第39話 04月30日

 「翔介しょうすけ、お前GWゴールデンウィーク実家うちに帰ってくるのか?」


診療が終わって間もなく。私は父と二人事務所の執務室に居た。


「ああ、うん。1日くらいは」

「そうか」


父は振り返ることもせず、ずっとパソコンを見つめて会話を続ける。

すると、その時。


「誰かと遊びに行くのか?」


核心をついたその問いに、私はビクリと肩を震わせた。

 妙な汗が背中と額を不快に濡らす。

 ゴクリと固い唾を飲み込んで、私は不細工な笑顔をとってつけた。


「隣の薬局長やっきょくちょうさんと、映画に…」


答えた瞬間、父はゆっくりと振り返った。

 額には大きな皺が走っている。

 私を流し目に見つめるその表情は”驚愕”そのもの。

 かと思えば直後、スン…と眉間の皺は消えて父は「そうか」とだけ答えた。

 予想外の反応。私は燦々さんさんたる追求や避難を覚悟していたのだが…。


「い、いいの?」

「なにがだ」

薬局長やっきょくちょうさんと一緒に映画行くこと…」

「否定する理由は無い。行くのは映画だけか?」

「え? うん…」

「ならついでに、食事でも行って薬局や医療経営について教えてもらってこい」


平坦な口調で言いながら、父は財布から一万円札を取り出し私に突き出した。


「い、いいよ別に! もう子供じゃないんだから!」

「構うな。ついでに後発品ジェネリックのことは諦めるよう説得しておけ」

「あっ…」


などほど、それが狙いか。

 私は一気に消沈した。この頑固オヤジが、なんの下心もなく背中を押すような真似はしない。そういえば、このオヤジは昔からそうだった。

 さっきまでの遠慮も失せ、私は差し出された一万円札を接待交際費として有り難く頂戴する。


「でもさ、世の中的にはどんどん後発品を使う風潮になってるんだから、ウチもそうすれば?」

「メリットは」

「後発品を処方した分、診療点数を稼げるよ。薬局さんだって儲かるし」

「利益云々うんぬんを言うのなら、高価な先発品を買って薬価差率を上げた方が薬局は儲かるだろう」

「そうなの?」


驚く私に反し父は黙って頷いた。薬局さんの利益の出し方は詳しく知らないが、どうやら診療報酬だけではないらしい。


「だけど、患者さんは安いほうが嬉しいでしょ」

「小児科だぞ。患者負担はほとんど無い。それに私なら多少高くても”信頼”をとる」

「それは父さんが医者だからだよ。普通は10円でも安いほうがいいんだって」

「………そうは思えんが」


いやにかたくなだ。というか、そもそも一般庶民と開業医を同じ価値観で測らないで頂きたい。


「もしかしてメーカーに気兼ねしてる? ならオーソライズド・ジェネリック《AG》にすればいいじゃない」

「そういう問題じゃない。そもそも後発品が嫌いなんだ」

「どうして。大手なら問題ないでしょ」


「大手だろうと後発メーカーのGMPはガバガバだ。杜撰ずさんさで言えばウチのような小さな診療所と大差ない。実際の製造や研究をバイトや派遣だけでまかなっている企業もある」


「それは言い過ぎでしょ」

「どうだろうな。だが考えてもみろ。国は医療費の引き下げに躍起になっている。先発メーカーへの監査は頻繁に行うが、後発メーカーへの監査は稀だ。余程のことが無い限り」

「でも去年は大手の後発メーカーがになったじゃん」

「………余程のことがあったんだろ」


面倒臭くなったのか、父は放り捨てるように言った。その『余程のコト』を私は知りたいのだが。


「ともかく、そんな企業が作る医薬品を、私は安易に患者へ処方したくない」

「でも、それじゃあ薬局さんが可哀そうだよ。今年の報酬改定、また下方修正じゃない」

「それを言うなら『』も『』もそうだ」

「見せかけだけでしょ」


私は冷笑じみた口調で答えた。

 すると今までデスクに向かっていた父が、おもむろに振り返って私を睨む。


翔介しょうすけ、お前は薬局の人間か?」


ドスの効いた低い声に険しく寄った眉間の皺。じつの父親ながら、私は思わず身震いした。


「ち、違うけど…」

「なら薬局のことなど考えるな。厳密にいえば薬局あっちは医療機関じゃないんだ。その気になれば健康器具でもマスクでも売って利益を出せる。非営利の診療所ウチとは根本が違う」

「……だけど、薬局さんのメインの利益も診療報酬でしょ。薬剤師さんの給料だって、きっとバカにならないのに…」


手探りな私の抗弁に、父の眉間にはより深く皺が刻まれる。それに比例して、私の背中には粘りつくような汗が滲む。


「知った風な口を利くな。第一、処方元の医療機関と調剤薬局は特定の利害関係にあってはならないんだ。我々が薬局のことを案じてどうする」


苛立ち混じりに答えながら、父は大きな息を吐いて立ち上がる。


「そんなことより、お前は向こうの薬局長を言いくるめる上手い手でも考えろ」


まるで置き土産のように言うと、父は乱暴にドアを開けて執務室から出ていった。


 あとに残された私に不快感と不承感を残して…。

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