第80話 08月14日【2】

 「ぼ、『僕が欲しい』って……な、なに言ってるんだよ薬局王キング。そんな冗談……今日ちょっと変だよ?」


「冗談なんかじゃないわ」


張り詰めるような薬局王キングの声が、私の顔から似非えせ笑いを消し去った。


「そ……そういう冗談はダメだよー。いくら僕でも、本気にしちゃうよー?」

「構わないわ。だって本気なんだもの」


笑ってお道化どけてみせるも、彼女の真摯な眼差しと言葉が卑怯者わたしから退路を奪った。

 追い詰められたネズミのように私は顔を伏せて押し黙り、薬局王キングは静かにワイングラスを傾けた。


 「3年前に私が今の店舗へ来た頃は、正直アナタのことが嫌いだったわ。でもアナタと一緒に居て、アナタを知る度に惹かれていったの。本当はアナタの方から『好きだ』と言わせたかったけれど、もうそんな悠長なことは言っていられない」

「ど、どうして…?」

「あの神永かみながとかいう女医先生よ」


光希みつきさんの名を口にした瞬間、薬局王キングの声に重みが増した。


 「彼女ははっきりアナタを好きだと言ったわ。おまけに結婚まで視野に入れていると……同じ台詞をそこら辺の誰かが言ったのなら私もここまで焦らなかったわ。でも相手は医者……アナタの立場を考えれば、これ以上ない相手よね」


穏やかだった薬局王キングの表情は徐々に険しく、声には悲哀が織り交ざる。

 ゴクリと、固唾かたずに私の喉が鳴った。


 「クリニックは薬局と違って、誰にでも経営できるわけじゃないわ。だからアナタのお父様が引退すれば必然アナタも診療所を去ることになる。

 けれど女医を嫁に取ればその懸念は無くなるわ。仮に出産や育児で彼女が病院に出れなくとも、その時はお父様がピンチヒッターになれば良い話。もっとも、そんな時期には、まだお父様が院長を務められるでしょうけどね」


言い終えるや薬局王キングは一気にグラスワインを飲み切って、タッチパネルから追加を注文した。私も泡の消えたビールをチビリと含む。


 「もしも見た目や性格に難があるような相手なら、私もこんなに不安にならないわ。でも神永かみなが先生はとても誠実で実直な方よ。先日の誘致の件で、それが良く分かったわ。おまけに美人だしね。正直、薬剤師の私じゃあ医師ドクターの彼女には権力も立場も敵わない」


明瞭な声で言い連ねる薬局王キングの元に、代わりのワインが運ばれてきた。

 店員の男性が去ると同時、熱い視線がまた私の意識を支配する。


「でもアナタへの気持ちだけは、彼女にも負けてない」


受け取ったワインを一口含むと、薬局王キングは凛とした表情で私を正面に見据えた。


 「アナタのためなら、私は何を犠牲にしても構わない。今の立場だって捨てる覚悟よ。アナタと一緒に居られるなら〈ヴェール・ファーマシー〉を辞めたって構わないわ」


その瞬間、雷が落ちるような衝撃が体を貫いた。


「本当に好きよ。アナタのことが、この世界の誰よりも」


熱を孕んだ視線と耳を溶かすような甘い言葉。気付けば全ての意識が彼女に向けられる。

 加速する心臓に、騒がしく響く鼓動。

 冷たい汗が溢れて止まらない。

 彼女の想いが、私の内側を侵食しんしょくする。

 酒の力も手伝って、蕩けた脳では思考が定まらない。

 視線を泳がせながらも、私はようやくと重い口を開いた。


「な………なんで、僕なんか…?」


痺れる脳みそをフル回転させ、やっと絞り出した言葉だった。

 だがそれを皮切りに、つかえが取れたかのように言葉の水が溢れ出す。


「僕なんて医者でも薬剤師でもないし、見た目が良い訳でもない。薬局王キング光希みつきさんみたいに国家資格を持ってるわけでもないし、二人の方がよっぽど稼いでるはずでしょ。それに僕の立場云々を言うなら、薬局王キングだって薬剤師や医者と結婚した方が良いに決まってる。なのに、どうして…」


「そうね。確かにアナタより優秀な人間は沢山居るわ。アナタより裕福な人も、頭の良い人も、権力がある人も、背が高くて格好いい人も。それこそ星の数ほど居るでしょうね」


改めて現実を突き付けられると、流石に気落ちしてしまう。私は目を背けるように薄笑いでジョッキをあおった。


「けれど………それでも私はアナタじゃないと駄目なの。この気持ちは『優しさ』や『性格の一致』なんて単純な言葉では片付けられないわ。ただアナタが愛しくて仕方がない。ただアナタを愛してまない………それだけよ…」


そう言うと薬局王キングは「フッ…」と小さな笑みを浮かべ、グラスワインを一気に飲み干した。


「ごめんなさい。唐突にこんな話をして。アナタが戸惑うのは分かるわ。でも、返事は必ず聞かせて頂戴」


一万円札を置いて立ち上がると、挨拶もなく一人で店を後にした。

 残された私は温くなったビールを片手に、テーブルの料理をただ静かに見つめていた。

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