三日目(2)
タニーアンの魔法の水準は当時の世界最高峰でした。センタセの魔法使いにとっては、タニーアンの国家魔法使いは憧れそのものでした。それは尊敬や畏怖の対象でこそあれ、戦場で敵対したい相手ではなかったのです。
例えば、ディトシー・エブエナイゲンという国家魔法使いがいました。この魔法使いは、普段はカウエナに籠っている国家魔法使いでしたが、しばしば、数百キロメートルの距離を移動して戦場に現れ、見たこともない魔法を放ち、魔王軍に大きな被害を与えました。そして、データを取った後でカウエナにとんぼ返りするということを繰り返していたのです。
エブエナイゲンの魔法を戦場で見かけると、魔王軍内は重苦しい雰囲気が漂ったといいます。彼が戦場に現れると、忽然と魔族の兵士が戦場から姿を消すのです。
タニーアンの魔法使いの中には、戦場で魔族の兵士を生け捕りにし、自分の研究室に連行し、生体実験を行っていたものがいました。生体実験とは、魔法の効き目を直接試すことを言います。魔族の兵士は、大抵は都市内魔族です。大抵の都市内魔族は金を貯めこんでいますので、魔族を捕虜にすれば、少なくない額の身代金が期待できるのですが、タニーアンの国家魔法使いともなれば、金になど興味はないのです。多くの魔族の兵士がデータと化しました。人間の捕虜と異なり、骨すら残りませんので、データだけがその捕虜魔族の生きていた痕跡となるのです。
タニーアンとの戦争は一進一退を続けていました。魔王軍はそれまで、一度占領した土地を奪い返されるという経験をあまりしてきませんでした。タニーアンとの戦争では、タモウィスシャフ王国だった領土まで逆に押し返されました。一時は、ザンマイヤガサックの城壁から、敵兵の顔がはっきり見える距離まで攻め込まれたこともありました。前線は何度も壊滅しました。敵軍は平原を堂々と侵略し、残った守備兵は瓦解し、傭兵は逃げ出し、村は命乞いをし、兵站は寸断されました。魔王軍もタニーアン軍も、接敵すれば甚大な被害が出ました。
このころは、色々なことが起こりました。歴史の講演らしく、年代を追って説明しましょう。その方が私の気持ちもモヤモヤしません。授業のようにやればいいのです。
樹暦1341年の8月、センタセは、ジッシモンソ村の付近で敵と交戦し、大敗を喫します。魔法にばかり気を取られていたこちらの将軍が、火の罠に気が付かずに兵を動かし、自軍を火と煙に巻き込んでしまったのです。これは完敗でした。連戦連勝でここまできた魔王軍の目を覚ます敗戦でした。魔王軍は野戦で接敵すれば負けないと、私はこの講演の中で何度も口にしてきました。その言葉は大袈裟なものではなく、遠距離からの魔法攻撃や罠、海戦、攻城戦、そしてマーメ以外の理由で負けたことはないのです。この数日後、魔王軍はカホゲーモの森の戦いにおいて、敵兵の側面を奇襲する作戦を成功させて、ジッシモンソの件に一矢報いました。近づけば勝てるのです。
樹暦1343年、フバーユで反乱が起こります。場所はユーヌオン。原因は、この島の統括官が、魔族を税の徴収官に任命したことが原因です。市民は不満の声を上げましたが、統括官はこの人事を強行します。そして、案の定トラブルとなり、あるバザールでこの徴収官が殺害される事件が起こります。統括官は実行者を厳しく取り調べ、国への反逆として若者を含む四名を極刑に処してしまいます。バザールがこれに激怒し、統括官府と軍施設を取り囲み、暴動を起こします。これに呼応して、近隣の七つの諸都市でも同様の暴動が起こり、国庫や税の徴収人の事務所が襲撃されます。この暴動の背後には、タニーアンの魔法使いが暗躍していたことがわかっています。暴動は、断続的に、一年に渡って継続しました。フバーユに駐屯していた常備兵の千人(凶)が死亡しています。死者の九割が魔族の一般兵でした。
樹暦1344年、なぞり指の都市国家、ダマウカーバがドマトンの港を攻撃します。これは都市国家による大規模な海賊行為と言えるものでした。敵は難なく複数の港を占領し、十日間略奪を行います。十日を過ぎたころに魔王軍の援軍が来たため、彼らは港から船に乗って撤退しました。港湾の防衛、海上輸送そのほかに不安を残す事件となり、センタセの海軍は、渋々ながら、ダダーキア海(魔族指となぞり指の間に広がる海)への警戒を強めることとなります。
樹暦1345年、先ほど話したように、魔王軍は、ザンマイヤガサックを攻撃されます。特筆すべき事項は、最新の毒の魔法です。これにより前線が壊滅しています。魔王軍は、初めて攻城戦を受ける側になりました。魔族にとって、城壁の奥にこもることは悪手でした。魔法は城壁を貫通するからです。それは魔族を守ってくれず、魔族の動きを制限するだけなのです。袋に大豆百粒を入れて、外から錐で刺すことを百回もやれば、結構な数の大豆に穴が開くでしょう。それと同じことが籠城では起こるのです。このときは、アンカーシャフに待機していた軍を引き連れて、私がエプケカから援軍に向かいました。ザンマイヤガサックは、城壁の外にいる大軍に囲まれていました。その城門は、外から大岩で塞がれていました。上空には多くの鳥人が飛び交い、空を飛んだり城壁に登ろうとしたものを容赦なく攻撃しました。まさに袋の中の大豆状態だったのです。城壁の奥では、人間が魔族を囲って、外から貫通してくる魔法から体を張って守っていました。それでも多くの兵が魔法に倒れました。多くの人間の魔力がなくなっていました。この危機を打開したのは、援軍に同行していたナブイオシュです。この攻城戦は、ナブイオシュが歴史の表舞台に現れた戦いでもあります。彼は五つの武器を担ぎ、武装した馬に乗り、単騎で、敵陣の中に突っ込みました。私は別に命令などしていないのですよ。単騎で突っ込めなんて命令をするわけがないのです。彼は、城壁を囲む敵陣の中を、麻布を裂く鋏のように突っ切りました。人間兵の攻撃は彼の鎧を貫けず、強力な魔法は混戦の中で有効に機能しませんでした。そう考えないと説明できません。馬は死にましたが、ナブイオシュは鎧を大きく破かれ、すべての武器を壊されつつも生きて戻りました。敵の大将格を討ち取っていました。わけのわからないことを叫んでいましたが、いつものことでした。魔王軍は、この金星に唖然とするだけでしたが、敵軍は恐慌に陥っていました。私も敵陣に打って出て、不死王の名が嘘ではないことを敵味方に知らしめました。
魔王軍は、本拠地をエプケカからザンマイヤガサックへと移しました。ここがセンタセ時代のアスタボスの公式な所在地となります。最後までです。ただ、非公式な所在地は別にありました。魔王はザンマイヤガサックを不在にすることの方が多かったのです。
樹暦1346年、センタセ大陸の港町で反乱が起こりました。反乱の原因ですが、センタセは、先の戦いの教訓として、より一層の物資を前線に集中させようとしていました。この年は、例年に増して、後背地から物資を大量に前線に送るように通達を出していました。港町はそれに反発したのです。もう少し詳しく説明しましょう。理屈はこうです。大地信仰は重人主義に乗っ取って戦争を行っているはずだが、国はセンタセ大陸の食料を左手の大陸に持ち去るばかりで、センタセ大陸には恩恵がない。王は不在であり、官僚は貴族化し、汚職と不正が蔓延っている。いつまで戦いを続けるのか。こんなことが永遠に続くのか。私が生まれてから死ぬまで、センタセはどこかと戦い続け、センタセの富は船に乗せられてどこかで消尽されている。こんなことが大地信仰の正しい姿であるはずがない、と。ほかにもあります。敬教徒の場合はこうです。不死王のしていることは、家族の紐帯を壊すものでありよくない。郷里を守る戦争のみが正しい戦争であるが、この戦争はそうではない、と。アビナ教徒ならこう言うでしょう。センタセ大陸は物資を吐き出すばかりで何も得てはいない。センタセ大陸を出る船には荷が山積みであるが、センタセ大陸に来る船には荷が少ない。山積みの荷も、国が徴収したものであり、金員によって貧民と交換したものではない。したがって、センタセ大陸には不均衡が、不徳が広がっている、と。このように、三つの宗教が、センタセ大陸において、現状は良くない、悪徳が瀰漫していると述べていました(瀰漫と訳した言葉は、ノシピアといい、悪い遍在のことを指すアビナ教的な用語である。)。何かがおかしい。声を上げなければならない。という雰囲気があり、そして反乱は起こったのです。耳が痛いです。反乱には人間も魔族も参加しました。三つの宗教のいずれも参加しました。首謀者は敬虔な大地信仰者、グーズ・ウーフェニア。懐かしきノボーグスに生きる老婆であり、統括官の親類でした。反乱は直ちに制圧されます。残念ながら少なからず死者が出ました。ウーフェニアは捕らえられましたが、減刑を求める歎願が相次ぎ、統括官はこれを受け入れます。親族でしたしね。私も信仰心の深いことを理由としてしたことであるから、許せと指示を出しました。ここで安易に処刑すると、重人主義にまた疑いの目が向けられるという打算もありました。
樹暦1348年、アンカーシャフで没落貴族が連合して反乱を起こします。これはただちに鎮圧されました。同じ年、タニーアンの海軍がセンタセを攻撃する動きを見せます。グシャミオクはダダーキア海を航海中でした。魔王軍の海軍がやむなくこれに対応します。穏海で魔王軍三千とタニーアン軍四千が激突します。サニー・マキ・キャンの戦いです。結果は魔王軍の敗北でしたが、グシャミオクがフバーユ周辺に戻ったことから、敵艦隊はそれ以上の進撃をやめ、寄港しました。タニーアンにとっても、利の少ない勝利であったと言われています。
樹暦1351年まで、魔王軍とタニーアンは、タスワス平原で小競り合いを繰り返していました。陸地で正面から戦えば、センタセ大陸からここまできた魔王軍の方が地力に勝ることがわかってきました。また、敵側の最大の武器が、やはり魔法技術であることも再確認できました。魔王軍は、この年にカウエナへの進軍を決定します。遅きに失したと後世の歴史家は言うでしょう。アジールであるセンタセの世界樹に戦火を掲げるのは、魔王ですら躊躇する時代だったのです。
センタセへは、陸路を行くならドマトンからが最短距離ですが、そこは急峻な高山地帯であり、踏破することは困難でした。ドマトンから海路で接近することは可能であり、現実的でしたが、魔王軍は海路を進むことを嫌がりました。グシャミオクをダダーキア海の最奥に送り込むことも避けるべきだとの意見が上がりました。タニーアンの国内を横切れば、カウエナのある高地へ辿り着くことも可能でしたが、現実的ではありませんでした。
魔王軍は、空からカウエナを攻めることにしました。熱帯雨林で仲間にした竜を編成し、一回あたり五十人(凶)の精鋭をカウエナに送り込みました。累計二百五十人(凶)の軍勢を送っています。カウエナの警備は優秀でしたが、多勢に無勢であり、この知識の殿堂は簡単に魔王軍のものとなりました。樹暦1352年の1月の話です。この件は、周辺国の非難を浴び、魔王軍の悪名を世に知らしめることとなりました。周辺国は、慣習と理性をもって、カウエナに大軍を差し向けることを控えていたのです。絶妙なバランスの中で、タニーアンは警備を行っていたのです。そんな事情を知ってか知らずか、鄙びたセンタセ大陸から来た、人間の真似事をした魔族の国の軍隊が、世界樹の有難味もわからないままに軍勢を差し向け、カウエナを戦火の危険に晒したのです。少なくとも、そう思われていたのです。ここら辺の話は、ジェゲンナ・ターヌアモ先生の『カウエナの歴史』が参考になります。初心者向けの世界樹学として最適です。
カウエナの占領は、周辺国からの非難を浴びましたが、魔王軍は慌てませんでした。せっかく手に入れたものを、子供のようにうっかり手放すようなことはしなかったのです。カウエナに隣接している四か国のうち、タニーアンとは交戦中であり、残りのうちの二国は小国でした。二国とも魔法レベルは非常に高く、国富も看過できないものではありましたが、魔王軍の敵ではありませんでした。センタセは、この二国については宗主権を獲得し、カウエナの支配を認めさせました。もう一国のワシヤハ大公国は、当時はなぞり指の広い範囲を支配する大国でした。国土は豊かであり、人口も多かったことから、非常に魅力的ではありましたが、今後のミュカトーニャとの戦争を考えると、魔王軍はこの国の相手をしたくありませんでした。幸運にも、ワシヤハ大公国は別の国と長期に渡る戦争中でした。ワシヤハも、魔王軍の相手はしたくなかったのです。ワシヤハとセンタセは、使者を送り合い、友好を結びました。センタセが友好を結んだ最初の国ですね。
カウエナの話をしていない気がします。そこは、昔からの慣習にしたがって、タニーアンが兵を派遣し、世界樹の治安維持にあたっていました。カウエナの世界樹は、四つの国に接していました。管理自体は、どこの国にも属さないバイナスコたちが行っていました。世界中から学生が集まり、様々な言葉が学舎の中を飛び交っていました。魔法学だけでなく、哲学、数学、神学、地学、化学、歴史学、文化人類学、政治学、家政学、医学、生物学、音楽などが熱心に学ばれていました。新しい理論が生まれ、新しい技術が生まれ、新しい道具が生まれる場所でした。新しい料理や新しい帽子、新しい釣り竿まで生まれる場所だったのです。左手の大陸のバイナスコたちは、昔ほどは旅をしなくなっていました。知識は、世界の驚異は、あちら側からカウエナへとやって来ていたからです。彼らは町を管理し、実験室を管理し、書類を管理し、学舎の人事を管理しました。彼らは税金を集め、金貨を数えて金庫に仕舞い、学生や教授の世話を行い、食事を作り、賃金を支払い、貧者には施しを与えていました。自然発生的に大学が生まれ、それなりに管理されていました。ディグティニはそうでもないですが、カウエナは、探究者たちにより、自治的な社会が築かれていたのです。
魔王軍はカウエナからタニーアンの魔法使いを放逐しました。これにより何が変わったでしょうか。タニーアンは、守る範囲が広くなり、ザンマイヤガサックの魔王軍と、カウエナの魔王軍を意識しなければならなくなりました。タニーアンとしては、カウエナの魔王軍を追い出し、カウエナを再度実効支配したいところでしたが、正面の魔王軍が邪魔で兵力を集中させることができませんでした。また、追い出された国家魔法使いが、戦場に現れるようになりました。これは敵が手強くなったことを意味します。あと、明確に、何より変わったことがあります。アスタボスがカウエナに入り浸るようになったのです。
樹暦1352年2月、不死王がカウエナに現れ、そこに住みつきます。理由は簡単です。敵を側面から牽制するためです。嘘です。本当は私がたくさんの本を読みたかったからです。色々と誤解されがちなのですが、私の本好き、文字中毒を軽んじることがないようにしていただきたいのです。私は本や本屋、古本屋にとてつもなく重きを置いているのですよ(アスタボス氏は、数年前の雑誌のインタビューにおいて、ウェム王国(アスタボス氏が首だけとなって流転中に、国王に招かれて一時滞在した国)が滅んだことについての感想を求められ、「馴染みの古本屋が潰れたように悲しかった」とコメントし、各方面から不死者の傲慢であるという論調で非難されたことがある。)。『勇者ゲクーの冒険』の最終局面で、私が魔王城の図書館におり、机には書物が山のように積まれ、そこで魔王を退治しに来たゲクーたちと対面する場面がありますが、それには歴史的な背景があるのです。
カウエナには図書館が六つありましたが、そのうちの最大の図書館――竜籠館と呼ばれていました――に私は入り浸りました。三階の受付の側面に、大型の魔族でも座ることのできるスペースが設けられていました。そこのスペースのうち、一番窓に近い席が私の定位置でした。ほかの生徒と混じって本を読む私を攻撃するものは多くありませんでした。多くないということは、攻撃するものは少なからずいたのです。私が本当に不死であることを確認すると、大抵の暗殺者は引き下がりました。私は図書館には護衛を連れていきませんでした。暗殺者を特定して裁くこともしませんでした。アジールとしてのカウエナにせめてもの敬意を払ってのことです。私は、暗殺者に殺され、生き返り、生き返った後でその暗殺者と不死の魔法について話し合ったこともありました。そういうことは何度もあったのです。また、暗殺者を相手に、大地信仰が本当に侵略を肯定するのかについて延々と議論をしたこともあります。その暗殺者の、大地信仰にかかる知識の深さと弁舌の巧みさに、大地信仰の神が感嘆したこともありました。神が自身の司る信仰の件で、敵対者に丸め込まれそうになったのです。暗殺チャレンジも一通りブームが過ぎると、私の傍には多くの学生が集まるようになりました。人間も魔族もいました。出身地も人種も言葉も魔族種も様々でした。彼らとは色々な話をしました。不死の話、魔族の話、国の話、王権の話、大地信仰の話、敬教の話、ドマトンの話、竜の話、色々と、数えきれないほど。私は、王でもましてや神でもなく、物知りな長生きの魔族としてそこにいることができました。私にガエバ・ナウン王国について議論を吹っかけてくる若い人間の学生もいましたし、官僚の任用制度と売官についての議論を持ちかける学生もいました。タニーアンの魔法使いを放逐したことを恨んでいるものもいました。私の方も、最新の民法についてだとか、地質分類についてだとか、海半球の調査研究の最新情報についてだとかについて、若い学生たちの意見を拝聴しました。学際的な雰囲気というのは、実に素晴らしい、干からびた精神に降り注ぐ慈雨のようだと思いませんか。政治の世界で忘れかけていた世界の驚異がそこにはありました。窓の外には巨大な世界樹が美しい緑色の葉を薫らせ、勉学に疲弊し、長時間の議論で力尽き、地面に倒れた学生たちに木陰を伸ばしていました。舗装された道をゴーレムが荷物を抱えて歩き、その荷物の中にはたくさんの恐竜の化石が詰まっていました。その横を、黒いローブを身にまとったバイナスコが、生徒数人を従えて速足で追い越していくのが見えました。後を追う生徒たちは、写本のための道具を脇や背に抱えて、人間の魔力をその体内において硬質化することができるのではないかと話し合っていました。ベンチには落伍した学生が酒瓶を握りしめて眠り、寮母の女性が仲間とともに彼をどこかにつれていきました。私が視線を館内に戻すと、こっそりとカウエナに戻ってきていた、タニーアンの国家魔法使いであるディトシー・エブエナイゲンが顔を出し、私の姿を認めるなり、「本当に不老不死なのかね。ちょっとこの鈍器で後頭部を殴りつけることは許されるかね」と聞いてきました。鈍器は司書に取り上げられました。エブエナイゲンはボロボロの身なり、ボサボサの髪を振り乱してこちらに近づき、「私の魔法では駄目なのだよ。実験の、実験の意味がないのでね。殴り殺したいのだよ。私の拳では、足でもいいけれど、何も殺せないよ。芋虫にだって逃げられてしまう。止まっている枝さえ折ることができないのだよ」と言いながら、近くの椅子を両手に持ち、私へ向かってヨロヨロと振りかぶりますが、これも司書に止められ、彼は図書館から叩き出されるのです。司書のリザードマンは、訛りの強いエグディヒ語で、「あの男をまた追い出すのは大変なので、当館の一階でお過ごしになられてはいかがですか」と私に提案します。私は「三階の本を一通り読んだら二階へ行きます。一階はその後ですかね」と答え、司書をがっかりさせるのです。このやり取りを見ていた数学を専攻する妖精が、「これだからタニーアンの国家魔法使いは駄目なんだ。放逐した奴がなんでまたここにいるんだ」と、こちらに聞こえる声で独り言を言うのです。このような日々が数年続きました。冗談かと思うかもしれませんが、この間も、タニーアンとセンタセはタスワス平原で小競り合いを続けているのです。
私が世界樹で借りていた客人用の個室は、いつころからかは忘れましたが、ナブイオシュが守っていました。そこには、日々、センタセの抱える重要事項について、私の決裁を求める書類が大量に届いていました。戦況もそこに含まれています。そもそも、数年前から、私の元には、私の事務処理能力を越えて、センタセ各地から書類の束が届くようになっていたのです。私は諮問機関を設け、仕事の一部をこの組織に任せていました。敬教、大地信仰、アビナ教の専門家を均等に配置した、当時の世界でも例を見ない組織でした。私の仕事量を減らすため、比較的簡易な問題については、この機関に解決してもらおうとの思惑がありました。私の負担は減るはずでしたが、いや、実際に減ってはいたのでしょうが、私の借りた部屋が書類の束で埋め尽くされるのにさして時間はかかりませんでした。私は半日を図書館で、もう半日を書類の中で過ごしました。私は書類の中で、可能な限り王として神として指示を出し、書類の束を少しでも減らそうと努めました。魔王が図書館に籠って現実逃避しているという噂は当時からありましたし、後世には非難めいた口調でそのように言うものも多く現れます。
私がカウエナから出てこなくなったことは事実でした。戦争は小康状態でした。大きな反乱も起こっていませんでしたし、兵站に問題は生じていませんでした。樹暦1355年にセンタセで、1357年にミュカトーニャで大地震が起こりました。いくつかの建物が崩壊し、人が死にましたが、大勢に影響はありませんでした。同じ年、樹暦1357年、強い感染力を持つ四悶病が陸半球を襲います。こちらの方が深刻でした。センタセ、フバーユでの被害は微小でしたが、魔族指に生きる人間の三割が数年以内に死にました。魔王軍への被害も甚大であり、民衆はもちろんのこと、多くの兵士と将軍、行政官が病に倒れ、そして死にました。タニーアンの被害は魔王軍よりも深刻でした。民衆だけでなく、国の中枢にいるものが軒並み死にました。国家魔法使いの多くも、病気には勝つことができませんでした。今ならわかりますが、交通の要だったことが裏目に出たのです。カウエナにも四悶病の影が迫り、翌年、樹暦1358年には多くの学生、先生が亡くなりました。私は図書館と部屋とを行き来する生活を続けていました。それでも、墓を掘る手伝いは積極的に行いました。墓を掘っていると、コユエビニ地方で警邏をしていた時のことを思い出しました。今、この話をしても思い出します。想起された遺体に傷があればコユエビニ、遺体が奇麗ならカウエナの思い出です。共に議論を交わした、前途有望な若い学生が死ぬのは辛いものです。ある神学徒が、死ぬ間際に残した文章が残っていますので諳んじてみましょう。これは、大地信仰の信徒の作ったものです。魔族の作った宗教が、死に至る人の、救いの一助となっているのです。
聖なる神へ至る扉は閉じている。
私たちはその扉の上に立っている。
雨が石畳をすり抜けて土へと染みるように、
私たちは形を脱いで神に至る扉をすり抜けるのだ。
扉は決して開かないが、
神の門は常に身近にある。
樹暦1360年、魔王が図書館の一階の本に飽きて出てきます。全部の本を読んだのかと聞かれるのですが、それには大体の本は読んだと答えることにしています。借りていた部屋とその隣の部屋は書類の束置き場になっており、隣の隣の部屋でなければ執務もまともにできない状態でした。諮問機関はよく機能してましたが、端的に仕事量が多くなっていたのです。不老不死の魔族が中央集権の中央に位置し、未来永劫にわたって官僚を動かし、政治を動かすという仕組みは、当初は上手くいっていましたが、国が広がり物事が複雑になるにつれ、当然に増加する仕事量によって頓挫しかけていました。諮問機関は、諮問機関を一から三十に増やすことを提案しました。それはもう中央集権ではないように思えました。とは言え、このままではセンタセとしての統一的な行政運営が継続できるとも思えませんでした。「アスタボスは、近代民主主義や近代官僚制の価値を遂に知ることがなかった。アスタボスは中世の偉大な王であり神であったが、それは逆にこのものの限界を意味していたのである」と、とある歴史家が述べています。私に対して遂に知ることがなかったと言い切るユーモアは評価しませんが、それ以外の部分については概ね事実かと思います。近代官僚制については、それが生まれて成長する土壌がなかったため、仕方がないと思います。当時としてはまずますの官僚制だったと評価されているのですけど、「近代」と比較すると、中世時代の軛は如何ともしがたいものがあります。民主主義については、寡頭政治や単純な議会制に対してすら、私は不信感を持っていました。諮問機関だって本当は作りたくなかったくらいですからね。
同じ年、魔王軍はタニーアンの魔法技術に追いついたと断言します。断言するのは今の私です。戦況は変わりつつありました。魔王軍の抵抗魔法が、タニーアンの攻撃魔法をよく防ぐようになり、魔族兵の死傷者数が大幅に減少していました。魔王がカウエナの図書館にこもり、魔法研究を続けたおかげだと、何も知らない部外者はいい加減なことを口にするのですが、実際は、アテドーの研究の賜物です。私は、大抵は戦争に関係ない本をたくさん読んでいただけです。魔王軍は四悶病で減少した兵士を後方地域から補充し、約三万人(凶)の兵力でタニーアンの首都、クナクスを攻めました。
樹暦1361年、つまり一年後、タニーアンは滅亡します。魔王軍の被害は一万人(凶)。被害が最も大きかった戦いは、タモウィスシャフ王国の残党だった騎馬民族の奇襲を受けたミスヨの戦いで、これは魔王軍の負け戦でした。騎兵が攻撃魔法又は火矢又は毒矢を撃ち込みながら、魔王軍の周囲を周回するというものです。魔王軍は火にまかれて恐慌状態になり、敵軍へ向かったつもりで煙の中を進軍し、同士討ちして自滅します。よく準備し、よく訓練して復讐の機会が来るまで静かに待っていたのだなと感心します。ただ、一度目は混乱しましたが、二度目はありませんでした。返り討ちにし、捕らえた族長たちはその場で処刑されました。
戦局を決定づけたのは、当時の国家元首であるトマサン・サカネ・ポジェミニが出陣したバグウァイエ河畔の戦いです。この戦いでは、ポジェミニのほかにタニーアンの国家魔法使い五百二十人が戦場に配置されていました。くわえて、ミュカトーニャの援軍三万人がクナクスへと向かっていました。魔王軍は、戦いの前からこれらの情報を得ていました。情報を得たうえで戦うことを選択したのです。勝算がありました。先ほども話しましたが、魔王軍の対抗魔法は発展しており、敵の攻撃魔法を以前よりも軽減できていました。また、兵数もこちらが大きく上回っていました。ほかにも、この戦いには特筆すべき点が二つあります。一つは、魔王軍が効果的に騎馬兵を使用したことです。もっと簡単に言いますと、さっき話したミスヨの戦いでされたことをそのまま敵にやり返したのです。魔王軍全体から見れば騎馬兵は少数でしたし、その運用も敵の方が長けていたのですが、それでもこの作戦は上手くいきました。敵軍は魔王軍のように混乱しました。そして魔王軍のように敗退したのです。二つ目は、ミュカトーニャの援軍を阻止するため、敵の後方にある橋をすべて落としました。道中にある町や村に火をつけ、補給を絶ちました。ミュカトーニャの大軍は、天候の悪さも重なって到着が遅れに遅れ、遂にクナクスには辿り着けませんでした。バグウァイエでの戦争は魔王軍の大勝で終わり、多くの国家魔法使いが死に、あるいは不具となり、あるいは捕らえられました。捕らえられた魔法使いの中にはポジェミニもいました。彼は、高額の身代金とともに解放されました。魔王軍はそのままの勢いで首都クナクスを攻め、十数日でこれを落としました。
魔王軍は、戦後、タニーアンの国家魔法使いの多くを厚遇します。あのエブエナイゲンですら、私は許したのですよ。エブエナイゲンは、首都の籠城に巻き込まれる形で魔王軍と対峙し、そのまま軍とともに降伏しました。最後まで私の軍を実験用シャーレか何かと勘違いしているようで、降伏の直前まで――いえ、降伏後でも――見たことのない魔法を魔王軍に撃ち込むことを止めませんでした。戦後、私と相対して発した彼の最初の言葉は、「魔王様、私の研究室に是非来ていただきたい。そしてレンガで、いや、鉄の棒でも構いませんが、後頭部を殴らせていただきたい。一度では足りませんので、それはもう何度かは、ガツンガツンと」というものです。即刻、神への不敬として処罰されています。ちゃんと記録も残っています。公衆の面前で、アジジカカズラの鞭で背中を二十回叩くという人間向けの刑罰に処されました。ボロボロの服にボサボサの髪、そしてズタズタの背中になってしまったわけですね。ここまで、エブエナイゲンの奇行について話してきましたが、彼の専門分野は回復魔法なのです。意外でしょう。私も知ったときはびっくりしました。彼の回復魔法における功績は無視できないものがあります。晩年には、世界樹についての有名な論文も残しています。世界樹が、普通の植物のようにゆっくりと成長することを明らかにしたのがエブエナイゲンです(正確には、エブエナイゲンも含めた研究者チームである。)。絶版で手に入らないかもしれませんが、『世界樹』という小さな、世界樹への愛情すら感じさせる初心者向けの本も書いていますので、是非読んでみてください。
いけませんね。話に夢中で休憩時間を忘れていました。ここで休憩としましょう。今日の警備は厳しいですから、私に魔法陣をもって近づかないでくださいね。
(休憩中、一人の男性が壇上に近づき、アスタボス氏に向かって名前を連呼し、その名前の書かれた紙を掲げるパフォーマンスを行う。ただちに警備によって退席させられた。)
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