第56話 07月14日

 「恐れ入りますが明後日の土曜日、お休みを頂きます」

「……え?」


木曜日の業務終了後、表のシャッターを下ろす私に、綾部あやべさんが唐突と告げた。


「それと、事後報告で申し訳ございませんが、すでに小篠こしのさんには勤務の交代を御願いしています」

「それはいいけど、急だね……なにかあるの?」

「……少々、食事の約束が」


聞くまでもなかった。私には分かっていたこと。けれど、それを受け入れたくない私が居た。


『あのヒトと一緒に行くの?』


その一言が、どうしても言葉に出来なかった。

 言いたいのに、言えない。

 聞きたいのに、聞けない。

 故に私は、


「へっ……へぇー、そっか……何を食べに行くの?」


聞きたくもない、取るに足らない質問で誤魔化した。

 直後、私を見る綾部あやべさんの視線が、氷の如く冷ややかと変わる。


「シーサイドホテルのフレンチです」


その瞬間、心臓が止まるかと思った。

 覚えがあった。

 それは綾部あやべさんと医療用PCレセコンの講習会へ行った時のこと。受講の後に綾部あやべさんが「行きたい」と言っていたレストランだ。

 あの日は結局行けなかったけど、綾部あやべさんの方からフレンチに行くことを希望していた。

 私の中に、嫌な妄想が巡る。


「そ……そのお店、もしかして綾部あやべさんが?」


思わず口が走っていた。

 だが覆水は盆に返らない。

 一寸前の自分を恨んだ。


「はい。私が所望致しました」


雷に身体を真二つにされたような衝撃。気が遠くなるような感覚。

 だが、それを気取られたくなかった。

 だから私は、いびつな微小を顔に貼り付ける。


「で、でも……食事なら夕方とか夜なんじゃないの?」

「ええ。18時に御約束を」

「じゃあ、仕事を休む必要は…」

「事務長には関係無いと思いますが? プライベートなことですので」


突き放すように言うと、綾部あやべさんは黙礼して2階の事務所に一人あがった。

 シャッターを降ろしきった後も、私は一人クリニックの前で立ち尽くしていた。

 


 ※※※



 翌日、私は休診時間に隣の薬局を訪れた。


薬局王キング!」


突然と現れた私に、〈ヴェール・ファーマシー〉の薬剤師さん達は驚きの様相で私を振り向く。


「ど、どうしたのよ翔介しょうすけ


奥の調剤室から、やはり驚いた様子の薬局王キングが。


「ごめん、来て!」

「えっ? えっ!?」


戸惑う彼女の手を強引に取り外へ連れ出すと、


「頼む薬局王キング! 僕と一緒にホテルでフレンチ食べてくれ!」


脈絡も説明もなく、私は頭を下げた。



 ※※※



 「――なるほど、そういうことね」


病院近くの自販機前で、私はアイスコーヒーを、薬局王キングはカル〇スウォーターを片手に。


「確かにアナタの言う通り、普通は従業員の色恋に経営者がとやかく言うべきではないわ。だけど、綾部あやべさんとなれば私も捨て置けないわね」

「なんで薬局王キングが?」

「……それは今関係ないでしょ」


つまらなそうに言いながら、薬局王キングはカル〇スウォーターに口を付けた。


「というか、アナタはどうしてそんなに悩んでいるのよ。まさか綾部あやべさんのことが……好きなの?」

「好きとか嫌いとかの問題じゃないよ」


ゴクリと、私も冷たい珈琲を一口煽った。


「でも、なんだか気になるんだ。自分でもよく分からないけど」


私がそう答えると、薬局王キングは神妙な面持ちを呈す。


「……ひとつ聞いていいかしら」

「なに?」

「もし……私が綾部あやべさんと同じ立場だったら、アナタは同じように気にしてくれるの?」

「そりゃあ、もちろん」


私は即答した。考えるまでも無いことだ。

 薬局王キングとの付き合いはもう3年になる。友人であり、同業者であり、仲間である彼女。

 そんな薬局王キングの伴侶候補となる人物には純粋に興味がある。


 それに、なんだか……モヤモヤする。


 想像だけで暗雲を生み出す私の胸中とは真逆。薬局王キングの表情は晴々と明るくなった。


「いいわ! 協力してあげる!」

「ありがとう薬局王キング!」

「その代わり、ひとつ貸しよ?」

「分かってる! 必ず返すよ!」


笑顔で右手を差し出すと、薬局王キングは戸惑いつつも握手に応じてくれた。

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