四日目(3)

 それでは始めましょう。

 ちなみに、私は、魔族の代表でも何でもありません。魔族と人との交流は完全に閉ざされているのです。外交プロトコル上は、私は「墓石のようなもの」と表現されています。ほかに言い方があるような気もしますが、本当にこのように表現されています。私に向かって人間の悪行を謝罪することは、あるいは魔族の非をあげつらうのは、心理的には意味があるかもしれませんが、コミュニケーションとしては不完全かもしれません。


 話を戻しましょう。魔王軍の目的地はダイザムハームでしたので、タンフーは単なる通過点でした。目の前の連合軍の中にはピゴがいることがわかっていました。当時も今も、権力者を捕虜にすることは何かと利点があるものです。ただ、嫌われ者かつ私財を投げうった後のピゴの場合、すぐにはその利点が思い浮かびませんでした。魔王軍としては、生きて捕縛するのも大変なので、特に教皇には構わずに進軍し、撃滅せよと、そのように指示を出しました。

 神の瞳が地平線に昇った直後、魔王軍も連合軍も相手に向かって動き出します。私は軍の後方に陣取り、高く積み上げた台の上から戦場を見渡していました。魔王軍はいつものとおり、人間兵を前に出し、魔族兵をその後方に配置しました。見通しが良いため、上空や側面からの攻撃はないと判断できました。陣雷は避けようがありませんが、人間兵が受け止めてくれると期待していました。

 連合軍側の陣営、配置の詳しいことはよくわかりません。そんなことを説明する必要もないかと思います。輿に乗ったマーメが最前線に陣取り、指にはめた宝石を一撫で二撫でして、たった一つの魔法を使用したことだけが歴史的には重要だからです。

 その魔法は、神の鉄槌と呼ばれています。マーメがそう呼んでいたという証拠はありません。『難民カッシャの日記』に比喩的にそう書かれてあるだけなのです。カッシャがこのように呼んでいる理由はわかりません。諳んじているわけでも、手元にメモもないので、その一文をここでお話することができないのが残念です。

 神の鉄槌は、攻撃魔法です。戦場で使用することを想定した攻撃魔法と言うことができます。この魔法を発動すると、術者の体内の魔力は、周辺の魔素を取り込みつつ大きな魔法エネルギーとなって体の外に現れます。魔法エネルギーは、たとえば透明度の高い水の球のように見えるのですが、魔法エネルギーが大きいほどこの球体も大きくなります。ただしこれは一般論で、球体を小さく見せる魔法も存在します。マーメは独自に、その、エネルギーを小さく見せる魔法を開発し、使用しており、神の鉄槌の球体も、握りこぶし程度の大きさだったと言われています。『難民カッシャの日記』では、輿のすぐ後ろにいた兵士すら、雨の中でその球体が心許ないほどに小さく、すぐに見失うくらいの大きさだったと証言していたと書かれています。

 神の鉄槌の魔法エネルギーは、そのまま水平方向に飛ばされず、マーメの真上、垂直方向に打ち上げられます。魔法というものは、損失を嫌うため、また、複雑な軌道を組み込むのは煩雑なため、大抵は素直に敵側へと最短距離で飛ばすものです。呪術的だったり、祝祭的だったりする魔法は、雨のように注いだりもしますが、攻撃魔法はミサイルのように効率的に飛ばすものです。少なくとも14枝世のころはそうでした。神の鉄槌の魔法エネルギーは、上空に打ち上げられ、そこから、弧を描いて魔王軍の頭上へと落下します。これにより、前線の人間兵の頭の上を越えて、攻撃魔法が後方の魔族兵へと届くわけです。

 球体は小さく、水のように透明です。落下する鉄槌を視認できたものは、敵にも味方にもいなかったでしょう。神の鉄槌は、空気中の魔素や魔族や人間の魔力には反応せず、地面に落ちた瞬間に起爆します。正確には、地面すれすれにあるような高濃度の魔素に反応します。起爆と言いましたが、火薬のような爆発があるわけではありません。専門用語を用いずに、わかりやすく説明しますと、イメージの話ですが、魔族の体を形作る魔力の構造を断ち切るのです。その範囲は落下点を要として、扇状に約七百メートルです。その範囲内にいる魔族は死にます。端的に言って、破壊力が凄まじい魔法だったのです。抵抗魔法はありませんでした。回復魔法もまったく追いついていませんでした。いつの間にか、音もなく、人間兵の後方にいた魔族兵の体は、砂でできた像のようにばらばらと崩れ落ちました。一瞬のうちに冬が来て、一瞬のうちに積もった霜で、鮮やかに咲いていた野菊が軒並み枯れたようでした。人間兵が必死に使用していた回復魔法は、月の光のように、野菊を温めることはなかったのです。

 神の鉄槌は、マーメただ一人しか使用しませんでした。連合軍全体でその魔法を習得し、使用するという運用は行われませんでした。これは、マーメが自分の研究の成果を他人に教えたくなかったからだと思われます。実際、他人に教える必要は一切ありませんでした。マーメは、約百秒に一回のペースで、神の鉄槌を魔王軍陣営へと降り注ぎ続けました。打ち上げる高度を変えれば、落下地点をコントロールすることもできます。落下する方向を変えることも容易でした。マーメにはその技術がありました。魔王軍では、わけもわからないまま、あちらこちらで、魔族兵だけが消失していきました。魔族兵がいないのに人間兵は進軍できません。魔族兵も、集まっていれば攻撃されることを理解し始めました。魔王軍は陣形を無視して離散し始めました。撤退し始めたとも言います。これを恐慌状態と言います。恐慌状態となっても、鉄槌は振り下ろされ続けました。連合軍は揚々と魔王軍を追撃し、崩壊した前線を突破し、押し寄せる波のようにして魔王の本陣へと迫っていました。私のいる位置から、マーメの乗った輿の縁の柄がはっきりと見えたころには、六万人(凶)の魔王軍は全面的に瓦解していました。まともに接敵もできていませんでしたので、ものの本によれば四万人(凶)と言われる連合軍が、ほとんど無傷の状態で迫ってきたということです。

 この事態の原因が、連合軍の最前線にいる老婆だとはわかりませんでした。さすがの私も困惑していました。全軍を引かせる命令を出すべきでしたが、すでに全軍は引き潮のように引いていました。後には漂流物のような人間兵の死体と、魔族兵が身に着けていたものが残っていました。私の傍にいたナブイオシュが剣を掲げて甲声を上げたのと同時に、上空を黒い影が通り過ぎました。今でも思い出せます。色褪せたムラサキインクのような色をした翼を鈍色の空に広げて、事態を察知したハミウトンが、後方から飛んできたのです。巨大な竜が咆哮を上げて連合軍の先陣を目掛けて急降下しました。偉大かつ自尊心の高い竜が、死ぬつもりで飛んできたのです。輿の上のマーメは、神の鉄槌とは異なる魔法を使用し、咆哮の先の急降下する竜の鼻先を攻撃します。ハミウトンの顔には落とした壺のように亀裂が走り、その堅固な鱗は粘土でできた破片のようになり、一瞬のうちに琥珀の色を帯びてパラパラと消し飛びました。偉大な竜の顔は散ってなくなり、その巨体全体が目標を見失ってマーメの頭上を飛び越し、兵士を巻き込みつつ連合軍側の地面に激突するころには、首の付け根まで崩れ落ちていました。

 私は呆然としてそのさまを見下ろすしかありませんでした。魔王軍の旗が幾つも泥濘に沈んでいました。一方、遠く、タンフーの粗末な門に掲げられた旗は、雨の中で神々しくなびいていました。ハミウトンの体が魔素へと還りつつありました。その咆哮は、幻聴でしょうが、まだ大気中に轟いているようでした。その残響に応えるように、ナブイオシュは叫び、そして連合軍の側へ向かって走り出しました。この魔物は、逃げ惑う人間兵を捕まえつつ、こう叫んだのです。

「人間兵は輿に乗った老人を狙え。あいつが最悪の魔法使いだ」

 多くの人間兵は、それに運よく生き残った少数の魔族兵は、ナブイオシュのこの叫びを聞く余裕がありませんでした。見れば、落下したハミウトンが巻き上げた土煙を背に、輿の上の魔法使いは、確かに何かの魔法を繰り返し使用しており、その結果、魔王軍はあちこちで削られているように見えました。私は魔王軍の優秀な親衛隊――この期に及んでも誰一人逃走していませんでした――に指示を出し、輿の魔法使いを弓で攻撃するように指示しました。数十本の矢が敵陣へと飛び、そして雨と同じようにどこかへ消えました。マーメは、敵も味方も蹴散らして突進してくるナブイオシュを見て、胸元の宝石を指でなぞり、何かまた魔法を使用しました。それは金属を熱したような色の炎の魔法で、彗星のように尾を伸ばして飛んできましたが、ナブイオシュは敵か味方の兵の体を盾にしてこれを回避したようでした。マーメはこれを見て、輿を支える兵士に何かを伝えると、輿ごと連合軍の奥へと消えてしまいました。

 戦争の大勢は決していました。幸運にも戦場は広くなだらかであったため、逃げる場所に困ることはありませんでした。そして不幸にも、追う方も敗走する敵の背中を見失うことはありませんでした。連合軍は敗走する魔王軍を追い、魔王軍はなすすべもなく背中を討たれました。ここで私は、今でも良かったのか悪かったのかわからない決断をします。このままでは魔王軍は全滅しかねないため、自分が殿となって、敗走する時間を稼ごうとしたのです。殿とは、退却する軍の最後尾のことです。助けたい味方と同じ方向に逃げても仕方がないので、敢えて違う方向に私だけが逃げるのです。どうせ私は死にませんので、死ぬほど痛い目にあって、捕虜になって過大な要求を飲まされて、それを飲むか反るかして、不戦条約を結んで解放されるか、幽閉され続けるかして、まぁ、それだけです。石にされる可能性があることは忘れていました。よく言われるのですが、このときは本当に失念していたのです。すぐ後で思い出しますがね。


 私は、志願した百数十人の親衛隊を連れて、センタセ領のある方向とは九十度ずれた方向へと移動しました。連合軍は、私の容貌を当然知っていました。彼らは、私を石にするという作戦も念頭にあったでしょうから、私を追いかけ始めました。私は孤軍奮闘するナブイオシュに撤退を命じました。この魔物は、魔法の補助もない状態で、その剣一本だけで、連合軍の兵士を多く血に沈めていたのです。連合軍の先端はナブイオシュ一凶に足止めされていましたが、その脇をすり抜けて、大軍が私の元へと押し寄せてきました。それより早く魔法が飛んできましたが、私ほどの魔法使いであれば、抵抗魔法で十分に防ぎきることができました。ただ、神の鉄槌については、さすがの私も食らっていれば死ぬ以外にはなかったでしょうね。

 やがて、ナブイオシュは撤退もできずに、連合軍の中へと囲いこまれ、姿を消しました。魔物は乱戦になった方が戦いやすいですし、撤退して単体になった方が魔法で狙い撃ちされるので、それでもいいと思いました。囲いからうっすらと聞こえてきたのは、体を切り裂かれる人間兵の悲鳴と、それを見て恐怖する人間兵の悲鳴だけでした。

 連合軍の先陣を切って現れたのは、エンオー率いる魔法戦士の集団でした。彼らは騎兵でもありましたので、馬に乗って魔王の前に現れたのです。馬上の彼らは、魔王を確認し、その周囲にいる親衛隊の多くが人間であることを確認したでしょう。親衛隊のような重要な地位に傭兵を使うことはありません。親衛隊は、センタセ大陸やフバーユの名門の出であるか、平民から腕っぷしだけで成り上がったエリートでした。盾での守備や回復魔法に秀でているのはもちろんのこと、武芸にも長けているセンタセらしくない人間兵が多く混じっていました。エンオーの部隊は魔法に長けているので、この邂逅はエンオーにとってやりにくかったことでしょう。

 エンオーは、馬に乗ったまま、後に続く子飼いの兵たちに突撃を指示したようでした。騎馬突撃というのは、そもそも物語で見るほどには戦場で実行されません。魔物相手であればなおさらです。私もそれほど見たことがありません。馬の機動力は奇襲や移動にこそ有益なのです。大量に騎兵を集めて突進すれば確かに強いし怖そうですが、兵站が大変そうですし、来るとわかっていれば対策も難しくはなさそうです。このときのエンオーの騎兵は二百ほどでした。大規模ではありませんが、小規模でもありませんでした。人魔混在の百数十人の親衛隊を相手にする分には、悪くない選択だったかもしれません。

 魔王軍は、突撃してくる兵士の鎧を見て、それがザン・ハブムホイン王国の兵士であることに気が付きます。であれば、先頭を駆ける老兵が、名高い魔法戦士のカーシシャニーであることも察せられました。私は人間兵を後方に下げ、魔族兵を前に出します。対策をしなければ騎兵突撃は強力ですが、魔法で補助を受けて訓練された魔族兵であれば、無傷とはいきませんが正面から受け止めることができます。エンオーたちは、魔族が前に出てきたのを見て、馬上で魔法を唱え、攻撃します。正確に言うと、攻撃魔法に見えただけで、実際は魔物の体を軟弱にする魔法でした。後から知ったのですが、これはエンオーの部隊の「いつもの作戦」の一つだったようです。前に出た魔族兵たちは、魔法を受けて、体の違和感を覚えますが、次の瞬間には馬の駆ける速度で突き立てられた槍に体を裂かれてしまいました。背後にいた人間兵は、盾と槍でこの突撃に反撃し、少なくない犠牲を払って、ほんの数人を返り討ちにしました。魔族兵は半分が魔素に還りましたが、残りはただちに回復されました。同じ手を二度も食らう必要はありませんでした。私たちはさらに補助魔法を使い、魔族兵を物理的に頑丈にしました。この魔法はあまり使われるものではありませんでした。魔族は最初から物理的に頑丈ですから。

 エンオーたちは、もう一度突撃攻撃を繰り返しました。人間兵の何人かが槍に倒れました。その後、突撃は何度か繰り返されましたが、効果が薄く、自分たちや馬への被害が大きいことを悟ると、エンオーたちは馬から降りました。彼らは槍を置き、腰に差していた短めの刃を持つ剣を抜きました。有名な、ザン・ハブムホインの魔法剣というやつです。この刃は魔石からできています。魔石の中には研ぐことができるものがあります。魔法剣は、魔法の効果を乗せて魔物を攻撃することができます。人間の膂力程度では死ぬことのない魔物も、魔法の威力が乗った剣をその体で防ぐことは困難です。エンオーの兵士たちは、家に伝わる先祖代々の魔法剣を誇りとともに帯剣していました。ちなみに、エンオーの持つ魔法剣を、何と言いましたっけ、エムキスバニでしたっけ、そう呼んでいる物語がありますが、これの出典は不明です。当時の人間が、馬や犬や鷹、城や塔などは別として、自分の持ち物に固有名を付けて呼んでいたということはないと思います。皆さんも、自分の鉛筆にハスキャムトーネス(近代のあるギャングが自分の愛銃につけた名前。同名の有名な映画がある。)なんて名前は付けないと思いますが、それと同じです。 

 私たちがエンオーと対峙する一方、ナブイオシュが連合軍の囲みから現れました。逃げ惑っていた魔王軍の、一部の人間兵や魔族兵がこの魔物に加勢し、突破口を開いたように見えました。自分で言っていて思うのですが、そんなことはあり得るのでしょうか。見えたことを話しましょう。ボロボロの魔王軍の旗が敵陣に食い込み、そしてすぐに連合軍の兜の下へと消えました。ナブイオシュのまとう鎧は大きく破れ、中から黒い気体が漏れて漂っていました。いえ、違うかもしれません。記憶が確かなら、鎧はすでにバラバラになっており、黒い煙に引きずられるようにして泥にまみれていました。ナブイオシュは複数の声色で連合軍を威嚇していました。黒い気体がボロボロの剣を振り回し、それで小雨が弾けていました。その様子からは、死にそうなのか、そうでないのかは判断が付きませんでした。

 連合軍の奥から立派な身なりの男が現れました。教皇らしい服装ではありませんでしたが、その立ち振る舞いや周囲の人間の様子から、教皇ピゴであることは明らかでした。傍には手斧を握り、ダガーを腰に差した色黒の男が立っていました。教皇を守ることになっていた、何とかという名の商人であると気が付きました。教皇ピゴは、ニヤニヤと嫌らしい顔つきをして、こちらの様子をうかがっていました。隣にいた男の血の気の引いた顔も覚えていますが、ピゴの顔の方をよく覚えています。ピゴの背後から、もう一つ、高い背の影が現れました。それは、使い慣れたチャコール色の革の鎧に身をまとった、銀色の毛をしたウェアウルフでした。手には年季の入った、何度も何度も研いで使い倒したような抜き身の剣が握られていました。それは、遠くから見ても胴のように鈍く光っており、切れ味の悪そうな剣でしたが、そのウェアウルフが握りしめることで、何やらほかに類を見ない名剣のようにも映りました。ウェアウルフは、犬がよくやるように顔を素早く左右に振り、顔から垂れていた雨水を周りに押し付けていました。その中には教皇ピゴも含まれていました。

 面前のエンオーたちは、自分の魔法剣に魔法を使用していました。魔法を帯びた剣は奇妙な色に輝き、空気中の魔素と反応して、薄紅色の霧を漂わせていました。それは魔物を生理的に怖気づかせるような色でした。エンオーたちは速足で魔王軍へと歩み寄り、その間にも別の魔法を撃ち込んできました。抵抗魔法を非効率化したり、体の一部を重くする魔法であったかと思います。私たちは殿として時間を稼ぐのが目的ですので、馬を降りた連合軍に素直に付き合う必要はありませんでした。退くという選択肢がありました。しかし、私たちは、エンオーたちに向かって駆け寄り、手にしていた武器を躊躇も予断もなく、相手へと振り下ろしました。理由はシンプルです。勝てると思ったからです。魔法剣に使用していた魔法が、センタセの水準からみて案外低かったのです。そしてそれは間違いではありませんでした。魔法剣の切れ味は、鋼のそれと比べると劣っており、今言ったとおり、肝心の魔法も劣っていました。偉大なるものは常にタニーアンの魔法技術よ。魔王軍は、魔法剣を受け、そして多少の傷を負いましたが、魔物の膂力で反撃し、これを打ち倒しました。魔法の効かない人間兵にとっては、切れ味の悪い武器を相手にしているようなものでしたが、それでも被害は少なくありませんでした。こちらは盾で名高いセンタセのエリート兵だったのですが、鈍らの刃を相手にしても、必ずしも勝てはしなかったのです。エンオーの兵士の練度が高かったと褒めるしかないでしょう。

 私はこのときにエンオーを切り殺しています。これを言うと皆さん嫌な顔をしますが、言わないのも不公平というか、自分に都合の悪いことだけは隠していると言われるのも嫌ですので、言及しておきます。この話をすると、皆さんは、目の前で話をしている魔物が人殺しであることを思い出すようです。そして、このものはきちんと罰せられたのだろうかとか、自分たちに語りかける資格があるのだろうかとか、急に人類を代表した気になって、この魔物は自分に許しを請うべきではないかとか思うようです。私も別にこの話をしたいわけではありません。ここでは、英雄エンオーの最期ですので、詳しく語ることもできますが、私の悪名が広まるのも本意ではありませんので、話さないでおくことにしましょう。七百年前に有名人を殺した件についてどうこう言われるのは、私だって嫌なのです。

 エンオーは倒れました。彼の子飼いの兵士も全滅しました。遠くの地平線では、敗走する魔王軍を追っている連合軍が進軍しているようでした。連合軍の勝鬨すらも聞こえました。いえ、それは幻聴だったかもしれません。魔王の親衛隊は、数名を残すのみとなっていました。軽んじていたエンオーの部隊と、ほとんど刺し違えたような状態となっていました。魔王はほとんど無防備であり、自分以外に自分を守るものがいない状態でした。私を守るべきナブイオシュは、私のそばにはいませんでした。エンオーと戦っている最中から気づいていたのですが、ナブイオシュは、あのウェアウルフと剣を交えていたのです。私は誰よりもナブイオシュの出鱈目な強さを知っています。魔物と言えども、それがどんなに老練な魔物と言えども、あの黒い気体の魔物に勝てるものはいないはずでした。神の鉄槌であれば殺せたでしょう。しかしそれはなぜか止んでいました。であれば、鎧を剝ぎ棄てて、気体となって荒れ狂うナブイオシュを止められるものはいないはずでした。近づくものはそれだけで八つ裂きになり、奇声を耳にしながら地面に転がるしかないのです。私だってそうでした。しかし、あのときのあの場所にはいたのです。振り回される武器を受け止め、黒い気体を切り裂き、奇声を聞き流して地面に立ち続けるものがいたのです。銀色のウェアウルフの名はエーコホープ。ゲクー旅団の副団長。ゲクーの旅の相棒。人間と旅をし、人間のために戦った偉大な魔物の名前です。

 ナブイオシュは私の方に近づこうとしていましたが、エーコホープがそうさせませんでした。ナブイオシュの武器の軌道が出鱈目なのに対して、エーコホープの剣は直線的で、切っ先が向けばナブイオシュは切られ、剣が止まればナブイオシュの攻撃を防いでいました。はっきりと覚えていますが、エーコホープは傷一つ負っておらず、足元以外は汚れてすらいませんでした。私は剣術には詳しくないのですが、エーコホープの動きは機能的なように見えました。列に並ぶ現代人のように前を向いてすっと立ち、動きの一つ一つが思慮に富んでおり、熟慮の末の一手のように見えました。ナブイオシュのいい加減な動きに対応しているその様は、後世の私であれば機械のようであったと思うでしょう。ナブイオシュの武器は、ナブイオシュに仕えていたトナウ(大きめの妖精)たちが掲げて持ち歩いていました。後手に回ったナブイオシュは、剣から斧に持ち替え、槍に持ち替え、弓には持ち替えさせてもらえず、杖に持ち替えても魔法は効果がなく、武器を捨てて殴りかかったところでようやく一撃がエーコホープの顔をとらえました。エーコホープはよろめいて地面に倒れましたが、その手に握られていた剣は、ナブイオシュの胴体部分を貫通していました。私にはそれが致命傷であることがわかりました。私は声を上げて駆け寄り、回復魔法を使おうとしました。その前に躍り出たのが、あの色黒の商人と教皇ピゴでした。ピゴは、両手を腰に当てて傲然と構え、魔王に対して職名とともに名を名乗りました。商人もそれを受けて、腰のダガーを抜きつつ名を名乗りました。ダガーはカタカタと震えていました。


 ゲクーだ。不死の王にお会いできて光栄だ。


 『勇者ゲクーの冒険』では、もう少し魔王と勇者の会話があったのですが、現実はそうではありませんでした。私は激高して、そこをどけと声をはり上げました。ピゴが何かを言い、ゲクーも何かを言っていましたが、私の重たい槍は、すでに二人の人間へと振り下ろされていました。二人の体をすり抜けて、槍先が地面へと叩き落されたとき、ナブイオシュの体が魔素へと還っているのが見えました。七色の甲声が曇天に響き、それが最期なのだと思うと、私の胸は強く押さえつけられました。後には甲冑の脛あてと胸元の鉄板が残されていました。私の背後には親衛隊が残っていましたが、二本の剣を拾い上げたエーコホープがそちらに悠々と歩いていくのが見えました。二本の剣とは、自分の剣とナブイオシュの剣です。エーコホープは、私の目の前で、ナブイオシュの剣を投げ捨てました。確かに名剣ではありませんでしたからね。近くで見ると、エーコホープには緻密な抵抗魔法が何重にもかけられているのがわかりました。魔法でどうにかなる相手ではないことは、私にも親衛隊にも明らかでした。

 私には自分自身しか残されていませんでした。そしてそれは、よく考えると、今までも同じなのでした。ティアウピの森で発見され、コユエビニで警邏隊長をしていたころから、最後に残り続けたのは、不死である私だけだったのですから。そう思うと、自分はなぜ、死ぬよりほかない者たちをこんなにも侍らせ、不死の王を僭称し、そう呼ばれ、崇められ、センタセからここまで血なまぐさい道を歩んできたのだろうかと、そんなことを思ったのです。自分はワグ島で物語を刻んでいた立場であり、刻まれる立場になりたかったわけではない、そんなことは一瞬たりとも望んだことはないと、そんなことを思ったのです。


 死ぬべきものも不死者も、自分の行動の始末は取らないといけません。望んでいなくても、それに気が付いても、そこは戦場であり、自分は総大将であり、そんな自分は敵に囲まれているのでした。


 私が人間に負けることはあり得ませんでした。力勝負であれば負けるはずはありませんでした。エーコホープと異なり、彼らには私の槍を受け止める膂力はありませんでした。魔法についても、目の前の二人が、私を越える魔法使いであることはないと確信できました。つまり、気を付けるべきは彼らの奥の手である石化の魔法、なぜか降って来ない神の鉄槌、そしてなぜかこちらを気にかけないエーコホープだけでした。この中で一番警戒すべきなのは、神の鉄槌でした。連合軍の奥に引っ込んだあの老婆が、いつそれを使用するかはわかりませんでした。何をどう警戒していいのかもわかりませんでした。エーコホープについては、警戒はすべきですが、一対一の肉弾戦であればどうにかなると考えていました。不死の体は切られてももとに戻るからですね。それに私は回復魔法も得意でしたから。

 そして、ここで、私は石化魔法への警戒をしていなかったのです。私はこの作戦のことを知っていました。しかし、それは余りにも未知でした。また、この期に及んで無謀な挑戦だと考えていました。彼らは目の前まで獲物を追い詰めていたのに、獲物の方は自分の置かれた状況を忘れてせせら笑っていたのですから、滑稽としか言いようがありません。未知のものへの警戒というのは、このように難しいものでして、目に見えるもの、経験したものの方に警戒心は向くものなのです。人によっては――心理学者を名乗る人に多いのですが――私のこの話を聞いた後で、これも全部ゲクーたちの作戦だったのだと主張する人がいます。絶対ないとは言いませんが、都合のいい話かと思います。いや、それを裏付ける史料さえあれば、私だって納得できるのですけどね。

 私は槍を回して泥をはね飛ばし、そしてまた構えて、目の前の二人と対峙しました。私は、神の鉄槌を気にしつつ戦うつもりでいましたが、彼らはそうではありませんでした。どちらかが魔法を使ったのでしょう、二人の間から目くらましの紫色の霧が発生し、すぐに周囲を包み込みました。とは言え、雨の中でそれはあまり広がりませんでした。それだけを見ても、二人の魔法の練度は語るに及びませんでした。私は霧の中に、闇雲に槍を突き立てました。手ごたえはありませんでした。霧の魔法には、ミュカトーニャの魔法の雰囲気がなく、異国で使われていた趣がありました。私の右から魔法を唱える声が聞こえたため、そちらの方に槍を振りましたが、槍は空と雨を切りました。私は霧の中に入り込んで、槍を振り回しました。そこには二人ともいませんでした。背後からは親衛隊の断末魔が聞こえました。私は一層エーコホープを警戒しなければならなくなりました。

 紫の霧が晴れると、槍の先よりも近い場所にゲクーとピゴが立っており、ピゴは魔法エネルギーの球体を掌に浮かべていました。見たことのない球体の雰囲気でしたので、それが石化魔法だとわかりました。彼らの背後の連合軍は、何やら騒がしくなっていました。兵士たちの動きは、動揺しているようにも見えました。私に向けられた騒ぎなのか、それとも別の何かなのかはわかりませんでした。その大軍は、私を攻めることもなく、教皇と商人を残して、ゆっくりと私の退路を断とうとしていました。後からわかったことですが、一騎打ちのような状況に持ち込んだのは、石化魔法が自軍の兵士にあたらないように配慮したためだったそうです。石化魔法は魔力を大量に使用するため、連発ができず、一回外してしまうと、再使用に一日かかるのだそうです。全軍で私を攻撃して、私を痛めつけて動きを止めるという発想もあったはずですが、それは実行されませんでした。実行されなかった理由は何となくわかります。あの戦局で、最後の最後に不死の魔王を攻撃して、万が一にも自分だけ死んで犠牲になるというのは確かに嫌でしょうから。

 私は二人の予想外の近さに驚き、槍の石突でピゴを突き上げようとしました。槍には上手く膂力も遠心力も乗らず、ピゴに石突を踏みつけられて抑え込まれてしまいました。ピゴがその球体で攻撃するそぶりを見せたため、私は槍から片手を離し、二歩下がって距離を取りました。ゲクーが不用意に近づいてきたため、私はこれを殴りにかかりました。ゲクーはこれを避け、練度の低い攻撃魔法を放ちましたが、私はこれをものともしませんでした。二人の位置は槍の攻撃範囲ではなかったため、槍を泥の中に落とし、私は虫を潰すように手を広げ、二人の頭へ向かって横に振りました。手ごたえはなく、代わりに私の手首にはダガーが刺さっていました。バラの棘が刺さったようなものです。私は刃物を抜き、無意識に回復魔法を使用しました。傷はすぐに癒えました。手に残ったダガーは中々の品と思われました。私は、先ほどの練度の低い魔法が、表面を撫でたのだと気が付きました。二人は本気で石化を狙っているのだと感じました。ピゴは様子を伺いつつ、魔法の球体を手のひらに浮かべていました。これを確実に防ぐには、人間の体、できれば新しい死体を盾にすることが最適でした。私の背後には親衛隊やエンオーたちの死体がありましたが、そこまで近づく間に石にされそうでした。槍を拾うことさえも躊躇しました。目の前の一人を死体にして、これを盾にする方が現実的なように思えました。

 私は小さな声で歌を歌いました。魔道院の方々、怒らないでくださいね。


 其は君の仇なる石塊

 童の頃の膝の擦り傷の


(歌い終わると同時にアスタボス氏は数秒間光り輝き、姿が見えなくなった。客席はざわめいたが、光が止むとじきに静かになった。)


 魔道院の方々、まあ聞いていただきたいのですが、私が世界史を語る場合、当然に人魔大戦の話は必須なわけでして、それならばゲクーとの戦いについても触れないわけにもいかないわけでして、ならばその場面にどうしても出てくるこの魔法とその歌を歌わないわけにはいかなかったのです。いや、法律違反かと言われると、実はそうなのですがね(他人に影響を及ぼす魔法を無暗に使用してはならない。)。魔道院の方々には司法警察権はありませんからね。現行犯の私人逮捕をしますか。ミュカトーニャではできるんでしたっけ。それでも、この講演を打ち切ってまでして、やりますか。こんないいところで。講演にかかる契約でも、私が魔法を使ったら即座に中止、みたいな文言はありませんでしたね。どうこうできるわけではないかと思いますよ。ええ、では、では、このまま話を続けましょう。


(客席の最前列から、「勝手にしろ」という声が聞こえる。客席から拍手と笑い声。)


 皆さんも、たった今、八百年前にゲクーとピゴが体験した魔王の光線を体感したのです。眩しかったでしょう。この魔法は、発動した瞬間に、予兆もなく一気に光るのです。今も目が開けない人もいるのではないですかね。ごめんなさいね。私はこの隙をついて、石化魔法を構えるピゴの方を殴りにかかりました。だからといって、今から皆さんを殴ったりしませんよ。そもそも手がないですからね。

 ピゴは手に手斧を握っていました。目は眩んでいるように見えました。両腕を首の前で交差して、腰が引けていましたが、眩んだ目でこちらを警戒する様子は見受けられました。牽制のため、私はダガーをゲクーへ投げつけました。ダガーはゲクーの肩に刺さったようでした。大きく振りかぶった私の拳骨は、鈍い音を立ててピゴの片腕をへし折って、その体を連合軍の方に吹き飛ばしました。並の人間であれば背骨も折れており、これで教皇も死んだだろうと思いましたが、実際にそこまで致命傷を与えたかはわかりませんでした。吹き飛ぶ直前、この男は手斧を私の拳に突き立てていました。そして、このようなことを大声で叫んでいたのです。


「教皇様!」


 私はその違和感にすぐに気が付きました。横に立っていたゲクーは、いえ、正確に言いますと、私が勝手にゲクーだと思っていた教皇ピゴは、短い言葉を呟いて、その手のひらに、先ほどとはまったく異なる魔法の球体を浮かべていました。それはこちらを向いており、すでにゆっくりと動き出していました。

 私はエウイーたちから色々な情報を見聞きしていました。教皇ピゴのことももちろん知っていました。嫌われ者であり、守銭奴であり、しかし今は改心していたことも。ピゴが元は馬飼いであることも知っていました。裕福な生まれでないことも。ただし、ピゴが色黒だったことは知りませんでした。今もそうですが、当時は、そのものの服装や立ち振る舞いこそが、そのものの身分や格を示していました。魔族は特に、自他の服装には敏感でした。私はそれほどでもないと思っていましたが、あの時代の中で生きていれば、服装の意匠や材質には目が行ってしまうのです。それが私の敗因でした。

 その魔法はゆっくりと飛んでいました。しかし私はその魔法を避けることができませんでした。私は槍の上に立ったまま、この魔法をくらいました。それを見届けると、ピゴは刺さったダガーも抜かず、妖精のごとく、連合軍の兵士たちの間へと消えました。私は自分の体に何が起こりつつあるのかわかりませんでした。瞬時に石になるということはありませんでした。私は拳に刺さった手斧を抜き、回復魔法を使いました。傷は癒えましたが、指先が石灰色に固まっているのに気が付きました。そしてそれはゆっくりと指先から手のひらへと広がっているのがわかりました。効きそうな魔法は一通り試しました。指は白くなり、白くなった指はもう動きませんでした。私は白くなった指を魔法で切り落としました。そしてそれは再生されませんでした。こんなことは初めてのことでした。私は初めて真の欠落という言葉の意味を知ったのです。白色は、じきに手を包みました。私は手を切り落としましたが、再生はしませんでした。ぞっとしました。取り返しがつかないことをしたのではないかと思いました。そして、私は生まれて初めて、自分はここで死ぬのではないかと心底恐れました。足も動かなくなっていることに気が付きました。膝から下が石灰色になっているのがわかりました。エーコホープが私の横を通り過ぎました。こんなことを言っていました。それは古いけれど流暢なビヒンシタ語でした。私でなければ聞き取れもしなかったでしょう。


「聞こえたよ。歌うことで魔法が発動するのか。もっと大声で歌えばよかったが、素晴らしいことに変わりはない。魔法こそ技芸の長女であるからね。」


エーコホープは目をこすりながら、その手には自分の使い慣れた剣、もう片方の手にはエンオーの魔法剣が握られていました。泥にまみれた私の手だったものをつま先で蹴り上げ、剣の先でつつきました。カチカチと音がして、意外と硬そうなことがわかりました。そして彼は剣を両肩に担ぎつつ、話を進めました。私は、振り返ることもできず、恐懼してそれを聞くことしかできませんでした。


「どうだい、人といるのは楽しいだろう。」


 エーコホープはこう言ったことになっています。実際のところはどうでしょうか。もちろんそれは私しか知らないことなのです。そして現在の私は、エーコホープがそんなことを言ったのかは覚えていないのです。この話は、数百年前(樹暦1616年ころ)に、私がこのように証言し、誰かがその口述を書き留めたため、史実のような扱いを受けているのです。私は今、何を話しているのでしょうか。自分の記憶でしょうか。勇者譚の一部をなす物語でしょうか。史料の引用でしょうか。純然たる歴史でしょうか。これは私の作り話ではないでしょうか。これらに違いはあるのでしょうか。いえ、あるのですよ。これはあまりにもできすぎていると、現代に生きる皆さんをあまりにもワクワクさせると思いませんか。『ゲクー旅団記』を読んだエーコホープが、その読者の皆さんに対して、リップサービスでこう言っているように聞こえませんか。身も蓋もないことを言いますと、歴史学的には、史料の裏付けのない私の記憶、私の思い出話ほど取扱いに慎重になるべきなものはないのです。この講演では史料の重要性、解釈というものの困難さについて詳しい話ができませんでしたが、ここは大事な話なのです。私がこの講演で話してきたことは、以前にどこかで私自身が言及したことに限っています。この講演において、新事実の発表はありませんし、起こり得ません。都合よく私が今まで忘れていたことを思い出すなんてことはないのです。そのつもりで話をしてきました(実際はそうでもなかった。一日目のギャングの話がそうである。)。

 エーコホープのこの一言が嘘くさい一番の理由は、もっと客観的なものです。別の時代(樹暦1583年ころ)に、私は、ある年代記作家に対して人魔大戦のことを口述しています。16枝世のころの話です。そのときの話では、エーコホープのこの一言は出てこないのです。確かに、数百年の時を経て、まったく同じような話を行うことは不可能でしょう。それでも、人魔大戦のクライマックスシーンにおいて、助演男優の最後の科白が増えたり減ったりするのは不自然なのです。それはアドリブと考えるべきです。誰のアドリブか。私の可能性もありますし、その年代記作家の可能性もあります。

 歴史学にあって講演に希薄なものは、批評的な視線です。この講演だけをもって歴史学の何たるかは当然わからないのです。もちろん、歴史のすべてを史料のみによって再現しようとすると、骸骨をして人間だと主張するような陥穽に足を取られるでしょう。経験に基づき想像を用いて解釈することは、歴史学においても行われていることです。それにしたって限度があるということが言いたいわけです。


 話を進めましょう。なるべく嘘はつかないようにして。急に新事実を思い出さないようにして。

 エーコホープは、倒れて動かないゲクーに近づき、しゃがみ込んでその上半身を抱えました。ゲクーは気が付き、ふらつきながらも自力で立ち上がりました。明らかに片腕を開放骨折していました。彼は痛そうな素振りを見せ、うめき声を上げながらもう片方の手で鼻血を拭い、その手を立派な服の裾で拭いました。

 そのときです。連合軍の背後で大きな音が鳴り、その旗が勢いよく倒れ、へし折れました。何が起こったかは一言で説明できます。魔王軍が魔王を助けに来たのです。では誰が。わかりません。『難民カッシャの日記』には、敗走した魔王軍が、魔王の危機を察して、逃げた仲間をかき集め、命がけで戦場に戻ってきたと説明しています。リーダーがいたのか、それは人間だったのか魔族だったのか、男だったのか女だったのか、わかっていません。カンアージー砦の部隊が攻めてきたとか、それよりも後背地にいたポアン・キーゾが攻めてきたということは距離的にあり得ませんので、日記が語るように、敗残兵の一部が立て直したのでしょう。圧倒的な形で勝敗が決した戦場でそういうことが起こるとは信じがたいのですが、実際、私は助けられたのです。


 17枝世のロマンス小説、『ウォムクェスター』は、チミーピオのダイス・ワプエンの代表作です。フバーユの没落貴族出身のカタギー・ウォムクェスターという女性がこの敗残兵を率いていたという設定です。ウォムクェスターは架空の人物です。彼女はネイサンのような女傑であり、ウォスカントークの戦いでは敵の副将を討ち取っています。この最終局面において、彼女の目的は、私の救出ではなく、私の親衛隊をやっていた想い人の救出だったと書かれています。白姫草が描かれた盾を掲げて、彼女は百数十人(凶)の仲間と敵陣に突っ込み、敵の囲いを突破します。そしてそこで、ゲクーに首をはねられる直前の魔王と、既に息絶えた想い人の死体を目にするのです。彼女は想い人の亡骸に駆け寄り、彼女の仲間は魔王の首から下に駆け寄ります。そして、仲間が魔王の首から下を奪還するのに成功した一方で、彼女は想い人とともに死ぬことを選ぶのでした。完全なフィクションですが、歴史考証も悪くはなく、素晴らしい作品だと思います。汀に人の足跡を見つけると、この本のことを思い出します(ウォムクェスターは、ハウガディ語で、汀にある足跡(ウォムス・クェスター)とほぼ同音である。)。『ウォムクェスター』は映画にもなっています。有名だから、皆さんもご存じですかね。戦場のシーンが大変で、映像化は困難と言われていましたが、ガーブ・ガーブ・ジェンタン監督がその困難を乗り越えてくれました。多少の時代考証の違和感――原作にはない騎兵隊がいたり、主人公が新敬教徒的な身振りをしたりするのですが――や、私の扱いが軽いことは大目に見ましょう。不死の私にとって、映画は永遠に耐えるために服用するプラシーボ薬の一つなのです。百回は見直しましたね。私の言う百回見たは本当に見ています。誇張表現ではないのですよ。


 話を戻しましょう。私が石にされたとき、誰が主導したのかはわかりませんが、魔王軍が少数で攻め返したのは事実でした。そしてそれが、石になりつつある魔王を囲っていた囲いを突破したのも事実でした。私が覚えている限りでは、決死隊には魔族も人間も確かにいました。魔族の攻撃力でなければあの囲いを突破することはできなかったでしょう。数で圧倒しているはずの連合軍は混乱していました。『難民カッシャの日記』は、魔王を囲っていた兵士たちはエンオーに率いられていたけれど、そのエンオーが死んでしまったため、統率が取れていなかったと書いています。統率が取れていない軍隊が私を囲うということはないと思うので、誰かしらに率いられていたものの、そのものの対応が後手に回ったというのが実際の話かと思います。

 雨が強くなっていました。ゲクーはエーコホープの肩を借りて立ち上がり、ピゴの名を叫んで呼びました。兵士たちの中から返事はありませんでした。魔王軍の決死隊は囲いを突破し、石になりつつあった私に駆け寄りました。エーコホープが指示を出し、背後にいた連合軍の兵士たちが決死隊を蹴散らそうとしましたが、返り討ちにあいました。決死隊の中に腕の立つ魔族がいたのでしょう。私は彼らに抵抗魔法と回復魔法を使用しました。多勢に無勢のように思えました。私は再び閃光の魔法を使いました。その場にいたものの中で、ゲクーだけが、その魔法のことを察していました。彼は目くらましを避け、無事だったどちらかの手にエンオーの剣を握り、私へと歩み寄ると、それを大きく振りかぶり、一太刀のもとに、私の背後から、私の首へと振り下ろしました。ちなみにゲクーは両利きであることがわかっています。『ゲクー旅団記』にもその話はありますね(アビナ教は両利きを推奨している。ちなみに、ゲクーは、普段は左手で文字を書いている。)。その刃は私の首を落としませんでした。私の体は胸元まで石化していました。決死隊は四方八方から連合軍に責め立てられ、幾人(凶)かは力尽きていました。私は首に刃が刺さりつつも、自分が覚えていた最大の攻撃魔法の歌を歌い、連合軍の中にいた魔族兵を討ち殺しました。遅きに失したとも言います。決死隊は私の肩に手をかけます。石になりつつあった私の体は傾き、彼らを潰してしまいそうになります。私の首に刺さった刃は抜くことも押すこともできずにいました。私は回復魔法でその傷を癒そうとしましたが、石化しつつあった体には効き目がなく、切断面は元には戻りませんでした。ゲクーは決死隊に肩を殴られ、その頬を槍先がかすめていきました。そして、刃が刺さった反対側から、エーコホープの鈍らの刃が、私の顎の下へと飛んできました。私の首は体から完全に分離し、泥の地面へと転がりました。完全に石化していた体は、飛んだ首の分だけ軽くなり、決死隊の方へと傾いていました。それは、大型の魔族、ウェアベアか、リザードマンかが抱え上げていました。連合軍は怯まずに体の再奪還を狙っていましたが、多くの盾によって打ち返されていました。周辺では、おそらく別の連合軍と別の決死隊がこの場に参戦し、激突していました。私の首は、ゲクーと、エーコホープによって連合軍側へと持ち去られました。二人(凶)は、私に噛みつかれないように後ろ髪を掴んで乱雑に持ち逃げしたのです。私の体がどうなったかは知りません。『難民カッシャの日記』には、決死隊によってカンアージー砦へと持ち去られたとだけ書かれています。大雨が連合軍の追撃を阻んだと、そう書かれてあります。確かに、大雨が短い時間だけ降ったような記憶があります。結局、私の顔は石化しませんでした。私の体は、その後、数奇な運命をたどり、六分割されて、六姉妹の元へと安置されるようになります。ここら辺の話は、スダン・パッケン先生の本を是非ご覧ください。

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