第32話 04月22日

 「――翔介しょうすけ


事務所の執務室で仕事をしていると、父から何やら小さな紙を突き出された。

 受け取って見れば、それは映画のペアチケットだった。


「なにコレ」

「さっき医薬品卸会社メディセロの営業に貰った」

「いいの? そんなん貰って。ワイロじゃない」

「その映画に協賛している製薬メーカーから譲り受けたそうだ。余っているようで、無理に寄越された」

「ふーん…」


受け取ったチケットを見るも、そのタイトルには見覚えがない。だが主演俳優から邦画というのは分かる。


「お前、映画好きだろ」

「好きだけどさ、わざわざ映画館に観に行くほどじゃないよ。父さんこそ母さんと一緒に行けば?」

「バカを言うな」


相変わらずの仏頂面。だが満更でもない様子の父は、私をあしらうよう軽く手を振った。


「じゃあ、従業員スタッフさんにあげてもいい?」

「好きにしろ」


背中を向けた父に見送られることもなく、私は執務室を後にした。



 ※※※



 「――綾部あやべさんは、ゴールデンウィークGWはどこかに出かけたりする?」

父から映画のチケットを貰ってすぐ、私は院の受付で書類仕事をする綾部あやべさんに問いかけた。


 「特に予定はありませんが………セクハラですか?」

「なんでそうなるの?!」

「いえ。事務長が私のプライベートに興味がおありなのかと思うと、少々寒気がするので」

「うん、ヒドイよね。心折れちゃうよね。涙が溢れる5秒前だよ……まあいいや、それなら――」


言いながらチケットを取り出した、その時。


「おはようございます」


お嬢ちゃんが出勤した。今さっき私も降りてきた所なので、ちょうど入れ違いになったのだろう。


「おはよう」

「おはようございます」


挨拶を返す私と綾部あやべさんに、お嬢ちゃんも照れ臭そうに笑って会釈する。


「あれ? 事務長それ、もしかして映画のチケットですか?」

お嬢ちゃんが私の手にあるチケットを指差した。

「うん。医薬品卸会社メディセロの営業さんから貰ったんだ」

「見せてもらってもいいですか」

「ああ、いいよ」


前のめり気味のお嬢ちゃんに、私はチケットを1枚だけ渡した。

 すると、ただでさえ大きなお嬢ちゃんの眼が見開かれた。


「これ、行きたいと思ってた映画です!」


ピタリ。ペンを走らせていた綾部あやべさんの手が止まった。


小篠こしのさんも、映画がお好きなのですか?」

「はい。休みの日はいつもオンデマンドで観てます」

「でも、それ邦画だよ?」

「わたし、邦画も好きですよ。それに、この監督の『アウト・ザ・ヒーロー』っていう映画のファンなんです」

「え、マジで?」


お嬢ちゃんの一言に、私も手元のチケットを見返した。どうせ大した映画ではないだろうと、そこまで意識していなかった。


「御存じなのですか?」

「うん、DVD持ってるよ。『アウト・ザ・ヒーロー』の」

「本当ですかっ?」


尋ねた綾部あやべさんの代わりに、お嬢ちゃんが驚いた。


「ホントほんと。あの映画、面白いよね。そっか、あの監督か……せっかくだし僕も観に行ってみようかな」

「あ、じゃあ一緒に行きませんか?」


――ベキッ!!


お嬢ちゃんの方を向くと同時、硬い何かが割れる音が聞こえた。綾部あやべさんの方からだ。見れば彼女の握ったボールペンが真ん中から折れている。


「し、失礼いたしました」

「大丈夫? 怪我してない?」

「はい。問題ありません」


努めて冷静に返し、綾部あやべさんは引き出しから新しいボールペンを取り出した。長く使っていたから摩耗していたのか。


「でもいいの? 僕なんかと一緒で。友達や妹さんと一緒に行ったほうが良くない?」

「わたしの友達、あんまり映画とか観ないんです。特に邦画は。妹は邦画どころか映画すら見なくて」

「そっか…」


呟くように答え、私はもう一度チケットに目を落として黙考する。

 そもそも職員さんと一緒に映画へ行くなど良いのだろうか。

 セクハラ案件にならないだろうか。

 それにもある。

 だが今回はお嬢ちゃんの方から誘ってくれた。チケットも偶然手に入れたもの。父にも職員スタッフさんにあげて良いと、一応の許可は得ているんだ………よし!


「じゃあ、一緒に行こうか」


――ボキッ!!


再び綾部あやべさんの方から恐ろしい音が。

 またボールペンが折れたようで、同じ所から新品サラを取り出した。あのペンはメーカーからの貰い物だからな。既製品より耐久性が低いのかもしれない。


「じゃ、今度の連休にでも」

「やった。楽しみですっ」

「うん、僕もだよ」


――バギギャッ!!


「……失礼しました」


あくまでもクールに綾部あやべさんは振舞うも、粉々に砕けたペンの破片を私は見逃さなかった。


「握力の概念どこに落としてきたの?!」

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