二日目(3)
それでは続きを話しましょう。
アゾヤイ島の戦いで勝利し、魔王軍はフバーユ全域を手中に治めます。その統治には長期的に苦しめられたのですが、戦果は上々でした。オズノスス湖周辺の肥沃で広大な土地、茶や絹の大生産地を手に入れました。明礬の産地を再発見し、そして何よりアゾヤイ島の金鉱の発見が魔王軍を勢いづかせました。この金鉱は、アゾヤイ島の戦いで死んだ敵兵を埋葬するため、土を掘っていたところ見つかったと言われていますが、そんなことはありません。元々、川から砂金が取れることで地元では有名だったのです。私は、ワグ島にいたころに、金鉱脈についての知識を得ていました。技術書を取り寄せ、試し掘りし、金の質を分析し、ただちに大規模な生産拠点を作り、鉱夫を派遣しました。鉱夫には、フバーユ島での戦いで発生した捕虜を就かせました。このことは、過酷な環境で働かせていたということで、後に大きく非難されます。捕虜に関する規定なんてものは、当時はなかったのですがね。ただ、当時の鉱山での労働が、過酷を極めるものであったことは間違いありません。大地を信仰し、魔素を愛する魔族ですら、坑道に入ることは躊躇したものです。アゾヤイ島の金山は、現在は閉鎖されています。現在、島は静かな観光地となっており、島に流れる川では砂金取りを体験することができます。かつて八十凶の魔族が進撃した森には、素晴らしい遊歩道が作られています。その中を歩いていますと、ユヌカの墓が突然現れます。敬教らしい、大きな大理石の墓です。人魔決別のころには、魔族排斥者たちの聖地とされ、魔族からは攻撃対象となっていました。墓は三度魔族に破壊され、三度修復されました。同じ森の奥、遊歩道から離れた場所には、金山採掘中に亡くなった鉱夫たちの苔むしたドルメン(支石墓)が並んでいます。私にとってはこちらの方が親しみがあります。不本意ではあったでしょうが、私の国で働き、死んでいった人たちだからです(ちなみに、アスタボス氏は、ユヌカの墓が破壊された事件に対して、魔族側を非難する声明を出したことがある。また、このとき、ユヌカの墓の修復に資金援助も行っている。)。
フバーユへの侵攻により、センタセの国庫は大いに潤いました。特に明礬については、アビナ教徒の商人が列をなして取引を持ち掛けてきました。魔族は、左手の大陸のソベニジット金貨やアンカーシャフ金貨が山のように積まれることを好みましたが、為替手形というものも使われるようになっており、これを積極的に採用することに躊躇しませんでした。両替商の天秤は、アビナ教と大地信仰、左手の大陸とセンタセ大陸とを比較し、均衡点を見出すために常に揺れ動いていました。首に大きなエメラルドをぶら下げた魔族が明礬貿易を取り仕切り、人間と一緒に高級な葡萄酒をおいしそうに飲んで見せました。貿易船はますます巨大になりました。貿易商になることが成りあがりの手段として広く認知されるようになりました。船乗りは常に不足していました。大地信仰は、農民の職業選択の自由を認めていませんでした。農民の方も、熱心な信者であれば、大地から海へと転身することに引け目を感じていました。魔族は物好きを除いて船乗りにはなりたがりませんでした。したがって、船乗りになったのはフバーユの敬教徒でした。彼らは組合のようなものを作り、存在感を示していました。ほかにも、海上輸送にかかる保険が生まれ、あっという間に商館の一角に立派なオフィスができあがりました。
町や村は栄え、子供が多く生まれつつありました。この成功が、大地信仰の正しさを証明しているように思えました。大地信仰の神である私も、大いに敬われました。敬われる理由があればいいのですが、豊作だったことを私のおかげにされるのですからうんざりします。地震が起こっても私の怒りのせいにされるのですよ。今、思い出したので言うのですが、現代の作家の中には、竜が雷を呼んだり、水生の魔族が雨を降らせたりする描写をしがちなのですが、魔族の私から言わせてもらうと意味不明です。この前、『ドコ・セモ物語』(中世の物語集。)を現代語訳した本を読んだのですが、「竜の機嫌がいいから天候に恵まれ、作物が豊作だった」とか書かれておりまして、人魔決別から随分経ったのだなと感慨深くなりました。魔族は天候に関与できません。魔王が怒って嵐を呼んだとか、人魚が高波を起こしたとか、巨人の咆哮が海を割ったとか、そんなことはできません。魔族は水が苦手なのです。『ドコ・セモ物語』も、「竜の機嫌がいいから地味がよく、豊作だった」とか、そういうふうに訳すべきです――近代に訳された『ドコ・セモ物語』はそうなっているはずです――。実際、植物の実りと魔素の濃度とは関係があると思われていた時期もありましたし、私も熱心に研究したものです。魔族は大地と関連付けるべきなのです。ただし、当然、地震は起こせませんし、火山の噴火にも関係していませんよ。金が産出したのもアスタボスのおかげだと言われると、うんざりします。当時は、そんなお世辞を言うものばかりでしたがね。
話を戻しまして、センタセは、人口が急伸し、経済が大きく発展しました。県令はますます貴族化し、世襲化し、生活は華美となる一方でした。都市内魔族の中には豪邸に住まうものも現れました。このような魔族の中には、人間の嫉妬を横目に、フバーユに進出して事業を始めるものもいました。フバーユ出身の代理人を立て、魔族であることを秘して貿易を行うということが流行しました。眠る必要のない魔族が、金の延べ棒を抱いて眠っていると、世間一般に吹聴されるようなことも起こっていました。造船業が一層盛んになり、センタセの少ない森林が伐採され、はげ山が増えました。大地信仰の思想に基づき、森林も大事にするよう王からの通達が発出されましたが、県令は全然これを遵守せず、植林もしなければ過度な伐採の監視もしませんでした。これらについては、ワグ島のバイナスコがきちんと、シンプルに記録しております。「センタセでは、賄賂を渡せば森が船になる」と。
魔王が左手の大陸に侵略しようとしていました。樹暦1322年の話です。魔族指の先端を支配していたのは、アンカーシャフ王国でした。兵力は六万人と言われています。大半が傭兵でしたが、軍を指揮する貴族の中には百戦錬磨の強者も多くいました。この兵力の多さは、農業に適した広大な平地と、そこからの生産物によって支えられた人口によってもたらされていました。大地信仰にとっては、垂涎の地であったのです。当時の王はサクホム三世。若いころは武闘派で有名な名君です。冷酷であったとも言われますが、恐れられるのも王の役割の一つです。
樹暦1322年当時、サクホム三世は、隣国との融和を図ることに専念していました。また、アンカーシャフ王国には海軍があり、長年の海賊退治により、その練度は相当のものでした。魔王軍がフバーユから左手の大陸に正面から侵攻するとなると、海上でアンカーシャフ王国の海軍と接敵することは明らかでした。アンカーシャフ王国は、魔王軍の侵攻を随分前から予想していました。大地信仰の必然的な帰結としてそうなると、実に正しく予想していたのです。フバーユの戦績についてもよく分析されていました。フバーユから逃げ延びた名士や将軍が、宗教や文化の垣根を越え、アンカーシャフ王国だけでなく、左手の大陸の各地へと流出し再登用されていました。アンカーシャフ王国では、この魔王軍の侵攻に対して取るべき戦略として、海戦が最適であるという論調が高まっていました。そしてそれはもっともなことでした。
本当は、センタセも、往来する商船を守るためにちゃんとした海軍を作り、沿岸の警備を行うべきだったのですが、それは遅れていました。海賊相手のまともな海軍ですら実現できていなかったのです。センタセ大陸は、ガエバ・ナウン王国のころから海上輸送への関心は低かったと言われています。魔族や大地信仰も陸に目を向けがちで、海上航路の重要性は知りつつも、それを直視していませんでした。商人からの要望はずっと以前からあったのですが、蔑ろになっていました。地元の有力者が小規模な自警団を自主的に組んで、小舟に粗末な弓矢を担いで乗り込み、警備に当たっているのが実状でした。センタセやフバーユの沿岸であれば、それでもまあ何とかなっていたのかもしれませんが、左手の大陸沿岸の海賊は、規模も年季も大違いでした。地元の有力者の自助努力では対応できないことは明らかでした。
海賊の相手すらまともにできないのに、アンカーシャフ王国の海軍など相手にできるわけがありません。魔王軍は、そもそも海戦を行う気がありませんでした。海の上で戦うという発想が理解できない、我慢ならないためです。現実を見ることから始めなければなりませんでした。そして、現実を直視した結果、海戦は絶対に不利であるため、全力で避けることが方針として定まりました。残念ながら魔法で敵の船は沈まないのです。それでも、海賊の対策は、きちんと行うべきという結論になりました。実際には、海賊の一部を懐柔して、公認の海賊団として傘下に治め、他の海賊を掣肘するというやり方が取られました。重人主義的には、懐柔という方法は教義に適っているのです。魔王軍の海賊として名高い、パミン・ガシャニアネは、四隻の大型船を所有し、海賊の町コニーバンサ(穏海に位置する小島にある町。どの国の支配下にもないアジールであり、多くの海賊が拠点としていたことから海賊の町と呼ばれた。)に顔が効く老獪な女海賊でした。彼女の部下にはバイナスコがおり、その者がワグ島時代の私を知っていたらしいのです。世界樹の民バイナスコも、海賊の元で働く時代となっていたのです。やはり海賊船に乗らずに海賊船を押していたのでしょうかね。ちなみに、ガシャニアネからも、アンカーシャフ王国の海軍とは正面から戦うべきではないと助言を受けていました。
魔王軍は、アンカーシャフ王国に隣接する、ドマトンという小国に目を付けました。眼点のツボの辺りです(直訳すると、「ザザ・ミナ・ウォンの辺りです」となる。前述のとおり、この世界に経穴の概念はないが、手の各部位は細かく名前分けされている。)。フバーユからは遠く、魔族指の先を迂回しなければなりませんが、この国の海軍の規模は小さく、そもそもの軍隊の規模も小さいことがわかっていました。数にすると一万人程度です。手薄でした。この国は、アンカーシャフ王国とは長期間にわたり同盟を結んでいました。ドマトンを攻めれば、アンカーシャフ王国とも戦うことになることは必至でした。
魔王軍は、センタセやフバーユから兵士を徴兵し、訓練し、五万人(凶)に膨れ上がっていました。魔族兵が人間兵を若干上回っていたと言われています。魔王軍は、フバーユを支配した直後でしたが、ここでゆっくりと腰を据えるつもりはありませんでした。左手の大陸では、魔王軍の進軍が深刻に捉えられていたのです。ディグティニやカウエナでは、軍隊相手を想定した攻撃魔法の研究が進んでいました。センタセの上空には敵国の魔物が偵察のために旋回し、フバーユの反乱分子は、魔王軍の情報を左手の大陸の諸国に売りさばくことに躊躇しませんでした。
ドマトンの王であるブイジャード三世が病死したのは樹暦1322年の夏のころです。ドマトンの王宮は、どのように相続を処理するかでヒドラ争論(ヒドラは複数の首と顔がある空想上の竜のこと。「百家争鳴」の意味。)の様相を呈していました。王の妻は既に亡く、父母も亡く、王に兄弟はいませんでした。王の長女は正妻の子であり、非常に有能でしたが病弱でした。長男も正妻の子で、家臣の評判では愚図とされていましたが、農業や物づくりを趣味とし、民衆からの評判は高い人物でした。次男は妾の子でした。カウエナに魔法を学ぶために留学した経験があり、戦の指揮官としても有能でしたが、粗暴なことで知られていました。ドマトンは熱心なアビナ教の国です(アビナ教は、均等の思想から、相続に男女差を設けない。ドマトンの場合、嫡出子、非嫡出子についても、相続の権利に差を設けていなかった。相続人は、子、兄弟、親に均等に分配される(例外はある。)。王位についても例外ではなく、相続人の数だけ国土や家臣を分割することがしばしば行われた。当然国としての力は弱体化するのだが、アビナ教はこのような不安定さ=均衡を宗教的な試練と考え、強く肯定する。相続人たちは、実状を見て、分与された財産を統合したりしなかったりした。)。また、魔王軍が今にも攻めてきそうな世情でした。民衆は、兄弟間で分与された相続財産を、長男の王位のもとに統合するよう期待しました。ここでの民衆とは、町のギルドや評議会のことです。同盟国のアンカーシャフ王国も、分割された三つの王位を長男の王位に統合するよう要望しました。アンカーシャフ王国も長きにわたってアビナ教を国教としている国です。優秀な長女ではなく、愚図な長男を支持した理由ですが、ドマトンの長女と、アンカーシャフ王国の第三王子か第四王子か忘れましたが、その王子との間に色恋沙汰があり、後の結婚というか、政略結婚というかを見越してのことだったようです。私は人間の色恋沙汰がまったくわかりませんので、ここら辺の話はできません。一方、有力な家臣団は、次男へ王位を統合することを望みました。
魔王軍は海賊に大金をはたいて、アンカーシャフ王国の海軍をドマトンとは反対方向の海域へと誘導しました。その隙に、また、敵国がお家騒動で混乱しているうちに、ドマトンへの侵攻を始めます。これが樹暦1322年の秋の話です。兵力は三万人(凶)。まずは先遣隊として空から魔族を百凶、敵国へと侵入させました。この季節の穏海の海流は、魔族指の付け根から魔族指の先端へと速い潮が流れ、指先で二股に分かれます。そのうちの一つが、指先からドマトンへと船を運ぶのです。フバーユからドマトンへは、途中までは大変ですが、海流に乗れば、それほどの日数をかけずに辿り着くことができます。
ドマトンの海軍とは、魔族指の爪の左側付近で衝突しました。ドマトンの海軍は、次男がそのすべてを相続していました。正確に言うと、分割して相続したことにして、次男へと統合したという建前をとったようです。危機を前にして柔軟に対応できたことは、敵ながら見事かと思います。ドマトンの海軍は、次男が自ら率いていました。ザザ・ミナ・ウォン海戦です。敵の船からは、魔法と火のついた矢が雨のように降り注ぎました。こちらの被害は甚大でした。魔王軍は、人間兵を多めに配置していました。敵の数倍の規模の兵力で攻めていました。「魔王軍の水練」も、海賊の指導により、それなりの動きができるようになっていました。水上歩行の魔法も、多くの魔族が習得していました。海戦に対する忌避感も、アゾヤイ島の戦い後、多少はましになっていました。魔法防御の魔法も、誇るべき性能を有していました。水上に立って、敵の船の脇腹に穴を空けることは、有効な戦術であることもわかりました。これは魔族らしい戦いであると評価されました。一応、この海戦の勝者は魔王軍とされています。しかしながら、それでも、魔王軍の被害は甚大だったのです。敵兵三千人を相手にして、こちらには五千人(凶)の死傷者が出たと言われています。この損害の原因は、左手の大陸の魔法のレベルが高かったこと。また、想定とおり、魔王軍は海戦が苦手であったためだとされています。敵の魔法は、甲板を貫いて、下方からも飛んできたと言われており、陸のように防御することが困難でした。海上では、陸のような混戦に持ち込みづらいということもありました。また、水上歩行の魔法を有効にしつつ敵と戦うことは、想像以上に難しいこともわかりました。さらに、敵兵は、水上歩行の魔法を無効化する魔法を習得済みであることがわかりました。このことは、魔王軍の海戦嫌いに拍車をかけました。戦場は、恐慌に陥ったと言われています。それでも勝てたのは、魔族側の将軍であるボウェスト・ニーヨン・ファン(ウェアキャット(猫の顔をした人型の魔族))と、人間側の将軍であるオーカー・トッスネツの尽力の賜物だったのでしょう。ファンは、沈んでいく仲間を助けるために海に飛び込み、自らも海に半分沈みつつ、火の矢を全身に浴びながら、敵船に大穴を空けたと言われています。トッスネツは、自軍の船を敵船に激突させ、人間兵を率いて真っ先に敵船へ乗船したと言われています。彼の降り下ろした刃は、次男の片耳をそぎ落としました。センタセの人間兵は盾のみにあらずと、左手の大陸に知らしめた一撃でした。まあ、彼はフバーユ出身なのですけどね。この二人(凶)は、今ではあまり有名ではありませんが、このころの魔王軍の主軸であったのですよ。お互いを名前で呼びあい、トッスネツの結婚式に、ファンは新生児をくるむスリングを大量にプレゼントしています。ものの本によると、ファンは、人間が一度に生む子供の数を猫と同じくらいだと思っていたから、たくさんスリングを贈ったのだと書かれてあるのですが、そうでないことは都市内魔族なら知っていたと思います。子孫繁栄とか、子宝に恵まれてほしいとか、そういう思いを込めて贈ったのではないでしょうか。ファンは長く生きた魔物であり、トッスネツの五代先の子孫まで交友を続けました。マウクネとは少し違いますが、人間の友人として、代々の子孫を見守る魔族は少なからずいたのです。
いい話の後には、悪い話もしましょう。魔王軍はセンタセの人魚を迫害したのですが、このころに、手のひらを返して、魔王軍への協力を打診しています。言うまでもなく、海軍を強化するためです。当然、これは断られ、協力は得られませんでした。私の大きな失策の一つであると考えます。人魚に対する差別を後世に引き継いだ、何なら強化したという意味でも、これはよくない政策でした。魔族がお互いに協力すべき時代に、離間策の温床を作ってしまったことは悔やまれます。海に対する忌避感がなかった私がすべきことは、魔族と海との和解だったはずでした。私の人魚政策については、アガン・イー先生の『魔族と/による差別』に詳しく書かれています。魔族と海の関係については、ホー・ホー・シャウ先生に『海と魔族――その感情――』という名著があります。私のこともワグ島のバイナスコのことも書かれています。人魔決別においては、人間側の排斥運動に注目が集まりがちですが、魔族間にも差別感情が強く残っていたこと、またそれを大いに利用されたことも合わせて特筆すべきことなのです。「魔族にとって、陸が連帯の場所であることの裏返しとして、海は差別が生まれる場所であった。」と、シャウ先生は述べています。そして、それは最後まで是正されなかったとも。
ドマトンとの海戦に勝利した魔王軍は、左手の大陸に上陸します。言い忘れましたが、私はこの戦いには参加していません。アンカーシャフ王国の動向の方が重要であったからです。
魔王軍は左手の大陸に上陸できない。なぜなら上陸した途端に神の怒りに触れて消し炭になるからだと言われたこともありましたが、そんなことにはなりませんでした。誰がこんなことを言ったのかも、ここでいう神が何の神なのかも、今ではもはや知りようもありませんが。
魔王軍は無事に上陸し、進軍しました。ドマトンの陸軍は、三兄弟の間で分割して相続されていました。海軍と異なり、こちらについては、当初は統合するという様子はありませんでした。この兄弟の仲は悪くなかったと言います。アビナ教の王族であれば、相続時に分割と統合の問題が必ず生じるため、兄弟は仲良くなるように育てられると言われます。本人たちが内心でどう思っているかは別として。とにかく、口を利かないくらい疎遠になるようなことは周囲がさせないのです。ただ、この兄弟については、その周囲が問題でした。ドマトンでは、権力を長男に統合すべきという勢力が優勢となっていました。長女は、少なくとも自分に統合する必要はないと考えていました。長男か次男のどちらかに統合することは吝かではなかったのですが、どちらにするかは明言しませんでした。次男は、魔王軍の脅威と家臣団の支持を前面に出し、長男に統合を迫りました。長男自身も、武勇に長けた次男に統合することに反対ではなかったのですが、アンカーシャフ王国が次男統合案に強く拒否反応を示していました。理由はよくわかっていません。過去に次男の無礼があったとか、次男の戦争の才能を恐れていたとか、前王ブイジャード三世が長男への統合を支持していたからとか、幾つかの有力説はあるのですが、よくわかりません。当時の魔王軍の諜報でもわかりませんでした。
魔王軍はほとんど抵抗のないままに、沿岸の町や村を五つ落としました。要所となっていた、攻略が困難と思われていた城も、ほぼ無抵抗で開城されました。前に、魔王軍はその堅実な兵站と大地信仰の重人主義があるため、物資の現地調達はあまり行わなかったと言いましたが、魔王軍は、ザザ・ミナ・ウォン海戦の後、この地域で略奪を行っています。このときは、ザザ・ミナ・ウォン海戦で多くの兵士が死んでいました。その意趣返しの意味合いが強かったと説明されます。魔王軍の魔族と人間の混成部隊は、人魔の間に強い紐帯を生んでいました。例えば、駐留中、魔王軍の魔族は、人間兵のために食事を作ります。魔族は疲れないからです。野営の準備も魔族がしますし、周辺の哨戒も偵察も魔族がします。魔族は眠らないからです。人間は駐留中に世話になった恩を戦場で返そうとします。意地でも味方の魔族を守り、生かそうとするのです。これが魔王軍の強さでもありました。同時に、この連帯感が敵への殺意や悪意に変わることも容易でした。激戦のあとは、周囲の村々が意味もなく荒らされました。人間が荒らすだけでなく、そうする必要のない魔族も村々を荒らすことに躊躇がなかったのです。前線の兵は、人魔どちらとも、純粋に大地信仰を信じているものが多くいました。彼らとて重人主義の意味、国策はわかっていたのです。それでも信仰よりも感情が勝り、略奪は行われました。魔王軍の略奪は、「巨人が踏み潰した骸にたむろする蠅」であると当時の詩人が歌い流布しました。国の上層部は、略奪の事実と、詩人のその歌に、実に繊細に動揺しました。フーン・パウオック先生の『魔族の感情史』は、本当なら私が書くべき本だったとすら思っているのですが、このあたりの機微を実に見事に、見てきたかのように描いております。戦争が、都市内魔族を感情の側面から完成させたと彼は言います。その後の歴史に現れる、魔族の人間らしい感情は、魔王軍の侵攻が進むにつれて、このころに顕現したのです。人間と魔族は真の仲間となり、魔族は仲間の人間が殺されて悲しみ、怒り狂い、信仰に反して大地を荒らし、死んだ人間を哀悼し、人魔はお互いを守り、敵を激しく憎悪し、上層部は自分たちの理想が歪なものとなったのを見て動揺し、困惑し、そして泣いたのです。そして重要なことですが、人と魔物は真の仲間となったのと同時に、真の敵ともなったのです。
感情史がそうであれ、魔王軍は大地信仰を国是としておりました。大地を有効に使えると自称する者たちが、村々を荒らしていては教義に反するのです。略奪は厳に控えるよう軍令が下知されました。前線の将軍たちは規律を保ち、報復を敢えて行ったものを厳罰に処しました。大地信仰は、こういうときに引用できる言葉を用意しておりません。『天秤の書』(アビナ教の聖典。都市に暮らす六人の大商人が、橋の上で商売を続けていく中で、頓悟して語った内容を子孫が文字におこして編綴したもの。人生訓、商売の心得、世界の仕組み、死、死後、神、善と悪が語られる。)であれば、兵士を鼓舞し、規律を保つような文言があるのですがね。
遅ればせながら、ドマトンはその権力を次男に統合します。妥当な結論かと思います。アンカーシャフ王国は不満を述べました。不満を述べただけで、同盟関係に影響はなかったと説明されています。次男の名前は、コズボ・ハイカーズ・クィクィオ・ドマトン。通称は片耳のクィクィオ二世。在位期間は三十三日です。
魔王軍の侵略は、乾季のころに行われました。雨は滅多に降りませんでした。素晴らしい平原が広がっていました。多くの畑は整然と麦を実らせ、丘ではたくさんの果実が育てられていました。牛や羊が野放しに飼われ、鷹が悠々と青い空を飛んでいました。道を歩けば兎が顔を出し、丸々と太った扶持鳥が水辺に群れていました。アビナ教の、線対称の、見事な教会が点在していました。村人の血色のよさは貴族のようでした。何の支障もなく行軍する魔王軍からは、「この大陸が欲しい」という歓喜の叫び声が上がり、はるか遠くの、城壁を守る敵兵の耳に届いたと言われています。多くの魔族が、左手の大地で生まれ変わりを行い、自らの毛から自分の分身を生み出しました。魔王軍は、その気になれば行軍中にも兵士が増えるのです。その気にならないのは、自分と似たような存在を生み出すことに躊躇するからです。そして、多くの魔族は、大抵その気にはならないのです。戦争ごときで自分と同じ境遇の都市内魔族を生むことは、戦後のことを考えると、おいそれとはできないものです。このときは、躊躇よりも熱狂の方が勝ったということです。生まれ変わり時に起こる狂気は、センタセやフバーユと同程度の確率で発生したと報告が上がっています。
ブナウン先生の『魔族の大地信仰の歴史』には、魔王軍にとって、「左手の大陸こそが、大地信仰の目的地、約束の地のように思えたのである。」と書かれています。確かに、左手の大陸のスケール感は、砂漠が広がるセンタセ大陸や、島のフバーユとは大きく異なっていました。今まで自分たちが育んでいた大地信仰、その施策が、この大地に鍬をふるうことでようやく始まるのだ、今までのは予行演習だったのだと、そう思わせる空間的な広がりがあったのです。
百の魔族が その膂力をもってすれば
この世のすべての土を掘り返せると自惚れたが
見渡す限りの地平線 魔族の寿命をもっても耕しきれまい
邪魔者は蹴散らし この世の果てまで踏破して
あらゆる種を植え あらゆる建物を建て あらゆる魔族を生もう
人と獣の足跡を 魔族のそれに踏み替えて
このような詩があります。いま詠んだ詩の自惚れ具合には苦笑するよりほかありません。このように歌われるくらい、このときの魔王軍は高揚していたのです。
魔王軍は蟻のように軍を進め、軍の前に現れた敵を餌のように蹴散らしました。広大な大地に戦意をいや増していた魔王軍の武威に、敵兵が恐れおののき、戦にならなかったとも言われています。大地信仰はさきほどの詩のように、覇権主義を隠さなくなりました。昔の、ノットの頃の魔族を知るものからすれば、軍に列して意気揚々と進軍する魔族の姿に唖然とさせられます。他所事のように話してしまいますが、私は、大地信仰が多くのものに信仰され、真剣に信仰されるうちに、都市内魔族の精神世界は様変わりし、魔族は戦争に好き好んで参加し、戦場で高揚し、人と獣の足跡を魔族のそれで踏み替えようと歌っていることに、言葉を失うのです。これこそが大地信仰だと、そしてこれが魔族だと、彼我が思うようになったことに失望するのです。その神、その王として表象されたのがこの私なのですが、そんなおかしな話はなかったと、今更ながらに思うのですよ。我々の信仰の中の、人間は、人間はどこに行ったのだ、と。ここのどこに世界の驚異があるのだ、と。
魔王軍が十と一つ目の主要な城を落としたころ、アンカーシャフ王国は、援軍をドマトンへと派遣しました。その数は二万。決して少なくはない数字です。ちなみに、海を挟んだフバーユでは、魔王軍の約二万五千の兵力がアンカーシャフ王国を牽制していました。アンカーシャフ王国もまた、フバーユの魔王軍――特にその海軍――を牽制していました。なぜ、魔王軍の海軍ごときを牽制していたのか。それは、魔族がザザ・ミナ・ウォン海戦でドマトンに勝利したことを受け、センタセの海軍を買いかぶっていたからです。ドマトンと魔王軍の海戦は、先ほど話しましたとおり、魔王軍の辛勝でした。それを快勝したとアンカーシャフ王国は誤認したのです。そこには魔王軍の情報操作がありました。情報操作と言いましたが、大したことはしていません。噂を流すことと、嘘の情報を掴ませることと、敵の諜報員を始末することの三つだけです。アンカーシャフ王国に潜入させたエウイーから、誰がドマトンと接触しているかの情報は入ってきていました。主要なパイプ役を複数名暗殺しました。ドマトンの紙と封蝋を取り寄せ、印章を偽装し筆跡を真似て、第三王子だか第四王子に、魔王軍の海軍が快勝したという内容の文書を送ったこともあります。ほかにも、大衆の間に、船上で槍を持って大暴れした不死王アスタボスのおぞましい武勇伝を吹聴しました。実際にはそうではなかったのですが、私が暴れた方がインパクトがあると思ったのです。魔族が海を克服したと、そのような噂が広がりました。この海戦により、「港湾ばかりにはびこる」人間は、魔王軍を必要以上に警戒するようになりました(正しくは、「港湾ばかりに人ははびこる」。人は意識しないと暮らしやすい場所ばかりに居を構えるので、もっと遍在して暮らすべきだというアビナ教のことわざ。)。
話は逸れますが、このときの人間側のトラウマは、16枝世の本、しかも子供向けの本の中に暗い影を落としています。ある有名な本には、魔王が空から降ってきて、敵の船の甲板に大穴を空け、手にした大槍を振り回し、ドマトンの兵士を花のように払い散らす姿が描写されています。甲板は血の海となり、敵兵は恐怖のあまり海へと飛び込み、溺れて死ぬのです。魔王は全身を矢で射られ、着ていた服も燃え上がり、攻撃魔法に晒され、両目から魔法の煙を燻らせつつ、それでも船から船へと飛び移り、尖り声をはり上げて、片っ端からマストを折り、船を沈めたと書かれています。魔王は海に沈んでも浮き上がり、甦り、燃え盛る波間に巨体をもたげ、傾いた船縁によじ登り、竜骨を砕き、終いには嵐を呼んで――天候を操るのはおかしいと言っているのですが――、戦場をぐしゃぐしゃにして、甲高い笑い声を上げ、竜に乗って帰っていくのです。まぁ、史実の私はこの戦いに参加していないのですけどね。この本の結末は、魔王軍が戦争に勝利し、ドマトンが滅んだところで終わります。魔族は恐ろしい、世の中は厳しい、悪者は報いを受けないことがある、そのようなことが言いたい本なのです。この手の露悪文学(児童文学のジャンルの一つ。不条理、理不尽を主題とする。)では、大抵私は悪者であり、それが私のパブリックイメージを損なっているのです。本の中には、私が人を喰う描写なんかもあったりしますし、巧妙に大地信仰と人肉食を同一視するようなことが書かれたものもあります。私を吸血鬼扱いする本もあります(吸血鬼という種族の魔族がいるわけではなく、魔族の狂気の一つとして、人の血を好んで吸う魔族のことを指す。色々な理由で人を殺す魔族は多くいるが、人を食べる魔族は魔族の本質に一切合致しないことから、けた外れの狂気と捉えられた。吸血鬼は、人間からはもちろん、魔族からも恐れられた。)。私は人なんて食べようと思ったことはありませんがね。カニバリズムなどは、食縛から逃れられない人間の発想であり、私はむしろ人に喰われてきた存在なのです。まあ、露悪文学の思想に興味はないですし、戦争で色々と殺してきたのは事実なので、私が悪者なのは別にいいのです。人類の子供の教育のお役に立てているのなら、悪い気はしません。私が許せないのは、私がやってもいない、むしろやったのは人間なのに、「アスタボスの火」と称されるようなやつです。
話を戻しましょう。魔王軍は斥候からの情報をもとに、援軍に来たアンカーシャフ王国の軍隊を先に攻撃しました。理由は、ドマトン軍に積極的に戦う意志が欠けていたためです。また、魔王軍の先遣隊がアンカーシャフ王国の偵察部隊を撃破しており、敵軍が魔王軍の居場所を見失っていたためです。魔王軍の本陣は、ドマトン軍を無視するように、その面前から方向を転換し、アンカーシャフ王国とドマトンの境目へと移動しました。
二国の間には、フォーホンガーナと呼ばれるサバンナが広がっています。数万の軍勢であれば、遠くからでも砂煙やら煙やらで簡単に位置が掴めます。奇岩が点在しているものの、大軍が身を隠せるような場所はありません。奇襲するような地形でも兵数でもありませんでした。時季は乾季。魔王軍の将軍たちは、自軍よりも数の多い敵軍と相対していました。
フォーホンガーナの戦いは、平地で両軍が正面から激突するという、搦手を攻めない緒戦を切りました。私はそこにいたわけではないので、史料をもとに話すしかないのですが、簡単に言いますと、敵の魔法も強かったけれど、魔王軍が勝ったということです。いえいえ、もう少し詳しく説明しましょう。フォーホンガーナの戦いでは、「ストイジェニコの岩」を多用しました。ハミウトンは、岩を断続的に敵陣へと降らせ、敵陣営を混乱させました。敵軍は、戦場に現れた巨大な竜そのものに混乱したとも言われています。そのアンカーシャフ王国軍は、緒戦こそ魔王軍と正面から激突しましたが、その後は後退しつつ遠距離から魔法攻撃をし続ける作戦をとりました。魔王軍を引き付けたところで、あらかじめ地面に描いておいた魔法陣を起動させて魔王軍に損害を与え、これに併せて背後から挟撃しようとしたのです。この挟撃は失敗しています。失敗した理由はよくわかりません。練度不足と言えば、そうなるでしょう。アンカーシャフ王国軍は、挟撃部隊を助けようした本体が魔王軍に正面から激突し、大きな損害を被ります。これが戦局を決定づけました。
左手の大陸では、フバーユとは異なり、自軍の被害も無視できない程度に増えていました。魔王軍の損害は四千人(凶)、敵軍の損害は一万三千人と試算されています。くわえて、この戦いの直後において、魔王軍は、敵陣営の兵站を片っ端から攻撃しております。敵の兵糧は奪うか燃やすかしました。アンカーシャフ王国の援軍の残党は、窮した挙句に同盟国のドマトンや近隣国であるタモウィスシャフ王国の町や村に略奪を行いました。この混乱により、自国には戻れず、亡くなった兵も多くいたのです。
援軍を撃破した魔王軍は、踵を返してドマトン軍を攻撃しました。アンカーシャフ王国の援軍が稼いだ時間を無為に過ごしていた敵軍は、魔王軍に大敗します。クィクィオ二世は魔王軍に戦場で捕縛されます。兄と姉は弟王の助命を願い、家臣団の反対を押し切り、国を明け渡します。魔王軍はこの歎願を高く評価し、王族は廃しましたが、その地位は高いまま、その後の統治に組み入れました。ただし、クィクィオ二世は別です。魔王軍は彼を幽閉しました。彼が厚い壁の外に出ることができたのは、その死後でした。姉はじきに父と同じ病気で亡くなります。兄は魔王軍に全面的に協力しました。降伏後も敵対する家臣を宥めすかすのが主な仕事となりました。彼が作成した、魔王の統治が人間のそれよりも優れていることを示すパンフレットが今も残っています。
ドマトンは、こうして滅びました。魔王軍は、左手の大陸に足場を得ました。クィクィオ二世の兄の尽力により、ドマトンの軍隊は魔王軍に吸収されました。とは言いましても、魔王軍とドマトンでは、その基本戦術が大きく異なるため、すぐには実戦では使用できませんでした。それでも、兵力は四万人(凶)程度に増えていました。フバーユ島に待機していた魔王軍は、二万五千人(凶)から三万人(凶)まで増員していました。
魔王軍はここで足止めされます。事態が暗転したわけではなく、様子を見た方がいい事態が起こったためです。アンカーシャフ王国とタモウィスシャフ王国が、魔王軍を前にしてお互いに争い始めました。
きっかけは、先ほど話しましたが、アンカーシャフ王国の援軍が、タモウィスシャフ王国の村落に略奪を行ったためです。タモウィスシャフ王国は、アンカーシャフ王国に四万人の大軍で攻め込みました。この二国は元々仲が悪く、以前からお互いに小競り合いを繰り返していましたが、決定的な対立は避けられていました。魔王軍の侵攻とドマトンの滅亡がその均衡を破ったのでした。魔王軍は、この二国の戦争を傍観することにし、フバーユとドマトンの内政に傾注することにしました。
この二国の仲の悪さには、色々な逸話が残っています。たとえば、アンカーシャフ王国の辺境伯と、タモウィスシャフ王国の辺境伯は、領地が近接しており、非常に仲が悪いことで有名でした。この二人は、何でもかんでも相手に対して自陣の優位性を示そうと躍起になっていました。二人の支配する町には城壁がぐるりと囲っており、その高さはどちらも大したものでした。しかし、相手より優位に立ちたいこの辺境伯たちは、大工に依頼して、さらに、城壁を相手より高くするように求めました。城壁はますます高くなり、それにしたがって厚くもなりました。辺境伯たちは、相手の城壁がますます高くなるのを見ては不愉快になり、さらにさらに、大工に対して城壁を高くするよう求めました。町の中に日の光は届かなくなり、レンガを焼くために使われた森も失われつつありました。そして遂に、一方の辺境伯の資金が尽きてしまいました。これ以上、城壁を築くことはできなくなりました。この辺境伯は、知恵を絞り、城壁の上に自分の旗を高く掲げました。そして、旗の分だけ自分の方が高いのだと、もう一方の辺境伯に宣言しました。もう一方の辺境伯は、これを聞いて嘲笑しました。「旗の高さを誇る」(つまらないことを自慢するという意味。)という諺の元となった話です。この話の顛末は、アスタボスが「ストイジェニコの岩」で両辺境伯の城壁をたたき壊し、飛竜で壁を軽々と乗り越えて侵略したことになっています。攻め入ったのは事実ですが、そんなに簡単な話ではありません。この二伯にはモデルがいます。この二伯が敵対していたのは事実ですが、魔王軍がこの地域に攻めてきたときには、お互いに協力というか、連携というか、それなりに配慮して魔王軍に対応しています。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます