第88話 08月19日【3】

 「薬局長やっきょくちょうさん!」


響く愛らしい声に、私達は振り返った。

 視線の先に居たのは私服姿のお嬢ちゃん。カジュアルな服装でも、彼女は一線画した存在感がある。鉛筆画の中に1人だけ水彩画で描かれているかのようなイメージだ。


「わたし、お盆休みに北海道に行って来たんですけど、薬局長やっきょくちょうさんにも御土産おみやげかってき――」


トートバッグを探りながら、お嬢ちゃんが小走りに駆け寄ってきた。しかし、その瞬間。


「――あっ…」


足をもつれさせたお嬢ちゃんが、倒れそうになる。


「あぶない!」


缶珈琲を放り投げた私は、すかさずお嬢ちゃんの体を支えた。抱き止めたという方が正確か。

 掴んだ二の腕は細く柔らかく、回した背は予想以上に華奢。頬に触れた髪は艶やかで、甘く心地よい香りが漂う。


「あ、すっ、すみません事務長…」


顔を真っ赤に、お嬢ちゃんは飛び退くよう私から離れた。私の手と体に残った感触は焼き付いたように離れないが。


 「ちょっと、大丈夫あなた?」

「すみません。昨日あんまり眠てなくて…」


赤ら顔のまま、お嬢ちゃんは微苦笑を浮かべた。


 「体調悪いなら、休んでも良いよ?」

「だ、大丈夫ですっ! 体調は悪くないですっ! ただ少し考えごとがあるだけで…」

「あら、悩み事? 私達で良ければ話しなさいな。力になれるかもしれないわよ」


薬局王キングの優しい声にいざなわれるように、お嬢ちゃんの表情がみるみる明らんでいく。


 「良いんですか?」

「私達の仲じゃない。遠慮なんて要らないわ」

「ありがとうございます、薬局長やっきょくちょうさんっ」

「それで、どんなセクハラを翔介しょうすけから受けたの?」

「なんでやねん」


漫才のように薬局王キングへツッコミを入れると、お嬢ちゃんはクスクスと笑ってくれた。


 「実は、今度わたしのお世話になった人がコレクションイベントを開くんですけど…」

「けど?」

「頼んでたモデルさんが、集団感染クラスターで全員来れなくなっちゃって、私が代役を頼まれたんです。だけど、どうしてもあと3人代役が足りなくて…」


さきほど垣間見せた笑顔も消え失せて、お嬢ちゃんは力なく肩を落とした。


 「なるほどね。イベントはいつなの?」

「明後日の日曜日です」


私と薬局王キングも思わず顔を見合わせた。予想以上の難題だった。


「手を貸してあげたいのはヤマヤマだけど、モデルさんの代役なんてそう居ないよな…」


頼りない私の発言に、お嬢ちゃんも力無く頷いて応える。


「でも、その先輩にはお世話になったので、なんとかしてあげたいんです」

「その来れなくなったモデルさんは、皆さん男性なのかしら?」

「いえ。全員女のヒトです」

「あら、なら簡単よ。お嬢さん含めて4人居れば良いのよね?」


堂々たる薬局王キングの発言に、私もお嬢ちゃんも驚きを露わにした。

 だが彼女は顔も広い。もしかすれば社員さんの中に伝手つてがあるのかもしれない。

 私はほっと胸を撫で下ろした……が、しかし。


「じゃあ翔介しょうすけ。アナタ綾部あやべさんと神永かみなが先生に声をかけなさい」


「……へっ?!」「ふぇっ?!」


まさかの切り返しに、私とお嬢ちゃんは頓狂とんきょうな奇声を揃えた。


 「誘致の件で神永かみなが先生に御礼も言いたかったし丁度いいわ。二人とも美人だしスタイルも良いから適任じゃない?」


小首傾げて伺う薬局王キングに、お嬢ちゃんは考えが追い付かない様子で目を丸くしている。私もそうだが。


「たしかに綾部あやべさんなら大歓迎ですけど………神永かみなが先生って…?」

「昨日ウチに来てた黒髪の人だよ」


直後、薬局王キングがバシッと私の腕を叩いた。さっきよりも威力が増している。


「すごいっ! 事務長って美人なお知り合いが沢山いらっしゃるんですね! お友達なんですか?」

「友達っていうか…」

「ええ、よ。ねぇ?」


満面の笑みを向ける薬局王キングの圧力に、私は「そうだね」と答える以外に選択肢を持たなかった。

 とはいえ光希みつきさんは医師ドクターだ。そう簡単に予定を調整できるとは思えない。

 私は「うーむ」と腕組みして唸った。


 「あの、事務長………ご迷惑だったら…」

「いや、迷惑なんかじゃないよ。お嬢ちゃんのためなら、僕に出来ることは協力するよ」


上目遣いに、おずおずと伺い立てるお嬢ちゃんに、私はしかめ面をほどいて笑顔に変えた。


 「前に、お医者さんが選挙に出るからって署名をお願いされたこと覚えてる? あの時、お嬢ちゃん協力してくれたじゃない。ツバメの時だって。僕も君が困ってたら手を貸したいんだ」

「あ……ありがとうございますっ」


打って変わった明るい声で、お嬢ちゃんは勢いよく頭を下げた。


 「良かったです、お二人に相談できて。頼れる人が居て、わたし幸せ者です」

「いいのよ。困った時はお互い様だわ」

「ありがとうございます。あ、そういえば薬局長やっきょくちょうさんに御土産おみやげを…」


そう言ってお嬢ちゃんは、トートバッグから小さめの箱を取りだした。北海道土産で有名な、バターサンドだ。


 「ありがとう。気を遣わせて悪かったわね」

「とんでもないです………あ、もうこんな時間! わたし事務所で着替えてきますっ」

「うん、お願い」


ペコリと会釈し、お嬢ちゃんは小走りに事務所へと向かった。目に見えて先程より足取りが軽い。


 「……良かったわね? お嬢さんのこと抱けて」

「なんだよ、その言い方。緊急避難だよキンキューヒナン。やむを得ない場合の違法は罰にならないアレだよ」

「でも嬉しかったんでしょう?」

「うん。すげー良いニオイだった」


 ――べしっ!

 

私の腕を思い切りはたくと、薬局王キングは「フンッ」と鼻を鳴らしてカル〇スとバターサンドを手に薬局に戻っていった。


 私は先程放り投げた缶珈琲を拾いあげ、ひっそりと溜息を吐いた。

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