第36話 04月26日【薬局長編・1】

 「――まったく! なんなのかしら、あの男は!」


 翔介しょうすけに映画のチケットを渡され、お嬢さんと一緒に行くよう嘆願された直後。

 私は自分の薬局みせで定期薬のピッキングをしながら、いきどおりをあらわにしていた。

 ちなみに〈ピッキング〉とは、定期的に来られる患者様のために予め薬を用意しておく作業のことよ。


「あの……佐江木さえき薬局長。なにか、ありましたか?」


恐る恐ると、医療用PCレセコンで入力作業をしていた若い女性薬剤師が、調剤室に顔を覗かせた。


「別に。なにもないわよ」

「あ、ス、スミマセン…」


彼女は平謝りに頭を下げると、引っ込むようにまた電子薬歴カルテの入力作業を続けた。

 なによ。そんなに怖がらなくても良いじゃない。私だって機嫌の悪い時くらい………いいえ、こんな考え方はダメね。心理的安全性に欠く言動だわ。仕事に感情を持ち込むのは三流の管理者がすることよ。

 そう自分に言い聞かせると、私は大きく深呼吸してたかぶる気持ちを静めた。


「ごめんなさい、イライラして。小児科の事務長から頼まれたことに、少し納得がいかなくてね。八つ当たりのような真似をして申し訳なかったわ」

「い、いえ。私の方こそ無神経にスミマセンでした」


彼女はキーボードから手を離し、丁寧に私の方を向いて、また頭を下げた。

 そういえば、こうして彼女と面と向かって話をすることは、まだ無かったわね。


「あ……あの、佐江木さえき薬局長。聞いてもよろしいでしょうか?」

「なにかしら」


まだ少し波立つ心を抑えて、私は出来る限りの笑顔を見せた。


「薬局長が着けてらっしゃる、そのブレスレット。メインは橄欖石ペリドットですか?」

「ペリ……なにそれ?」

「天然石の名前です。その、綺麗なみどり色の」


聞きなれない単語に苦笑い浮かべると、彼女は私の着けている翡翠色のブレスレットを指し示した。


「天然石は、その石によって金運とか恋愛運とか色んな意味を持っていて、その効果を持ち主にもたらしてくれるんですよ」

「へぇ、そうなの。おまじないみたいなものかしら」

「はい。私、そういうのが好きで、ちょっと気になって」

「そうなの? じゃあ、この石の意味は何かしら」

「えーと、ペリドットは確か、『夫婦愛』とかだったと思います」

「ふっ…!?」


私は自分の腕に着けているブレスレットと、彼女の顔を何度も見比べた。

 彼女が嘘や適当を言っているようには見えない。まさか翔介しょうすけ、そういう意味を込めて……いいえ、ちょっと待って。落ち着くのよ私。

 あの天然おバカたらしの翔介しょうすけのことだもの。きっと、この石の意味だって知らずに寄越したに違いないわ。

 今回のことだって何も考えずに鼻の下を伸ばしていたから痛い目を見ているのよ。良い薬だわ。流石さすが薬局ウチでも『バカにつける薬』は取り扱ってないのだから。


「……でも、その翔介おバカのおかげなのよね」


きらびやかに光を反すブレスレットを見つめ呟くと、私は少しだけ昔のことを思い出した。



 ※※※



 学生時代、私は薬剤師になって父の薬局を大きくすることだけを目標にしていた。

 そのためにアルバイトもせず、勉強だけを頑張ってきた。

 周りの同級生達が”惚れた腫れた”にうつつを抜かして単位を落としている間にも、私は必死で勉強した。

 それが正しいことだと、努力できる人間こそが成功すると信じていたから。

 おかげで私は周りから怖がられていた。「煙たがられていた」と言ったほうが正確かもしれないわね。

 けれど、それは周りの人間が私に嫉妬しているだけ。

 頭の悪い子達のやっかみ。

 そう思っていた。


 だけど社会人になっても、その現実は変わらなかった。

 

 国家試験を無事に終えて大学を卒業した後。私は一般薬剤師(管理者じゃない薬剤師)として今とは別の店舗に入社した。

 当時の管理薬剤師(薬局長)に私は随分と嫌われていた。

 私より二回りくらい上の男性薬剤師だったけれど、無視や舌打ちは日常茶飯事だった。

 それでも無視して仕事を続けていると、ある日。

 彼は『辞める』と言い出した。

 父に事情を話すと、直接話を聞きに来て彼を説得した。

 すると彼は『私が別の店舗へ異動する』という条件で彼は退職を取り下げた。どうやら社長の娘である私が、自分の立場を脅かしていると勘違いしたらしい。

 馬鹿げた妄想。けれど結果として私は異動となり、今の店舗で働くことになった。

 父の計らいで、今度は管理薬剤師(薬局長)として入った。上司との摩擦を避けるためだ。

 けれど、無意味だった。

 似たような人間は何処にでも居る。今度は事務のお局様つぼねさまに目を付けられた。

 やっぱり私が社長の娘であることが気に入らないようで、今度は初日から無視され因縁いんねんを付けられ。

 数日と経たない間に、事務員間では根も葉もない私の悪評が流れていた。

 父に相談しても『上に立つ者が嫌われるのは、ある種の摂理だ』と、取り合ってはもらえなかった。

 私は諦めた。

 経営者とは所詮しょせん孤独な存在なのだと。

 だから心を殺し生きていこう……そう思った矢先。


 私は、翔介しょうすけと出会った。

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