第153話 悪魔勇者の最後

 シンイチとライラによって、モニタの向こうにいるのが悪魔勇者である確証が取れた。


 指を一本ずつ折り曲げていた橋本船務長が、両手の人差し指だけ立てて、そのまま私の方に腕を振った。


 私はそれに静かに頷いて応え、再び悪魔勇者との会話に戻る。


「クククッ! そうか! アンタもそうなのか! クハハハハッ! こいつは最高に面白れぇ!」


 モニタには、悪魔勇者が腹を抱えて大笑いしている様子が映し出されていた。


「アンタには俺の姿が見えてるだろうが、これこの通り! 俺も幼女にされたクチだ!」


 そう言って、悪魔勇者は傍らに控える神官らしき女性の胸を鷲掴みにして、荒く揉みしだいた。


「こんな身体じゃ女を抱くことも出来やしねぇ! まったく! お互い酷ぇ目に遭っちまったもんだよなぁ?」 


 平野副長が激しい怒気を放つのを背中で感じていたが、私の意識はそちらに向くことはなく、ひたすらモニタに映る悪魔勇者と橋本船務長に集中していた。


 橋本船務長は左腕を上げている。その顔は自分の目の前にある端末に向けたままだ。


「それだけじゃねぇぜ! この右目と右腕を見てくれよ! この世界の人間どもときたらよ! 俺みたいな幼い子供に酷えことしやがると思わねぇか?」 


 彼が怒りに任せて左手に力を込めたためか、胸を掴まれている女神官の顔が苦痛に歪むのが見える。


「そうだな……。ところで、貴君の名前を教えてもらえないだろうか? どう呼べばいい? もし皇帝陛下と呼ばれるのを望んでいるのだとしても、我々帝国軍人にとって皇帝陛下は帝国におわす御方ただお一人。同郷のよしみで、そこは理解して欲しい」


「ふん……そうだな。まぁ名乗っておくとするか。帝国での俺の名前は、茂木聖従セイジュウだ」


 その一風変わった名前が心に何となく引っ掛かる。どこかで見聞きしたような気がするが思い出せない。


 考え込む私の目の前に、シンイチが自分のスマホを差し出してきた。


 スマホの画面には、前世で茂木聖従が引き起こした電車内での大量殺人事件のネット記事の見出しが表示されていた。


 この事件なら知っている。当時は帝国を揺るがす大ニュースになっていたからだ。


 詳細に報道されていた事件の内容を思い出し、私の心臓の鼓動が早鐘を打ち出した。巻き込まれた被害者は多く、しかもあまりにも悲惨な最後を遂げていたからだ。


 だがその動揺が声に出ないよう、私は最大の注意を払いつつ悪魔勇者に語り掛けた。


「なるほど。それでセイジュウ神聖帝国というわけなのか。しかし困ったな。それでは皇帝陛下以外に呼びようがないか……その場合、毎回、セイジュウ神聖帝国皇帝陛下とお呼びするしかないが」


 私が困惑しているのを察してか、カメラの向こうでは悪魔勇者が少し考え込む様子を見せる。


「そうだな……俺をこの世界に呼び出した神官連中は『勇者様』と呼ぶな。俺を敵視する人類軍の連中は『悪魔勇者』と呼んでいるらしいが、それも悪かねぇな」


「それなら『勇者セイジュウ』というのはどうだろう? あるいはこの会談の後に敵対することが確定した場合には『悪魔勇者セイジュウ』で。勇者というのは、その強大な力に対して敬意が込もった敬称であるとも言えるだろう」


 橋本船務長がCICのモニタの一つを指差す。モニタには数字が大きく表示され、既にカウントダウンが始まっていた。

 

 一方、カメラ越しの悪魔勇者は女神官の胸から手を放し、今はアゴに手を当てて何やら思案し始める。


「ふん……勇者セイジュウか……勇者セイジュウ……悪魔勇者セイジュウ……」


 なんだろう。


 私の提案を素直に聞き入れて、真面目に検討を始める姿を見ていると、こいつがそれほど悪い人間ではない気がしてしまう。そんなわけないのに。


「そうだな……。それじゃ、それでいいぜ! 勇者セイジュウでも悪魔勇者セイジュウでも好きな方で呼べばいい。俺の方は……艦長さんとでも呼ばせてもらうわ」


 そう言って相好を崩す悪魔勇者の表情には、悪意のない普通の……人の笑顔が交じっていた。


「それでは勇者セイジュウ。私たちがこれからどのような運命に見舞われるにしろ、この会話はお互いにとって貴重な……もしかすると最後の機会になるかもしれない。であるなら、私としては自分がどのような相手と戦って、あるいは勝利し、あるいは敗北していくのかを知っておきたい。勇者セイジュウ。貴君の戦いの目的を、あるいは目指すところを聞かせてはもらえないだろうか。もちろん、我々に対して聞きたいことがあれば出来る限り答えるつもりだ」


 ここまでの長々とした私の話を、悪魔勇者が辛抱強く聞き続けた時点で、私は慎重さを維持する限り、私の思惑が成功するであろうことを確信した。


「まぁ……そうだな。丁度これから食事を取るところだ。その間くらいなら話に付き合ってやってもいいぜ。せいぜい俺を楽しませてくれよ」


 そこから始まった1時間28分に及ぶ悪魔勇者との対話は、私の体重を3キロも落とすほどに過酷なものであった。


 対話のほとんどにおいて私は聞き役に徹し、彼から情報を引き出すことに務めた。


 前世における彼の生い立ちから、大量殺人に至った動機、異世界に転生してから行なってきたことを、彼は語り続けた。


 その内容の大半が、自分勝手な思い込みだけで他人を憎悪するものであり、彼が行なってきた悍ましい行動を正当化できるものは何一つとしてなかった。


 茂木聖従は喜々として、彼が手に掛けた者をどのように苦しめて死に至らしめたのか得意気に話し続けた。


 犠牲者に降りかかった凄惨な地獄について語られるのを聞いていた私は、その間ずっと内臓を抉られるような感覚を覚えていた。


 それでも人間というのは不思議なもので、ずっと彼の話に耳を傾けているうちに、情け心が芽生えてきた。


 これは犯罪者に共感してしまうというストックホルム症候群なのだろうか。あるいは極度の緊張下に置かれている吊り橋効果なのか。


 冷徹なサイコパスという彼の印象が、私の中で徐々に薄れて行くのを感じていた。もしかすると見た目が幼女だからかもしれない。


 いずれにせよ、いつの間にか私は彼を理解しようとしてしまっていた。


 彼が悪魔勇者で強大な力を持っているのだとしても、その本質はただの人間に過ぎない。ただ歯車が歪んでトチ狂って後戻りできないところまで落ちてしまった……ただの人間に過ぎないのだと……思ってしまった。


 もちろん護衛艦フワデラ248名の乗員や民間人の命を預かる艦長として、帝国軍人としての私は一切動じることなく、この悪魔勇者への警戒がブレることはない。


 だが、もっと人間としての奥底で、命が輪廻するのを目の当たりにした今であればこそ、私の魂の根底にある何かが、目の前の存在の悲しみと痛みに触れてしまった。


 この幼女の姿をした悪魔が、前世で行った所業を一切許すものではない。


 この悪魔勇者が、この世界で行った所業を一切許すものではない。


 自分はこれから、この悪魔勇者にその名の通り正義の鉄槌をくだす。


 そこに一切の容赦も情状酌量の余地もない。


 こいつは、シンイチの大事なライラの命を一度奪っている。


 シンイチの村を破壊し、アシハブア王国の人々を苦しめ、

 

 大陸全土に大戦を拡げた。

 

 悪魔勇者を排除するためだけに、この世界の神々が私たちをこの異世界へと呼び寄せたほどだ。


 ウドゥンキラーナが邪悪そのものであると断言した妖異たち。


 それを率いる悪魔勇者は、恐らく私が把握しているその何十倍もの悪業を背負っているのだろう。


 いつの間にかモニタに表示されている数字のカウントダウンが1分を切っていた。


 この悪魔勇者とて、前世で違う環境に生まれ、違った縁に触れ、小さな出来事がひとつでも掛け違っていれば、今と全く違った人生を歩んでいたかもしれない。


 そんなことをふと考えてしまった。


 古今東西の聖者たちがどのような極悪人に対しても、自分を処刑台に掛けた者に対してまでも、彼らに憐みを向け、彼らのために神仏の慈悲を乞う。その理由がほんの少しだけ分かった気がした。


 ほんの一瞬だけ、


 少しだけ分かった気がしただけだ。


 橋本船務長が両手を拡げ、10本の指をひとつづつ折り曲げていく。


 最後のカウントダウンが始まった。


 私はカメラの向こうにいる悪魔勇者に言葉を掛ける。


「悪魔勇者セイジュウ、そろそろ時間切れだ。では……」


 橋本船務長が声を出してカウントダウンを始める。


「5……4……3……2……1……」


 私は悪魔勇者に最後の言葉を放った。


「さらばだ」


 カメラの向こうでは、悪魔勇者が空を見上げていた。


 ゴオォォォォォ!


 悪魔勇者の目と口が大きく開かれる。


 何かを叫んでいるようだが、轟音にかき消され、もはや何も聞き取ることはできない。


 そして――


 30発のタクティカルトマホークが着弾し、


 CICのモニタは何も映さなくなった。



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