第73話 08月08日

 光希みつきさんが喫茶店を出て間もなく、私と薬局王キングも同じく店を後にした。

 少し離れた横断歩道で赤信号に引っ掛かり、私達は足を止めていた。


「今日はごめんなさい。迷惑をかけたわね…」


隣で力無く項垂れる薬局王キングが、唐突と呟いた。

 私は驚き目を丸める。


「……なによ、その顔は」

「いや、薬局王キングがそんな殊勝なこと言うなんて珍しいから」

「なによそれ」


小さく苦笑いを浮かべると、薬局王キングは鞄から2枚の券を取り出し、私に突きつけた。

 見れば、それはプラネタリウムのチケット。


「なに、これ?」

「あの神永かみながとかいう女医先生と、二人で行ってらっしゃい」

「なんで?」

「お詫びの印よ」


信号が青に変わり、まばらな人の波に紛れて私達も歩き出す。


神永かみなが先生の言う通りよ。私はアナタを利用したの。自分の仕事のためにアナタを使ったの………それはそのお詫びよ。綾部あやべさんでも神永かみなが先生でも、好きな相手と行きなさいな」

「わかった。じゃあ、有り難く貰うよ」


私が笑顔でそう言うと、薬局王キングは淀んだ微笑で頷き返した。そして、すぐさま。


「ところで薬局王キング。いまさっき偶然プラネタリウムのチケットを貰ったんだけど、一緒に行かない?」


私はチケットの片割れを差し出した。同時に薬局王キングの足がピタリ止まって、辟易したように私を見上げる。


「人の話を聞いていたかしら? そのチケットはアナタが好きに……」

「だからだよ。僕は薬局王キングと一緒に行きたいんだ」


ニコリ、と私は敢えて明るく笑って見せた。

 薬局王キングは驚き呆れ、顔を赤く染めるという複雑な様相を呈した。


「で、でもそれじゃお詫びにならないわよ……私はアナタのことを騙して…」

「そんなことないよ。さっきも言ったけど、薬局王キングは純粋に仕事と向き合っていただけじゃないか。もし僕が薬局王キングの立場なら同じコトしてるよ」

翔介しょうすけ…」

「てゆーか、僕は薬局王キングになら騙されたって利用されたって別に構わないし。こんな僕で良ければ、好きなように使ってよ」


腰に両手を当てて「はっはっは」とふざけてみせれば薬局王キングも失笑気味に溜息つきながら、


「………バカ」


と、小さく呟きチケットに手を伸ばした。



 ※※※



 「お嬢ちゃんは、お盆休みに何処どこか行くの?」


午前診が終わって間もなく。レジのお金を数えるお嬢ちゃんに、私は何の気なく尋ねた。


「今年は家族で、北海道にあるお婆ちゃんの家に泊まりに行きます」

「おー、いいね北海道」

「はい。美味しいものいっぱい食べます。でも旅行と花火大会の日が被るから、ちょっと残念です」

「へー、花火なんてあるんだ」

「はい。川沿いの方で。毎年たくさん屋台とかも出るんですよ」

「ふーん」


ちょっとした祭りのようなものか。そんな行事が毎年あったなんて、知らなかった。今まで、その手のイベントにはとんと無縁だったからな。


 そうして診療後の片付けも終わり綾部あやべさんが出勤した。

 お嬢ちゃんも仕事が板についてきたようで、引き継ぎ連絡も流暢にこなしている。

 看護師さんらと一緒にお嬢ちゃんも帰宅し、院には私と綾部あやべさんの二人だけになった。

 正直、まだ少し彼女と接するのが気不味い。

 もともと寡黙な綾部あやべさんだけに、その意図が計り知れない。


 「……あ、綾部あやべさんはお盆休みに何処か行くの?」


なんとかコミュニケーションを図ろうと私は話題を模索した結果、先程お嬢ちゃんと話していた内容をトレースしてしまった。


「特に予定はありませんが」


平坦な口調と冷ややかな態度で返す綾部あやべさんに、胃がキリキリと痛む。


 「そっ……そういえば、お盆休みの間に花火大会があるんだって」

「存じております」

「あ、そう……綾部あやべさんも行くの?」

「いえ。行く相手も行く理由もありませんので」

「そ、そうなの?」

「はい。事務長はやはり、あのハンカチの持ち主様と御一緒されるのですか?」


『あのハンカチ』というと、先日に光希みつきさんから借りた品のことか。


「行かないよ。そんな予定は無――」


そこまで言いかけて私は声を留めた。不意に浮かんだ想いが言葉を遮ったからだ。そして、


「良かったら花火、一緒に観に行かない?」


気付けば私の口は、思考とは切り離されたかのように動いていた。

 私の奇行に綾部あやべさんはあからさまと驚いている。きっとすぐにいつもの「セクハラです」という台詞が飛んでくるはずだ。

 野球の要領で、私は「冗談だよ」という心にない台詞を用意し打席に立った。


「宜しいのですか…?」


だが飛んできたのは予想外の変化球セリフ。完全に見誤った私は三振に切って伏せられた。


 「ほ……ホントに?」

「はい。事務長さえ良ければ……私は」

「じゃあ……一緒に行こうか」

「……はい」


互いに眼を合わせることなく、流れるように約束が取り付けられた。

 思考も思惑も無かった。ただ自然と言葉が発せられていた。

 だが思考回路はすぐに正常化かれて、『従業員と食事など行くな』という父の言葉を思い出す。

 しまった、どうしよう。

 ここはやはり父の言いつけを守って断るべきだろうか。いや、しかし…。


 「事務長」


懊悩おうのうする私を綾部あやべさんが呼んだ。


「お誘い、ありがとうございます。花火、楽しみにしています」


まるで春の木漏れ日が如く、穏やかで温かい綾部あやべさんの微笑。


 それを目の当たりにした瞬間ときから、私はもう考えることをやめていた。

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