第87話 08月19日【2】

 父から整形外科を訪れたことを言及された私は、言いようのない不満と不安を胸に抱いて診療所へ向かった。

 だがエントランスを出た瞬間。


「……あっ」

「……あ!」


幸か不幸か、薬局王キング出会でくわしてしまった。

 彼女には連休中に告白を受け、その返事を保留にしている状況。ただでさえ顔を会わせづらい状況だと言うのに、先の話が拍車をかけている。

 けれど愛想笑いだけ交わして、他人のフリみたく擦れ違うのは、間違いだと思う。

 上手く言えないが、ここでそんな真似をすれば二度と彼女の眼を見れない気がした。

 それは薬局王キングも感じているはず。だから彼女も私の前で足を止めたのだ。

 とはいえ、お互い気まずいことに代わりはない。何を喋って良いの分からず視線は泳ぐ。

 私は必死で話題を探った。


「――き、今日も暑いね!」


その結果である。女性慣れしていない私には、これが限界だった。


「え……ええ! 本当に!」


だが薬局王キングは乗りかかってくれた。話題に困っていたのはお互い様だ。わらにもすがる思いなのだろう。

 強い緊張と陽射しが、私の喉を干上がらせる。


「ジュ、ジュースでも飲まない?」

「え、ええ! 御一緒するわ!」


とはいえ、もう少し真面まともな会話は出来ないものか。小学生のような話題作りしか出来ない自分が心底嫌になった。

 

薬局王キング、どれにする? き、今日僕が奢るよ」

「い、いいわよ。私の方こそ御馳走するわ」


百数十円の飲料を必死に奢り合おうとする。私と薬局王キングとがだ。この不気味な光景に終止符を打つべく、私は強引にアイス珈琲とカル◯スを買って、薬局王キングに差し出した。


「あ、ありがとう………さ、最近どう?」

「う、うん! ぼちぼち!」


不自然に乾いた笑みを浮かべて、私は珈琲を流し込んだ。冷えた苦味は全身に染み渡るようだった。


「あ……そういえば、誘致の件は上手くいったらしいね」

「ええ、お陰様でね。神永かみなが先生の御蔭おかげだわ」


先程とは打って変わって、口振りが普段のそれに戻った。仕事の話には直ぐスイッチを切り替えられるあたり、流石は薬局王キングだ。


 「というかアナタ、どうして知ってるの? まだ正式に決まったわけでもないのに」

「父さんから聞いた」

「院長先生から?」


猫のような目を丸めて聞き返す薬局王キングに、私は頷いて応える。


「こないだ一緒に行った整形外科の先生、父さんと同じ大学の後輩なんだってさ」

「あらそう」


存外、彼女は平静にカル◯スを一口啜った。てっきり私と同じリアクションを示すものと思ったが。


「驚かないの?」

「ええ。院長先生の出身大学くらい、最初から仕入れていたわよ。それに、もともとこの辺りはH医大やK大、O大のドクターが多いから。ただアナタのお父様と親しい仲だったのは意外ね」

「前に挨拶に来たんだって。たぶん開院した頃だろうね。電話かもしれないけど」

「珍しいわね。開業医が開業医に挨拶なんて。少なくてもウチの会社では聞かないわ」

「ふーん」

「それよりアナタ、院長先生には、なにも言われなかったの?」

「なにかって?」

「それは、その……怒られたりとか」


薬局王キングは申し訳なさそうに視線を下げた。華奢な体躯が縮こまって、一層と小さく見える。

 そんな彼女を目の当たりにして、私は出来る限りの笑顔を作ってみせた。


「大丈夫だよ。どころか父さん、すごい上機嫌で」

「そうなの?」

「うん。むしろ薬局王キングと一緒に行ったことを褒められたよ」

「なら良かったわ」


ほっと安堵したように、薬局王キングは控えめな胸に手をあてた。そして顔をほころばせてカル〇スをまた一口だけ傾ける。


 「一緒に行ったことだけじゃなくて、薬局王キング自身のことも父さん褒めてたよ。『バイタリティがあって医療経営にも詳しいから』って。僕も見習うよ言われた」

「あら、そうなの? 光栄ね。てっきり院長先生には煙たがられていると思っていたけれど…」

「全然。むしろ薬局王キングのことは高く評価してるよ。前に映画へ行った時も『薬局王キングと行く』って言ったら、アッサリ受け入れてくれたんだ」


今度はニカッ、と自然に笑ってみせれば、薬局王キングは照れくさそうに頬を赤らめた。


「………それはつまり、アナタと私の関係は、お父様の公認ということかしら?」


わざとらしく気取った態度をしてみせるも、隠しきれずに漏れ出る微笑が愛らしくて可笑しくて、私は思わず吹き出してしまった。


「父さんの公認か。そうかもしれないね?」

「なら後発品をもっと増やして――」

「それは無理」

「なんでよ!」


今度は私が澄ました態度を演じてみせると、薬局王キングはパシン、と優しく私の腕を叩いた。

 久々にこの遣り取りが出来た気がする。

 心がむず痒くなるような感覚に、私達はどちらからともなく笑いあった。


「あっ! 薬局長やっきょくちょうさん!」


唐突に呼ばれ、私達は声の方を振り返った。

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