第47話 05月上旬〜06月下旬
「――あっ」
それを見つけた私は、驚きに声を漏らした。
連休が明けて間もなく、暑い日と寒い日が繰り返し続いていた頃。
当院がテナントを構えているマンション軒下に、燕が巣を作ろうとしていた。
何故分かったかと言うと、屋根境の壁に、灰色の泥や枯れ草が貼り付いているからだ。
「いつのまに…」
見上げる私の傍で、一羽の燕がそこへ飛んできた。嘴に咥えた泥をペタリ、そこへ貼り付ける。
「あれ、事務長どうしたんですか?」
丁度出勤したところか。私服姿のお嬢ちゃんが私に尋ねたので、「あれ」と私は施工中の燕を指差した。
「あ、ツバメですね」
「うん。あそこに巣を作ろうとしてるんだ」
「良かったですね」
「なんで?」
「ツバメが巣を作る家は、繁栄するらしいです」
「へー…」
お嬢ちゃんはひとつお辞儀して事務所へ上がり、私は院へ向かった。
調べてみると、お嬢ちゃんの言っていたことは本当だった。
燕はカラスなどの天敵に襲われないよう、人間の出入りが多く通気性の良い場所を選んで巣を作るらしい。
占いじみた言い方をすれば、【気】の流れが良い所に巣作りするのだとか。
巣はあっと言う間に出来上がり、
「事務長。裏に置いてあったこの段ボール、もらってもいいですか?」
マスクを入っていた段ボールを抱えて尋ねた。私は「うん、いいよ」と二つ返事に答えた。
翌日、巣の下には糞や泥を受ける段ボールが置かれていた。あの外観には見覚えがある。お嬢ちゃんが置いてくれたのだろう。
尋ねてみると案の定。お嬢ちゃんは照れ臭そうに笑った。どうやら糞や泥を受けるためらしい。
「でも、エントランスまで(糞や泥が)飛ぶかもしれないです。それに、ココでタバコ吸う人の煙もよく見るから…」
「なるほど…」
私はマンションの管理人に電話を入れ、燕のことを伝えた。すると管理人は面倒臭そうに『やるなら御自身で勝手に対応して下さい』との回答。
仕方がないので、エントランス側に軒下から地面まで覆う透明なシートを貼った。これで泥が飛んでも玄関口は汚れない。
翌日、マンションに住む少年らが張ったシートに悪戯をしていた。
お嬢ちゃんに相談した結果、『ツバメが卵を産んでいます。しずかに見守ってあげてね』とシートに張り紙をした。
少年たちは黙って、巣を見守ってくれるようになった。彼らの存在もあって、マナーの悪い大人達も近付かなくなった。
しばらくすると、巣の中から小さな黒い生き物が顔を覗かせた。
孵った卵は全部で四つ。余程腹が減っているのだろう、親が餌の昆虫を運んでくる度に『ピィピィ』と鳴き喚いた。
けれど一度親が
親鳥はいったい何時休んでいるのかと思うほど、粉骨砕身に餌を運び続けた。
四羽の
ある日曜日。土砂降りの雨が降った。
風も強く、台風を思わせる天候だった。
翌日の出勤時、糞よけとして設置した段ボールに
風で飛ばされたのか、他の兄弟に落とされたのか。どちらにせよ、雛は『ピィ、ピィ』と高い声で泣いていた。
私は迷った。
可哀想だから雛を巣に戻してやりたい。けれど、それは自然の摂理に反するのではないか。
それ以前に、人間の匂いが付いた雛を親鳥が再び育てるだろうか。
どころかその雛だけでなく、他の雛も同じように見捨てられはしないか。
私はその場で腕組みしながら、悩みあぐねた。
するとそこへ、お嬢ちゃんが出勤した。
お嬢ちゃんは段ボールの中の雛を見て驚いた。
同時に、すかさず段ボールの中の雛を掬い上げようとする。
私は静止した。「人間の臭いが付いた雛は親が育てなくなるから」と。
お嬢ちゃんは腕を引き少し考えると、もう一度段ボールに手を伸ばした。
けれど雛には触れず、周りの糞や羽を掻き集めた。それを片手に塗りたくり、掌に泥を乗せ、その上に雛を掬うと巣に戻した。
彼女の美しい手は糞や泥に汚れ、鼻に近づけると「臭いです」と笑顔を
その無垢な微笑みが、私の胸を締め付けた。
※※※
四羽の雛は、無事すくすくと育った。
二度と誰一羽、落ちることなく。
気付けば子供らは親と見紛うほど大きく育ち、赤いネクタイにタキシードと
数日後、子供達の飛ぶ練習が始まった。
けれど長くは飛べないようで、軒下の巣からすぐ目の前の電線まで飛ぶのがやっとだった。
巣は手狭になり、子供達も親同様外で寝るようになった。【止まり木】にと巣の近くに棒を設置してみたが、そこでは一度も羽を休めなかった。
しばらくすると、燕の一家を見かけなくなった。
彼らにとって、あの巣は産院のようなもの。子育てが終われば巣立ってしまう。
どことない寂しさを感じながら、お嬢ちゃんと二人で朝の開院準備に向かった。
そうして院のシャッターを開けようとした時、私とお嬢ちゃんはそれに気付いた。
院の前に置かれた、一輪の花に。
名前も分からない、小さな小さな水色の花。
けれど私達は知っている。その花の意味を。
お嬢ちゃんと私はは、顔を見合わせて笑った。
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