第190話 パブ「ディープワン」


 霧深き港町ミナスの中心部にあるパブ「ディープワン」。


 桜井船務長が扉を開いて先に入り、その後をシンイチ、そしてフワーデが付いていった。VRフワーデゴーグルのディスプレイには、桜井とシンイチの背中が映し出されている。


 パブの中は、ランタンの光がぼんやりと周囲を照らしているだけで、薄暗い空間だった。静かにお酒を楽しむ高級バーであれば、薄暗さというものは落ち着いた雰囲気を醸し出すものだ。


 だが、このパブとそこにいる客たちは、どうも高級とは無縁の、どちらかというと荒くれ者と言った方が相応しいように見える。


 足を踏み入れた直後、パブにいる全員の視線が桜井たちに向けられる。


 彼らの生気のない胡乱気な目は、ゴーグル越しで見ている私でさえ、背中に怖気を走らせるものだった。


 その不気味さの大きな理由は、彼らのどことなく人間離れしている顔立ちにあった。しかも全員が共通の特徴を有している。


 全員が魚面だった。


 と言ってしまうと、大陸にいらっしゃるお魚系のお顔の方々に失礼になってしまうので、より正確に言い直そう。


 その全員が、我々が倒したダゴンとダゴリーヌを彷彿とさせる魚面だったのだ。


 桜井船務長は、動揺を一切見せることなく、そのままカウンターへ向う。その後ろとシンイチが追い駆けるように付いていった。


「何か用かい?」

  

 カウンターにいた魚面のバーテンダーが桜井に声を掛けている。その声は、雑音が交じるスピーカーから聞こえてくるようなものだった。


 桜井がこめかみに人差し指を当てる。これは現地語が聞き取れたことを示す合図だ。どうやら言語習得の乗組員への浸透はかなり進んでいるらしい。私自身も、バーテンダーの言葉を理解することができた。


「あぁ、観光でこの街についたばかりでね。喉が渇いたものだから、とりあえず一杯やっておこうと思ってね……」


 桜井がチラッと二階に目を向ける。


「……あと今晩、泊まる場所を探してる」


「観光客かい! そりゃ大歓迎だ!」


「観光客!」

「観光客?」

「観光客!?」

「観光客ー!」

「かんこうきゃく!」

「観光観光観光客」

「なんだ観光客」

「ぐぎぎ観光客」

「でゅふふふ観光客」


 カウンターにいた魚面の客たちが、桜井の言葉に一斉に反応した。超不気味な反応だったが、先ほどまでの空気が張り詰めたような緊張感は消えてしまった。


 魚面のバーテンダーが、桜井に向かって笑顔で話しかけてくる。


「何せ今は霧が濃い閑散期だからね。観光客もなかなか来てくれないんだよ。泊まりなら、この先にギルマン・ホテルがあるけど、うちの二階でも宿泊できるよ。まぁ、どちらでも大歓迎だ。あっ、飲み物だったね? 何にするエールとミード酒なら直ぐに出せるよ」


「じゃあ、エールを3つ頼もうか」

 

 私は桜井のインカムに通信を入れる。


「桜井、お酒なんか頼んでいいのか? 現地通貨はどうする?」


 桜井がフワーデ・ボディの顔を見つめてから、視線をパブの入り口に動かす。


「フワーデ、ゆっくりと周囲に気付かれないように、桜井の視線を追ってくれ」


「わかったー」


 フワーデが視線を動かすと、そこには客のひとりが入り口の扉に閂をかけている姿が映し出される。さらに、他の客がそっとパブの窓を締めようとしていた。


「はいよ! エール3つ!」


 カウンターに並んだエールに、シンイチが手を伸ばしそうになったのを桜井が止めた。


「「え?」」


 シンイチと魚面のバーテンダーが同時に首を傾げる。


「シンイチ! ここはレディファーストだろ?」


「あっ、そ、そうですね」


 シンイチがエールのジョッキをそっとフワーデ・ボディに手渡した。


 レディファーストと言っても、フワーデの外見年齢は中学生くらいなんだが。


 なんてツッコミはしない。


 フワーデ・ボディはニッコリと笑って、ジョッキを受け取って一口啜る。


 艦橋にいるホログラム・フワーデが、直ちに解析結果を報告。


「睡眠導入剤と同等の成分を検知しました」


 私はインカムで全員に通知する。


「戦闘用意、こいつらは敵だ」


 私の言葉に動揺を示したのはシンイチだけだった。


 桜井がシンイチの肩をポンッと叩いて、シンイチを落ち着かせる。


「シンイチ、大丈夫だ。訓練通りにやればいい」


「は、はい」


 魚面のバーテンダーが、二人の会話に首を傾げる。


「訓練通り? そういう通りはこの町にはないよ」


「いや、こちらの話だ。ところで……」


 桜井が魚面のバーテンダーのネクタイの根元を掴む。


「その魚面は本物なのか?」


 ドンッ!


 思い切りネクタイを引いて、魚面をカウンターから引き摺りだして床に叩きつける。


「ギョッ!?」


 床に叩きつけられた魚面を、桜井が掴んで引き剥がすと、皮膚がゴムのように裂けて、その下から鱗に覆われた天然素材100%の本物の魚の顔が現れた。


「「「「ギョギョッ!」」」」


 パブにいる魚面が全員立ち上がる。


「おっと、扉と窓からは離れた方がいいぞ」

 

 桜井が魚面たちに声を掛ける。


 そしてシンイチとフワーデを連れてカウンターの背後に身を隠した。


「境ぃぃぃぃ!」


 桜井船務長の怒号と共に、機銃掃射が始まった。


 バババババババババババッ!


 バババババババババババッ!


 窓という窓が破壊されていく。


 バババババババババババッ!


 バババババババババババッ!


 破壊された扉が内側へと倒れ込んた。


「「「「ギョギョー--ッ!」」」」


 バババババババババババッ!


 ババババババッ!


 バババッ!


 ババッ!


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 扉の向こうから、境大尉たちとライラ・トルネアが入ってきたときには、


 動く魚面は一匹として残ってはいなかった。


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