第90話 08月19日【5】
「御力添えできないって、一緒には行けないっていうこと?」
「……はい」
診察終わりの静かな待合室で、
「あー……まあ、そっか。そうだよね。急なお願いだし、用事とかあるよね」
私は淡白な笑みを浮かべて、白々しくもフォローを入れた。心苦しく萎れる
「いえ。そういう理由ではありません」
「そうなの? じゃあ、どうして…?」
顔を伏せながら首を振った彼女に、私は思わず聞き返した。
「私には、モデルなど出来ません」
震える声で言いながら、
それは
「私には
普段から笑顔一つ
と、
悲哀の様相で俯く彼女の前に寄り立ち、彼女の拳を取って握ったから。
驚き顔を上げた彼女を、私は息のかかる距離で見据える。
「僕は
と、そこまで言いかけてハッと我に帰った。感情任せに秘めた心根まで口に出してしまいそうな自分を抑制して。
「す…?」
頬を桜色に染め、
「す……素敵だと思う」
今度は私が顔を伏せた。
狡い手だと自分でも思った。真正面から自分の心を伝えるのが怖くて、安全地帯に飛び込んだ。
それは
それでも彼女は、優しく微笑み返してくれた。
「ありがとうございます、事務長。貴方のそんな分け隔てない優しさと思い遣りが、きっと皆様の心を掴まれたのでしょうね…」
「それは違う!」
私は声を張り上げた。
「僕のこの気持ちは、
伏せていた視線を上げて、私は真っ直ぐに彼女を見据えた。
「人前に出るのがイヤなら、それでいい。無理にイベントへ参加して欲しいなんて言わない。だけどそうやって、君が君自身を否定するのが、僕は我慢できない!」
思考というフィルターを介さず、思いの丈が直接声に変換される。
驚嘆の様相示し言葉無くす
「
触れ合う肌から彼女の熱が伝わるよう。
その熱が、私の中にある想いを膨張させフワフワと湯気のような浮遊感に包む。
「事務長…」
「だから
萎む声に伴い、私の視線が徐々に下がる。
同時に
そして返すように、今度は彼女の指先が私の手を包み込む。
「事務長は、綺麗な洋服を着た私を見ても………笑わないで頂けますか?」
「当たり前だよ……僕は誰よりも、
「なら……行きます」
互いに視線を合わせないまま、重ね合わされる指と言葉。そこから彼女の真意が伝わるかのよう。
「いいの?」
「はい……その代わり、ひとつお願いを聞いて頂けませんか?」
「なに?」
「今度、お休みの日に私と……二人で食事に行ってください」
囁くような、震えるような声に、私はようやくと顔を上げた。
見れば
「そんなことでいいの?」
子犬を思わせるような、あどけない姿。普段とのギャップに私の頬は意図せず緩む。
「いいよ。
「いえ、1日だけで良いんです。その日だけで…」
思い含めた声に、浮遊する私の心はいよいよ脳髄まで溶かして思考を妨げる。
握られた手。今度は私が優しく解いて、結び合わせるように五指を絡めた。
「分かった。約束する」
自信と確信を込めた私の言葉に、
やはり私は、彼女の笑顔が、一番好きだ。
少なくともこの時の私は、そう思っていた。
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