最近雇ったウチの事務員が可愛くて仕方ない

第11話 03月14日【2】

　受話器を持つ手が震えるほどの緊張。

　激しい心臓の鼓動で白衣が揺れる。

『………あ、ありがとうございますっ。宜しくお願いしますっ』

だが私の不安を他所に、弾んだ声が届けられた。

　心なしか、電話の声は嬉しさと照れ臭さが混ざっていた。

　そして同時、ホッと胸を撫で下ろす私が居た。

　まるで魂が抜けたように、全身から力が漏出していく。

「あ……そうだ。ひとつお伺いしても宜しいでしょうか」

『はい』

「土曜日に関してですが、月に１度のシフトでも勤務は難しいでしょうか？」

採用を承諾して頂けただけ、ラッキーだ。もはや土曜日が出られなくても構わない。なんなら土曜日は私がシフトに入ろう。

　だが、そんなことを考える間もなく…。

『あ、そのくらいなら大丈夫です』

まさかの了解。それも驚くほどアッサリと。

　何だったんだ。懊悩（おうのう）していた、あの日々は…。

　兎にも角にも無事に採用の承諾を得た私は、4日後の18日に初出勤のお約束を取り付けた。少し性急な気もするが、すぐ後には連休も控えているからな。それまでには制服や名札を用意して、父さんと社労士さんにも一声かけておくか。

　これでようやく、肩の荷がひとつ降りた。

　それも全て綾部（あやべ）さんのお陰だ。是非ともなにか御礼がしたい。

「あ、そういえば…！」

私は通勤用のビジネスリュックを開いて、それを取り出すと、足早に１階のクリニックへ降りた。

「綾部（あやべ）さん！」

意気揚々と診療所へ戻れば、受付で綾部（あやべ）さんが問診票のコピーを取っていた。

「どうでしたか、彼女は」

「うん、来てくれるって！　土曜日も月に１回くらいなら入れるらしいよ！」

「それは良かったですね」

「うん！　綾部（あやべ）さんのお陰だよ！」

「私は何もしていません」

「またそんな御謙遜（ごけんそん）を……はい、コレ！」

私はビジネスリュックから取ってきたそれを手渡した。

　高級感あふれる包装に包まれたそれは、テレビや雑誌でも度々取り上げられている有名菓子店のもの。その店でも一番の売れ筋商品であるマカロンだ。

　小さなマカロンが、たった５つしか入っていないのに３５００円もする驚きの価格である。

「それは…？」

「ホワイトデーにと思って買ってきた」

「私、今年は誰にもチョコレートをお渡ししていません。今年というより、毎年ですが」

「綾部（あやべ）さんには、いつもお世話になってるから。ほんの気持ちだよ。あ、マカロン苦手だった？」

「……マ、マカロンですか？」

「やっぱり苦手？」

「いえ、そんなことはありません。むしろ………好きです」

そう言って綾部（あやべ）さんは恐る恐る受け取ると、抱きしめるように自分の胸元へ寄せた。余程マカロンが好きなのだろう。買ってきた甲斐があるというものだ。

「……他の皆さんにも、お渡しされるのですか？」

「うん」

「そうですか…」

「あ、でも綾部（あやべ）さんのは特別だよ。皆には大箱のクッキー買ってきたから。流石にそんな高いお菓子、人数分は買えないよ」

「………あの、事務長」

唐突に、綾部（あやべ）さんが私を見上げた。

「なに？」

「ありがとうございます」

マカロンを大事そうに抱えたまま、綾部（あやべ）さんはペコリとお辞儀してくれた。

　喜んでくれる彼女の姿に、私も混じり気ない笑顔で返した。