第34話 04月26日

 父の言葉で昔の苦い経験を思い出した私は、お嬢ちゃんと二人で映画に行くことを諦めた。

 残念だが仕方ない。一度失敗ミスを犯した私に二度目は無い。なにより、今の〈つがみ小児科〉を壊したくない。

 しかし、お嬢ちゃんが映画を楽しみにしていたのも事実。断るにしても一人で行かせるのは気が引ける。

 私の手元に残った、このチケットも渡すべきだろう。

 とはいえ、せっかく私を誘ってくれたのに「都合が悪くなったから」などと適当な嘘を吐いてチケットこれだけ渡すのも気が引ける。

 クリニックの傍の自販機で、珈琲を買いながら悩みあぐねていた、その時。


「あら、どうしたの翔介しょうすけ?」


振り返ると、薬局王キングが居た。手には当院で発行した処方箋を持って。どうやら病院ウチに用があるらしい。

 するとその瞬間、私の脳裏に先日訪れたシオンモール(ショッピングモール)の光景が浮かんだ。


「ちょうど良かったわ。今そちらに処方箋を持っていこうと――」

「ねえ、薬局王キングは映画好き?」

「……な、なによ急に」


言い終わらぬうちに尋ねる私を、流石の薬局王キングいぶかしんだ。私は「ゴメンごめん」と軽く笑った。


「良かったらこれ、貰ってくれないかな?」

そう言って私はくだんのチケットを見せた。

「これって…」

「映画のペアチケット。メディセロ《医薬品卸会社》の小澤おざわさんに貰ったんだ」

「い、良いの?」

「うん。薬局王キングが良いんだ」


出来る限りの笑顔を私が作ると、それに呼応するように、薬局長キングもみるみると笑顔になった。よほど映画が好きなようだ。

 あとは、薬局王キングがお嬢ちゃんと一緒に行ってくれるかどうかだな。



 ※※※



 「――それで、私にお嬢さんと一緒に映画へ行けと言うの?」

「……うん」


クリニックの近くに設置されている自動販売機の前。降り注ぐお天道様のもと、私は改めて先日のことを薬局王キングに伝えた。

 もちろん映画のチケットを渡したことだけで、私の過ちについてはノータッチだ。流石にあの話がまずいことは私にも分かる。

 にもかかわらず薬局王キングは呆れた様子でいる。さっきまでの笑顔が嘘のように。


「まったく、なんでよりにもよって映画なんて約束したのよ。管理者として少し不注意じゃない?」


眉間に皺寄せ睨み上げる薬局王キングに、私は「ぐう」の音も出ず項垂うなだれた。


「それで、どうして私なの?」

「……薬局王キング、こないだシオンモールでお嬢ちゃんと仲良さそうにしてたから」

「それはまあ、そうね。確かに彼女とは話が合うわ。連絡先も交換して、昨夜もメッセージのり取りをしていたわ!」


得意気に言うと、薬局王キングは控えめな胸を張った。喜ばしいことだが、いつの間にそれほどの仲になっていたんだ。


「とにかく、頼むよ薬局王キング


腰を低くチケットを差し出せば、詮方せんかたないと言った様子でチケットを受け取った。その腕には、先日私が贈った天然石のブレスレットが揺れている。


「ありがとう。そういえば、薬局王キングは職員さん食事とか行かないの? 女性の職員さんとかと」

「当たり前じゃない。行ったとしても全員参加の忘年会程度ね。個人的に遊びに誘うなんてもっての外よ」

「でも、上司が部下や後輩を食事に誘うなんて普通じゃない? 女性同士なら問題も無いでしょ?」


何の気なしに吐いた台詞せりふだったが、薬局王キング唖然あぜんと口を開いた。


「アナタ、少し自覚が足りないんじゃなくて?」


憐みにも似た薬局王キングの視線。私の心に、見えない何かがグサリと刺さる。


「私達はあくまで経営者なのよ? 一般企業で上司が部下を誘っても許されるのは、その上司も会社に雇われている被雇用者だからよ」


強い口調で薬局王キングは、固い腕組みでもってその憤りを表した。反して閉口する私は、ただ真っ直ぐに彼女を見つめることしか出来ない。


「私達はただの上司じゃないの。経営者なの。言い換えれば会社そのものよ。そんな私達が、特定の従業員を贔屓ひいきするわけにはいかないわ」

「……そう、だね」


真に迫る彼女の一言一言が、私の心に重く圧し掛かる。まるで自身の幼稚さを、少しずつ露呈されているようで。


「そんな顔しないでちょうだい。私が悪者みたいじゃないの」

「……ゴメン」

「……もういいわ」


吐き捨てるようにそう言うと、薬局王キングは足早に薬局みせへと戻った。

 それはまるで、私から離れていく心を体現するかのように。

 

 残された私は、空を見上げた。

  

 臆病で情けない、自分の弱さと愚かさを誤魔化すために…。

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