一日目(3)
樹暦1223年、センタセ大陸がガエバ・ナウン王国によって統一されます。王の名前はピシュケ・マ・オブクグナン。ピシュケは斧の一種で、武器の名前です。その名のとおり、戦場を駆け回っていた王でした。自分は死なないと思うことに関しては、アスタボスに勝っていたという笑い話があります。実際、私は戦場で何度も死にましたが、王は少なくとも戦場では死ななかったのです。
オブクグナン王の政策の特徴として、商業の推進、貴族制の軽視、そして中央集権というのがあります。各地に散らばる諸伯の領地を県に変え、各県に官僚を派遣し、王直属の内務省がそれを管理するというやり方です。歴史学においては、ガエバ・ナウン王国では、封建制による支配が行われた期間はとても短いとされていますが、それはオブクグナン王の政策の賜物です。結局は王の一族が主要なポストを牛耳ったとも言われていますがね。商業の積極的な推進や県制度は、左手の大陸の新しい政治思想を取り入れており、当時のセンタセ大陸では画期的でした。王の政策は、商業を軽視し、地元を重視する敬教徒から反発を受けました。王自身も敬教徒なのですけどね。この敬教からの不満を背景として、統一後も実力者の反乱は相次ぎました。叔父殿のように反乱を起こす輩は少なくなかったわけです。
混乱はありましたが、オブクグナン王はピシュケを片手に反乱を鎮圧しました。センタセ大陸の土地は全て王のものとなり、土地を適切に管理するための官僚が選任されました。官僚の中には、多少の魔族が含まれていました。これは、当時の世界的な趨勢でもあります。都市内魔族の円熟化と言われたりします。地位の向上化と言えばもっとわかりやすいかと思います。人間世界に慣れ、愛着を持ち、人間側にも信用され、制度も整備され、長寿であり、眠らないで済み、食べなくて済み、本質的には報酬さえも不要な魔族は、当然重宝されたのです。商業を推進したことによって、前述のカーサニーも、商人仲間の中で一目置かれる存在になっていきました。
魔族には色々な種族がありますが、群れて暮らす必要がないため、魔族同士のつながりというのは余りありません。少なくとも歴史が浅いころはそうです。それでも、都市に暮らす魔族が増えれば、同じ都市に生きる魔族同士、それなりに親近感を覚えるものです。都市内魔族は種族や業種を越えて繋がるようになります。また、都市で、あるいは国で、魔族が、人間の中で、人間によって、人間以上に評価され、出世し、豊かになると、その都市や国に対するアイデンティティが生まれ始めます。都市内魔族が、自分の名前に都市や地名、職業、身分の名を冠する、――冠することが許される――ようになったのもこのころです。例によって人の真似でもあるのですが。これらのことを総称して、都市内魔族の円熟化と言っているわけです。
都市内魔族の円熟化には、もちろんいいことばかりではなく、人間からの差別、排撃、迫害などが現れます。魔族への差別自体は大昔からあったでしょうが、生活を脅かす敵として表象されるようになったのです。「魔族は馬であり、馭者ではない。」と言われます。魔族は我々の麦を育てる存在であり、我々から麦を徴収することは我慢ならない、ということです。やがて魔族は、人間から仕事を奪う存在と見なされるようになります。人間が失業するくらいなら、本来労働をしなくてもいい魔族が失業するべきだという、後の時代に繰り返し現れる、実にもっともらしく見える議論が生まれます。ここでは触れませんが、安い労働力としての魔族を求めているのはそもそも誰か、という点を考える必要があるのです。人間を奴隷化した挙句に、魔族を奴隷化するようなことをやり始めたのはどこの誰なのでしょう。「家畜に餌を。機械に油を。魔族に誘起を。一番安上がりなのは?」(魔族解放運動の端緒となった魔族奴隷の新聞広告。誘起と訳した魔法によって操られ、本人の意志とは無関係に労働を行わされている魔族のことを魔族奴隷と呼ぶ。)と言い出したのは誰だったのでしょう。
また、魔族同士でも、「馬のような仕事をする奴」という言い方がされるようになります。実際、荷を引く魔族、川の流れに逆らって舟を岸から引っ張る魔族、泥にまみれて重たい犂を曳く魔族はおり、重宝されていたのですから、これは職業差別でもありました。この差別感情が、魔王軍の足を引っ張ったこともありました。ちなみに、後世には、重たいものを運ぶことができることに誇りを持つ魔族も現れます。それだけの力があるということだからです。魔族に関する歴史学の大家、アガン・イー先生の『荷を運ぶ魔族の誕生』という本があります。16枝世、人を真似て国を作ったベウモン(巨大な牛のような魔族)は、年に一度、近隣の人の国から魔法にかかる最新の知識を受け取る代わりに、王族の子息が人の国を訪ね、門のそばに安置されていた巨大な石像を曳き、反対側の門へと移動させるということをしていました。場所を移し替えるだけですし、移し替えること自体に何の意味もないのです。ただ、人間の力では移動させることができない石像を、我々魔族はたった一凶で運ぶことができるということを誇示することが目的なのです。このことは、人の国の支配者階級にとっても己の威を示す意味がありました。巨大な荷を運ぶ魔族を観覧し、大衆は喝采を上げ、それを見て、支配者階級は満足げに頷いて、強大な力を持つベウモンにそのようなことを依頼できる自分の権力に安堵するのです。ベウモン外交と呼ばれます。
言葉を使えない魔族は、同族間でも迫害されるようになります。都市内魔族も人間も、会話ができない魔族を「ポエマ」(獣)と呼ぶようになります。動物と魔族が異なることは、大昔から言及されてきました。実際、これらは別物です。当時の人々もそのことはわかっていましたが、別物と知りつつ同じ枠組みにあえて入れることが行われるようになりました。少なくとも都市内魔族は、一方の端に人、もう一方の端に動物がいる物差しを内面に持つようになります。人間の評価を過度に絶対化するようになったとも、身分化したとも言われます。端的に言って、人間化したとも言えます。都市内魔族は動物扱いされることを恐れるようになります。動物との同一視を避けるため、色々なことが行われます。都市内魔族の服は華美になります。人間以上に服装に金をかけるようになります。魔族専用のテーラーが都市に現れます。言葉使いも独特の進化を遂げるようになります。ガエバ・ナウン王国において、宮廷で活動する魔族の言葉は、実に不愉快で閉鎖的なものとなります。「わかりました」と言えばいいところを「わかり・という魔素の形式があり・私は魔素を愛し奉仕するものであるが・それは漂い・舌に乗り・声となり・ました」などと言われるのですよ。いや、これは極端な話であり、実際はもっと大人しいのですが、このような用法があったことは事実なのです。これを「鬱陶しい・という魔素の形式があり・私は魔素を愛し奉仕するものであるが・それは漂い・舌に乗り・声となり」という以外に何が言えるのでしょうか。これに付き合わされる短い寿命の人間が可哀想です。
このような非実用的な言葉使いは、多くはないですが、文字としても、実用的な行政文書の中に現れます。サダニフ・ノイン・コーという洒落た名前のリザードマン(トカゲの顔を持つ人型の魔族)は、ある港町で積荷を調べ、税金を課す仕事をしている下級役人でした。彼は、当時、魔族役人の間で流行っていた飾り文字をマスターし、日々作成する税収帳簿において、その文字を活用しました。使い道のない賃金で色付きインクとランプの油を購入し、寝る必要のない夜の時間をかけて、作る必要のない飾り文字の帳簿を生産し続けたのです。読まなければならない上司は大変だった、と言いたいところですが、この上司も魔族で飾り文字の愛好者であったため、誰も止める者がいないまま、二十五年以上もの間、飾り文字の行政文書が作られ続けました。今では代表的なカリグラフィーとして美術館に飾られています。税収帳簿がですよ。実際、美しいものも幾つかあるのです、実務で使われると鬱陶しいだけで。
魔法も変わりました。実用的な魔法の研究は継続、拡大されていましたが、一方で、芸術化したとよく言われます。表現できる色の種類が増え、香りの研究が進みました。数々の美しい魔石が採掘され、輸入され、加工されました。この欲望から、魔素を物質化する、特に鉱物を生成する研究が盛んに行われます。完成は16枝世を待たなければならないでしょう。ほかにも、魔法の糸をどれだけ黒く染めるかに魔族の寿命が注がれました。「野生の魔族」が持ちえないような魔力を誇るようになり、魔力を鍛えるガイドブックの写本が多く出回りました。私も購入し、試したことがあります。効果はちゃんとありましたよ。これらの背景には、人間から、そして同族から動物的に見られたくないという視線があったのです。
この反動として、人間化からの解放がうたわれ、言葉を使えない魔族に都市内魔族が手を差し伸べるようになるのですが、それはまだまだ先の話です。魔族が単なる喋る動物と表象されるのは、更にもっと後の話です。クオイ・ダンドム・ムイ・エザンドン先生の『魔族・動物・人間』という名著をお薦めします。歴史を学ぶ、いえ、人文学に関わる現代人の必読書です。この本は、後で話す大地信仰のことについても、重要な知見を含んでいます。
都市内魔族の円熟化の話をしています。当時の私も、国の中枢におりましたから、この円熟化の恩恵を受けていたことになります。確かに、同僚には魔族が多くいましたし、みな優秀でした。みな、私よりも若い魔族でした。彼らは当然、私と違って殺されれば死にます。寿命も有限ではないため、生まれ変わる必要がありました(アスタボス氏は詳しく説明していないが、魔族が長寿なのは、生まれ変わる=若返ることができるからである。魔族は、老いると土の中に自ら埋まり、すべての魔族が使用できる生まれ変わりの魔法(カウ・ネー・アジ・パウ)を唱えて若返りを行う。体の一部だけ(毛、爪、指、腕など)を土に埋めて、同じ魔法を使うと、そこから自分と大体同じ種族の魔族が生まれる。体の一部又は全体を埋めた後に生まれた魔族は、オリジナルの魔族の特徴と記憶を不完全な状態で受け継ぐ。これに失敗すると、言葉を失ったり、酷いときは狂ったような魔族になる。都市内魔族はこのことを強く恐れた。狂った魔族は人間を襲うことがあり、排除の対象であった。なお、時代が進むと記憶の引継ぎの問題は解決する。失敗する可能性を大きく下げる魔法が開発されたからである。以上からわかるとおり、魔族は生殖を行わない。仲間を増やしたいとき――そんなときがあるとして――は、体の一部を埋めて再生の魔法を唱えることを行う。ちなみに、再生の魔法を逆から唱える(パウ・アジ・ネー・カウ)と、空気中の魔素を吸収する魔法になる。元来魔素を体に蓄えていない人間が最初に覚える魔法がこれであり、最初に発明された魔法と言われる。)。
彼らは、死なない私を不気味がり、距離を取っていました。まぁ、私はそうでなくともすごく年上でしたし、年寄りを面倒くさがるのは人間の若者も同じかと思います。あなたの職場に百歳の人間が働いていたら、何を言われるかわかったものではありませんよね。
私の同僚に、ナーガ(上半身が人間、下半身が蛇の魔族)のウェスオンという者がおりまして、この者は、徴税の責任者をしていました。徴税は、さっき話したノイン・コーもそうですが、人間から嫌われがちなので魔族がやらされがちだった仕事です。私も間接的に絡んでいましたしね。それはともかくとして、このウェスオンは、ほかの同僚とは異なり、私とも親しくしてくれました。彼は、ガエバサイから左手の大陸側の方向へ馬で十日ほどの旅程の位置にある、ユストという町の出身でした。そこにはナーガが多く住み、かつての流行り病で人間の方が少ないくらいでした。大きな川が近くにありました。山間の町なので農地自体は狭かったのですが、農業が主要産業でした。ナーガの町であろうと年貢を納める必要があります。この町は、少数の人間に代わってナーガ族が働き、要求されたものを納めていたのです。町長もナーガであり、県の役人との交渉の窓口にもなっていました。ガエバ・ナウン王国では、このような魔族の町は珍しい存在でした。
この町のナーガには、大地信仰が根付いていました。この信仰がいつころからユストにあったのかはわかりません。ナーガ自体は、以前からセンタセ大陸内の町や村で都市内魔族として生活していた記録が残っています。それが流行り病などを理由に町や村から離れ、ユストに流れ着き、多くのナーガが移り住むようになったようです。魔族の大地信仰は、都市内魔族が現れた直後から、つまり、信仰を持てるほどに魔族が言語化されたころから存在していると言われています。ですので、ユストに移り住む以前から、ナーガは大地信仰に傾倒していたと考えられます。が、これは憶測ですので、余り喋らないことにしましょう。
魔族の大地信仰については、皆さんも物語等でご存じかと思います。すべての魔族が大地を信仰していたわけではありませんし、信仰の中身も時と場所によって大きく異なります。ここは歴史の話をする場所ですので、詳しくは立ち入らず、簡単に説明するだけにとどめたいと思います。ちなみに、人間にも人間の大地信仰というものがありますが、そちらの話はしないでおきます。
まず、原始的な大地信仰の話からしましょう。魔族は大地から直接生まれます。そして大地で暮らします。ここで言っている大地とは、物理的な地面のことです。加えて言うなら、標高の低い、魔素が充満した辺りのことを指します。ですので、魔素の薄い高山や雪原は、大地でなくはないのですが、信仰の対象ではないのです。大地は魔族にとって大事なものです。魚にとっての水、人にとっての母にたとえられます。ここまではいいのですが、ここから、大地は魔族のものである、という考え方が出てきます。そして、たとえば馬が水の中で暮らすのに生きづらいように、魔族以外の生物も、大地では生きづらい、少なくとも魔族と比べて生きづらいと考えるのです。ここで生きづらいと言っているのは、食縛(食べなければ生きていけない人間や動物の性質を指す。ネガティブなイメージ。)のことを言っています。生きづらいということは、そこは本来、生きるべき場所ではないということです。それと比べて、魔族は大地で生きやすいので、大地は魔族のためにあると考えるのです。こんなことを考えること自体が、言語的、観念的な人間に中てられてのことなのです。この考え方は、魔族からというより人間の側から生まれたのではないかという説もあります。どちらであれ、原始的な大地信仰はこのように考えるのです。初期の大地信仰は、食べることを非常にネガティブにとらえました。魔族は、食べることに必死な人間や動物を横目に見て、優越感にひたっていたのです。また、それは、大地を削ってその資源を消費しているように見えました。よく見てみれば、人間は大地を耕し、木々は大地に根をはり、動物はお互いを食らって糞尿を垂れ流していました。死ねばその骸を大地に晒し、骨は長く土の中に残りました。それは、今で言うと、自然のサイクルであり、人間や動物が一方的に大地を搾取しているわけではありません。しかし、当時の一部の魔族には、そのことが搾取に見えましたし、骸を勝手に大地に廃棄しているように見えたのです。魔族は自然のサイクルには関与せず、大地で快適に生きており、大地に負荷をかけていませんでした。「我々魔族は大地の飾り細工である」と、ある大地信仰の長は言いました。逆に言うと、魔族以外は、大地を飾らず、汚していると言いたいのです。後の時代には、魔族が大地に負荷をかけた事例は幾らでもあるのですけどね。それに、魔族が自然のサイクルの外にあるというのも、厳密には言い切れないのです。確かに、魔族を受粉や狩りに利用する動物はいなかったとされています。また、魔物そのものの中に生態系というものはありません。しかしながら、鳥の中にはトレント(木の魔族。根っこでゆっくりと移動することができる)に好んで巣を作るものがいました。フーアプフの住居に好んで巣を作る虫もいました。魔族も自然環境の一部ではあったわけです。
一部の原始的な大地信仰者は、人や動物の搾取から大地を守るため、木々を焼き、動物を殺しました。数は非常に少ないですが、人と争う者もいました。人を積極的に襲う魔族の、初期の例です。そうして土地を自分たちのものにしたのです。魔族は、草木を燃やして灰にしました。木々を灰にして大地に返すとき、炎は何か重要なもののように見えました。汚らわしい骸も、炎を通せば砂のようになりました。ですので、原始の大地信仰は、炎を信仰する宗教でもありました。原始の大地信仰者の多くは、砂漠に住みつきました。そこには人がおらず、草木はなく、動物も目立ってはいなかったからです。大地にあるものをすべて燃やして土に返し、大地を遍く砂漠にし、そこを魔族で飾ることが、大地信仰の理想として表象されるようになったのです。これは原始大地信仰の話です。ここまで聞いて、皆さんもそれはおかしいと思うでしょう。砂漠が理想の大地なのか、と。当時の大地信仰者の中にも、砂漠が理想なのはおかしいと思うものは多くいたのです。おかしいと思ったものは砂漠を出ました。そして大地を信仰するとは何かと考えました。木々を焼き、動物を殺すのはおかしい、であるのなら、それらを残すのが正しいわけです。実際、自然のサイクルは、大地に悪影響を与えているようには見えませんでした。やがて大地信仰者は、大地の本質を、動植物が生きていることだと考えるようになりました。現在のエコロジー思想に近くなったのです。
さて、ウェスオンたちユストのナーガ族は、この原始の大地信仰から袂を分った者たちでした。彼らが支持していたのは、いわゆる普通の大地信仰、センタセの大地信仰と呼ばれるものです。彼らの大地信仰の特徴はこうです。魔族は大地から生まれた。大地は魔族の母である。大地は魔族以外にも人や動物や植物が暮らしているが、これらは、本質的に、大地で暮らすことに不向きである。大地で最も適切に、本質的に生きていけるのは、魔族だけである。というものです。ここまでは、原始大地信仰と変わりません。変わったのはここから先に話すことです。センタセの大地信仰はこう言います。魔族こそ、大地を最も適切に扱うことができる。人や動物や植物は、大地の使用が下手である。大地を最大限に生かし、大地をより豊かにするためには、魔族が大地を管理すべきである。と、こう続くのです。管理と言いましたが、要するに支配のことです。人間に代わって大地を扱うとか支配すると言い出したのです。大地を道具的に見るというのは、原始大地信仰にはなかった視点です。何でもかんでも人間のせいにするのは非難されそうですが、この傲慢さと言い、職人的な思考と言い、都市内魔族が人間の視線を模倣し、内面化し始めた印象を強く受けます。
なるほど魔族はここから人間と土地を争って戦争を始めたのだな、アスタボスは、この大地信仰に準ずる形で人間と争ったのだなと気がついた人は、半分正解です。その発想では、人間と魔族の全面戦争、土地の奪い合いにしかなりません。しかし、私のセンタセは、魔族だけの国ではまったくなかったのです。私がいたころのセンタセは、世界で最も人口が多かったのです(以下の人口にかかる数値は人間と魔族の合計値。単位は人(凶)を用いる。)。当時のガエバサイは、世界一の人口を有する大都市でした。私がゲクーに首をはねられたころの人口は、三十万人(凶)と言われています。今でも世界有数の大都市ですがね。ほかにも、センタセ一の港湾都市のスピノティマ、穏海の入口であるチャノもそれぞれ十五万人(凶)の人口を誇る大都市でした。そしてそのうちの大半、九割近くが人間だったのです。
私は魔族の王と呼ばれ、自称もしていましたが、内実はいまだ圧倒的に人間たちの王だったのです。ちなみに、私が率いた軍隊となると、割合が変わって、魔族と人間が半々となります。軍隊については、魔王軍という呼び名は適切だったわけです。ちなみに、魔族だけの軍隊は、対策を講じられると思ったより強くないのですよ。これは後で、後日でしょうが、説明します。
さて、センタセの大地信仰は、人間から大地を奪う、人間と争うよりほかにないようなことを言っているけれど、実際は人間とそれなりに共存している。これはどういうことか。これを説明するには、そもそも、センタセの大地信仰において、土地を最大限に生かすとはどういうことか、人間よりも大地を上手く使用できるというとき、その基準は何かを考える必要があります。基準は何か。それは人間の数なのです。センタセの大地信仰は、土地の豊かさの証明として、養っている人間の数を誇ることを考えついたのです。これは、原始大地信仰が砂漠を理想化したことに疑義を呈した、その思考の延長線にある話です。センタセの大地信仰は、必然的に人間と土地を奪い合います。奪った後は、人間に代わって土地を支配します。土地を支配して何をするかというと、人間を増やすのです。増やしてどうするか。食べたり生贄にするわけではありません。どうもしないのです。増やすことが信仰の目的だからです。大地信仰の重人主義と言ったりします。大地信仰者は、人間を真似て戦争を行い、土地を奪います。人間を真似て国を作り、土地を管理します。人間を真似て、人間よりも上手くやれると信じて、土地に食物を植え、経済を推進し、税を徴収し、兵をそろえ、橋や道路を整備し、盗賊を退治し、魔法を研究し、世界を探求し、そして人を増やしたのです。私がこの大地信仰の大波に乗ったのはたまたまですし、上手くいったのはなおさらそうですし、大地信仰の神を僭称するに至っては悪ふざけと言われても仕方がないのですが、魔王アスタボスの国、世界で初めて人間に牙をむくことができた魔族の国が誕生したのには、このような思想が前提にあったのです。
私はウェスオンとよく付き合うようになり、ユストにもたびたび訪れました。大地信仰の話もよく見聞きしました。私はそれを、当時たくさんあった宗教、思想、哲学の一つとして受け取りました。私は人間は嫌いではありませんでしたし、前にも言ったとおり、人間への興味も尽きませんでした。人を増やすというアイディアは、面白いように感じました。人を増やすと、色々なことが探求され、世界がより開かれると思ったのです。人は世界を開く鍵であり、多ければ多いほど、世界はその姿を開示するように思えたのです。「手の数だけドアをノックできるよ。大勢連れておいで」というおとぎ話の一説がありますが、そういうことです。そしてそれは結局正しかったのです。いいことも悪いことも、タンボスの穴のように開かれたのですから(タンボスは、ヤイスカフ地方の神話に出てくる地獄のような場所の地名。そこには無数の穴が地面に空いており、通りかかったものの秘密が穴から漏れ聞こえてくる。過去を恥に思う者は、煩悶のあまりこの土地を通過できないが、聖人は顔色を変えずに通過できるという。)。
私たちは宮廷の中で、後にユスト派という派閥をつくり、重人主義のための基礎研究を行いました。各地から書物を取り寄せ、学者を招聘し、官僚仲間で勉強会をたびたび開きました。人を増やすためには何が必要か。十分な食べ物と住むところである。食べ物の生産は農業が効率的である。植える植物は何が適切か。麦である。米である。カマンである。タオブ(芋の名前。砂漠でも育つ)である。畑を作ろう。灌漑しよう。治水をしよう。土地にかかる法律を整備しよう。肥料は大事らしい。生産量が増えるような肥料を見つけよう。魚がいいらしい。土地を求めて争おう。人が死なないように魔族が戦場で戦おう。戦い方を考えよう。やっぱり人にも戦ってもらおう。戦争のための魔法の研究をしよう。魔法学校を作ろう。大学も作ろう。主に魔族に学問を習得させよう。バイナスコを雇おう。学生は保護しよう。豚を飼おう。鶏を飼おう。馬を飼おう。池を作って魚を養殖しよう。果物のある地域は、人口が多いらしい。ならば果樹を植えよう。リンゴだ。青梨だ。スカーナ(鈴なりになるイチゴのような果物)だ。アプリコットだ。ゼレシュクだ。ピスタチオだ。造酒も行うべきだ。酒とは何か。人を幸福にすることは間違いないだろう。ならば国を挙げて作ろう。病気で人が死ぬ。何とかしよう。人はなぜ病気になるのか。瘴気のせいである。空気が悪いと人は病気になる。魔素で空気を入れ替えよう。魔法の風を町に流そう。上水道を作ろう。下水道を作ろう。水道を管理する役所を作ろう。転職は認めないでおこう。特に農民は。建物を作ろう。橋や港や道路は素晴らしい。水車を作ろう。商業を促進しよう。流通を整えよう。貨幣を作って管理しよう。紙幣はこんなものが上手くいくわけがないから禁止しよう。貿易をしよう。船を作って左手の大陸と交易を行おう。産業を興そう。高炉を作ろう。ガラス。ムラサキインクの実。没食子。ヤシ油。砂糖。鉱物。宝石。魔石。麻。石材。べっ甲。サンゴ。香木。鉱山を見つけよう。植林し、オオカミや盗賊を退治しよう。他国の刑罰とそのルールを導入しよう。移動裁判所制度を作ろう。死刑は人が減るので禁止しよう。いややっぱり見せしめとして有効なので続行しよう。利水のルールをしっかりと作ろう。絵画はどうしようか。よくわからないけど、禁止するほどではないので無視しよう。音楽は素晴らしいので支援しよう。子供が生みたくなる音楽があると聞いたので探してこよう。人間が役人をするよりは魔族が役人をした方が賃金が安くて済むのでそうしよう。貴族は存在意義がわからないので徹底的に潰そう。敬教はストイックすぎるので人が増えない気がするから弾圧しよう。いややっぱり弾圧は無理だから一旦保留しよう。アビナ教は商人の宗教だし、よく移動するから好きに任せよう。ただし教会は作らせないでおこう。本当にそれでいいのか。大地にとって教会という建築物は無意味ではないか。確かにそうだ。教会建築は禁止しよう。いや、そんなことをしたらアビナの商人がやって来なくなる。教会は駐在支店扱いすることにしよう。もっと他国からも人を集めよう。奴隷商人を優遇しよう。農民の教育は禁止しよう。移動もなるべく制限しよう。国外への移住は禁止しよう。子供が多い家族は優遇しよう。人間の出生率はこんなにも低いのか。子供が死なないようにまじない師を雇おう。妊婦を悪い砂や風から守ろう。祭りは人が死ぬので禁止しようと思ったけど、ものすごい抵抗にあったので認めよう。城壁を一旦解体し、城内を拡張しよう。野生の魔族は駆逐しよう。狂った魔族は合法的に殺せるようにしよう。磯臭い人魚は殺してしまおう。そもそも王族って必要か――。
樹暦1232年、死を恐れなかったオブクグナン王が、病気により寝台の上で死去します。跡継ぎの子息はいませんでした。次の王として、遺言どおりに弟のカッシューノゥが後を継ぎます。 彼は兄とは異なり病弱でしたが、それでもしっかりと療養し、節制して長く生き、中央集権を強化しました。魔族が家臣であることの重要性をよく理解していた、賢王の名に相応しい王だと思います。ユスト派の規模もこのころに拡大します。世界で三番目の大学が作られ、左手の大陸から多くの学者が招かれました。このころから、戦争で使用する魔法の研究が始まったのですが、これが後々に大きく役に立ちます。フバーユや左手の大陸への侵攻において、役に立ったということです。カッシューノゥ王は樹暦1244年に亡くなります。三代目はカッシューノゥ王の長男であるジシト王子。絵に描いたような無能でしたが、心優しい善良な王でもありました。善良だったため、初代の残した家臣団には逆らえず、余計なことは何もできませんでした。それに、これはジシト王の人徳でしょうか、旱魃、地震などの災害もなく、初代と先代の王が反乱分子を徹底的に潰していたため、治世は穏やかに終わりました。このころに灌漑が行き渡り、土地の測量は完遂しました。国内の人口が増えていることもわかっていました。ジシト王は樹暦1250年に亡くなります。四代目はまだ幼かったパシーカニー王子。これも、オブクグナン王やカッシューノゥ王の残した有能な家臣団が支えたため、色々とあったはあったのですが、樹暦1266年まで統治します。次に王になったのが私です。約三年の空白期間を経て、樹暦1270年に王となりました。先ほどから樹暦を諳んじておりますが、ここら辺は専門ですので、自信を持って喋れているのですよ。ただ、勘違いしないで欲しいのですが、歴史学とは年表を暗記することではないのです。
先ほどから家臣団と言っておりますが、四代目のころにはユスト派が家臣団を牛耳っていました。当時のユスト派には、魔族が十五凶くらいいたでしょうか。みな昔からのエリートであり、行政のプロフェッショナルでした。派閥には人間もいました。死んで入れ替わるので数は変動しますが、やはり十五名はいたと思います。十五凶の魔族は、初代のオブクグナン王から仕えている重臣です。オブクグナン王と戦場を駆け巡った都市内魔族もいました。このような家臣団の魔族が、マウクネのような役割を果たして、他の役人を圧倒し、地方にネットワークを張り巡らし、後継者の暴走を諌止していたのです。ユスト派以外の大きな勢力は、宮廷内にはいませんでした。正確には、人間の役人を中心とした反ユスト派がいましたが、これは烏合の衆でした(烏合の衆と訳したが、直訳すると「曜日の集い」となる。この世界にも曜日があり、時代や地域によって異なるのだが、例として現代のミュカトーニャでは、鯨、人狼、鷹、甲虫、青年、漆、蛙、虎の曜日がある。これらが集まっても、多様性があるだけで何事かをなすことはできなそうにない、という意味になる。)。パシーカニー王は、巡業中、地方で貴族化していた県長官によって暗殺されました。跡継ぎの長子も長女も併せて暗殺されたため、王位が空いてしまいました。王の親類は多くいましたが、みな遠戚でした。彼らの中には、不相応に王位を狙う者もいました。地方の貴族化した役人たちも、王位を巡って争う気でいました。ガエバ・ナウン王国内は、一気にきな臭くなりました。ユスト派としては、せっかく国内が安定し、人口が増えつつあった矢先に、国内情勢が不安定になるのは困りものでした。重人主義への挑戦だと感じられました。
パシーカニー王を殺した県長官は、私兵化した王の軍隊を率いて反乱を起こしました。ユスト派の中には、国軍の長官をしているものがいました。先ほども言いましたが、初代王と戦場を駆け巡った魔族です。彼は首都に駐屯していた数万の兵士をかき集め、これを指揮し、数百人の反乱軍の鎮圧に向かいました。反乱軍は民衆からまったく支持を得ておらず、進軍もままならず、その動きは筒抜けでした。我々は宮廷内で、今後のことを話し合いました。パシーカニー王の妻は存命であり、才媛と名高い女性でした。敬教徒であることがデメリットのように思えましたが、ほかに適任者はいないように思えました。数日経って、国軍と反乱軍が戦闘を始めたという一報が入ってきました。国軍の長官が討ち死にしました。これには驚きました。反乱軍は、他国の魔法使いを雇い、長官を魔法で難なく殺したと言われています。私はこのころから、他国の魔法使いから痛い目にあっていたのですね。
パシーカニー王の妻は、敬教の古い教えに従って、十年間の喪に服すと言い出しました。そして大勢の召使を連れて本当に宮殿に籠ってしまいました。こうなるともう知ったことではありません。パシーカニー王の妻を後継者として担ぐことは諦めました。我々が困惑しているうちに、反乱軍は、こちらが手を打つ前に自滅しました。町を襲って返り討ちにあったのです。軍のトップは死に、王も王子も王女も死に、王妃は籠ってしまいました。そうこうしているうちに、別の都市で反旗の狼煙がいくつも上がりました。国軍の士気は下がっていました。初代王の威風をまとい、戦場の雄を自負していた将軍があっさり死んだのですから。ユスト派への風当たりも強くなりました。初代王の威を借りるばかりの無能集団だと思われていました。国軍を動かして反乱を鎮圧する必要がありました。軍事に明るかったものは、ユスト派にも非ユスト派にもいくらでもいました。しかしみんな、不測の事態を受けて死ぬのを恐れていました。そうなると、不死のアスタボスが出るよりほかはありませんでした。
私は大軍を率いた経験がありませんでした。相手は地方都市に駐在していた兵士を私物化しただけの反乱軍でした。敵兵は多くても数百人と伝わっていました。規模はそれ以上大きくなりそうにないこともわかっていました。私は国軍のうち、精鋭の二百人を連れて打って出ました。私にとってはこれでも大軍だったのです。そして少数精鋭は、砂丘を吹く風のように速やかに進軍し、小回りも効き、兵站の問題も少なく、結果として功を奏しました。私の軍は、夜襲や奇襲を多用して、各地の反乱を抑え込みました。私自身は、反乱軍の一つに雇われていた他国の魔法使い、名前はエジ・タウウシャントンという若い女性でしたが、この者に七回焼き殺されました。彼女はアスタボスを焼き殺すたびに、最高級のチャベフナンカ(チャノ市で造られる果実酒の名前。高級品として知られた。)を一瓶褒美として貰っていたそうです。私が七回焼き殺されても、私の軍は負けませんでした。タウウシャントンの雇い主は処刑されました。タウウシャントンは、海外へと逃げおおせました。その後、ミュカトーニャで魔法の講師をしていたという記録が残っています。アビナ教の神官と結婚し、少なくとも五人の子供を育てています。後年には、魔道院(狂った魔族や野生の魔族を収容し、保護する施設。魔法の研究も行われた。)を建設し、その副院長に就いています。このことは立派ですが、憎たらしいことに、この者については、センタセから輸入されたチャベフナンカを定期的に購入している記録も残っているのです。タウウシャントンの魔道院は、今も建物自体は残っています。老人ホームになっているとか聞きました。このように、長く生きていると、昔の馴染みある人々が、思わぬところで活躍しているのをふとしたきっかけで知ることができて嬉しくなります。六百年前の史料を読んでいて、君はあの後こんなところでこんな偉大なことをしていたのか、あなたは私と会う前に、こんな偉業をなしていたのかと懐かしくなれるのは、数少ない不老不死のいいところかと思います。私が歴史を学ぶ原動力の一つでもありますね。
ちなみに、タウウシャントンという名前は、チャノ市で作られている果実酒の商品名にもなっています。美しい名前ですしね。私は数十年前、酒造会社からの依頼を受けて、その果実酒のテレビコマーシャルに出たことがあります。依頼する方もする方ですが、受けた私も大概酷いと思います。自分に危害を加えた者と同じ名前の商品のコマーシャルに出るというのは、中々経験できない体験ですね。「死ぬほどおいしい!具体的には七回ほど!」とは言わされていないので、もっとこう、歴史のあるお酒ですよ、美味しいですよという感じのコマーシャルですので、機会があればご覧ください。
話が逸れていますね。話を戻しまして、反乱の火種はいくらでも燻っていましたが、表面上は鎮火しました。パシーカニー王の親類縁者から次の王を選ばなければなりませんでした。パシーカニー王の妻は、政治への興味を完全に失っていました。ユスト派は、慣習にしたがって、最も王に近い縁者の、無力もいいところの四歳の子供を王位継承者に選びました。非ユスト派は、何も対案を持っていませんでしたが、一部のものからは、アスタボスを次の王にする動きが出てきていました。非ユスト派からそういう動きが出たのです。ユスト派は保守的な立場のグループでした。革新的なことをやっていることに自負はありましたが、初代王の威光を忘れたことはありませんでした。一方、比較的現実的な他のグループは、王が不意に死に、政情が混乱していることに辟易としていました。確かに、歴史を見れば、王の死が次の世代の混乱の原因となっていることはよくあることです。この問題の解決策として、死なない者が王になればいいという発想が出てくるのです。そしてそんな都合のいい存在が、その国の中枢で仕事をしていたのです。
件の四歳の子供は、王位に就く前に亡くなりました。私の暗躍を主張するものもいますが、そうではありません。ただし、私を王にしようとする者の手にかかったという説は、それなりに確かさがあると思っています。ユスト派は、非ユスト派の一部が主張する、次期王にアスタボスを推す案に乗りました。これについては私も拍子抜けしました。保守的な立場を捨てて、意外とあっさりと乗ったのです。あまり乗り気ではなかった私も、派閥の意向でやらざるを得ないという気持ちになりました。次王アスタボスという案には、地方都市を中心に反対も多くありました。魔族が王を名乗ろうとしているのだから当然です。家臣団は、反乱の鎮圧に功のあったアスタボスを臨時の王位につけるというシナリオを描き、一年に渡って工作を行いました。いま、工作と言いました。金をばらまいて、武力でこっそりと鎮圧し、暗殺するようなことをしたのです。逆に、不死の王という案に積極的に乗る有力者も多くいました。歴史的に見れば、私の王位就任は、王位継承にさしたる正統性がなく、王位の空白を狙った典型的な僭称です。魔族が王宮を乗っ取ったという後世の評価は、実に正しいのです。ただし、その乗っ取りには多くの人間が協力し、多くの人間の支持を得ていました。また、反対するものも、人間、都市内魔族の中に多くありました。人間と魔族の対立がまったくなかったとはいいませんが、それを二項対立的に絶対視するのは間違いです。私は人間にも魔族にも支持されましたし、同じくらい双方から抵抗されたのです。ゲクーだって、魔王を倒した人間の英雄であると同時に、当時、最も長く魔族と共に旅をした人間でもあるのですよ。
反対派の中には、前に話したカーサニーのトベグモがいました。彼はフーアプフを率いて、砂漠でゲリラ活動のようなことを行いました。カーサニーにはため込んだ莫大な資金があり、反対派の主要な資金源になっていました。多くの優秀な魔法使いが左手の大陸から雇われてやって来て、ユスト派の魔族も非ユスト派の魔族もお構いなしに攻撃しました。ウェスオンも、宮殿内で左手の大陸の魔法使いに暗殺されました。生き返りもできませんでした(魔族は殺されかけても、死ぬ直前に土の中に潜って生き返りの魔法を使えば、記憶は別として生き返ることができる。大抵は、死にかけの状態で全身を土に埋めることなどできないため、体の一部を土に埋め、それに生き返りの魔法を使う。これにより本体は死ぬが、本体に近い特徴と記憶を持った個体が新しく生まれるのである。ウェスオンは、土のない宮殿――おそらくタイル張りの床の上か二階以上の場所――で殺されたため、生き返りができなかったということである。)。トベグモは、愛郷心から内紛に積極的に参加したと考えられています。これは、政治の中枢にいた魔族ならともかく、民間にいた都市内魔族が積極的に紛争に介入した初期の例だと言われています。最後は私が率いる軍隊とフーアプフが砂漠のど真ん中で激突し、私の軍の勝利で終わります。トベグモは逃走している最中に、味方のフーアプフに刺殺されたと伝わっています。真相はわかりませんが、トベグモがこのときに死んだことは確かです。
反対派を鎮圧する中で、不死身のアスタボスに敵対することが如何に困難かが知れ渡るようになりました。アスタボスは死んでもやり直せるけれど、あちらは死んだらお終いなわけです。多くの有力者、庶民は、このルールがある限り、目の前の権力闘争ゲームが理不尽であることを理解し始めました。すべての者が、このことを心の底から理解するのに三年もかかりました。私は王位に、あくまでも臨時に、王位に就きました。不満を持つものは多かったでしょう。殺せない私を誘拐し、監禁しようとした勢力もありましたが、それは殺すことよりも難しいことでした。私は、センタセの中ではトップクラスの魔法使いでした。その私の動きを封じることのできる魔法はありませんでした。
王位継承の式典では、あくまでも臨時の王位継承であることを内外にアピールしました。式典は、王宮ではなく、ガエバサイ近郊の丘の上にある王墓で行われました。民間人も含めた多くの衆人が集まる中、私は裸で砂漠から現れました。王墓の入り口には家臣団がおり、彼らからオブクグナン王の畳まれたマントを両手で受け取り、その上に冠が置かれました。私は決して戴冠せず、玉座に座ることもなく――墓場にそんなものはないのですが――、歴代の王の墓前に立ちました。私は歴代の王の墓前に平伏した後、王墓の土に、四文字の魔法(生まれ変わりの魔法のこと)をかけ、「我が体を作るのは、センタセの魔素なり。オブクグナン王の威光に満ちたこの大地の魔素から我はなるなり。我は王の魔素、王の体を借りてかりそめの王となる。我は不死の魔族アスタボスなり。オブクグナン王の御稜威を永久に現世にあらしめる者なり。王の大地をよく司り、よく統べる者なり」と口上を読み上げ、大気中の魔素を輝かせる魔法を使いました。私は歌を聞くことで魔法を発動します。このときは、当時のガエバサイでよく歌われていた歌が発動条件となっていました。歌いませんが、朗読くらいはさせてください。
祖国の賢人たちの偉勲は 砂漠を吹く微風によってすら消え
我らの祖父たちの足跡も 今ではどこを通ったのやら
古 神が降り立った磐座に印は既になく
巫師が唇に乗せた言の葉は 誰も記録に留めていない
砂に埋まった都市を見て 頬を吹く風に涙することなかれ
ガエバサイ 砂漠でも消えない王の足跡があるじゃないか
王墓に漂う魔素は、ピカピカに、目も眩むほどに輝きました。輝きが終わり、皆がゆっくりと目を開くと、私は、パシーカニー王の墓前にひざまずき、マントを羽織り、王の杖を両手で拝領している、という演出が行われました。このときの式典をモチーフにした多くの絵画が描かれています。このときの冠の居場所には、諸説あるようです。本人が覚えていませんので、好きに想像していただければと思います。このとき使用した、大気中の魔素を輝かせる魔法は、皮肉にも左手の大陸からやってきた魔法使いから教わったものです。また、このときの演出、口上は、家臣団のみんなで考えたものです。ユスト派の、大地信仰の影響が見受けられますね。この気持ちはわかっていただけると思いますが、私の半生の中で、最も楽しかった思い出の一つです。こういうのは、本番よりも、演出をみんなで考えているときの方が楽しいものです。この王位継承については、私よりも詳しい人がいます。『魔王の式典』の作者、ムン・マギチャス先生です。本当に私より詳しいのですよ。先生は、この講演の主催者でもありますね。
私自身は、オブクグナン王への恩を忘れたことはありませんし、評価は低くても、歴代の王への敬意もありましたので――本当ですよ――、臨時の王であることに嘘偽りはなかったのです。しかしながら、口上の中で、「永久に現世にあらしめる」と口走っております。つまり、永遠に王位に就く気で満々ではないかという疑義が世間から生じたのです。これはもっともな疑いです。作った側はそんなつもりはなかったのですが、と言いたいところですが、私にそんな気持ちがなかっただけで、みんなにはそんな気持ちがあったのかもしれません。本人たちの気持ちは差し置いて、この口上の一文は、世間から意外と好評を博しました。僭称であることは軽視され、王の御稜威が永久に続くほうがそりゃあいいと、文字どおりに受け取られたのです。ここでいう世間には、庶民も都市内魔族も、宮廷に近いものも含みます。
私の治世は、大地信仰に基づき、重人主義的な政策が取られました。王の一族は、以前からの工作が覿面に効いたため、少なくとも表立っては何もしませんでした。反対派は、やがて影を潜め、暴力的な抵抗は生じなくなりました。ガエバ・ナウン王国は、王の一族の国ではなくなりました。僭主は、就任後まもなく、その国名を大陸と同じ名前、センタセにします。歴史上初めて、魔族が統治した大国の名前です。その口上において、センタセの魔素、センタセの大地を身体とすると述べた魔族の王、不死の魔王アスタボスが、センタセ大陸の王となったのです。やがて僭主と呼ぶものはいなくなりました。
さて、さて、本日はここまでにしたいと思います。明日もよろしくお願いします。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます