三日目(3)

 それでは、始めたいと思います。タニーアンを滅ぼしたところからです。 


 その前に、私は前に皆さんの固有名は歴史には残らないと言いました。それを忌避してか、私に名前を記憶してほしい、アスタボスに名前を覚えてもらえれば永遠に近い何かになれる、という欲望を抑えられない人がいるのです。それはまあ、いいのですが、私に名前を覚えさせる方法として、名前を連呼するだとか、私の嫌がりそうなことをして、それをやったのはこの私ビビ・ジャジャ・ダダーン(安易な姓名の例としてよく使われる。)だ、とかいうことをやられるのは、こちらも迷惑なので止めていただきたい。そんなことは、あなた以外の過去の人間たちもやっているのです。名前の連呼など、安易すぎます。絶対に覚えません。前にも話しましたが、こういう場合、私に向かって名前を憶えて欲しい人が名前を連呼している、という記憶だけが長く残るのです。あなたの名前や容貌や声色は残りません。一日だって残りません。連呼しているという事実だけが残ります。固有名なんかそこにはありません。私に嫌がらせをするのも同様です。既に多くの人間――面の皮が厚い連中です――がやってます。だからあなたはその他大勢なのです。そうであればと、今まで誰もやっていないと思われる、奇抜なことをやってみますか。私の前で鮫に齧りついたり、齧りつかれたりしてみますか。同じことです。内容は様々でも、奇抜なことをするものも過去には多くいたのです。私の前で自分の指を切り落としたり、自分の首をかき切ったりしたものもいましたが、名前は覚えていません。私を意味もなく散々痛めつけた者も一人ではありませんでした。さすがにその一部のものについては恨めしいので名前を覚えてるものもいますが、口にする気はありません。私が口にしなければ存在しないも同然だからです。そして口にしないことで本当に忘れてしまうこともあるのです。悪名であろうとも後世に自分の名を残したいですかね。品性が卑しいとしか言いようがありません。とにかく、あなたがどんな奇抜なことをするかは知りませんが、何をしたところであなたはその他大勢なのです。奇抜なことをした大勢のうちの一人なのです。名前なんか覚える理由がありません。そもそも、私に名前を覚えてもらおうという欲望が凡人の欲望なのです。基本的に動けない私は、つまらないものを見たり聞かされるよりほかないので、このようなことは止めていただければと思います。皆さんは、エブエナイゲンやタウウシャントンにはなれないのですよ。そしてそれは別に不幸ではないのです。もっと大事なことなんかいくらでもあるでしょう。ああ、そうですね、どうしても私に名前を覚えて欲しいのであれば、歴史学か魔法学で素晴らしい論文を書けば、絶対に覚えますよ。それは素晴らしいことです。楽しみにお待ちしています。


 さて、タニーアンが滅びました。降伏したポジェミニは魔王軍に忠誠を誓い、統括官にその席を明け渡しました。三百名近いタニーアンの国家魔法使いが傘下に加わりました。彼らは魔法の才能だけでなく、大抵は官僚としての立ち振る舞いもできる人材でしたので、これは実に重畳でした。タニーアンから得たその他の戦果としては、その人口と魔族指の要となる交通網があります。前にも言いましたが、定期市が開かれ、各指から珍しい品物が運び込まれていました。魔王軍がタニーアンを支配すれば、関税も安くなるという噂がアビナの商人を中心として広がっていました。これは実際に実現しました。ライ麦、ビーツ、アプット豆、製紙、石材、硫黄、それに製鉄という産業を手に入れました。港も忘れてはいけません。タニーアン一の大都市であったコウムカシアスは、天然の優秀な港でした。大陸横断鉄道の始まりの都市でもありますね。この都市は守りやすく、コニーバンサとも近く、魔王軍の補給線は強く太くなりました。そしてもちろん、偉大なカウエナ。アスタボスは引き続きこの地に引きこもります。諮問機関は一つから七つに増やしました。新設した機関には、多くのタニーアンの国家魔法使いが就任しました。ポジェミニは大宰相という役職を与えられ、諮問機関をまとめるという難事をこなしてもらうことになりました。これにより、私の仕事は楽になったような、ならなかったような、そんな効果というか、無効果というか、とにかく気持ちは楽になりました。余暇は一切増えませんでしたが。


 魔王軍は、樹暦1367年までは、四悶病などの対応で戦争を継続する余裕はありませんでした。それは各国も同様だったでしょう。魔王軍の次の侵攻先はミュカトーニャでしたが、ミュカトーニャでも四悶病の被害は甚大であり、多くの兵士や有力者が亡くなっていました。当時のアビナ教の教皇、ディス・ビスクマも就任からたった一年で亡くなっています。

 魔王軍は、ミュカトーニャの援軍を阻止するために行ったことの後始末をつける必要がありました。橋を再建し、村や町を再建しました。アビナ教との緊張関係は続いていましたが、大きな反乱もなく、戦後の復興は進みました。タニーアンを支配していたのは、都市ごとに存在する名家とその合議体でした。これを中央集権化することは難儀でしたが、ポシェミニ等が尽力し、色々とごまかしはありつつも、センタセのやり方が浸透していきました。都市内魔族が多かったことも、魔王軍にとっては僥倖でした。ケッセ・ケッセ・タイーイ先生の『大宰相ポシェミニ』という本は、魔王軍下で辣腕を振るった秀才の半生をまとめた稀有な本です。彼は絵画や音楽にも造詣が深く、顔料や弦楽器の研究についての本も残しています。そのほかにも、数学や天文学にも精通しており、哲学者や演劇家のパトロンにもなっていました。まさに万般にわたる知識を備えた知識人でした。彼とは仕事の話ばかりをしてしまいました。仕事の話とは、大法典の翻訳だとか、救荒としての二毛作の効率性についてだとか、鳥人の運用方法だとかです。たまに、猫は何であんなに可愛いのかとか、そういうことを語り合いました。世界の驚異についてももっと話せばよかったと思っています。


 さて、忘れてはなりません、このころ、おそらく樹暦1362年、ゲクーがハンダンシアにて生誕します。ゲクーは、町で一番大きな宿屋の次男として生まれ、七歳のときに山賊に攫われています。山賊の名前はハウスス・タッサントン。山賊の妻の名はデジデマ。ゲクーは十五歳までテウブ・スーの森で山賊として暮らし、その間に武器の扱いを覚えます。それだけではなく、素性不明のデジデマに同行し、盗品を離れた町で売りさばくことをしていました。この女性の正体は不明です。どこかの貴族の娘とも言われています。ゲクーは、このデジデマを通じて、金勘定、商人としての立ち振る舞い、それに上品なタイベン語の話し言葉を習得します。もしかしたら帳簿のつけ方すら教わっていたかもしれません。商人としてのゲクーは、山賊の謎の妻デジデマが育てたと言えるのです。ゲクーは、十五歳のときにデジデマが死ぬと、ほかの山賊仲間と共謀してタッサントンを殺害し、ハンダンシアへと帰ります。ゲクーは、そこでは既に死んだことになっていました。山賊として生きてきたゲクーは、町の人から恐れられ、シャイナウ家の名を汚す存在として扱われました。一方で、武器を扱わせれば大人より長けており、魔法の才能にも恵まれ、金勘定も得意であり、タイベン語も話せたことから、ゲクーを評価するものも少なからずいたようです。例えば、この町を治める領主とその妻は、ゲクーを気に入り、宮仕えをしないか、近衛兵として働かないかと誘っています。逆に、ゲクーを毛嫌いするものたちの中には、ゲクーの実父や実兄がいました。ゲクーはこの父兄を慕っていたようですが、兄の方はそうでなく、父親も兄の味方をしがちでした。母親や祖父はゲクーをかばっていたようですが、ゲクーは居心地が悪くなり、十六歳のときに町を出ます。このときゲクーに同行したのが、同い年のオビアとカシューです。カシューは旅に出てからじきに別の町で結婚し、ゲクーたちと袂を分かちます。オビアはゲクー商会の共同代表者として本店に腰を据え、旅をするゲクーを支えます。

 ゲクーは、タッサントンの隠し財産を掘り起こし、それを元手に商売を始めています。ゲクー本人が旅団記にそう書いています。ゲクーも結構悪い奴なのですよ。その後のことは、はっきりしたことはわかっていませんが、二十二歳のときには中指で最も大きな都市、ディス・オムトアトの中心にある、大広場に面した土地に、ゲクー商会の名義で本店を開いています。若くして大都市の一等地に店舗を設けていますので、よほど商才があったか、あくどいことをしたのかと思います。おそらくは両方でしょう。本店にはオビアが残り、ゲクーは引き続き世界を旅します。道中の町や村で行商も行うのですが、人助けや冒険、賊や魔族退治も行っています。それに盗掘や欺罔もです。これが有名なゲクー旅団です。旅団というのも歴史学の用語であり、ゲクー旅団に対してのみ使用されます。当時は、色々な理由で世界中を旅する人たちがいたのです。ゲクー旅団については、この講演では話をしませんが、魅力的な団員が多く知られていますね。ウェアウルフのエーコホープ、ネイサン(人間の女剣士)、ダイモポテイスオ(エムベムという人型の魔物。力が非常に強い。)、教授サスナ、妖精の魔法使いパコ、ササ・モア(アラクネの魔法使い)、目を合わせない薬師オータム(人間、女性)、黙ることのない元外交官のタニアナ(人間、女性)、ヨントミ(鳥人)、ニニーシア(チミーピオの音楽家)、クォーコトン(バイナスコ)、ドワーフ(子供くらいの大きさの、筋肉質の魔族。男性に見える。鮫歯で目が赤い。)で馬の目利きのサタッスス、エルフ(細身の女性を思わせる魔族。人間から見ると美形。髪が輝いているものが多い。耳は必ずしも尖っていない。)で槍使いのウェージーノーン、それにミニドラゴンのキキ(竜の子供ではなく、小さい竜。竜が人に懐くのは珍しく、これによりゲクーを魔族だとする説すらあった。)。旅団は人や魔族の出入りが多いのですが、有名どころでもこれだけあげることができます。今述べましたとおり、ゲクーは多くの魔族と旅をしています。エーコホープたちも、色々な出自はあるのでしょうが、都市内魔族と言うことができます。彼らが何を期待してゲクーと一緒に旅をしていたか、どこでゲクーと知り合ったのか、そのすべてはわかっていません。しかし、すべてがわかっていないにしろ、ゲクー旅団には人と魔族の共同体が確かにあったのです。ゲクーを反魔族と考えるのは、その点で大きく間違っています。魔王を倒したから反魔族だと考えるのが安易なのですよ。『ゲクー旅団記』を読めば、そんなことはまったく言えないはずなのです。そして、『ゲクー旅団記』を読まずして、ゲクーを語ることなどできないのです。人間の英雄が、その半生において魔族と共に旅をしていたということは、こんな明白な事実すら忘れようとし、目を背けようとする人間が多くいますので、改めて声を大にして言っておきたいと思います。

 当時、魔族を引き連れて旅をすることは、ましてや商売をすることは珍しいことでした。珍しいことでしたが、ゲクーが立ち寄った町や村では、旅団は忌避されることはなかったのです。それどころか、魔族を引き連れた若い商人ということで、信用というか、好奇の目というか、一定の評価すら得ていた様子がうかがえるのです。当時、都市内魔族に慕われている、信頼されている人間というのは、魅力的な存在に映ったようなのです。魅力的というのは、金を持っているとか、人格が素晴らしいとか、面白いことをやっているとか、そういうことです。実際、ゲクーは魅力的な人間だったのです。当時は、「蜜があれば蝶が寄り、才能があれば魔族が寄る」という諺があったくらいです。このことは、ノットやベトーヌやウェスオンたちとは異なる感性の都市内魔族が現れていたことを示唆します。何がどう異なるかを一言で言うのは難しいのですが、心性として、都市の職業以外の概念に己を紐づけようとする、居場所を求めようとする魔族が現れていたのです。自分は何者かと魔族が己に問うたとき、鍛冶屋だとか農夫だとか世界樹の管理者だとか、そういう回答を支えにせず、ゲクーとかいう面白い人間と旅をして、面白い経験をしていると、そう答えることに躊躇がない魔物が現れたのです。アスタボスもそのうちの一凶だと言われることもあります。「魔王アスタボスにとって、ゲクーの代わりが自分の軍隊であった。アスタボスは、自分の軍隊とともに世界の驚異を探し回った。ゲクーと行動を共にしたエーコホープたちが、その旅団の中で世界の驚異を探し回ったように。彼らは、新しいタイプの魔族であったと言える。」と、ある歴史学者は述べています。ワージィ・ギャカナッキ先生の『中世魔族のパースペクティブ』という本がそれです。


 思わずゲクーのことを話しすぎました。私たちはまだ出会っていないのです。歴史のことなどすっ飛ばして、ゲクーのことを語りたい気持ちもあるのですが、ここは歴史学の講演ですので、ぐっと我慢して先に進みましょう。いや、もう、前にもどこかで、何度か語っているのですが、私はゲクーが好きなのです。首を飛ばされたときは恨みも深かったですし、センタセのことを思うと無念なのですが、彼の生涯を知れば知るほど、私は首を飛ばされたのが彼で良かったとすら思っているのです。ゲクーは首だけになって晒されていた私に何度か会いに来ているのですが、いえ、ああ、後にしましょう。この話は最後に取っておきましょう。


 樹暦1367年の夏、魔王軍は、タニーアンとミュカトーニャの境目に位置するマイーネを攻めます。数は三万人(凶)。ミュカトーニャは四万人(凶)の兵数で迎え撃ちます。魔王軍は後方の都市や街道に工作を行い、敵の兵站を寸断します。ミュカトーニャ軍はこれになすすべもなく撤退します。初戦は魔王軍の快勝でした。その直後、ミュカトーニャは港湾都市コウムカシアスを海側から攻め、これを制圧しています。湾岸に立ち並ぶ倉のすべてに放火され、大量の兵糧や物資が三日三晩燃え続けました。コウムカシアスはただちに奪還しましたが、魔王軍の損害は大きく、ミュカトーニャへの侵攻が滞ります。

 私はその間も、カウエナで読書や講義に耽っていました。仕事もちゃんとしていましたがね。私は大地信仰の現前する神として、よりよい知識を探究し、己のものとし続ける必要がありました。それこそが神としての態度、この世界への恩寵だったのです。私は日中にはよく学び、夜には政治を行う生活を続けました。ミュカトーニャからの刺客がいなかったとは言いませんし、拉致されそうになったこともありますが、私のこの生活については、大きな問題もありませんでした。

 当時のミュカトーニャは、大評議会が選出した元首が国を治めていました。十九代目元首のウエスモ・ワバーキーは、ワシヤハ大公国の貴族階級出身の高齢女性であり、軍隊での指揮経験もある手強い相手でした。彼女は、早くも樹暦1368年には、魔王軍に対抗するため、ザン・ハブムホイン王国やディノーデ王国、ワスタージ諸邦と軍事同盟を結んでいます。このときの同盟をもとに、ザン・ハブムホイン王国からはエンオーの魔法戦士部隊が人魔大戦に参加しています。内政においても、魔王軍に対抗することを大評議会に認めさせ、融和策を訴える穏健派を抑え込むことに成功しています。当時の首都であるダイザムハームの城壁を厚くし、各地に見張り台を設けています。もちろん、アビナ教会の協力も早々に得ていました。魔王軍攻略の勘所であるフバーユ、それに海上輸送を積極的に攻略し、フバーユでは何度か反乱の火種を焚きつけています。海上輸送については、一時期は、海賊の同行がなければまともに運航もできない状態でした。ミュカトーニャの海軍は、当時の世界最強の兵力を誇っていました。当時の魔王軍は、パミン・グシャミオクの長女のパミン・ナコイシオクと協力関係にありました。グシャミオクには五人の息子がいましたが、二人は海で死に、二人は病気で死に、一人は海賊稼業を嫌って陸の仕事に就いていました。ナコイシオクは、父親の反対を一蹴して海賊船に出入りし、幾つもの海戦に参加していました。不運な事故により下半身不随となり、死ぬまで自由に歩くことはできませんでしたが、偉大な祖母の面影のあるこの女性は、腕っぷしはないもののそのカリスマ性と美貌で父親の後を継ぎました。絵画では、神輿に乗った赤い服の女性として描かれることが多いようです。父親はと言いますと、年老い、両目が見えなくなったため、嫌々ながらに娘に海賊団の経営を預けたのでした。ナコイシオクの働きは、センタセが十分に満足いくものでした。世界最高峰の海軍を相手に、勝つことはさほどなかったのですが、上手く逃げたり、被害を抑えるということをしてくれていました。むしろ彼女からは、「魔王軍の海軍はいつまで赤ん坊でいるつもりなのか。こちらが三世代に渡って育てているというのに、いつまでママのおっぱいが必要なのか。」という手紙が届いており、今もどこかの博物館で見ることができます。魔王軍に協力した海賊については、ユーイ・ユーイ・コマノフィ先生の『中世世界における穏海の海軍と海賊』が詳しいです。魔王軍の海軍の評価を――つまりは弱いということを――決定づけた名著です。この本にはこんなことが書かれています。


 人間兵は波しぶきを顔に受け

 魔法を体で受け

 飛んでくる矢を盾で受ける


 魔族兵は矢を顔で受け

 魔法を体で受け

 波しぶきを盾で受ける

 

 この体たらくに、魔王軍の海軍の教育係の中には、憤死したものもいるのですよ。ザザ・ミナ・ウォン海戦では頑張ったんですけどね。あれは穏海ではありませんしね。


 樹暦1369年、魔王軍はミュカトーニャの第三の都市、ハウウズベヒに狙いを定めます。攻略に際して、魔王軍は布石を打っていました。ハウウズベヒの近くにある世界最大の淡水湖、スノー湖に浮かぶ小島には、エムベムという魔物が住んでいました。彼らは人間が放棄した古城に住んでおり、その数は二十五凶ほどでした。エムベムという魔物は、人間より少し大きい程度の体格ですが、その膂力は人間はもちろん、大抵の魔物のそれを上回ります。牛やカバを縊り殺し、ベイモンすら殴り殺すと言われています。単純に、力が強く、身体能力が高い魔物なのです。魔王軍は使者を派遣し、協定を結び、エムベムの協力を得ることに成功します。この魔物の集落には代表がおり、その名前はストーハーと言いました。このストーハーたちが、あの有名なハウウズベヒの吸血鬼と呼ばれているものたちなのです。魔王軍の評価を地に落とし、恐怖の軍隊だと後世に誤解させた張本人たちです。

 エムベムは、16枝世に絶滅した魔族です。人と魔族から恐れられ、積極的に根絶されたのです。もちろん理由があります。この魔物は、種族として非常に狂いやすかったのです。魔族が狂うタイミングは、生まれ変わりのときなのですが、この魔物は、生まれ変わりでないときでも狂うことがあったのです。しかも、その狂い方がよくなくて、ほぼ間違いなく攻撃的になり、人間の血を求めるようになるのです。理由は不明です。私も魔族の狂気については研究をしていたことがありますが、そういう癖のある魔族なのだと言うしかありません。ただ、狂うための条件については、ある程度わかっています。まず、エムベムが一凶だけでは狂いません。ゲクーも一凶のエムベムと長い期間旅をしています。ダイモポテイスオという名前のエムベムで、馬車の中の棺桶でよく眠っています。魔物は寝る必要がないので、単に外に出たくないだけだったのでしょう。そして、棺桶のような土のない場所にあえてその身を横たえるということは、自分の力に自信があったということでもあるのです。実際、ダイモポテイスオは、ある場面で絶大な力を知らしめていますね。一凶であれば、エムベムは怖くないのです。では二凶であればどうかというと、これも狂うことはないのです。問題は三凶以上からです。群れをなすと、ほぼ確実にこの魔物は狂うのです。「道で一凶のエムベムと旅を共にするのは怖くない。村で二凶のエムベムとテーブルを同じくするのも怖くない。あなたの到着したのがエムベムの集落であったのなら、あなたは生きては出られない。」と、大昔の旅人が書き残しています。

 魔王軍が協定を結んでいた時、ストーハーたちが既に狂っていたのかはわかりません。私としては、そうではなかったと言いたいところです。少なくとも、狂っていたことは知らなかったのです。

 ストーハーたちは、魔王軍との協定を結んだあと、こちらが別段指示したわけでもないのに、ハウウズベヒの街を襲撃します。その数はたったの二十五凶。街には自衛団が少なくとも二百五十人(凶)駐在しており、街の近くでは約千人(凶)の傭兵が魔王軍の様子をうかがっていました。ストーハーたちは夜の闇にまぎれて街へと侵入し、手当たり次第に住民を虐殺します。家の柱ごと人の頭を押しつぶし、床ごと人体に穴を空け、死体の山を庁舎よりも高く積み上げる有様でした。ストーハーたちは、人の肉を食らい、滴る血を飲み干しつつ、街の中心部へと至り、そこで周囲に火をつけました。ハウウズベヒには大きな図書館があり、カウエナと共同していたため多くの学生、教師が出入りしていましたが、これも灰燼に帰し、貴重な古代の史料が永遠に失われました。ストーハーたちは十日間に渡って暴れに暴れ、千人の傭兵を返り討ちにし、体中を返り血に染めて、人の目玉や指でアクセサリーを作って玩び、満足してスノー湖へと戻っていったと言われています。この惨劇の死者は、傭兵団を除いて五千人(凶)。都市人口の五割が殺されたと言われています。街の七割が火事で焼失し、生き残った五割の住民は街から逃げ出し、行き場所を失ってしまいます。

 この惨劇は、ミュカトーニャの諸都市を恐怖に陥れましたが、魔王軍にも恐怖を持って受け取られました。そもそも、魔王軍はストーハーたちにハウウズベヒへの攻撃を求めていませんでしたし、指示もしていなかったのです。ハウウズベヒが今後の攻撃対象であったことに間違いはありません。ただ、その際に、ストーハーたちに、ともに攻撃をしてくれるよう協力を求めるかについては、決まっていない状態でした。何が言いたいかと言いますと、この惨劇は、魔王軍は関与していないということが言いたいのです。多くの歴史家が言及していますが、この惨劇は、それまでの魔王軍の戦略、戦術とは一線を画しているのです。少数精鋭による奇襲というだけではなく、大地信仰の教義とも大きく外れているのです。当時の戦争は、一般人を積極的に攻撃するということはありませんでした。略奪の対象ではありましたし、その過程で殺したり犯したりすることはもちろんあったのですが、大量に殺戮するということはしないのです。大地信仰を国是とするセンタセであればなおさらです。この殺戮については、魔王軍の戦後処理にも大きな、悪い影響を与えます。魔王軍はハウウズベヒに侵攻し、苦も無く都市を手に入れましたが、それは無人であり、灰と死体の山だけの廃墟となっていました。空の行李だけを手に入れたようなものです。生き残った人々は、街を捨てて近くの山や森に隠れたまま戻って来ませんでした。ストーハーたちは湖の方から攻めたので、逆側に暮らしていた人々は、逃げる余裕があったのです。生き延びた人々は、山や森から、隣の町や村へと避難しました。隣と言っても、魔王軍の領地に避難してくることはありませんでした。今までになかったことが起こっていました。

 ハウウズベヒの図書館が焼失したことに対して、私は激怒しています。そのような公文書が残っています。センタセは、ただちにスノー湖へと使者を派遣し、エムベムたちの勝手な行動に対して真意を確認しています。死者は首をもぎ取られた状態で発見されました。センタセは、協定は無効になったと判断し、ストーハーたちを攻撃するために軍を差し向けます。二十五凶に対して用意した兵は千人(凶)でした。古城のある島へ船で上陸し、掃討戦を行いました。結果は魔王軍の全滅でした。エムベムがすべてそうだということではないのですが、スノー湖のエムベムは、魔法の練度は高くないものの、再生能力が高く、ありきたりな回復魔法でも驚異的な効果があるようでした。兵士たちは惨殺され、人間兵は血を吸われました。吸血は人間にとっても魔族にとっても異常行動であり、魔王軍は恐怖に包まれました。魔物の兵士が身に着けていた防具が、人間の血にまみれて船に乗せられ、波間に漂っていました。向こう側の島からはケラケラと笑う声が響き、これを聞いた兵士は、恐ろしさのあまり湖には二度と近づけなくなりました。空を飛べる魔族はスノー湖の上空を飛ぶことを忌避し、吟遊詩人は事もなげに湖上を飛んでいく鴨の群れを勇敢な小隊だと歌いました。

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