第81話 08月18日【1】

 お盆休みも終了し、当院は先日から診療を再開していた。

 予想していた通り多くの患者様が来院された。連休明けはいつもこうだ。

 小児科医院というのは、学校の夏休み期間や暑い季節には来院数がグンと減る。

 反対に、冬場の寒い季節やインフルエンザなど流行感染症が蔓延する時期は、ごった返すほど患者様がお越しになられる。

 とはいえ少子化のこの時代。今後も繁閑の差が出るほど来院数が見込めるか定かでないが。

 ともかく、連休明けの慌しい時間も無事に終えて、院内は普段通りの状況に戻りつつあった。

 だが問題は私だ。

 仕事が再開されたにも関わらず、薬局長キングとはまだ顔を合わせていない。2~3日程度会わないことなどザラにあるが、先日の件があって無性に落ち着かない。

 処方箋の押印漏れや問い合わせで、いつ薬局長キング病院こちらに来るかと思うと……一体どんな顔をすれば良いのか。


 「事務長、なにかありました?」

「へ?」


唐突なお嬢ちゃんの問いかけに、私は間抜けな声を漏らした。


 「な、なにかって?」

「なんだか落ち着いかないみたいな……体調、悪いんですか?」

「ああ、いや。ちょっと休みボケしてるだけだよ。もうオッサンだからね」


私は「はっはっは」と冗談ぽく笑ってみせた。


 「それより、お嬢ちゃんはお休みどうだった? 北海道は楽しめたかな?」

「はいっ! 美味しいもの沢山たべましたっ! おかげでちょっと太っちゃって」


微塵も太くないスマートなお腹をさすりながら、お嬢ちゃんは恥ずかしそうに微笑んだ。照れ臭そうに頬赤くする姿は、まさに天使の如き愛らしさで――


「――はっ!?」


私は背後からの気配を察した。

 振り返って見れば、綾部あやべさんが冷たい怒りを露わにしている。まるで汚物に塗れた変質者を見るように。

 だが私と目が合うや、彼女は顔を赤く染め上げて顔を逸らした。


 「翔介しょうすけ


厳めしい声を伴い、奥所から父がのそりと現れた。受付の方に来るとは珍しい。


 「今日は知り合いと会う約束がある。悪いが先に出るぞ」

「え? ああ、うん。分かった。お疲れ」

「お疲れ様でした、院長」「お疲れ様でしたっ」


私に続いて、綾部あやべさんとお嬢ちゃんが頭を下げた。父も「お疲れ様」と返して病院を後にする。

 普段なら何も言わず出て行くのに、珍しいこともあるものだ。というか、ほぼ毎日私の方が遅く出ているが。


 「お嬢ちゃんも、あがってもらって大丈夫だよ」

「わかりました。事務長と綾部あやべさんは、まだ帰らないんですか?」

「私達はまだ、発注と在庫整理の業務が残っていますので」

「連休前も明けも、忙しくて出来なかったからね」


私が笑って応えれば、お嬢ちゃんは「そうですか…」と、どこか不満気だった。

 物言いたげなお嬢ちゃんの背中を見送って、作業に取り掛かろうとした時。

 

 ――コンコンッ。


表のガラス扉がノックされた。電源を落としているから、自動ドアが開くことはない。

 擦りガラスで顔は見えないが、人影が伺える。患者様だろうか。父がまだ事務所に居れば良いのだが。

 私は動かない自動ドアをじ開けた。


 するとドアの向こうに見える影の正体は………光希みつきさんだった。


「こんにちは、翔介しょうすけさん」


驚く私に、彼女はニコリと微笑みかけた。


「ど、どうして診療所ここに⁉」

「先日の水族館で買ったお土産を渡し忘れていたので、お届けに」


光希みつきさんは鞄の中から小さな袋を取り出すと、呆気にとられる私へ差し出した。

 流れのままに袋を受け取り開けば、可愛らしいサメがあしらわれたボールペンが。


「あ、可愛い…」

「良ければ御仕事で使ってください。ちなみに私はコレです」


光希みつきさんは、嬉しそうにイルカのペンを見せた。どちらも青を基調とした爽やかなデザインだ。


「ありがとうございます。でも、僕はなにも…」

「構いません。私が好きでやったことですから」

「すみません……というか、言って下さったら取りに行ったのに」

「いえ、一度翔介しょうすけさんの仕事姿を見てみたかったので。白衣姿、お似合いですよ」


褒められ、私は顔に熱を帯びた。女医の光希みつきさんに白衣この姿を見られるのは少々気が引けるが。


 「あ……でも、こんな所を父に見つかったら…」

「それも問題ありません。今日、お父様はお出掛けになると聞いていますから」


光希みつきさんは両手を腰に当て、「エッヘン」と豊かな胸を更に大きく張った。なるほど、今日父が会うと言っていた知り合いは光希みつきさんの父親か。見合いを終えて間もないというのに、仲の良いことだ。


「事務長…?」


と、後ろから消え入るような声が聞こえた。

 振り返って見れば、綾部あやべさんがうれいの表情で私達を見ている。


 私の背中に、冷たい汗が滲んだ。

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