第79話 08月14日【1】

 「遅いわよ」

「……えっ?」


待ち合わせの駅に着いた私を待っていたのは、眉間にしわ寄せる薬局王キングだった。


「もう少し早くおいでなさい。30分もレディーを待たせるなんて、マナーに欠く行為よ」


言われて私は時計を見た。約束の時間は10時。現在9時50分。

 『薬局王キングが早く来すぎなんだろ』などと余計な台詞は喉の奥に押し殺して、私は素直に頭を下げた。


「まあ、いいわ。それじゃあ、まずはお店を見て回りましょう」

「プラネタリウムに行くんじゃないの?」

「それは夕方からよ」


そう言って薬局王キングは颯爽と歩き出し、私も続いた。


「なにか欲しいものでもあるの?」

「いいえ。ただの時間潰しよ」


潰すほど時間が余るのなら、こんな早くから待ち合わせをしなくても良かっただろうに。

 などと野暮な言葉はやはり喉の奥に引っ込めて、私は彼女の隣に並んだ。

 幸い此処ここは県内随一の繁華街。それだけに商業施設は充実している。特にレディース雑貨やアパレル関係は、競うようにのきを連ねて。

 だが薬局王キングはどの店にも足を止めず、男性向けの雑貨やアパレルばかりを見て回った。


「ハンカチはどの柄が好きかしら?」

「気に入りのブランドは?」

「赤いネクタイはNGよ。血を連想させるわ」

「アナタは青系が似合うわね」

「ダボっとした服装よりタイトなスタイルの方が良いと思うわ」

「靴は黒より茶系になさい」

 ――etc…。

 

まるで専属コーディネーターのように助言と小言を賜った。

 終いには昼飯のピザプレートを食べている時まで、「食べ物は何が好きなのか」「どんな味付けが好みか」「普段自炊はするのか」と質問攻めだった。

 プラネタリウムを見る前にグロッキー状態と化す私に反して、薬局王キングは淡々としていた。

 笑顔は見せるものの、心の底から笑っていない。

 そんな印象だった。


 結局買い物らしい買い物はせず、私と薬局王キングはプラネタリウムが上映される科学館へ向かった。

 繁華街から駅二つほど離れた場所にあるそこは、デートスポットとは思えない住宅地にあった。

 科学館と言えば小学生の遠足など想像していたが、意外にも大人や若いカップルも多く見受けられた。

 というのも、このプラネタリウムは最近改修されたらしく【カップルシート】なるソファ型の席が設けられていた。

 丁度キャンペーン中らしく、私達もその席を勧められた。

 てっきり薬局王キングのことだから思い切り否定するかと思いきや、意外にもアッサリと受け入れて席に着いた。

 なんだか、今日は調子が狂う。

 


 ※※※


 

 あっという間に上映が終わり、帰り際に展示物を一通り眺めて、私達は科学館を後にした。

 正直、先日の水族館や花火大会に比べると感慨に乏しい。このまま帰宅というのは後味が悪い。そんな風に考えていると…。


「呑みに行きましょう、翔介しょうすけ


私の思考を読み取ったかの如く、薬局王キングが提案した。


「いいね〜! 今日は暑いし、呑みに行くのなんて久しぶりだ」

「お店はもう予約してあるから、そこに行くわ」

「了解~!」


敬礼と笑顔で応えれば、彼女の案内のもと、以前に訪れたシオンモール近くまで戻った。綾部あやべさんら4人で映画を観に行ったショッピングモールだ。

 駅から少し離れた場所にある、落ち着いた雰囲気の創作居酒屋。

 ことほか静かな店内で、私達は個室に案内された。なるほど、ここなら万が一にも患者様や仕事の関係者に見られる心配が無い。流石は薬局王キングだ。


「んじゃ、カンパーイ」

「乾杯」


グラスを打ち合わせることなく互いに掲げ合うと、私はビールを喉に流し込み、薬局王キングは赤ワインのグラスを傾けた。

 「それにしても、薬局王キングと呑みに行くなんて初めてだね」

「そうね。アナタが『薬局とクリニックがそういう関係にあるのは〜』とか言って、いつも断っていたから」

「そうだっけ?」

「そうよ」


そう言って、私達は互いに「クスクス」と笑い合った。思えば今日初めて薬局王キングの笑う声を聞いた気がする。アルコールのおかげだろうか。


 「確かに以前の僕は頑固というか、杓子定規しゃくしじょうぎすぎたかな。でも薬局王キングのおかげで自分の殻を破れた気がする。ありがとう、薬局王キング


私は深く頭を下げた。けれど彼女は首を振って否定する。


「礼を言うのは私の方よ。アナタのお陰で、今の私があるようなものだから」

「そんな大袈裟な……っていうか僕、薬局王キングになにかしたっけ?」

「ええ。色々なものをアナタから貰ったわ。一番欲しいものは、まだ頂いていないけれど」

薬局王キングの一番欲しいもの?」


調剤薬局チェーンの御令嬢である彼女のことだ。きっと高級な自動車やブランド物の時計などだろう。私には想像もできないが。

 「なにが欲しいの?」と興味本位に尋ねれば、薬局王キングは少し黙って俯いた。

 そしておもむろに顔を上げれば――


「アナタよ、翔介しょうすけ


――真っ直ぐな視線と声が、私を貫いた。


「私は、アナタが欲しい」

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