第74話 08月10日~08月12日

 長期連休前の駆け込み診療が無事に終わり、慌しい日々にも幕が下りた。世間では、いよいよ明日からお盆休みだ。

 当院も8月11日から8月15日の5日間、お休みを頂戴する。欲を言えばもう2日ほど休みが欲しかったが、近隣の小児科医院との兼ね合いや患者様の要望もあるので、贅沢は言えないが。

 今までは「もっと休みが欲しい」などと思わなかったが、今年は違う。なにせ花火やプラネタリウムという、夏らしいイベントが私を待っているのだから。

 心躍らせ鼻歌まじりに帰り支度をしていると、スマートフォンがやかましく震えた。

 画面に表示された相手は……光希みつきさんだ。

 時計の針は22時を回ろうとしている。こんな時間に、いったい何の用だろう。


 「……もしもし?」

『こんばんは、翔介しょうすけさん。神永かみながです。今、少しだけお時間よろしいでしょうか』

「は、はい。大丈夫です」

『ありがとうございます。翔介しょうすけさんの診療所クリニックは、もうお盆休みに入られますか?』

「はい。明日から5日間お休みです」

『それは素敵ですね。翔介しょうすけさんは、旅行などに行かれるのですか?』

「いえ、旅行や遠出はしないつもりです。市内や隣県に遊びに行くくらいで」

『本当ですか? なら翔介しょうすけさん。良ければ明後日の8月12日、二人で遊びに行きませんか?』

「……え?」


唐突に切り出された誘いに、私は迷った。

 先日に薬局王キングと二人で鉢合わせた件で少々気兼ねしているのもあるが、既に約束があるからだ。

 頭の中で、私はカレンダーをめくった。たしか薬局王キングと行くプラネタリウムは【8月14日】で、綾部あやべさんとの花火大会は【8月13日】だ。

 ここで光希みつきさんの誘いも受けると三日連続の予定になってしまう。遊び慣れていない三十路の私には、少々ハードなスケジュールに思える。


『もしかして、既に御予定がありますか?』

「あ、いえ! 全然大丈夫です! 空いてます!」


萎れるような光希みつきさんの声に、まだ考えもまとまっていないにも関わらず返答してしまった。


 『良かった! では明後日、JR◼️◼️駅の改札に朝9時で如何でしょう』


電話の向こうから聞こえる声は、明らかに揚々ようようとしている。ここで断るのはあまりに忍びない。


 「分かりました。朝9時ですね」

『はい、お願いします。初めてのデート、楽しみにしています。おやすみなさい』


そう言って光希みつきさんは終話ボタンを押した。

 彼女の美声から放たれた「デート」という単後が、私の耳と頭にこびり付いて、翌日まで離れなかった。



 ※※※



 あっと言う間に2日が経過した。

 光希みつきさんとの待ち合わせ場所に到着すると、彼女は既に到着していた。

 タイトなロングスカートに大人っぽいアウターと、品性と知性を兼ね備えた彼女らしい装いに、人混みの中でもすぐに気付いた。

 そうして光希みつきさんと合流し、やってきたのはデートスポットとしても有名な大型水族館だ。


 「ここ、前から来てみたかったんです」

「初めてなんですか?」

「はい。どうしても家族やカップルで来るイメージが強くて、気遅れしていました」

「ああ、分かります。その気持ち」


チケットを購入しゲートを潜れば、待ちきれない様子の光希みつきさんが「早く早く」と私を急かした。


 大きな館内を進めば、巨大な水槽を優雅に泳ぐ海の生き物達が私達を出迎えてくれた。


 気持ちよさそうに岩の上で寝ているアシカが絶妙に不細工で、光希みつきさんは子供みたく無邪気に笑った。


 縦に伸びる大型の水槽に、魚の群れとサメが一緒に泳いでいた。それを見た光希みつきさんは「小魚達は食べられないのか」と不安そうに注視していた。


 自由気ままに立ったり泳いだりのペンギン達。だがバケツを抱えた飼育員さんが登場するとは我先にと集まり、よちよち歩きで後をついて回った。愛らしいその姿に、私も光希みつきさんも目を釘付けにしていた。


 神秘的な演出の空間では、多種多様な海月クラゲがユラユラと漂っていた。宝石のような美しさを讃えるモノから、身の毛がよだつほど毒々しいモノまで。


 その他もイルカや淡水魚など、ひとしきり館内を堪能すれば、時計はもう14時を回っていた。


「少し、お腹が空きましたね」


言われて初めて気が付いた。意識したせいか途端に私の腹が『ぐぅ~っ』と腹が鳴って、光希みつきさんは楽しそうに笑った。

 生憎と水族館内にはカフェテリアや売店しか無かったので、最後に土産物屋にだけ立ち寄ると、水族館を出て近くのレストランへと赴いた。

 オムライスが名物の店らしく、私はデミグラスソースを、光希みつきさんはトマトソースのそれを注文した。


「こうしてテーブルに向かい合っていると、お見合いの日を思い出します」

「そうですね…」


と、同意しながらも私は別の情景を思い浮かべていた。


「……光希みつきさん」

「はい?」

「このまえ、どうして薬局王キングにあんなことを言ったんですか?」


私が思い浮かべた光景は、見合いのホテルではなく先日の喫茶店。


 険しい私のまな差しに、光希みつきさんは少しだけ驚いた様子を見せた。

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