に降ろした。家で休むよう提案されたが、綾部あやべさんも居るので断った。


 「事務長」

「うん?」

「今日は誘って頂き、ありがとうございました」

「なんのなんの。こちらこそ」

「あのような綺麗なドレスを着れるなんて……良い思い出になりました」


不意に、綾部あやべさんが窓の外を眺めて呟いた。

 夕暮れの太陽が、バックミラーの中の彼女を茜色に染める。


 「すごく綺麗だったね」

「ええ。皆さん素敵でした」

「確かにそうだけど………僕は綾部あやべさんが一番綺麗だと思った」

「……っ!」


ミラーに映る彼女は、驚いた様子で顔を赤らめた。これも夕焼けのせいだろうか。


「嬉しい………です」


だけど浮かべた微笑みは、少なくとも夕焼けに作られたものではない。

 恥ずかしげに俯く姿に、自然と私の頬も緩んだ。


 「あの……事務長」

「なに?」

「先日の御約束、覚えておいでですか?」

「うん、覚えてるよ」


目の前の信号が赤に変わった。

 私はゆっくりとブレーキを踏んだ。


「では、今度の9月18日に………事務長のお時間を頂けませんか?」

「9月18日?」


私は頭の中でスケジュール帳を捲った。特に予定らしい予定は無い。


「うん、分かった。9月18日だね。必ず空けておくよ」

「……ありがとうございます」


そう言って綾部あやべさんは、嬉しそうに笑った。


 信号も青に変わる。


 私はまた、静かに車を走らせた。

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