怪獣少女

留年寝太郎

第1話「怪獣現る!」

酷い寝覚めだった。

締め切られたカーテンから漏れる光だけが薄暗く照らす灰色の部屋に扉を乱暴に叩く音が響く。

音はどんどん大きくなるけれど出るつもりなど毛頭ない。

誰にしたって私には顔を合わせるつもりなどなかった。

ましてや、扉を叩く人間が最も会いたくない人間となればなおのことだ。

私は起こした体を戻してぼんやりと天井を眺める。

晩夏の昼下がり。残暑は十分に

なまじ、起きてしまったばっかりにいまだ残るけだるい暑さがじわじわと私を蝕んでいく。

けれど相変わらず、叩く音は一向にやむ気配がない。それどころか激しくなる一方だった。

暑さと大きくなってゆく音。その二重のストレスが私の苛立ちをより加速させる。


「お姉ちゃん!お願い、開けてってば!」


私は布団を被り無視を貫く覚悟を決める。

だがいつまでたっても音は鳴りやまない。私の不機嫌はいよいよをもって最高潮に達した。

おもむろにベットから起き上がりドアノブに手をかけて勢いよく扉を開ける。


「痛い!」


開けた扉はすぐに何かにぶつかる。

案の定、扉の前にいたのは夏休みの真っ最中である妹の京香であった。


「いつも言ってるでしょ。くだらない用事なら後にしてって」


私は額を押さえてうずくまる京香を睨む。

京香の身体には怪我をした様子はない。家の急用であれば京香でなく直接自分に来る手はずになっているので、今回もまたくだらない本の話か何かであろう。

それを確認したので私は再びノブに手をかける。


「待って、待って!お姉ちゃんすごいんだって」


私は扉を閉めた。


「待っててば!」


だが、閉じる扉に京香はしつこく食いつく。


「京香と話すつもりなんてない」


私はいつものように京香をあしらう。いつもならばこう言えば京香は諦めて戻ってゆく。

しかし、京香は今日に限っては全く諦めようとしない。


「お姉ちゃん!ホントに待っててば!」


その言葉に酷く苛立つ。


『お姉ちゃん』


私と違って親しい人間などいくらだっているだろうに。わざわざ情けない私に何を期待するのだ。

そう思うとドアを引き戻す手に一層力が入ってしまっていた。

だが今日の京香には本当に引き下がるつもりがないようで、ドアノブに必死になって食らいついくる。

だが、所詮は小学生。一回りも年の違う私にかなう訳もなくドアは徐々に閉まってゆく。

残り数センチというところで京香は叫んだ。


「お姉ちゃん!私怪獣を拾ったの!」


思わずノブを掴む手が離れる。

勢いよく尻餅をついた京香はすぐに胸の中に隠していたであろう「何を」を私に差し出す。

私は言葉を失ってしまった。


私はそのあまりにも馬鹿馬鹿しいセリフを聞いた瞬間、妹の正気を疑った。

だけど次の瞬間に差し出された「それ」を目の前にした私は現実を疑うことになってしまった。


○ ○


「わぁ、久しぶりだ!お姉ちゃんの部屋」


部屋に入るなり京香は興味深々に部屋を見渡す。


「勝手に、触らないでよ」


普段、部屋に誰かを入れることは絶対にしなかった。例え京香のような家族であってもだ。

けれど、今はそんなことよりも京香が腕に抱えている得体のしれない生物のほうがずっと問題だった。


「とりあえず、これに入れて」


そこらにあった空の段ボールを京香に渡す。しかしそれを受け取った京香は何やら不満げであった。


「何?」


「これじゃ、かわいそうだよ」


私は大きなため息をついて、椅子に掛けていたブランケットも渡した。

それを受け取って得体のしれない「何か」のために簡易的な寝床をこさえた京香はご満悦のようであった。


「とりあえず、ちょっと見せて」


私は改めて段ボール箱の中で丸くなる怪獣とやらに顔を近づける。こちらの視線に気づいたのかギロリと鋭い瞳がこちらを睨んできた。

長い尻尾と小さく伸びた四肢。

一見すると丸く収まるそれはトカゲに似た爬虫類のような見た目をしていた。

しかし、まるで装甲のように堅牢な鱗、覗かせる鋭い牙、そして小さな体に不相応に巨大な爪。

トカゲというよりもむしろ創作上の生物を連想させるその異常な生き物を私は今まで見たことがなかった。

明らかに異様な発達は今の生態系において明らかに過剰な代物。

まるで、それらは存在しないような何かを狩るためにあるように進化したとでも言うべきなモノである。

そして、なにより幼体と思わしき成長中の器官を持ちながら、この大きさ。どこかの島には独特の進化を遂げた巨大なトカゲの仲間がいるらしいが、こと現代日本において小学生が抱き抱えるほどの大きさのトカゲなど存在するわけがない。

…なるほど、京香がこれを「怪獣」と言ったことも頷ける。

はたして本当に生きているのか、私は実際に触って確かめてみたくなり箱の中に恐る恐る手を伸ばした。だが私の手が近づくと怪獣はすぐに喉を鳴らして威嚇を始めてしまった。


「そんな怖い顔じゃダメだよ、お姉ちゃん。すっごく怖がってるよ」


よしよしと言いながら京香はまるで赤ん坊でも抱き抱えるように怪獣を持ち上げて見せた。すると怪獣はするりと京香の腕の中に納まった。

「ほらね」とこちらに笑いかける妹には恐怖心というモノが欠如しているのだろうか。

私は無理やり口角を引き上げながらゆっくりと怪獣に触れる。

思ったように身体を包む鱗は鉄のように硬い。しかし鱗がない腹部に触れるとちゃんと柔らかさがありそして微かの鼓動を感じる。予想よりもずっと暖かく生物らしい感触がこの生き物が生きていることを確かに実感させる。


「それで京香。アンタこの……この変な生き物どこで拾ってきた」


私は京香のほうに目線を戻し一番肝心なことを問うた。


「えーとね、図書館のあるビルの植木」


「…は?」


あまりに素っ頓狂な答えに私の脳は思わず理解を拒む。

この得体のしれない化け物があろうことか人の目につく場所に置き去りにされていて、偶然にも妹が拾った?

怪しい場所でもなければ、誰かに押し付けれたわけでもなく。

嘘をつくにしたって下手が過ぎる。


「ねぇ、私怒らないから正直に言って。どこで見つけたの?誰かに押し付けられたとかじゃないの」


もう一度、京香の目を見つめ聞き直す。


「ほんとだって、植木の中に一人で捨てられてたの。みんな見えてないみたいに無視して通りすぎってちゃうから、どうしても…」


私の疑いきった目にも、何もやましいことはないと言わんばかり京香は強く見つめ返してくる。

どうであれ哀れな生き物を助けなくてはと義憤に駆られてだ正しい行いをしたとその目は訴える。

その態度に嘘をついている様子はない。京香は小学生だし、そもそも嘘が下手くそだからついていれば一発でわかる。

京香の回答に頭はますます混乱する。


「はぁ……ほんとまったくなんなのよ……」


混乱し処理が追い付かなくなった脳味噌から熱を排出するように大きくため息をついた。


「嘘じゃないもん、信じてよ!」


「あぁ、もうわかったってば」


もう、どうにでもなってしまえ。

あんまりにしつこい京香に疲れ切った脳は根負けした。

私は諦めて京香が言ったあり得ない言い訳をとりあえず受け入れることにしよう。

それに過程はどうであれこの生物が現に私たちの元にいる事実は変えようがない。

あれこれ言ったところでその現実は変わらないのだ。

そうだ、京香が拾った生き物はただの生物ではない。

もう一度、抱きかかえられた怪獣に目を向ける。到底認めたくない現実だけどそれはそこに確かに存在している。

犬や猫と事情わけが違う。

そもそもどうすればいいのだろう。どう考えても子供の私たちがどうにかでにもできないことである。

こういう変なのは然るべき場所に任せるのが筋なのだろう。

でもペットショップに行けばいいのだろうか、あるいは保健所に連絡。もしくは…


「…警察」


思わず最悪の選択肢が口からこぼれる。すぐさま口を塞いで言ってしまったことを後悔する。

幸い、京香は抱えている怪獣に夢中で気づいていない。

警察だけは絶対にダメだ。私の人生に警察という選択肢はもう存在しないのだ。

嫌なことを思い出してしまったばっかりに気分はますます重くなる。

いずれにせよ、どこに連絡したって子供の私たちでは悪戯として処理されて真剣に取り合ってもらえない可能性のほうが高い。

いっそのこと実物を見せてしまえばとも考えたけれど、その先を考えるとすぐに面倒なことが纏わりついてくる。

私は今日ついた中でも一番大きな溜息をついてベットに寝転んだ。

あまりの情報量の量とそのデカさに私はもういっぱいいっぱいである。

どう考えてもこの数十分間の出来事は現実として体験しうるものをゆうに超えている。

とりあえず私は母親がこの現場に居合わせなかったいう不幸中の幸いと思うことにした。


「くすぐったいよ。えへへ」


のんきで恐れ知らずの愚妹は悩む私のことなどつゆ知らず怪獣と楽しそうに戯れていた。

呆れてしまうと同時に私はその笑顔に少し安心した。

あんな風に無邪気に喜ぶ京香を見るのは久しぶりだった。

京香は私の前ではいつも笑う。例えどんなに嘘臭くても無理やり笑うのだ。

私はそんな顔色をうかがうような笑顔が嫌でたまらなかった。

だから素直に心から楽しそうに笑う妹の姿は懐かしく、うれしかった。

そんな風にぼんやりと妹を眺めていると、しばらくして京香はこちらの目線に気づいた。


「ねぇ、お姉ちゃん。この子何を食べるかな」


「はぁ?」


京香の無邪気な質問に面食らってしまう。

私は体を起こして京香のほうに向きなおる。

今、京香はなんと言ったのだ。何を食べる…?と。


「まさかアンタそれ飼うつもりなの」


「だって一人ぼっちじゃかわいそうだよ。見つけた時も震えてたもん」


離すまいと京香は怪獣を一層強く抱きかかえる。その腕は微かに震えていた。


「うち大きなペット飼ったことないし。第一それペットじゃないでしょ」


京香はだんだんと小さくなって俯いてしまう。


「で、でも…お姉ちゃんは中学生だから。私より大人だからなんとかしてくれるかもって」


「大人って…」


普通なら頼られたことを喜ぶべきなのだろう。だが事情が事情である、その気持ちを汲んでやることはできそうにない。

第一、中学二年生程度がどうにかできることなどたかが知れている。私は大人なんてものにはずっと程遠いのだ。

そんなに期待を持たれたって私は京香に何一つだって答えてやれない。


「お願いだよ、お姉ちゃん!」


だけど、京香は譲ろうとしない。引き下がるまいという強い意志で私に訴える。


「……アンタ、お祭りで買った金魚の世話もできなかったでしょ。死んじゃったんだよ、全部」


これ以上言い訳など聞く気はなかったので少し卑怯な手を使った。

それを聞くと流石にこたえたのか京香は俯いたまますっかり黙り込んでしまった。

言い過ぎたとも思ったけれど、事実私にはどうしてもやれない。


「………」


京香は何も言わない。

ただ俯いたまま怪獣を抱いて立ち上がった。

先ほどの笑顔が本当に一時の幻であったようにその足取りは重く罪人のようである。

その姿を見てしまうとどうしても罪悪感が割り切れなくなってしまう。

自分に呆れてため息が出てしまった。

私は、京香の背中を引き留める。


「京香、まさか今から戻しに行くつもり?」


京香は俯いたまま小さく頷く。前髪から覗かせるその顔は今にもこぼれそうな涙を必死にこらえていた。

私は完全に嫌われてしまった。もちろん覚悟の上だ元々好かれているとは思っていない。

…だけどあの子の、京香の笑顔をまた奪ってしまった。

その事実にとてつもない罪悪感を感じる。

今度はわざとらしくため息をついて見せる。


「あのね、私面倒とか嫌いなの知ってるでしょ。そんなのを今街に戻したら絶対パニックになるにきまってる」


京香は意味を理解できなかったようで、しばらくきょとんとした顔で見つめてくる。


「…怒ってないの?」


私の口調がが思っていたより責めたものではないとわかると京香は小さくそう返した。

だけれど、相変わらず要領は得ていないようであった。私は小さく咳ばらいをして続けた。


「だから夜になったら私と一緒に元の場所に返しに行く…それでいいでしょ」


「ホント!ありがとう、お姉ちゃん!」


それを聞くと京香はパァっと元気になって久しぶりに心から喜んでいた。


「やったね!夜まで一緒だよ。怪獣ちゃん」


本当に、本当にうれしそうな顔だった。

私といるだけではもう絶対に見れない。そう思っていた顔だった。

「なにか食べ物持ってくる」と興奮気味に京香は怪獣を箱に戻してドタドタと下へ降りていった

箱に戻った怪獣はジロリとこちらを一瞥するとスヤスヤと眠りについた。

私はすっかり疲れ切ってしまってベットに倒れこんだ。


「…『ありがとうお姉ちゃん』、か」


京香の言葉を小さく繰り返す。

毎日だって聞いている言葉のはずなのに、久しぶりにその言葉に意味があるように感じられた。


○ ○


午後十時、駅前にはまだ人がまばらとは言え人がいた。見知ったはずの情景も夜になればまた違った顔を覗かせる。繁華街ではいろんな色の電燈が激しく点滅して人を誘いそしてくたびれた人が一人また一人とその光に吸い込まれてゆく。街に響くのは昼間とは違うエンジン音ではなく人の声。

その情景にはまるで知らない場所に来てしまったような寂しさを覚える。蒸し暑かった昼とはまるで対象な少し早い秋の寒さがよりその寂しさを際立たせていた。

トイレに行った京香を出入口で待つ間携帯をさわる。

しばらく色々な場所を覗く。無論私たちが拾った怪獣のことについてである。

だが、それらしき情報はどこを探しても見つからない。あんな珍獣なんてそれこそ恰好の的であるはずだ、見つからないはずがない。


「まさか、本当に誰も見ていないわけ…?」


京香の言葉を完全に信じたわけではないけど、どうやら嘘という可能性は小さくなりつつある。

何にせよ、戻してしまえば私たちにはもう関係のない話だ。夢だったと自分に言い聞かせて忘れてしまえばそれでいい。

ただそれだけなのだ。


「お姉ちゃん、お待たせ」


京香の声には昼間ほどの元気はない。その目尻は少しだけ赤く腫れている。


「…いこう」


そう言って京香の手を取ると京香は私の手をギュッと強く握り返してきた。


〇 〇


「アンタ、本当にここで拾ったの」


「そうだよ」


怪物がいた場所にまで案内された私は実際にその場所を見て再び肩透かしを食らった。

拾ったと案内されたのはなんて事のない植え込みの低木の影であった。しゃがんで見てみるが別段変わったところはなくただちょうどよく枝が薄いだけである。大通りから外れているこの通りは夜の今でこそ人通りが少ないものの昼はそれなりにいるはずだ。見えにくいとは言え発見されないというのもそれはそれで不可解である。

私の納得の行かない顔を見て京香は少しむすっとしながら反論した。


「絶対本当なんだよ、お姉ちゃん。けどみんな知らんぷりして通り過ぎちゃうの」


「知らんぷりねぇ…まぁいいや。で、アンタはそれがかわいそうだったと」


「だって、お腹減ってそうだったから買ったお菓子あげたらすごい懐いちゃって。そしたらもっと欲しいって目で見てくるから…」


「…アンタ、警戒心なさすぎ」


私は妹の無用心さにすっかりあきれ返ってしまった。


「……戻してとっと帰るよ」


そういって私が立ち上がるとシュンとした顔で京香は背負ったリュックの中から怪獣を取り出す。取り出されたそれは狭いところが気に入らなかったのか不服そうな顔をしていた。

最後まで可愛げのないヤツである。

京香はじいっと怪獣をみつめた。怪獣もそれに気づくとけろりとした顔で見つめ返した。

最後の挨拶をするのだろう。

邪魔をするまいと二人から視線を逸らす。

そうやって周りを見渡すと、偶然怪獣のいたという場所に何かを見つけた。

茂みの影にあったそれは黒い封筒で、丁度影で暗くなって見えないところに隠れていた。

なんの変哲のない黒い封筒。まだ封を切られてはいない。

何が書いてあるのだろう。私の中にあるほんの少し純粋で危ない好奇心が刺激される。


―あの怪獣の正体について何かわかるのではないだろうか。

―捨てた飼い主についても知れるのではないだろうか。

―あるいはもっと恐ろしいことが書いてあるのだろうか。


けれど、そんな熱に当てられた思考だったが理性がすぐに脳を冷やす。

そもそもこれ以上この得体のしれない生物に関わればどんなことに巻き込まれるか分かったものではない。

元より、偶然拾っしまった厄介事を捨て去るためにここに来たのだ。

だから私たちはこれ以上何も知ってはならない。知らなくてもいい。

ーー私も京香と同じように忘れる覚悟をしなくてはいけない。

そうやって自分に言い聞かせてほんの少しの好奇心を殺す。


「…ごめんね」


京香は最後に抱きしめてそう一言告げると京香は今にもこぼれそうな涙を堪えて、怪獣がもといたであろう茂みに戻した。


「寒くないように、これもあげるから。いいよねお姉ちゃん」


私は小さく頷いてそれを許した。

京香は段ボールの寝床で使っていたブランケットで怪獣を包んでやった。


「行くよ」


私がそう声をかけると京香はしばらく怪獣を見つめた後、こちらに駆けてきた。

その目には小さい涙が流れていた。


「じゃあね。次はいい人に拾われるんだよ」


京香がそう告げると私たちは振り向かないように前に進み始めた。

怪獣は去ってゆく私達の背中を見て何かを察したのだろうか悲しそうに小さく鳴いた。


瞬間、大地が揺れ巨大な轟音が鳴り響いた。


「お、お姉ちゃん」


音の方向は大通りの方からであった。

地鳴りはどんどんと大きくなるまるでこちらに近づいてくるように。

私は京香の手を取り大通りに向かう。

そして、通りにでた私たちはそこでこれまでのことなんてちっぽけに思えるほどのありえない現実に直面する。


――私たちはそこで「二匹目の怪獣」を目撃した。


○ ○


その「怪獣」は影のような巨神であった。

足下からでは到底見上げられぬほどに巨大な全身。その四肢は今にも折れてしまいそうなほどに細く、関節の節が見えないものの確かに何かによってかろうじて繋がっている。

そしてその全身を飲み込まれそうなほどに黒い甲冑に包み込み、右手には同じく漆黒の槍を携えていた。

身体の曲線と鎧の直線を無茶苦茶に合体させたようなそのシルエットはまるで子供が作った粘土細工のように無茶苦茶である。けれど、その姿は歪でありながらどこか美しさを感じさせて、その巨大さも相まって私は思わず言葉を失ってしまう。

目の前の現実は数秒もたたぬうちに私の理解の範疇を超えてみせた。

その巨神は立ちすくむ私たちなどまるで意にも介さずゆっくりとその重い足取りを進めてゆく。

巨神の見据える先には先程まで私達がいた駅前のターミナルがあった。

すでに人が散ってしまったターミナルの弱い明りにその一部を照らされた不気味で巨大な何かが鎮座していた。

直感のようなもので悟る。


――「三匹目の怪獣」


確かにそこには何かがいる。だが、夜闇に慣れきれない目と巨神の歩みが巻き起こす地鳴りと風圧でその正体がうまく見えない。

必死で目を開けようとしたその瞬間、響きわたる爆音と共に、何かが恐ろしい速度で空気を裂いて飛んでくる。

せっかく開いた目ではとらえることができない。

けれど、すさまじい圧力で確実に何かが迫ってくるのだけはわかっていた。

超速をまとったその質量はゆっくりと前進する巨神と衝突し、巨神の鎧に突き刺さる。

そして先ほどの轟音が再びあたりに鳴り響きわたる。


「きゃあああ」


京香と私はその衝撃を避けるように身を屈める。握る京香の小な手は恐怖で震えていた。

恐る恐る瞳を開く。

瞳を開いて初めて自分がまだ生きていることを実感する。

幸い、上手くビルの陰に隠れていたおかげか、身体に少し砂ぼこりがかかった程度で済んでいた。

けれど、そんな安心も目に入った景色によってすぐに上書きされる。

ビルの窓ガラスは吹き飛び、アスファルトの道路も風に吹かれた紙みたいにぐちゃぐちゃだ。

車なんてミニカーみたいにひっくり返って、ほんのり赤い絵の具が垂れている。

風景はまるで映画の背景みたいに現実感を欠いてしまい、一瞬にして街は私たちの知るものではなくなった。


――逃げなくては死ぬ。


私も京香も巨神に踏み殺されるか、あの弾にミンチにされるか、なんにしたって私たちは死ぬ。

フィクションのような風景に訴えかけられるよりもずっと早く本能がそう答える。


「逃げるよ。京香」


怯え切って鉛のように重くなった足を気合いで叩き起こす。

生きてさえいれば全てが安い。

心臓が動き、呼吸が出来てさえいるならいつもの生活だってマシに思える。

普段のロクでもない現実でさえ死んでしまうくらいなら天国と感じるほどにこの空間は異常だった。

私は京香を立たせようとするがなぜか立ち上がらない。


「お、お姉ちゃん。足が動かない…」


握っていた京香の手はもはや力も入っておらず、呼吸ですらおぼついていない。


「大丈夫。ほら、お姉ちゃんにつかまって」


腰が抜けた京香を死に物狂いでおぶって私はすでにずっと先に進んでいた巨神を振り返った。

あの恐ろしい威力の砲弾を受けたところで巨神はまるで意に返すことはなく、何事もないように歩みを止めていなかった。

そして敵もそれを承知のように再び迎撃する。

爆音でなり響く発射音の後、再びあの砲弾が巨神に衝突し空気が激震する。

瞬間、物凄い圧力に背中を圧される。

距離を離したとは言え、そんなものは巨人たちの戯れに比べれば微々たるものに過ぎない。


「きゃぁあああああああーー」


衝撃の中、耳にしたくない叫び声が聞こえて、そしてすぐに途絶える。

認識して背筋が冷える。何が起こったのかすぐに脳が理解してしまう。


人が死んだ。

知らない誰かが死んでしまった。

死んでしまったのだ。

――では、次は誰だろう。


「怖い、怖いよ。お姉ちゃん!」


泣いて震え切った京香の声が放心していた私を現実に戻す。

いそいで後ろを振り返り状況を確認する。

依然、巨神の行進は止まることを知らない。ただ一歩一歩着実に敵との距離だけが詰まってゆく。

けれど、そうやって巨神が距離が距離を詰めるほど逃げようとする私たちには好都合だ。

少しでも巨神から離れられればそれだけ京香を安全な場所に連れて行ける。

だから、私は懸命に走った。今、走らなければ死がただ待つだけだ。

頭に刻み込まれてしまった悲鳴が私の背中を駆り立てる。


『次はお前たちの番だと』


感じたことのない恐怖と背中で感じる京香の震えがとおに限界をむえている私の身体を動かし続ける。


けれど次の瞬間、リボルバーの弾倉が回転するような鈍い金属音がビルの合間に響く。


その音に私の背筋が凍った。

前に進もうとする足が途端に動かなくなって、おびえ切った京香の震えが直に伝わってくる。

私の頭に最悪のことが浮かぶ。


それは多分砲弾が変わったことを知らせる合図ではないか。

それはつまり敵はあの装甲を貫くことは不可能であると判断したということではないだろうか。


そうしてすぐに装填が完了し、発射された三度目の砲弾は巨神と衝突し、そして炸裂した。

貫けぬのなら威力で押し通す。先ほどとは比べものにならない衝撃が発生し、ビルの窓はその衝撃のあまり粉々に割れて吹き飛び、重いはずの石畳でさえ軽々と吹き飛ばされる。

そしてその全てが猛烈なスピードの爆風を纏って私たちに迫る。

ようやくことの重大さを思い知ってようやく動くようになった足で逃げようと走るが既に遅い。

あの巨大な存在達にとってしてみれば私たちの命など気に留める必要すらない虫けらと同じなのだ。そう私たちが蟻を踏み潰すことに躊躇いなど持たぬように対峙する二つの怪物の暴力の前に私達はただただ無力なのだと思い知る。


情景を作り上げるのは暴力と暴力のぶつかり合いであった。

本能に刻まれた暴力性の赴くままに互いに理不尽を押し付け合うような無茶苦茶な情景。


怪物達の目にはきっと互いの姿だけが映るのみなのだろう。

燃える街も、崩れるビルもどれも彼らの中では等しくは意味を持たない。

そして私たちもその例外ではなく彼らの前では一つの装置というチープな存在に成り下がる。

その一生にどんなドラマがあろうとも、その命にどれほどの価値があろうとも圧倒的なモノの前では誰であれ等しく無価値な弱い生物なのだ。

そんな吹けば散る命であっても。

いやそんな命だからこそ。


私は生きていたいと心からそう願った。


〇 〇


あれだけの威力を受けてなお巨神の行進は続く。

まるで無傷ように一歩ずつ着実に目標との距離を詰める。

そして、私たちも生きていた。

爆風は全て巨大な何かが壁となって防がれていた。

だが、それは奇跡などではない。

私と京香は多分自分たちがかけた情けに救われた。


「見て、お姉ちゃん。アレきっと怪獣ちゃんだよ」


そう言って京香が指を刺したさきには舞い上がる爆煙を裂くように一匹の「怪獣」が立っていた。

恐竜のように太く重厚な尻尾そして強く大地を踏み締める巨大な二足の足。

そして私たちが拾った小さな生物とは似ても似つかぬような凶暴さを秘めた瞳。

けれどなぜか私たちにはあの怪獣であることはすぐにわかった。


全身を包む堅牢な鎧も。


剥き出しになったその牙も。


異様の発達した爪も。


全てはあの「」を狩るためにあったのだ。

巨大な怪獣その鋭い眼でこちら向いて私たちを一瞥すると、ゆっくりと巨神に向かって歩き始めた。

緊張の糸がきれて私は情けなくへたり込む。

自分はまだ生きている。

ただそれだけなのに、今はとても有難いことに思えた。


「お姉ちゃん高いとこにいこ。怪獣ちゃんがどうなるかちゃんと見なきゃ」


一周まわって恐怖も吹き飛んでしまった私たちは急いで近場のビルの非常階段を駆け上った。幸い先ほどの衝突で入口は壊れてしまっていた。

低いビルが並んでいたため近場のビルでも中腹ほどでその衝突がなんとか確認できる。私達は食い入るように激震の中心を見る。

やっとの思いでターミナルを捉えたとき既に巨神は目標に到達しそれを制圧していた。


黒く巨大な影は巻貝のような形のした敵の怪獣に突き刺さった砲身を一本一本へし折っていた。

多分あれがさっきの凶悪な砲弾の正体なのだろう。

巨神は念入りに恨みを返すように砲塔を破壊してゆく。そのたびに不快な叫び声のようなモノがあたりに響きわたる。

一本また一本とついにすべての砲身をへし折ると最後に残った無防備で無残な敵の本体を確実に始末せんと何度も何度もその手にしていた黒い槍を装甲に突き立てる。

その鈍い音は遠くで見ているこちらまで響いてきた。

なすすべもなくされるがままの敵に対し、巨神の攻撃はどんどんとその勢いを増してゆく。

そのあまりの強力さに次第に貝殻は悲鳴を上げ始める。

響き渡る不快な悲鳴、そして燃え盛る街と相まって巨神はまるで悪魔のようであった。

やがて巨神は次の一撃で仕留めるために大きく槍を突き立てる。あの一撃をくらえばもはやあの貝殻は無慈悲に貫かれてしまことは疑う余地もなかった。


しかし、槍を振り下ろそうとした巨神は横からの思わぬ一撃に大きく体制を崩しビルに倒れ込んだ。

立ち上げるにぶい煙幕の中にかすかにその姿が見える。

それは他でもない私たちの怪獣であった。

不意打ちがよほど効いたのか巨神の動きはなかった。その隙を見逃すまいとすかさず巻貝の怪獣は這うよう転がって逃げ始めた。

獲物が逃げる音をとらえたのか巨神は槍をつきたてゆっくりとその巨体を起こし立てた。


だが追いかけようとする巨神の前に恐竜のような私たちの怪物が立ちはだかる。巨神は私たちの怪獣よりも一回り大きく、見下ろされるような形で対峙した。

巨神が槍を構えると怪獣もそれに呼応するように大きく咆哮をあげた。


先手を仕掛けたのは巨神であった。

リーチにおいて有利を取る巨神の槍は怪獣の爪よりも速い。

巨神は一撃で仕留めようと怪獣の腹部を目指して槍を突き刺した。


だが、その一撃が届くことはなかった。


私たちの怪獣が槍を受け止めたのだ。

すぐに振り払おうとする巨神だがまとわりついた怪獣の腕をを払うことができない。どうやら力の面では巨神は怪獣には劣るようであった。

逃げられないとわかったのか怪獣はさらに槍を握る腕に力をいれる。だんだんと持ち上がってゆく槍に巨神は抵抗ができない。

不利を悟った巨神はすぐさま槍を手放し距離をとった。

持ち主に捨てられた槍に私たちの怪獣はなおも力を加え続ける。

ついに、貝殻の装甲ですら打ち破ろうとしたその黒い槍をへし折ってしまった。

そして距離をとって油断したであろう巨神にへし折った槍の先を怪獣は正確に向かって投げつけた。

予想外の飛び道具に完全に油断しきっていた巨神にとってその一撃は不意打ちとなり攻撃によろける。

そのスキを見逃すことなく間髪入れずに突進する怪獣に後手をとった巨神はビルに打ちつけられる。

その強烈な一撃が生んだ衝撃は私たちの足元までも揺らした。


攻撃があまりに強力だったのか立ち上がろうとする巨神の動きには若干の鈍さがあった。

その隙を見逃すまいと怪獣は巨神を掴み向いのビルに叩きつけた。怪獣の怪力で二度も叩きつけられた巨神にはもはや立ち上がる力すらなかった。向かってくる怪獣に対抗せんとなんとか槍をつかもうとする巨神であったが、その腕ですら怪物に叩き伏せられ踏み潰された。


勝敗は既に決した。

漆黒の巨神はもう動かない。

勝者となった怪獣は天を貫くような咆哮を響かせる。


「お姉ちゃん、怪獣ちゃんの勝ちだよ。あの怖い黒いヤツに勝ったんだよ」


迎えに行こう言って京香は急いで階段を降り始める。

だけど私はしばらくその場から動くことができなかった。今まで目の前で起こった全てが信じられなかったのだ。


あの怪獣が黒い巨神を叩き伏せたことが。

荒唐無稽で圧倒的な暴力が存在していることが。

そして、そんな暴圧的な理不尽が今まさに目の前でねじ伏せたことが。


力を失った騎士とそれを踏み下す異形の怪物。

そして一面を埋め尽くす茜色の彩。

こんなにおかしな風景どうりでおもしろいはずである。

私は変にくすぐったい気分になって思わず笑ってしまった。

そうしていても立ってもいられなくなった私は急いで京香の後を追った。


――その夜、煙の上りゆく空っぽの空に大きな勝利の咆哮が轟き渡たった。

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怪獣少女 留年寝太郎 @Nziura

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