第13話 03月18日【2】

 「あ、事務長。さきほど――」


事務所での説明を終えて私が診療所へ入った瞬間、受付の綾部あやべさんが声を詰まらせた。

 その表情は〈驚愕〉の一色。

 無理もない。私の後ろに控える制服姿のを目の当たりにしては。

 紺色を基調としたチュニックジャケットは肌の露出が少なく、見た目にも品がある。

 悪く言えば、少し地味だ。

 そんな煌びやかでない仕事着も、彼女が身に纏うことで華やかに見える。

 聡明さや品の良さは一層と増しているのに、照れ臭そうに俯いている仕草に好感と庇護欲をくすぐられる。


「かわい……あ、失礼しました」


綾部あやべさんの心の声が聞こえた。私など、事務所で見た時は石のごとく硬直してしまった。


「紹介がまだでしたね。あちらは、事務の綾部あやべさんです。ウチで唯一の常勤さんで、僕が一番信頼している人です。分からないことがあれば、なんでも聞いてください」

「はい。小篠こしのと申します。よろしくお願いします」

綾部あやべです。こちらこそ、宜しくお願い致します」


彼女と綾部あやべさんは、ほぼ同じ角度でお辞儀し合った。


「では、当院では普段どんな業務をしているのか説明していきますね。まず患者様が――」


私は業務の流れを語り始めた。

 彼女は始終メモを取っていたが、流石にクリニックの経験者だけあって理解が早かった。彼女自身の頭の良さもあるだろうが。

 


 ※※※



 「――で、会計画面でこのボタンをクリックすると領収証が発行されます」

「なるほどです…」


彼女は私の説明を受けながら懸命にメモを取った。


「じゃあ、今日はこのくらいにしましょうか」

「え、もう終わりですか?」

「今日は簡単な業務説明だけなので。それに、出勤初日でお疲れでしょう」

「いえ、ぜんぜん疲れてないです」


そう言って彼女はにっこりと笑った。今日一日で、だいぶ緊張も取れたようだ。


「それは良かった。でも、今日はこれくらいにしましょう。事務所で契約の説明とかもあるので」

「分かりました。綾部あやべさん、今日はありがとうございました」

「いえ。お疲れ様でした」


小篠こしのさんは丁寧に挨拶をして、追うように私と事務所へ向かった。


「どうでしたか、初日は」

「はい。事務長さんも綾部あやべさんも、とてもお優しそうな方で、安心しました」

「良かったです」


少しだけ恥ずかしそうに、彼女は微笑んだ。その表情に、もう強張こわばりは無い。

 私は事務所の休憩室で給与や有給休暇、シフトに関する説明等を行った。


「以上が雇用条件となります。なにかご質問はありますか?」

「いえ、大丈夫です」

「では最後に、当院での就業して頂けますか?」

「はい、よろしくお願いしますっ」


即答だった。この答えは予想に反していない。昼間の彼女の働きぶりを見て、そう感じていた。


「ありがとうございます。では、こちらの書類を読んで頂き、ご承知頂けましたらサインと必要事項の御記入をお願いします」

「はい」


3枚ほどある書類と就業規則に目を通し、彼女は空欄を埋めた。

 記入を終えた用紙に漏れが無いか改めていると、と気付いてカレンダーに目を向けた。


「今日、お誕生日なんですね」

「あ、はい。そういえば、そうでした」


彼女は照れくさそうに笑った。忘れていたフリをしたのは、私に気を遣わせないためか。


「すみません、そんな大切な日に初出勤をさせてしまい」

「いえ、そんな! とんでもないですっ!」


丸い大きな目をさらに大きく見開いて、彼女は小刻みに首を振った。

「そうだ、ちょっと待っててください」

私は冷蔵庫から未開封のミルクティーを取ると、彼女へ差し出した。


「お誕生日、おめでとうございます」

「あ……ありがとうございます! 嬉しいです……大事に飲みますっ」


渡したのは、何の変哲もないペットボトルのミルクティー。

 にも関わらず、屈託ない笑顔で大事そうに抱きしめる姿に、私の血流が一気に加速して、身体じゅうが熱くなった。

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