二日目(1)
2 二日目
それでは始めたいと思います。始める前に、雑談を少しさせてください。私は昨日の講演が終わった後、ミュカトーニャの観光に連れていかれました。海半球に戻って仕事をするつもりでしたので、最初は乗り気ではなかったのですが、なかなか楽しませてもらいました。私がこの町に最初に来たころの面影はほとんどありませんでした。当時はまともな建物はなく、道すらなかったですから。すべてが粗末でした。粗末でなかったのは水たまりと足跡くらいでした。ですので、面影がまったくないというのが面白かったです。これは皮肉ではないですよ。この街は、とても美しいと思います。古い時代の素朴な建物が残っているかと思えば、技巧を凝らした新参者の高層建築が天を摩しております。高層建築は一部の区画に集中しており、街に広がっているのは素朴さの方です。この街では素朴さが主役であり、並木や石畳の歩道、街灯がこれを飾っております。新参者は洗練され、きっと人気もあり、立ち振る舞いも優雅ではあるものの、まだ主役を認められないハンサムな役者のようです。交通の道路も、合理性とは違うルールで引かれているようです。以前と比べれば拡幅したらしいですが、それでも渋滞が都市の問題となっているようですね。走っている車も多種多様で面白かったです。大学そのものも美しい。学部棟その他は、ミュカトーニャの魔法研究所の事務所棟をデザインしたのと同じ建築家の作品と聞きました。図書館、食堂もよかった。事務所棟は、旧首都の公会議場の意匠を意識したのでしょうか。旧首都でよく見た繊細なヴォールト天井や片持ち梁、駐車場横の門を見ると、口元が緩んでしまいます。世界樹を模したらしい、広場の巨大なノノンの木も、周囲のよく手入れされた芝生と合わさって素敵です。学生も健康的で素晴らしい。アビナ教の街らしい、多様性のある学生が、各々、ここは自分たちの街であると誇って歩いております。馬のようにオートバイを御して大学から飛び出していく、ドッウ人の女学生の何と格好いいことか。私がいたころとは何もかもが違います。
昨日の観光では、旧首都のダイザムハームへも向かいました。私は魔法で瞬間移動できるのですが、今回の講演中はそれを禁止されております。正確には、ミュカトーニャ国内のうち、空港以外での使用を禁止されております。久し振りに高速鉄道に乗りました。銀の竜号という名前の列車です。席は四人分を占めてしまいましたが、大人一人分の料金だったそうです。窓の外の景色がなかなかの速度で後方に過ぎていきまして、あれもまた観光なのだそうです。あと、事情を知らないミュカトーニャの役人が同行しておりまして、「今日はダイザムハームへ何をしにお出かけなのですか」と、能天気に聞いてきたことも面白かったです。何が面白かったかと言いますと、私がゲクーに首をはねられて、タンフーへと運ばれている最中、蛇の話はしたと思いますが、そのときに、難民の、木の帽子をかぶった、如何にも小賢しそうな子供から、ニヤニヤしながら「魔王様は、本日は何をしにタンフーへお出かけなのですか」と尋ねられたことを思い出したからです。あのときの小汚い子供が大きくなり、身なりのいい、カウエムシャギータ(紳士服のブランド名)のスーツに身を包んだ公務員となり、その者から同じことを尋ねられた気がして、面白かったのです。私は思わず、「ああ、あのときの子供か。大きくなったねえ」と言いそうになりました。昨日の講演で、世の中には変わるものと変わらないものがあると言いました。私が言う変わらないものとは、日差しの中で腰を曲げて花卉を手折る中年男性のシルエットですとか、足元の子供を意識しつつ買い物をする若い父親の、荷物を持ちながら足元に意識を向けるその雰囲気ですとか、そういうのです。かつて首をさらされ、タンフーの難民から恨みを込めて糞尿を浴びせられたとき、哀れに思い、夜半にこっそりと洗い流しに来た女性の、水の入った樽を持つ、あの肘関節の軋むような動きが、昨日の、ダイザムハーム駅前の花壇に、黄色いビニルバケツで水を雑にぶちまける、大柄な清掃婦にも変わらず残っていたのです。フバーユから船団で左手の大陸に初めて上陸したとき、港の柳の枝にとまっていた二羽の青い鳥が、ダイザムハームのアビナ教本部の前にある街路樹に、やはり二羽、変わることなくとまっていたのです。公園の鳩と同じタイミングで振り向いてしまう女性、意味もなく声を張り上げる子供と、それをたしなめる年長の子供、数百年前と変わりません。あのときの人たちかと思うくらいですし、ある意味でそれらは同じ人たちなのです。同一人物なのです。思うに、歴史に名前を残す者というのは、例外なのです。みなさんの名前が歴史に残ることはないでしょう。多くの者がそうだったように、みなさんの固有名も歴史の灰塵に飲まれ、地表に現れることもなく、跡形もなく地層の隙間に沈んで残らないでしょう。しかし、みなさんの所作、普段の行い、話したこと、その口ぶり、癖、そういうものの一部は、歴史に耐えて堆積する物事から顔を出し、後世に残るのだと思います。みなさんが街角で鼻をほじらないなら、人類の未来は街角で鼻をほじらない人々で溢れかえるでしょう。みなさんが全裸で町を歩かないなら、未来の人々もきっと服を着て町を歩くでしょう。みなさんが美しい夕暮れの空を見上げることなく、俯いて歩くなら、人類の歴史は夕暮れの美しさを忘れるかもしれません。みなさんが雲の形から明日の天気を予測しようとしないのは、あなたの父母が既にそうだったからです。人や自然の営みは、パターン化された出来事の組み合わせと反復のように思われるのです。これらは歴史学の対象とは見なされていません。ここで、だからこれらを学問の俎上にあげるべきだと言いたいわけでもありません。観光の感想を喋っているだけです。ジャックワー先生の話を持ち出しますが、アスタボスが最後まで覚えているのは、ゲクーの偉業や人魔決別などではなく、首だけとなっても生きている私を見る、人間たちの怪訝な一瞥なのかもしれません。一瞥ごときに固有名は宿りません。歴史に固有名は残りませんが、固有名以外は残るのかもしれませんね(この観光で、アスタボスは、ミュカトーニャの文部大臣や市長、首都大学の学長と会って話をしている。また、ダイザムハームでは、アビナ教の教皇と歴史的な会談を行っている。その会談の際、アスタボスは、人魔大戦時に難民を受け入れたピゴを称賛するコメントを出し、大きなニュースになったのだが、これらについては一切触れなかった。ちなみに、アスタボスのこの講演や観光について、ミュカトーニャの魔法研究所は一切の声明を出していない。七姉妹は仲が悪い。)。
昨日の続きから話をしたいと思います。私は王になりました。国名もセンタセに変わりました。樹暦1270年の話です。
国内には地方都市を中心に不満分子が多くいましたが、具体的な反乱に至ることはありませんでした。昨日も言いましたが、不老不死の王に勝てるわけがないからです。国内は平和を取り戻しました。家臣団は、大地信仰の重人主義にしたがい、人間を増やすことを国是とし、よく働きました。後世の歴史家から評価されている私の政策を言いますと、砂漠の交易網の延伸、駅伝制度の導入、農業の振興、租税負担の軽減と効率化、比較的好調な経済成長、多文化主義、大衆文化の発展、港湾整備と造船業の拡充などが概ね評価されています。一方、中央集権の徹底と県制度の強化による地方政治の機能低下、格差の拡大、敬教の軽視、粗野な官僚化、奴隷制、森林の過剰伐採と植林の軽視、水質汚染を主とした公害の放置、それに覇権主義は非難されがちな政策です。ほかにもたくさん非難されていますが、この場で反省の弁を述べても仕方がないので、私の口からは言いません。でも、公害については、当時は仕方がなかったと言わせて欲しいものです。
細かい数値は忘れましたが、センタセの人口は伸びていました。ほぼ右肩上がりと言っていいかと思います。砂漠の中に世界最大の繁栄が花開いたのです。ガエバサイに美しい宮殿が建てられました。いくつも果樹が植えられました。巨大な図書館と陣舎が併設されました。海岸には倉庫が連なり、食料が山のように積まれていました。センタセ大陸の真ん中から銅鉱山が見つかりました。後からわかりますが、膨大な埋蔵量を誇っていました。国庫は潤いました。正確な地図が作られ、不死の王の治める国としての意匠を施したうえで、大量に配布されました。最新の技術で打刻した貨幣が市場で使われるようになりました。僭主たる私の顔を打刻するようなことはもちろんしませんでした。表面には偉大なる初代王の横顔、裏面には彼の好んだ武器が打刻されました。この貨幣は他国でも流通し、偽造されるくらいには信用されました。馬やラクダやフーアプフは増えに増え、フバーユ島の対岸へ武器や食料を運びました。魔法研究のレベルも左手の大陸に追いつきつつありました。都市内魔族は、戦場に出ることを臆さないようになりました。これは大地信仰の影響です。
大地信仰と言えば、13枝世の後半には、センタセの民間にも大地信仰が知れ渡るようになり、よく信仰されるようになりました。逆に、敬教の影響力は衰えました。祖先という概念がない魔族と、祖先崇拝を行う敬教との相性はよくありませんでした。敬教が商業を軽視することも、センタセの大地信仰とそぐわないことは明らかでした。人間が祖先を敬うことをやめることはないでしょうから、大地信仰が隆盛を極める中でも敬教の普遍性は失われはしませんでした。それでも、国策としての敬教の軽視の結果、この宗教の影響力は大きく衰退しました。衰退という言い方はよくないかもしれません。相対化されました。著しく世俗化したとも言えます。
私はほとんど必然的に大地信仰上の神となりました。センタセは神権政治になり、権力の集中化が一層進みました。不死なだけの魔族がついに神を僭称したのです。私はきらびやかな服装に身を包み、宝石をぶら下げ、花のような臭いを常に漂わせ、おいそれとみんなの前に姿を見せなくなりました。私を神と称えるしょうもない儀式が年に一回行われました。うんざりしました。誤解されがちなのですが、私は自分が神ではないことはよくわかっていました。私が何度、くだらない理由で殺されたかをみんな知らないのです。熊にぶん殴られて死んだことがあるのに、みんなそれを知らないのです(ここで「ぶん殴る」と訳したバヒュタは、品のない言葉であり、その意味は、怒りに任せて殴る(ぶん殴る)、蹴る(ぶん蹴る?)、刺す(ぶっ刺す)、殺す(ぶっ殺す)、強姦する(ぶっ犯す?)などの意味がある。客席の聴衆はこの言葉のチョイスにびっくりしたとしたと思われる。魔族差別が頻繁に行われた時代、人間がこの言葉を魔族に対して使うとき、動物にぶっ犯されろという意味を強く持っていた。これは動物との同一視を嫌う魔族にとっては大いに侮辱であった。)。熊に殴り殺されたり、落石でうっかり死ぬ神なんかいるわけがないでしょう。たった四、五十年で、行政官だったころの私をみんな忘れていたのです。私に近しい者はあえて隠していたのです。神としての私は、俳優として神を演じていただけです。統治には好都合だったのかもしれませんが、不愉快なことは多々起こりました。
ガエバ・ナウン王国には、私も編纂に携わった、歴史的にも評価されている世俗法である大法典があったのですが、センタセとなってからはこれが一時的に形骸化しました。そもそも、書かれた文書が軽視される雰囲気ができあがっていたのです。なぜか。書物は過去に書かれたものであり、現在のことを想定して書かれていないからです。アスタボスは違います。必ず現在に存在します。アスタボスは、現在の状況を把握したうえで、意見を述べます。それは正しい神の言葉です。ここにおいて、現在のことを知らない書物を参照することは、道義に反すると思われるようになったのです。「書類は現在に無知である」と言われました。このフレーズは、道徳的な言葉として一般に流布していったのです。過去に定められたかび臭い大法典など無用の長物であり、アスタボスの、今、ここでの発話こそが絶対視されたのです。滑稽なことに、アスタボスが過去に述べたことすら、道義に反すると言われました。過去に私がウィー(葉脈文字ワーの最初の文字)と言っていたとしても、現在の私がオーン(葉脈文字ワーの二番目の文字)と言えば、オーンなのです。ワグ島で石板に文字を刻み続けた私の作った国が、このようなことを大真面目に主張し始めたのですから、たまったものではありません。センタセの恥です。書物の軽視は、私の半生から見ても、センタセの官僚主義から見ても、看過できることではありませんでした。ただ、ロジックが実にもっともであったため、あと、法の逸脱を正統化できるため、沈静化するまで時間がかかりました。現在の私が止めろと言っても、未来の私がどう判断するかはわからないと都合よく解釈するものは後を立たなかったのです。こんなことってありますか。私は神ではなかったのですか。官僚、長官、将軍、代理裁判官等の言葉は、王にして神たるアスタボスの言葉である、という謎の代理説が生まれていました。これは厄介でした。そんな受任などしていないのです。彼らは文書に基づいて仕事をするべきなのですが、勘違いした一部の権力者が、私の現前した言葉として個人的な言葉を吐き、慣習とも法令とも契約とも異なる判断を下していたのです。ある県の役人は、個人的な思惑から、アビナ教徒のある商人一名に対して、不正行為があったとして荷と貨幣の全没収を命じました。アビナ教の商人ギルドは、報復措置として、交易を無期限に停止しました。実際、役人の判断は大間違いであったのです。昔から、そのような、役人の気まぐれで資産を没収されることは起こっており、また、その報復措置も起こっており、お互いに痛い目を見たから、お互いに特別な契約を結んでいたのですが。この件は、私が介入して、没収した金銭、物品に加えて利子、和解金を支払うことで手が打たれました。二年ほどかかったと思いますが、これでも早い解決でした。私の言葉として敬教の神殿を焼いた者もいました。後世の歴史家の中には、本当に私が放火を指示したと主張する者もいます。私が数日前に彼女と同席したことだけを根拠にそんなことを言っているのですから、勘弁してほしいものです。
ともあれ、歴史的に見れば混乱は部分的でした。この騒動は、現代では、一般的な新興宗教が、自分の属する共同体の正統性を軽んずるのと同じだと説明されることがありますし、初期の官僚制度の腐敗の一形態と説明されることもあります。不正を行うにも言い訳が必要なのですね。
ともかく、私が文書主義を徹底し、場合によっては家臣団を厳しく処罰することで、この発話主義は徐々に是正されるに至りました。それでも結局、発話主義による恣意的な行政は、完全にはなくならなかったというのが私の感想であり、歴史学の見解です。他国と比べて、センタセでは文書主義が徹底されたということもなかったようです。初期のセンタセは、家産官僚制だったと言われたりもします――私はそうは思わないのですが――。
ちなみに、是正に際して、大地信仰の経典も創作したのですが、これはまったく普及しませんでした。専門家からは、「稚拙な新興宗教が作った聖書のようである」と酷評されています。偽典と言われたこともありますし、何なら作った当初から偽物と言われていたのですが、私が作りましたと正直に証言したため、今では偽典と主張する学者はいません。アスタボスを大地信仰の始祖神とする、歴史的な背景も何もない、思想的な深さも神話的な魅力も何もない代物です。ご都合主義で神と言い出しただけで、作った本人たちも信じていないことを急ごしらえで作った本ですので、稚拙との評は否定のしようがありません。箔をつけるために古めかしい言葉を使っており、しかもそれがいくつも間違っており、恥ずかしいことこの上ないです。私がもっとちゃんと監修していれば、古語の誤記くらいは防げていたのですが。この大地信仰の経典は、一般書としては流通していません。できれば歴史から消え去ってくれればよかったのですがね。ケネ・アクシャ・ブナウン先生の『魔族の大地信仰の歴史』の中に、全文が掲載されています。過去の恥を晒すようですが、これも学問のためですので、紹介しておきます。是非、手に取ってご覧ください。
ちなみに、このインチキ経典が普及しなかったおかげもあり、と言うべきなのか、大法典は復権しました。大地信仰には、「生きた本」としてのアスタボス以外に聖典はなく、その私が大法典に依れと言い続けたからです。センタセは、その大部分の時期を世俗法が治める国となりました。その統治の完成度については諸説ありますし、神たるアスタボスが関与した法を世俗法と言えるのかという論点はありますがね。
さて、13枝世の末には、ユスト派の初期のメンバーは、病死や寿命や暗殺、生まれ変わりの失敗や引退などで、私以外に誰もいなくなっていました。魔族も病気のようなものになるのですよ。私のもとには、のちのフバーユ侵攻及び左手の大陸への侵攻の際に、優秀な働きをする新たな家臣団が形成されつつありました。魔王アスタボスの配下として有名な連中が、歴史の舞台に現れ始めるのです。魔王軍に英雄はいないと言われていますが、優秀な家臣は綺羅星のごとくいたのです。彼らとの思い出を語ると、時間がいくらあっても足りません。ここでは、有名な三、四人(凶)の家臣について話していきましょう。
まず、スライムの王アテドー。どこでいつ生まれたかは知りません。地方の役人が、優秀な魔物を見つけたとかで推挙したのが始まりだったと記憶しています。私が最初に会った時には、ビヒンシタ語を話していました。スライムはみなさん知ってますよね。ゲル状の、目も口も何もない、アメーバのような魔物です。多くのスライムはトッテム(スイカくらいの大きさの丸い芋。)よりも小さく、体重も重くはありません。都市内魔族として知られるスライムはほとんどいません。口も耳もないため言葉がわからず、知能が種として低いからです。多くのスライムは無害です。踏んで転ぶとか、畑を通過されて、少しの間だけ作物に粘液がついて嫌な気持になるくらいです。雨乞いのときに、生贄としてスライムを殺す地方もありましたね。スライムの中には、『ゲクー旅団記』にもありますが、大きなスライムがいて、家畜や作物を飲み込んでしまうものがいますが、これは例外です。アテドーもその例外で、巨大なスライムでした。巨大なだけでなく、膨大な魔力をゲル状の体にため込んでいました。私が出会った魔物の中で、最も魔力を保持していたのがアテドーです。魔法が進歩した近代の、鍛えに鍛えた魔族の魔法使いでも、あれほどの魔力の持ち主はいませんでした。スライムは知能の低い魔族ですが、アテドーは、そのあり余る魔力によって、目の水晶体のようなものを自力で作り、発話するための器官を自力で作り、音を感じ取る器官を自力で作っていました。本来なら芥子粒のように小さい脳のようなものも、魔力によって拡張していました。アテドーは、魔力で作った巻貝のようなものを魔力で常に宙に浮かべ、その中に入っていました。攻撃魔法は得意ではありませんでした――というより、好きではなかったのでしょう――が、体を固くしたり、水に浮いたり、魔素を携帯したりする魔法は得意でした。携帯する魔素は、その後、数百年に渡って戦場や冒険において多くの魔族を守りました。アテドーは、魔法を独学で、というよりは直感で学んでいたように思えます。魔素の法則性のような、何か規則のようなものが見えていたのだと思います。センタセにおいて、魔法の研究をさせてみたら、蝙蝠が夜を飛ぶようにして魔法の理論に精通しました。アテドーにより、センタセ軍が使用する魔法の効果範囲は、二十倍以上に広がりました。しかも魔力のコストを大幅に抑えることもできました。魔法を使用する際の魔力のコストを抑える研究については、アテドーが断トツでした。アテドーは、話すことはできましたが魔力の消費が激しいため、基本的には無口でした。魔法以外に興味はなく、ほかの魔族との交遊もなかったと思います。私に対しても素っ気ないものでした。ただ、感情によって体の色を変える魔法を使っていました。怒っていると赤くなったりするのです。そのような魔法を使っているということは、コミュニケーションを取ろうという意志はあったのだと思います。実際、後で話しますが、人間と協力して困難なミッションを達成したこともあったのです。アテドーがどこでいつ死んだのかはわかりません。樹暦1440年ころまで生きていた記録が残っています。人魔大戦のときは、戦場に出ていません。ガエバサイにいたはずです。
次に、ナブイオシュを紹介します。魔王を護衛する、七つの武器を巧みに操る全身鎧の魔族です。種族はウィオモンと呼ばれる気体の魔族です。気体が鎧の中に入って動かしているのです。ナブイオシュの場合は、真っ黒な気体でした。あと、ウィオモンは、普通は気体の状態で漂うことを好みます。鎧の中に常時入るなんてことはしません。ナブイオシュとは、私が地方を巡回中、海岸の洞窟に作られた檻の中に捕らわれているのを見つけたのが最初の出会いでした。その檻は、おそらく、その地方の海賊が作ったものでした。ナブイオシュは出会った時から暴れ者で、というか狂っていまして、戯れに檻から解き放った途端、私は転がっていた錆びた剣で脳天を砕かれました。私でなければ死んでいました。有名な話かもしれませんが、ナブイオシュは、七凶のウィオモンが一体となった魔族、あるいは七重人格の一凶の魔族と言われています。昔は前者だと思っていましたが、今の私は後者だと思っています。ナブイオシュは、情緒が不安定で、言うことがころころと変わります。使用する武器も、剣、大剣、槍、斧、弓、杖、それに素手と変わります。魔法は杖を持った時だけ好んで使用します。詠唱の方法からして、ヒンデム地方にいたことがわかっています。時によって、声質も喋り方も笑い方も歩き方も変わります。癖も性格も変わります。何がスイッチで変わるのかはわかりません。ときどき、鎧の中で、誰かと誰かが口喧嘩をしているようでもありました。言葉はちゃんと話せるため、しかもタイベン語もビヒンシタ語もウェムセン語も話せたため、おそらく、都市内魔族であったところ、生まれ変わりに著しく失敗してあのようになったのだと思います。ナブイオシュは、魔王軍で最も腕っぷしが強い魔族でした。魔法は凡庸でしたが、武器で戦わせるとでたらめな強さでした。ナブイオシュに任せれば、小さな城の一つくらいなら単独で落とせたでしょう。性格には難しかありませんでしたが、戦場では活躍しました。活躍したので、狂った魔物としては例外的に、処分されることはありませんでした。私のことも、最初こそ殺されましたが、死なないのはすごいと思われたのか、それなりに尊重してくれていたと思います。軍を率いることは無理だったため、私の護衛という形で、戦場に居場所を作りました。彼の最期は有名ですね。戦場で、ゲクーの相棒のエーコホープ(ゲクーと共に旅をし、共に戦った銀色のウェアウルフ。ゲクーの旅の相棒であり、副団長のような役割を果たした。旅団の中で唯一、ゲクーと一緒に人魔大戦に参加した。)との一騎打ちです。私も横目に見ていましたが、まさかナブイオシュが負けるとは、あれに勝てる魔族がいるとは、しかも敵側に、あのタイミングでいるとは思いませんでした。おそらく後日には話すことになるのでしょうが、私とゲクーが戦場で接敵したときには、魔王軍は既に瓦解していたのですよ。
マーメが魔王軍を砕き
エンオーが魔王までの道を作り
ピゴが魔王の動きを止め
ゲクーが魔王の首をはねた
と、人魔大戦を簡単に述べた寸言がありますが、これは省略しすぎではありますが、そのとおりで、一行目で魔王軍は砕かれていたのです。私は壊滅した自軍の中で自ら囮となり、ゲクーに倒されたのです。ナブイオシュが生きていれば、歴史は大きく変わったでしょう。ちなみに、先ほどの寸言は、エーコホープの活躍に触れていてもよかったのにと思います。エーコホープを軽んじた『勇者ゲクーの冒険』がよくないのです。
次に、ギシナテ・フォモボイを紹介します。魔王に忠誠を誓った悪しき人間と呼ばれています。確かに善人とは言えません。スリ、窃盗の常習犯です。元々は貧しい農家の出身です。若いころに傭兵として働き、略奪した金で管理官を買収し(農民は移動の自由が認められていなかったのを、賄賂で認めさせたということ。)、都市の片隅に住みつき、犯罪に手を染めて生きていたと言われています。彼は何度か投獄されてもいます。記録だけでも六回でしたか(九回)。そんな男がどうして魔王軍の重臣になったかと言いますと、何のことはないのです。フォモボイは金で地位を買ったのです。金を払い、宮廷の、内務省の末端組織に地位を得たのです。フォモボイは、そこで上司の覚えがめでたくなるほど成果を出しました。本人は、昔から何でも卒なくこなせると自負しておりましたが、まさにそのとおりで、とんとん拍子に出世しました。そして、彼が願っていたとおり、大金が、労働の対価としての大金が転がり込んできたのです。フォモボイは一層頑張り、そしてついに、アスタボスの権勢が最高潮の時に、軍の兵站を行う部署の、それなりの地位に就いたのです。彼は優秀でした。当時の戦争で、現地調達――つまり略奪です――に依存せず、兵站を殊更に重視するというのは、驚くべきことなのですよ。別に今でいう人道的な見地からそうしていたわけではなく、大地信仰からの帰結で、戦場とはいえ大地を荒らすな、村や畑を荒らすな、非戦闘員や畑の食料に手を出すな、という宗教上の理由があっただけの話なのです。もっとも、この建前は必ずしも守られませんでしたし、その結果、悲惨なことも動揺することもあったのですが、それでも、他の人間の軍隊よりも略奪の頻度や規模は少なかったのです。元々魔族の軍隊の兵站管理は、人間のそれと比べると楽なのです。魔族だけの軍隊であれば、必要物資はずっと少なくて済むからです。とは言え、実際は、魔王軍は魔族だけの軍隊ではありませんでしたし、魔族の服、武器とかも消耗品であり、必要とされていましたので、兵站が軽視されることはありませんでした。人魔半々の軍隊が、過去に前例がない規模で進軍していたのですから、苦労もあっただろうと言うべきかもしれません。彼の部署はよくこれを成し遂げました。彼が真面目だったのは、そこそこ高い地位にあったのに、ちゃんと前線まで視察に来たことです。自分の仕事を確認し、今後の仕事のために実地を熟知しておこうという意志が感じられました。フォモボイは、駐屯している魔王軍の中を駆け回り、移動している魔王軍に追従しました。輸送ルートの確保や、水質の確認、糧秣となる自生植物の調査、気候、毒性の動植物の調査、中継地点になりそうな箇所の地形調査を行っていたのです。まぁ、別の部署も似たようなことをやっていたのですがね。ともかく、彼は行軍中の私のそばにもよくついてきました。そして、後方支援に注力していればいいものを、頑張りすぎたため、前線に出すぎてしまい、運も悪かったため魔王軍の敗走時に逃げ遅れ、敵に捕まってしまいました。そこで、魔王に協力する人間の裏切り者、魔王の腰巾着と見なされ、特筆されてしまったのです。彼が目立つだけで、私に味方をした人間は、それこそ兵士を中心に幾らでもいたのですけどね。彼は捕虜となって、魔王軍の情報を洗いざらい吐きました。聞かれてもいないことまで話しています。それが敵の気に入られずに、結局は殺されてしまいます。彼の家族は、そんなことは知りませんから、捕虜返還のため、フォモボイがそれまでに貯めに貯めた金を差し出そうとしました。ある詐欺師がこれに目をつけて、不幸なフォモボイの家族から大金を騙し取りました。センタセはその詐術を見抜いていましたが、フォモボイが裏切ったことも知っていましたので、裏切り者の家族のため、積極的に何かをすることはしませんでした。軍の大敗とアスタボスの奪還でそれどころではなかったということもあります。ただ、それでも、彼の同僚たちは、本来の仕事の傍ら、この詐欺師を追跡し、捕縛し、全額ではないのですが金を取り返しました。そして、フォモボイの家族のもとへ、取り返した金を返したのです。悪いことをしても、裏切っても、まじめに働いたという事実が残っていれば救われるかもね、というお話です。フォモボイは特段大成した人物ではないのですが、その半生とこの美談が有名で、知名度が高くなっている印象を受けます。特に魔王の寵愛を受けていたとか、おべっかでのし上がっただけの人物とか、そんなことは全然ないのですよ。こんなことで歴史に名を残してしまうこともあるのです。碌なものではありませんね。
次に、エウイーについて話しましょう。エウイーは、魔物の種族の名前です。見た目はトカゲですが、人語を解しますし、話せます。センタセの固有の魔族でして、左手の大陸にはいません。エウイーは見た目だけでなく、動きもトカゲそっくりです。壁に貼りついていれば、トカゲなのかエウイーなのかはわかりません。なぜ、ここでエウイーのことを紹介するかといいますと、この魔族が、魔王軍にとっての優秀なスパイだったからです。私はワグ島に長くいましたので、情報というものの重要さをよくわかっていたつもりでした。「中身を確認せずに覆われたものを殴ろうとするな」とは、大昔のどの兵法書にも書かれてあることです。魔王軍は、侵攻先の敵国へ、必ず、数十匹のエウイーを送り込むことをしていました。エウイーは、王宮の壁や軍陣の幕や王の寝室や牢獄の天井に貼りついて、話し言葉を盗み聞き、書き言葉を盗み見たのです。これは最後まで気づかれることはありませんでした。最後というのは、私が首をはねられるまでということです。つまり、一貫して、敵陣営の情報は、魔王軍に筒抜けだったのです。それなのに魔王軍は敗れたのだということもできますがね。魔王退治のため、教皇ピゴが石化の魔法を自ら習得したうえで戦場に出向き、ゲクーという商人がピゴを警護するという作戦も、我々には筒抜けだったのです。エンオーが自分の子飼いの兵を引き連れていること、逆に言えば子飼いの兵しか連れてきていないこともわかっていました。また、名前はわかりませんでしたが、優秀な魔法使いがパウハム王国からやって来て、ミュカトーニャに協力することもわかっていました。その魔法使いの力量を把握していなかったのが、人魔大戦の決定的な敗因となりました。
最後にドラゴンを紹介しましょう。魔王の竜、湖の竜、古の竜のハミウトンは、フバーユ島のオズノスス湖の出身です。長く生きた巨大な竜で、フバーユの敬教徒が使っていた、古い言葉を話しました。ハミウトンは、使っていた魔法こそ古くて役に立たないものばかりでしたが、単純に力がありました。首を振れば山が欠け、尾を降ろせば城壁が裂けました。矢を通さぬ固い鱗を持ち、その咆哮は七つ先の山の向こうにまで届きました。思慮深く、空を飛び、誇り高い、典型的な竜です。本によっては、アスタボスの空飛ぶ乗り物として扱われていますが、とんでもないことです。実際、移動に使ったこともありましたが、乗り物扱いすると怒られます。竜という魔族は気高いのです。ハミウトンとの出会いは、この後に話す予定のフバーユ島侵攻時です。有名な、オズノスス湖の巨大な三凶の魔物のうちの一凶でした。魔王軍に入った経緯は、オズノスス湖の巨大な三凶の魔物のうちの一凶を魔王軍が倒し、残りの一凶を手懐け、オズノスス湖に平穏をもたらしたからです。ここら辺の話は後で話すでしょう。
巨大な魔物というのは、強いですし、戦場では映えるのですが、実戦ではそこまででもありません。敵は魔物と見るや剣や弓を捨てて魔法で攻撃してきます。人程度の膂力で振るわれた武器では、魔物に致命傷は与えられないからです。矢の代わりに魔法が飛んでくるのです。巨大な魔物はいい的になります。強力な魔法なら一撃くらっただけで致命傷を負いますが、我彼の魔法の技術に差がなければ、ある程度の被弾回数であれば耐えることができます。たとえば、竜なら魔法百発は耐えられるとしましょう。そして、戦争は数ですので、百発の魔法なら数秒で飛んできます。飛んでくると、的が大きいので、そのうちの多くが命中します。ただし、味方も仲間を守るため、常時回復魔法を使い続けます。こうすることで百発くらってすぐ終わりにはさせません。敵の攻撃をくらいつつ、味方から回復魔法等の支援を受けつつ、痛みを我慢しつつ敵陣営に近づいて、魔物の持つ破壊力で敵を攻撃するというのが当時のセンタセの戦争のやり方です。以上を踏まえて、竜がなぜ実戦でそこまで使えないか、みなさん、わかるでしょうか。竜の体表面積は、人サイズの魔族の少なくとも五十倍はあります。本当はもっとあるでしょう。なぜ、体表面積の話をしたかと言いますと、攻撃魔法というのは、的に当たった後に大気中に細かくなって飛散します。その飛散した粒子にも、魔物を傷つける能力が残っています。攻撃魔法が飛び交う戦場では、敵側正面だけでなく、飛散した魔法の粒子が四方八方から魔物の表面をじわじわと削るのです。ですので、ここで体表面積の話をしているのです。竜は、一般的な魔物より広い被弾面積を持っています。これは当然、戦場では不利です。そして、竜の魔力ですが、これは訓練によって大きく変わるのですが、人サイズの魔族と比べて、五十倍以上あることはまずありません。多く見積もっても二十倍くらいです。何なら一を下回ることだってあるでしょう。つまり、的は大きいのに、魔力は的に比例して大きいわけではないのです。魔力を攻撃魔法によって奪われると、魔族は死にます。魔族にもよりますが、七割奪われるとまず死にます。人にとっての血のようなものです。一気に魔力を奪われると、死ぬ間際の生まれ変わりの魔法すら使わせてもらえません。つまり、竜一凶を戦場に配置するよりは、人サイズの魔物を五十凶配置する方が、軍全体の魔力の総量は大きいのです。また、空を飛ばれると、回復魔法の管理が複雑になります。通常であれば、低い位置で回復魔法を散らしていれば、これも粒子となって大気中に飛散しますので、おおよそ自分たちのいる範囲内の魔族の魔力を回復し、傷を癒すことができるのです。高所に陣取られると、そのためだけに回復魔法を高いところに飛ばさなければなりません。飛び回られるとまず命中させるのが大変ですし、届くまでに時差が生じますし、飛散した粒子のおこぼれにもあずかれませんので、効率的な戦争ができなくなります。ちなみに、命中率や時差や飛散した魔法の粒子を受けにくいことは、敵からの攻撃魔法にもあてはまるので、高速で、奇襲のようなかたちで空から接敵し、攻撃後にすぐに離脱するのは悪くありません。籠城して油断している相手に夜襲を行い、城壁を破る作戦は効果的です。問題は、当時はすぐに離脱できる方法がなかったということです。多くの魔族は物理的に飛んでいるわけではないので(魔法で飛んでいるので)、鳥のように簡単に飛び立つことはできないのです。また、敵陣に空から奇襲を行って、離脱する前に動きを止める魔法や、動きを遅くする魔法をくらうと、逃げきれないままに攻撃され、簡単に死んでしまいます。以上から、竜の力が強いのは確かにそうなのですが、運用には消極的にならざるを得ないのです。使い道としては、移動用・輸送用か、敵の的として使うより用途がありません。近づければ、簡単に城壁を壊せて楽なのですが。ハミウトンの最期は、マーメの魔法の直撃をくらっての即死でした。今でも思い出しますが、劇的でした。それまでに散々やられていたのですが、戦場の流れが決定的に敵側に傾きました。魔法技術に差があると、偉大な、古の、誇り高き竜ですら、弾除けにもならないということです。
竜の運用でアスタボスが行ったことで有名なものに、上空から敵陣に岩を落とすというのがあります。敵の攻撃魔法も届かないような高度から、どこかから切り出した岩を投下して、敵陣を攻撃するというものです。命中率は低く、これで敵兵が致命的に大勢死ぬことはありませんでした。敵の城や街に上手いこと岩を落として、敵の施設を破壊し、戦意を削ぐのがせいぜいでした。この方法は、敵からは卑怯だと罵られ、味方からは効果がない、岩を切り出す人員として兵を奪われる、岩を持って飛ぶのは危ない、高いところを飛ぶのは魔素が薄くて辛いなどと苦情が出て、それほど実行していません(嘘である。後に話されるが、多くの戦場において、数百回は実施していると思われる。)。この話で私が困っているのは、そうだ、思い出しました、せっかくの機会ですのでこの場を借りてお話ししたいのですが、20枝世以降、人同士の戦争において、爆撃機が市街地へ空襲することを指して、「アスタボスの火」と呼ぶケースがあるのですが、これは止めていただきたいのです(焼夷弾等による空襲を「アスタボスの火」と呼ぶことがある。樹暦1970年代のマシアニ-カプクズナ戦争における、マシアニ側による焼夷弾による空襲について、爆撃を受けた地元の新聞記事で用いられたのが公には初出。)。私には関係ないからです。みなさん、無反省、無批判に私の名前を使わないでいただきたい。人同士の、人種間の、石油資源争いの戦争の、石油燃料で飛ぶ戦闘機の、科学技術の産物の爆弾の、私が訪ねたこともない街の、被害に対して、私の名前を使うというのがどうかしているのです。誰ですか最初に使いだしたのは(公の初出は前述のとおり。当時のカプクズナの郵便配達員の日記に、「昨日の空襲のことをみんながアスタボスの火と呼んでいる。手の届かない高所から爆弾を落とす卑怯な、魔王的なやり方だと不平を述べている。」といったような文章が残っており、記録としてはこれが最も早い。ほかにも作家の日記の中に同様の言及がある。新聞記者が言い出したというより、民間で自然発生した言葉と思われる。)。私に関係のない戦争で、私の名前が使われるのなら、私だって、人魔大戦における魔王軍の岩の投下作戦を、今日のこの場だけでも、「ストイジェニコの岩」と呼んでやります。ストイジェニコはご存じですか。マシアニの大統領、アフコン・クウナ・ストイジェニコです。私は彼に会ったこともないのですし、彼が空襲を支持していたかも知りませんがね。これで理不尽さがわかっていただけるでしょう。
さて、さて、冗談はさておき、フバーユ侵攻について話をしたいと思います。センタセは長きにわたって平和を享受し、力をため込みました。そして樹暦1317年、満を持して、フバーユ島の対岸のダオミシュに集結します。その数四万人(凶)。人間と魔族が二万ずつです。センタセ大陸はかつてないほど栄えていました。物資はあり余っていると思うには十分でした。不死の王、史上類を見ない人と魔族の混合軍、十分な武器、糧秣、食料、金、そして改良に改良を重ねた盾、左手の大陸と遜色のない魔法技術、浜を埋めるほど敷き詰められた舟、武器、旗。目的はフバーユ島全土の掌握。敵はフバーユ島の中小諸邦。対岸の都市国家は既に降伏していましたので、海上戦を行うことなく上陸可能でした。海を嫌がる魔物を無理やり舟に乗せるのが一番大変だったくらいです。
気持ちとしては、戦争をしに向かうのではなく、軍の威勢によって諸邦が降伏することを目論んでいました。大地信仰としては、人を無碍に殺すことは避けたかったからです。色々あったのですが、フバーユの侵攻は結果としてとてもスムーズに行きました。フバーユ島とその周囲の島を掌握したのは、樹暦1321年です。そして、フバーユの反対側の対岸、左手の大陸の魔族指の先端に魔王アスタボスが上陸したのは、樹暦1322年です。この年にゲクーの父親(カフ・シャイナウ)が生まれています。中指の基節の位置、なぞり指の側、旅人が交差し、やがてゲクーの生誕地として有名になるハンダンシアの町での話です(この世界でも中指と小指はそう呼ばれる。人差し指はなぞり指と呼ぶ。巻物を用いて魔法を習得するとき、巻物に書かれた魔法文字を指でなぞるのだが、その際にこの指を使用するためと言われている。ちなみに薬指は膨れ指と呼ぶ。半島の形が、中節から末節にかけて膨れているからである。)。
フバーユ島に上陸後、魔王軍は速やかに進軍しました。十一の諸邦が戦わずに降伏し、島内最大の港町であるケズジャッカもほとんど無抵抗のまま占領できました。この港町を支配下に置いたことにより、センタセの海のルートは大部分が確保されました。ほかにも、絹の生産地として有名だったアーモン、茶の生産地として有名だったコイネスエを傘下に加えました。大地信仰が夢見る肥沃な土地はまだありませんでしたが、士気は大きく上がりました。コイネスエ産の蜂蜜のような香りのするお茶は、魔族も好んでいたのですよ。
島内で最大の勢力を誇っていたペキシ王国は、軍事同盟を結んでいた近隣の七か国と連合を組んで、魔王軍と対峙しました。これが、私の軍隊が、他国の本格的な軍勢と矛を交えた最初の戦争となります。ものの本によれば、ペキシ連合軍は四千人程度だったとされていますが、もっと兵数は多かった――一万人くらいではないか――と、私としては思っています。戦場地は、オズノスス湖よりセンタセ大陸側、ペイヌートの森。森を流れるセドーア川はオズノスス湖へと注いでおり、川の近くの高台に、敵の本陣であるペキシ・マギ城がありました。森は小高い丘に囲まれており、沼沢地が広がっていました。しかも天候は雨。人間にとっても、魔族にとっても悪いコンディションでした。森を囲む丘からは水が流れ込み、森全体が水たまりのようになっていました。
魔王軍は、フバーユの諸邦と比較して、国力、兵力、武器、魔法に差があることをわかっていました。もちろん、魔王軍の方が優秀だったのです。しかし、これは慢心していたのですが、天候や地形などは考慮していませんでした。敵側は敵側で、国力に差があることはやはりわかっていました。それを踏まえて勝率を上げるため、天候と地形を自軍有利とするように、雨の降るこの日に、数日前から、魔王軍をペイヌートの森に誘導していたのです。ものの本では、そのように説明されています。ペキシ軍も、魔族が主力となっている軍隊との戦争は初めてだったでしょう。わからないことの方が多かったでしょう。しかし、数が多かろうと、魔族が水に弱いことは周知の事実でした。大雨の中の沼沢地であれば、魔素の濃度は通常よりも薄くなります。魔素が薄くなれば魔族にとって有利なことは何もありません。また、森が迫っていれば、伏兵を置くことも可能です。しかも大軍を敷くには狭い土地でしたので、魔王軍の数の優位も抑え込めるという見込みがあったのでしょう。
魔王軍は、雨で視界の悪い中ではありますが、空を飛べる魔物を使って、上空から戦場を偵察していました。上空からの偵察は、ある程度の規模の軍隊であれば、11枝世には既に行われていたことでした。軍隊よりはるかに規模の小さいゲクー旅団でも、団員のウェアバード(鳥の顔をした人型の魔物)や鳥人(人間の姿をしているが、背中に羽がある魔物)が偵察、斥候を行っていたくらいです。しかし、ペキシ軍はそれをしていませんでした。ハミウトンを除いて、空を飛ぶことができる、知的な魔族がフバーユ島に常在していなかったためだと説明されます。ペキシ・マギ城には、数台の投石器が設置され、魔王軍を下敷きにするつもりの石も用意されていることがわかりました。空から見えた敵の数は、想定よりもずっと少ないことがわかりました。物資の保管場所も隠されていることがわかりました。つまり、空から偵察をされることくらい、相手はわかっていたのです。
魔王軍の本陣は、ペイヌートの森のはるか後方に陣取りました。また、軍を三つに分け、左右の丘を超えるルートと、森を突っ切るルートで侵攻することとしました。大軍を一度に進めるには隘路しかなく、危険だと判断したからです。森の中に伏兵がいることは明らかでした。ペキシ・マギ城を素通りすることは、リスクがあるように思われました。魔王軍は、偵察の情報にしたがって、ペキシ・マギ城まで歩を進めるしかありませんでした。
魔王軍の部隊について説明します。センタセの盾として有名ですが、魔王軍は、盾を持つ人間と、武器を持つ魔族のユニットで構成されています。繰り返しになりますが、人間と魔族が正面からぶつかった場合、力に差があるため、魔族が必ず勝ちます。重火器のない中世時代ならなおさらです。だから戦場においては、いかに魔族のユニットを敵陣に近づけるかが重要となります。敵側も近づかれたら勝てないことはわかっていますから、近づく前に魔法で迎撃します。これを正面からくらい続けると、さすがの魔族でも戦い続けることはできませんので、対策が必要となります。対策の一つが、人間の盾です。人間は訓練により魔力を持つことができます。そして、魔族と異なり、魔力を失っても生きていけます。であれば、戦場で魔族の前に立ち、敵陣営から飛んでくる攻撃魔法を体で受け止め、後衛の魔族を守るという戦術を取ることができます。攻撃魔法は、人間が有する魔力も削るため、このような戦術が可能なのです。戦場では魔法だけでなく弓や石も飛んできます。ごくまれに騎馬隊も突っ込んできますので、人間には立派な盾を支給しました。さらに、兵士各人に回復魔法及び魔法防御の魔法を覚えさせました。これにより、魔王軍には、二つの役割分担が生まれました。前衛の人間兵は、魔法防御の魔法を使用し、集団で盾を構えて敵陣へと歩み寄り、敵陣営からの矢や魔法攻撃をその身と盾で受け、前進しながら回復魔法を散らします。後衛の魔族兵は、十分に接敵するまで人間兵の後ろに潜み、接敵後はその力で敵を蹂躙します。これです。また、敵が高所にいる場合は、攻撃魔法が角度をつけて飛んできます。攻撃魔法は、前衛の人間兵の頭上を越えて後衛の魔族に届いてしまいます。この場合は、人間兵と魔族を混在させて進軍させます。これにより攻撃魔法の的を散らし、回復魔法の密度というか即効性を上げるのです。
接敵すれば敵の魔法は無視していいのか、と思われるかもしれませんが、もちろんそんなことはありません。ただ、お互いの距離が近い場合、敵の攻撃魔法は敵自身の魔力も――敵味方の死体の有する魔力も含めて――削るため、混戦になればなったで、魔族にはさほど不利にならないのです。もちろん魔族が一番死ぬのは接敵後ですけどね。それでも、混戦になれば、あっという間に敵兵は減りますから、それは承知の犠牲なのです。接敵した場合は、前衛と後衛が入れ替わります。後衛に入った人間兵は、引き続き、前衛の魔族に向かって回復魔法を使い続けます。魔法の質に差があったり、威力の高い魔法が急所に当たったり、運悪く集中攻撃されない限りは、魔族が即死するということはないのです。まぁ、人魔大戦ではそれが起こったのですがね。
センタセの人間兵は、武器を持たせてもらえずに盾を持つ、と言われていました。「盾を誇る馬鹿」という言い回しもありましたね(魔族の支配下でいい気になっている人間のこと。攻撃することができない臆病者の意味でも使われる。)。もちろん、ちゃんと武器も持たせていましたが、確かに、他国と比べて、盾の存在感は大きいものでした。センタセでは、「人は盾、魔物は剣」と言われていました。人間兵には、回復魔法等を使い続ける魔力と、雨のように矢が降り、突発的に騎馬が突撃してくる中、盾を構えて前進する胆力が求められました。馬術や剣術、槍術には重きを置いていませんでした。他国と異なり、センタセの兵士には、女性も多くいたことがわかっています。性差がない、魔力と胆力が兵士には求められたからです。腕力はどうせ魔族に劣るため軽視されていました。盾さえ持てればいいと考えていました。行軍し続ける体力という意味では、男の人間の方が優れていましたが、結局は敵に近づくまで、盾を構えて歩き続けてくれさえすればいいので、そこまで問題だとは思えませんでした。センタセでは、自分に子供が生まれると、それが男であろうと女であろうと、盾の中にお湯を注ぎ、その中で赤子の体を洗うということをやっていた時期があります。そのくらい盾が重視されていたということです(アスタボス氏は説明していないが、センタセでは徴兵制を採用していた。)。
この時代に限ったことでも、センタセに限ったことでもありませんが、傷だらけの人間兵というのは、魔族から高い評価を受けました。敵味方に関わらずです。魔族は傷を魔法で治せますので、人間兵の手足の欠損とか、火傷の跡とかは、敬服すべき勲章のようなものに見えたのです。戦場で死んだ人間の墓は、センタセの魔族にとって重要でした。その墓場の土で生まれ変わったり、同輩を作ることが光栄なことのように思われていました。人にとっては不気味なように見えたと言いますし、後世の魔族にとっても、それは不気味なように見えました。よりによって人の骸の傍の魔素で生まれ変わるとは、人と魔族とを足して二で割った存在にでもなりたいのかと、そう思われていたのです。しかし私は、今でも、人と魔族とがお互いに敬意を払っていた、希少な時代の、悪くない慣習であったと思っています。
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