二日目(4)

 アンカーシャフ王国とタモウィスシャフ王国の争いは、樹暦1322年の秋から樹暦1323年の夏まで続きました。魔王軍は、お互いの国内にいた停戦派に横槍を入れ、疑心暗鬼にさせ、争いが長期化するように仕向けました。魔王軍がここで速攻という選択をしなかったのには理由があります。内政面での問題が発生したからです。主にフバーユでです。ドマトンでは、大地信仰とアビナ教の相性のよさもあり、また、長男の協力もあり、統治は軌道に乗っていました。悪い話をする前に、まずはいい話、ドマトンの話からしましょう。

 ドマトンでは以前から魔族が国の主要な地位で活躍しており、市井の都市内魔族の文化も成熟していました。ドマトンで飲まれていた果実酒のほとんどは、とあるウェアウルフの酒蔵で作られていました。水車小屋の修理を任されていたのは、親方と呼ばれていたチミーピオ(人の子供くらいの身長で、二足歩行のカエルの魔物)でした。宗教劇を仕切っていたのはディグティニ出身のバイナスコでしたし、石工組合には五凶のゴーレムが加入していました。アビナ教徒は、魔王軍の殖産と税制を受け入れ、魔族の統治を歓迎しました。敵対したのは、一部の貴族と傭兵団、宗教家だけでした。魔王軍は、武力蜂起した貴族の一派を速やかに壊滅させました。傭兵団は、戦場で、魔王軍の狂信的な振る舞いを見てきていました。彼らは魔王軍の重人主義を鵜呑みにはせず、他国へと逃亡しました。宗教家は、大地信仰を危険な宗教だと判断しました。魔王軍は、センタセ大陸での慣習にしたがって、アビナ教の教会を商業施設として扱い、無暗には破壊しませんでした。商人の宗教であるアビナ教なら、金を積めば宗教家も黙るだろうと、高を括っていたという側面もあります(ここでは触れられていないが、ザザ・ミナ・ウォン海戦後に行われた略奪により、幾つかの町と村が滅んでいる。もちろんそこにはアビナ教の教会や商業施設があった。これらは徹底的に破壊されている。)。

 センタセは、アビナ教とは緊張関係にありましたが、アビナ教の寛容さ、自在さ、差別への感受性、狂信に至らないバランス感覚は、歴史の中で翻弄されつつも、人類にとっても魔族にとっても好ましいものであったと思います。人魔決別に抵抗したのも、その多くはアビナ教の国と人々でした。そういえば、今もあるのでしょうか、当時の歌にこのようなものがあります(アビナ教を褒める文脈で、アビナ教を悪し様にいう歌を紹介している。)。


 街の広場の教会の  聖職者たちは金勘定

 頬杖ついて天秤が 均衡するのを眺めてる

 信者の懇願哀訴より 金貨の擦れる音が好き

 青い前掛け身に着けて メチ鳥を真似てキンコーと

 鳴いてやすりで金粉を さっささっさと削り出す

 救済も死も金次第 黄金の山を前にすれば

 アビナの神なら揉み手して 異教徒ですら祝福する


 この歌は、異教徒が作ったアビナ教を悪く言う歌ですが、歌詞の最後、異教徒ですら祝福するとあるのは、現代の感覚からすると美徳にしか聞こえませんね(アビナ教は、信者はもちろん、教会が金儲けをすることを悪いこととは考えない。ただし、異教徒から、金儲けを組織の腐敗と見られることは本意ではない。アビナ教的には、それは腐敗ではなく必然なのであるが、他の心無い宗教者からは、「元から腐っている宗教」と悪く言われたりする。アビナ教を「元から腐っている食べ物(発酵食品)」に例えることは、国際的なタブーであり、しばしば国際問題になる。)。

 教皇ピゴも、当時の政敵からお金を好んだと繰り返し記録されていますが、そのことを理由に失脚することはなかったのです。あのゲクーすら、ピゴは守銭奴(クィゾという言葉が使われている。商売の範疇を逸脱した金への執着のことを意味する。前述のとおり、アビナ教では金儲けを悪いこととは考えないが、悪事に手を染めてまですることでもなかった。金のことばかりを考え、ほかを蔑ろにしているのは、不均衡であり、それはそれで悪いことだと考える。)だと記録に残しています。ゲクーも熱心とは言えませんが、一応はアビナ教徒です。アビナ教の空気を吸って生きた人物です。そんなゲクーの目は、ピゴが欲深い宗教者であり、それを踏まえて、どちらかと言えば好意的に記録しています。ピゴのことを「オビアの有り余る信仰心の半分を物欲に、もう半分を名誉欲にしたような人物」だとか、「金が心の底から大好きだから、商人ではなく教皇になった人物」と述べています(オビアは、ゲクーの幼馴染でゲクー商会の共同代表者。ゲクーとともに商会を一から築き上げた。本店を設立後は旅をやめ、商会の事務を担った。ゲクーの死後、ゲクー商会は、実質的にオビアとオビアの子孫が経営権を握っている。後日に言及されるが、『ゲクー旅団記』は、旅先のゲクーからオビアのもとに届けられた旅の定期報告である。)。ゲクーは、ほかにも、気取った書き方をしているのですが、「均衡を愛するアビナの、神の実に見事な御稜威により、信心深きものが商人となり、金に目がないものが教皇となった。まさに神のみがなせる均衡の御執り成しである。」とも述べています。

 守銭奴でなくなったピゴのことは、政敵もゲクーも記録にはあまり残しておりません。私が責任をもって後世に伝えなければならないと思います。

 ちなみにメチ鳥は、胸元が青い、キンコーと鳴く小さな可愛らしい鳥のことです(均衡は、タイベン語でアーバンといい、メチ鳥は「アーバーン」と鋭い声で鳴く。)。もちろん知ってますかね。どうでしょうかね。可愛らしい鳥なのですが、性格は攻撃的で、自分よりも大きな鳥や猫に喧嘩を売ることも多々あります。人にはまったく慣れません。ドノワッの国旗にも描かれていましたし、貴族の家紋にもよく現れる意匠ですね。何とかというソウトマッフ(球技の名前)クラブの旗にも、青い鳥が描かれていますね。

 私がミュカトーニャで、皆さんを前にしてアビナ教を語るのもおかしな話ですので、このくらいにしましょう。ドマトンでは、アビナ教の影響により、大きな混乱はなかったと言いたいのです。

 そして悪い方の話です。フバーユです。フバーユに渦巻いていた不満は、解消されていませんでした。空の宗教徒が徒党を組んで反乱を起こしました。首謀者はフェワミーとその息子、後に九代目教祖となるトノノファです。反乱軍は、県令を殺害して港町ケズジャッカを占領しました。港にあった積荷を奪い取り、ユヌカの残党に蜂起を促しました。これにユーヌオンの一部の兵士が呼応し、反乱を起こしました。ユーヌオンには魔王軍の本陣があり、私はそこの貴族の邸宅から内政外政の指示を出していました。反乱は、沿岸地域を中心に八つの町に飛び火しました。一部では、軍関係者がこれに呼応し、県令や軍の幹部が殺害されました。一部の部隊は混乱し、船や倉庫が襲撃され、武具や貨幣が強奪されました。町や村では魔族が襲われ、建設途中の魔道院に火がつけられました。左手の大陸で開発された攻撃魔法の、最新の魔法陣が、あちこちの地面に釘打たれました。空を飛ぶ魔物は撃ち落され、荷を運ぶフーアプフは森の中で殺され、荷を奪われました。殺された魔物の身に着けていたものは泥まみれにされ、足蹴にされていました。高価な宝飾品ですら、真珠以外は大地の産物ですから、彼らは容赦なく砕き割りました。魔族に対する憎悪は明らかでした。数百年後の人魔決別前夜のような様相を呈していました。

 これを受けて、魔王軍は、空の宗教を徹底的に弾圧します。空の宗教徒は、高下駄等により簡単に見分けがつきますので、フバーユ島を横断してこれを探し出しました。彼らは、左手の大陸から優秀な魔法使いを招き入れており、最新の、防御魔法も開発されていない、強力な攻撃魔法で反撃してきました。多くの魔物が死にましたが、魔法以外の戦いであれば、高下駄を履いた教徒ごときに負けるわけがありませんので、人間兵の損害は軽微でした。ケズジャッカは、占領から即座に解放されました(一次史料によると五十日以上かかっている。)。ある拠点では、建物全体を魔法陣で囲い、陥落に併せて魔法陣を発動され、多くの魔族が殺されました。魔王軍は、多くの空の宗教徒を殺害しました。生け捕りにしたものは、顔だけ出して地面に埋め、頭から鳥の生き血を注ぎ、空気中の魔素に色を付け(呼吸したときに吸い込んだことがわかる。)、蛇やサソリと一緒の柵に入れました。後々に非難される魔王軍の所業ですが、こちらにもそこまでするに至る経緯というものがあるのです。この掃討戦には、私も前線で参加しています。王にして神扱いされていた私が前線で暴れて、不死王たる所以を見せつけることで、反乱の意志を挫こうとしてのことでした。効果があったのかはわかりません。味方の中には、王の不死性を疑っているものもいたかもしれませんので、たまに死んで生き返ることも大事なのかもしれません。私は五から十回は死にました。全部同じ攻撃魔法で殺されました。フェワミーは掃討戦の最終局面で戦死し、トノノファは、空を飛んで無人島に避難したと言います。私の眼には小舟を漕いでいたように見えたのですがね。

 内乱は、断続的に発生しました。フバーユが落ち着いたのは、樹暦1324年に入ってからでした。空の宗教徒は、急激に数を減らし、トノノファが避難した無人島で集落を築き、表面的には大人しくなりました。魔王軍は、フェワミーその他、空の宗教の幹部の死骸をトノノファに丁重に返還し、集落の自治権や漁業権を認めました。宥和策です。フバーユの民衆は、魔王軍による空の宗教への弾圧をやりすぎだと考えていました。フバーユでは、大地信仰の重人主義が、威勢はいいけれど実態は伴っていないスローガンのように思われていました。ファナッペ先生の『センタセのフバーユ統治』では、重人主義は、「宗教的な建前と思われており、まともに受け取られてはいなかった。」と言われています。宥和策は、これ以上の過酷な弾圧は無用であり、島全体の統治に悪影響を与えると判断してのことでした。無論、無人島の監視は行いました。武器や魔法陣、巻物、魔法使いを島へ入れることは禁止しました。また、フバーユでは、公務を行う魔族の数を減らしました。少なくとも、人目に付きやすい市場監視員や徴税官、県令、警備兵などの職務からは外しました。敬教は軽視せず、保護政策を取りました。一部の行政官への道を開き、敬教の学舎を作り、学者を保護し、墓職人は厚遇し、墓の破壊については厳重に罰しました。これ以上敵を作りたくなかったからです。ここまでやっても、フバーユでは、大地信仰、魔族の支配は受け入れられませんでした。特に魔族の支配については、民衆の中に不満が燻り続けました。


 同じ年、樹暦1324年ころから、センタセの近海でも、大規模な海賊行為が目につくようになっていました。アンカーシャフ王国とタモウィスシャフ王国の公認海賊が、センタセ、フバーユ、ドマトン間の海路の妨害を本格的に行っていたのです。魔王軍の海軍は、相変わらずレベルの低いものでした。敵国はそうではないと見間違えていたかもしれませんが、数年で目を見張る進歩があるわけもなく、海戦は足元の柵でした。ドマトンへは海賊や海軍をかいくぐり、定期的に兵糧を送り続ける必要がありました。魔王軍は、海軍育成を半ば諦めて、敵国の公認海賊を買収することにしました。ガシャニアネの入れ知恵です。これには予想外の費用がかかりました。このせいで、コニーバンサでは、この時期、金の価格が暴落し、金貨と酒瓶が1:1のレートで交換されたと言います。酒樽でなくて瓶がですよ。また、町の支配者の力関係が大きく変わったと言います。このときの権力争いで勝ち残った海賊が、後にゲクー商会と協定を結ぶこととなります。両国に従うふりをして、敵の船を攻撃したことにするだけで、懐に金が転がり込んでくるのですから、素晴らしい商売もあったものです。当時の謎々には、「王様よりも偉く、魔王よりも怖く、商人よりもお金持ちなのは誰だ?」というのがあります。答えは、そう、「海賊」です。


 アンカーシャフ王国とタモウィスシャフ王国の争いは、樹暦1323年には下火になりました。魔王軍は、主にフバーユ島の内政に取り組む必要が生じたため、樹暦1325年まで軍事活動は行いませんでした。ドマトンの統治は理想的に進んでいましたが、海路が攻撃されていたことと、頻繁に台風の直撃を食らったこと、センタセからの長距離輸送により、管理が煩雑になっていたことなどから、兵站に不安が残っていました。これがある程度解消されたのが樹暦1325年だったのです。このころには、フバーユの反乱も終息し、軍を立て直し、兵を増強させるには十分な時間がありました。兵站のための倉庫や警備、船や乗組員、フーアプフや物資を詰め込む袋の用意も整っていました。センタセ大陸の農作物の生産量は上昇率が伸び悩んでいましたが、フバーユのオズノスス湖周辺の農地がこれを補いました。

 アンカーシャフ王国とタモウィスシャフ王国との戦争は、両国に看過できない損害を与えていました。兵力はお互いに三割から四割を失い、各地の城壁や食糧庫は焼かれ、崩れ落ちていました。名のある将軍が死ぬか怪我をしていました。農地は荒れ、井戸に毒が投げ込まれ、馬は足りず、軍船も不足していました。アビナ教の商人は、リスクを恐れて貴族に金を貸さなくなり、傭兵団は、守られない契約と、支払われない報酬の埋め合わせとして、各地で略奪を行っていました。悪いことに、樹暦1324年の天候は、魔族指の国々に不作をもたらしました。ドマトンも例外ではありませんでしたが、海賊を宥めつつ、台風を恐れつつ、センタセ大陸から食料を輸入することでこれを補いました。

 両国は、センタセに友好の使者を送ってきました。特にタモウィスシャフ王国は、初顔合わせの時に、ともにアンカーシャフ王国を滅ぼそうとまで言ってきました。数年前には、大地信仰の必然から魔王軍が侵略を行うと、実に理性的なことを言っていた国々が、急に道理に合わないことを主張するようになっていたのです。エウイーからの情報でも、この二国は、本気で魔王軍と友好を築こうとしていることがわかっていました。二国の統治は危機に瀕しており、これに比べればフバーユのトラブルなど可愛らしいものでした。センタセは、友好の申し出を断りました。このとき、使節団を皆殺しにしたと書いている歴史小説があるらしいですが、そんなことはしていません。

 樹暦1326年、アンカーシャフ王国の、名将と誉れ高い、長年国に尽くしてきた将軍が無実の罪で処刑されます。なぜ、無実であることを知っているかと言いますと、仕組んだのは魔王軍だからです。ほかにも数名、古参の将軍や参謀を処刑、幽閉させることに成功しました。また、軍船を焼き払うことにも成功しました。フバーユに待機していた三万人(凶)の兵のうち、二万の兵力でアンカーシャフ王国に攻め込みました。このときのアンカーシャフ王国の兵力は、多く見積もって一万七千人と言われています。

 同じく樹暦1326年、サクホム三世は、腹心の将軍によって食事中に暗殺されます。魔王軍を前にして人間同士で争い、無実の将軍を処刑するなど、晩節を汚したとも言われていますが、同盟に従ってドマトンに援軍を派遣し、タモウィスシャフ王国には攻め込まれたから対応しただけで、これを悪く言うことは違うと思います。無実の将軍の処刑についても、将軍間の派閥争い、権力争いを利用してのことでしたので、王だけが悪い、判断を誤ったということでもないのです。文献によっては、将軍の過去の貢献の大なることをもって、王は最後までこの将軍の極刑を避けようとしていたことがうかがわれるのです。

 王を失ったアンカーシャフ王国は、次王をただちに即位させました。この王は魔王軍を恐れて戦場に出ることを望まず、最期には家臣の手によって自殺に追い込まれます。その次の王は、まだ幼い子供でした。実権は有力な家臣の手に滑り込みます。どちらにしろ、アンカーシャフ王国は、樹暦1326年の末には実質的に滅びました。まともな戦争はほとんど起こりませんでした。傭兵団は敵前逃亡し、将軍は武器を投げ捨てて泣いて降伏し、農民兵は飢えて軍馬を食べていました。ある城の将軍だけは、頑強に魔王軍に抵抗しましたが、寡は遂に集の敵ではなく、二千の兵の全滅をもって敗北しました。王都の警備は紙のように破られました。門下に刻まれた魔法陣は、言語が書き換えられており、発動しませんでした。王都に入った魔王軍は、そこに暮らす人々の覇気の無さに唖然としつつ、埃まみれの、レンガがところどころ抜け落ちた主要道を進みました。広場の付近には作りかけの凱旋門が放置され、土台には魔族の占領を称える文字が後から刻みこまれていました。人々はアビナ教の商会に逃げ込めば助かるという噂を信じ、大勢でそこに避難していました。魔王軍は、小奇麗に整えられていた王宮に堂々と参上し、幼い王を降ろして戦争を終わらせました。人のサイズに作られた王の豪奢な椅子を横に倒し、そこに巨体の魔王軍の長が腰を下ろしたと言われています。王宮内の家臣団は無抵抗でした。抵抗の意志のあったものは前もって殺されていました。家臣団は、大地信仰の重人主義が嘘偽りなく徹底されることを要望し、国を明け渡したのです。魔王軍の損害は、千人(凶)以下であったとされています。まともな戦いは起こらなかったにも関わらず、少なくない略奪が行われたため、魔王軍は略奪者を厳重に処罰し、家臣団の期待に応えました。

 アンカーシャフ王国は、魔族指の先、魔族指の爪の付近の領土を実効支配していました。ここには熱帯雨林が広がっていました。熱帯雨林は、大地を有効に使用するという大地信仰にとって手ごわい環境でした。国土は広く見えたものの、土壌はラトソルであり、農地に適した土地は思ったよりも広くありませんでした。農業のやりにくさで言うと、気候は異なるものの、センタセ大陸と似たようなものでした。それでもこの国が豊かであることに間違いはありませんでした。内陸部の平地では麦や芋や豆が育てられ、赤いレンガの倉庫が歯のように立ち並んでいました。最寄りの川ではヒスイが取れ、地元の農民の結婚しているものは体のどこかにヒスイを身に着けていました。穏海側の山地には果樹園や麦畑が広がり、のびのびと酪農が行われていました。鶏や鶉や雉は丸々と太り、日々の食卓に上り、牛乳が最寄りの町や村で物々交換されていました。小さな村の、救貧院の厨房にすら遠方のスパイスが置かれ、孤児たちもスパイス料理を味わっていました。山地の奥の田舎でも、なかなか高度な魔法が普及し、使用されていました。ちょっとした大きさの町であれば、魔法の研究者が選任され、魔法陣を管理していました。灰色の肌をしたトロル(人の形をした、三メートルほどの身長がある魔物。禿頭、巨大な手足、固い皮膚などの特徴がある。)が長をしている村がありました。手のひらに乗るサイズの妖精が、立派な教会で、正式な教会主としてアビナ教を布教していました。町ではウェアウルフの犯罪組織が幅を利かせており、森に入るとデミヒューマン(人間そっくりの魔族。人間と見た目がつかない魔族の総称。)が徒党を組んで旅人を襲っていました。ナーガの詐欺師がおり、金貨の偽造に長けたアラクネがいました。ある湖畔ではバイナスコが大量の本に囲まれて錬金術を研究しており、王国の首都では鳥人が百年に渡って天体観測を続けていました。国内に四つあったレンガ工場のうちの一つは、ゴブリン(人型の魔族。子供くらいの大きさで、毛がまばらに生え、筋張った体つきをしている。)が長年にわたって管理しており、この者もカリグラフィーにうつつを抜かしていました。これら都市内魔族の存在は、魔王軍の統治が上手くいく予感をもたらしました。そしてその予感は概ね的中したのです。

 ほかにも、アンカーシャフ王国のガラスは美しく、完全に透明であり、職人が器用に瓶やコップを作っていました。馬具なども凝った装飾をしており、馬に乗る魔族はいたくこれを好みました。


 このころの魔法についても話しておきましょう。魔法は進化し続けていました。弾速は速くなり、威力は大きくなり、効果範囲は広くなり、損失は小さくなっていました。魔法陣は複雑になり、諳んじて描くことが達人芸になっていました。魔法文字を刻むペンは細く鋭くなり、緻密な魔法陣を描くため、よく磨かれたレンズを目の前に装着することが流行りました。


 魔王軍はアビナ教とは緊張関係を保ちつつ、共存する選択をしました。これは言いましたっけ。ドマトンの話のときに言ったような気がします。以前から商業において関係が深かったこと、商業を振興するアビナ教と大地信仰の重人主義との相性がよかったこと、魔族に対して寛容であったこと、主たる教義である均衡思想が大地信仰とさほど抵触しないように当初は思えたことが理由です。よく言われることですが、アビナ教徒は、大地信仰や魔族が自国に入り込むことを歓迎すらしたのです。人間だけ、アビナ教徒だけでは不均衡であるからですね。魔王軍の中にも、アビナ教に改宗するものは多くいたのです。多分、後日に話すでしょうが、フーアプフがまさにその代表でした。アビナ教については、当時の私も好意的な発言をしています。好意的な発言をしておいて、アビナ教の国々に攻め込むので、二枚舌などと言われてしまうのですが。


 魔王軍は、アンカーシャフ王国の兵を自軍に組み込みました。繰り返しますが、他国の兵士は運用方法が異なるため、すぐには戦場で使い物にはなりません。それでも都市の守備くらいには使えます。兵糧は足りており、兵站は機能しているように思えました。魔王軍は、間髪入れず、二万人(凶)の兵力でタモウィスシャフ王国を攻めました。相手の兵力はよくわかっていません。同程度、二万人くらいかと思います。根拠はないですが。

 タモウィスシャフ王国は、王国と呼ばれてはいますが、封建的な側面は薄く、定住民族と遊牧民族との複合体であり、その言語、生活習慣には多様性がありました。タモウィスシャフとは、有力な部族の名称であり、元々は遊牧を営んでいた人たちのことです(タモウィスが部族名である。)。

 この国は騎馬兵で有名でした。国土は広く、魔族指の指先側の国土、特にササーマント川の周辺は、平地が広がり、大変に肥沃でした。世界有数の大穀倉地帯ですね。人間の文明の発祥地の一つでもあります。その歴史については私の手に余ります。私は生まれた後の歴史を辛うじて詳しく知っているだけなのですよ。ササーマント川の上流のアグニャミー高地を進み、タニーアン側の領土に近付くとステップの大地が広がっています。ここは当時から牧羊が盛んでした。三十以上の遊牧民族が暮らし、離合集散はありつつも、タモウィスシャフ王国の構成員としてこれを支持していました。地域史の名著であり、世界史における国家観や民族観に見直しを迫る『アグニャミー高地の歴史』(ギム・アギムア・ゲイ著)が参考文献となるでしょう。

 樹暦1327年、魔王軍はタモウィスシャフ王国に侵攻します。敵軍は、騎馬兵が後退しつつ魔法を魔王軍側に撃ち続けるという戦略を取りました。フォーホンガーナの戦いでも見受けられた、距離をとって魔法で攻撃するという作戦です。魔王軍にはまともな騎馬兵がいませんでした。機動力で戦局を変えるという戦略を取っていなかったからです。馬は人間兵による偵察、それと稀に輸送用として使われました。このころにはフーアプフが大部分の輸送を担っていましたので、その代替としてです。機動力のない魔王軍は、敵の騎馬兵と距離を詰めることができません。夜の間も、魔王軍には人間兵がいるので、相手と同じ程度に休む必要がありましたので、敵と距離を詰めることはできません。連日にわたり、一方的に飛んでくる魔法攻撃に耐える必要がありました。たまに、地面に描かれた魔法陣の罠が発動し、大きな被害が出ました。敵が後退できる土地は無限のように広がっていました。飛んでくる魔法は強力でしたし、防御魔法で対策が講じられないよう、複数の魔法が使用されていました。後退している敵を追い続けると、敵の城に出くわすことがありましたが、もぬけの空でした。籠城戦は行われませんでした。道中の村や町から人々は避難済みでした。井戸はふさがれ、家畜小屋も穀倉も空でした。前線は敵国深くへと穿っていました。国土は簡単に奪うことができていました。魔王軍の被害は増える一方でした。敵軍の被害は、ほとんどありませんでした。空中からの奇襲や夜襲で一矢を報いたくらいでしたが、決定的なものではありませんでした。

 魔王軍は、アグニャミー高地の手前で進軍を止めました。兵力は魔族を中心に七千人(凶)を失っていました。この被害は予想外のものでした。敵の使用する魔法の解析は一向に進んでいませんでした。逆に、敵は、こちらの使用する防御魔法を十分に解析しており、対策が講じられていました。魔王軍の使用する防御魔法は、効果が半減していました。相手の使用する魔法には、毒のような効果が付与されていました。食らったものの魔力を徐々に奪い、行軍の足を止めるのです。これは当時、カウエナで開発された最新の魔法でした。毒の治療のため、何度も行軍が停止しました。行軍が遅くなるほど、攻撃に晒される時間は増えました。敵の思うつぼでした。

 前線は、錐のように敵国に深く刺さっており、補給線が寸断されるおそれがありました。魔王軍は、敵の反転攻勢を警戒しつつ、タモウィスシャフ王国のその他の土地へと侵攻の手を広げました。そこでもまともな交戦はありませんでした。王国第二の都市のエプケカ、第三の都市のケマサック、ササーマント川の下流域に広がる村々を支配下に治めました。上空からの偵察では、アグニャミー高地を抜けた敵軍は、首都ザンマイヤガサックの近辺に駐屯しているとのことでした。さすがに、首都を見捨てて後退戦を続けるとは思えませんでした。ザンマイヤガサックは、アグニャミー高地の端に位置し、四重の城壁で囲まれた堅牢無比な都市でした。飛んでくる魔法の練度から見ても、攻城戦は大きな被害が出ると予想されました。エウイーからの情報では、都市内には元からの人口十五万人と二万の兵が五年間は生き永らえる程度の食料が備蓄されていました。当時の常識では考えられない量です。一方、魔王軍の兵站には問題が発生していました。アグニャミー高地より指先側に位置する各軍は、広範囲に展開していました。食料は足りていたことになっていますが、それを運ぶ馬やフーアプフが足りませんでした。あと、輸送船とそれを護衛する船も足りていませんでした。船を作るために森を切り開いたため、輸送船と護衛船を作るための木も足りていませんでした。前線で使用する燃料も、兵站部隊が利用する釜すら不足していました。どうやら、今いるところは、センタセ大陸からの補給線の限界に到達していることがわかりました。

 魔王軍は、軍と軍がぶつかり合うような戦争がないまま、肥沃な土地を手に入れていました。戦争では勝てた気はしていませんでしたが、戦果は上々でした。左手の大陸は、温暖化の局面に入っていました。気候は大変穏やかなものであり、麦は大豊作となりました。その生産量に魔王軍は圧倒されます。今までとは比べ物にならないほどの収穫量がありました。センタセ王国内には、改めて大地信仰の基本に立ち返ろう、侵攻も大事だが、大地と向き合い、人を育てようという機運が高まりました。「大地には、血ではなく水を注ごう」というフレーズが魔王軍内に広がります。厭戦感が広がったと説明されることもありますが、そのような側面もあったでしょうが、それよりも肥沃な大地の衝撃が凄まじかったのです。あと、敵国の生産地は既に手中にありました。敵国の守備は万全であり、まともに戦うと被害が甚大であることは、城壁を殴らずともわかることでした(慣用表現。火を見るよりも明らかという意味。)。兵站の問題は、目の前の大穀倉地帯が解決してくれたような気分になっていましたが、このまま進軍を続ければ、また同じような問題が生じることは明らかでした。速攻は拙攻のように思われました。ササーマント川にとどまる理由は少なくありませんでした。少なくありませんでしたが、まさか十年もとどまることになるとは思ってもみませんでした。


 さて、本日はここまでとしましょう。明日は三日目です。ザンマイヤガサックの攻防、タニーアン攻略、カウエナでの日々、吸血鬼の暴走、難民の発生くらいまでは話せるかもしれません。最終日には、ミュカトーニャへの魔王軍の侵攻、そして私の首がはね飛ばされて、その後の話をすることでしょう。ご清聴ありがとうございました。

(講演の終了後、客席から二名の男女が壇上に近づき、何かを叫びながら、紙に書かれた魔法陣をアスタボス氏に掲げた。これを見て後援の歴史学者が警備員を呼び、二名を取り押さえた。会場は騒然となったが、アスタボス氏は何事もなく撤収された。二名は警察に連れていかれた。)

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