第37話 04月26日【薬局長編・2】

 私が今の店舗に来て1週間ほど経った、ある日。前任の管理薬剤師と二人で、お隣の〈つがみ小児科〉へ挨拶に伺った。

 父や前任の薬剤師からは『真面目で気難しい院長先生だ』と聞かされていた。私は覚悟していた。

 案の定、院長先生は頑固が白衣を着ているような御方で、薬剤師の私なんて、興味すら無さそうだった。

 そんな院長先生の隣で、妙にニコニコしている男性が居た。

 それが翔介しょうすけ

 挨拶を終えて早々と立ち去った院長先生の代わりに、彼がクリニックの事情や職員のことを教えてくれた。


『頼りなさそうな、八方美人の優男』


 それが彼に抱いた第一印象だった。

 ハッキリ言って私は翔介しょうすけを見下していた。

 だって院長先生の御子息なのに、医者ではなく事務員だと言うじゃない。きっと医者になる努力も出来ない、親の威光だけで踏ん反り返る典型的なドラ息子なのだわ。

 同じような境遇の私は、遊びも知らず必死に勉強して薬剤師になったというのに。大学受験も国家資格も自分の努力で掴み取ってきたのに。

 けれど、あの男は医学部にも行かずヘラヘラと親の病院に居る。

 

「許せない…!」


そう思い込んだ私は、良く知りもせず勝手に彼を『嫌いな人種タイプ』と決めつけた。


 だから私は、翔介しょうすけに冷たく接した。


 けど、そんな私の態度には彼も気付いていたようで、会うたびに腰引ける苦笑いを浮かべていた。

 でも、そのへつらうような顔と態度が、一層と私の神経を苛立たせた。



 ※※※



 私が今の店舗にきて3か月ほど経ったある日。私を毛嫌いしているおつぼね事務員が、翔介しょすうけと道端で話をしていた。

 私は二人に気付かれまいと咄嗟に隠れた。

 耳を澄ませば、おつぼね事務員が私の悪口を喋っている。よくもまあ、そんなに人の文句が出てくるわ。相当ヒマなのね。

 この先の展開は見え見え。八方美人の彼が同調して私の悪口で二人は盛り上がるのよ…。

 諦めの溜め息と共に、そこから去ろうと背中を向けた瞬間。


「訂正してください」


聞こえてきたのは、予想外な彼の言葉。

 振り返って見れば、さっきまでヘラヘラ笑っていた翔介しょうすけは険しい目つきでおつぼね事務員を睨んでいる。


「彼女は、そんな人じゃないと思います。薬剤師になるのは本当に大変なことです。昔と違って今は薬学部に6年間も通わないといけないし、国家試験だって簡単じゃない。

 しかも彼女は、あの歳で管理責任者だ。並大抵の努力で出来ることではないし、まして貴女の言う『親のコネ』だけで、どうにかなるものじゃありません。

 彼女は凄い人だ。少なくとも僕は尊敬している。というか、むしろ他人の悪口を笑って言える貴女を軽蔑します」


一方的にまくし立てた翔介しょうすけは、怒りの様相で一礼するとクリニックへ戻った。

 残されたおつぼね事務員は『なによ!』と吐き捨て、独りで垂れ流す文句は止まらないようだった。


 私の眼からも、熱い何かが溢れて止まらなかった。


 嬉しかった。

自分を認めてくれる人の存在が。


 情けなかった。

彼のことを知ろうともせず、上辺だけを見て否定していた自分が。


 腹が立った。

自分が嫌っていた人間は、自分自身だったことに気付いて。


 透明なのに複雑な色の涙。

それを止める手立てを、私は知らなかった…。



 ※※※



 以来、おつぼね事務員は翔介しょうすけの文句ばかり言うようになった。私など眼中に無いみたく。

 結果的に私は翔介しょうすけに助けられた。

 だけど多分、彼はそこまで考えてない。ただ感情任せに自分の思いを口走っただけ。

 だって天然おバカなんだもの。

 それが証拠に、ウチへ来るたびお局様に睨まれ萎縮していたわ。

 本当に、おバカよね。

 自分の損得を考えずに、正しいと思うことを『正しい』と正面きって言い放つ。

 でも、そのせいで自分に敵を作って心を痛める。

 そんな要領の悪い彼が医者にならなかったのは、ある意味正解だと思った。


 でも………私は、そんな翔介おバカが気になって仕方がなかった。いつの間にか目で追うようになっていた。


 彼が私を知ってくれたように、私も彼を知ろうと思った。

 いいえ、知りたかった。


 患者さんの男の子と特撮ヒーローの話で盛り上がっている時も。

 業務終わりに一人で店の周りのゴミ拾いしている時も。

 新人の事務員さんが決まらず頭を抱えていた時も。


 彼のことを知るたび、心がざわめいた。

 もっともっと、彼を知りたくなった。


 そうして気付いた時、私はもう――


 ――翔介しょうすけを、好きになっていた。

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