第150話 ルートリア橋頭保 Side:妖異軍

~ ルートリア連邦 カザン王国 ~

 

 連邦においてセイジュウ神聖帝国と同盟を結んでいるカザン王国。その領内で最もアシハブア王国に近いヤブラカーン城に、イゴーロナックル将軍は妖異を主体とする軍を駐屯させている。


 その城に、人類軍の領土からさらってきた民草や人類軍兵士を贄として、その悪感情を堪能する巨躯の妖異が居座っていた。


 セイジュウ神聖帝国東方攻略軍を束ねるイゴーロナックル将軍は、左手状の頭を持つ化け物だ。その掌にあたる部分には巨大な瞳が据えられている。


 イゴーロナックル将軍は、悪魔勇者から勅命を受けた賢者の石の強奪が行き詰っていることにイラ立ちを覚えていた。


 人間や魔族の醜い感情を美食とする将軍だが、自分自身の悪感情はただただ苦々しいものでしかない。


「げっぷ。賢者の石の場所もわかっているというのに、未だに手に入れられないとは、口惜しいが、まったくもって我の名折れである」


 王座の前で、お互いに憎悪をぶつけ合って殺しう人類軍捕虜の悪感情を喰らいながら、将軍はつぶやいた。


 生贄に選ばれた村の女を守ろうと気高い精神を発揮していた捕虜の男たちが、今では誰が女を犯すのか血で血を洗う争いを続けていた。


 イゴーロナックル将軍の目で直視された矮小な存在は、こうも簡単に精神を堕落の深淵へと落としてしまうのだ。


 最後に勝ち残った捕虜がその権利を行使し、恐怖に支配された女の精神が狂気に沈んだところで、妖異兵が二人の首を落とす。


「うむ。今日はこのくらいで良い。後は皆に振る舞ってやれ」


 妖異兵が贄を片付ける様子を眺めながら、将軍は思った。


「賢者の石については、確かに我の落ち度である。だが、アシハブア王国攻略については、アングイール将軍の責である」


 アングイール将軍は、セイジュウ神聖帝国の東方攻略において要とも言える立場にいた。


 本来、東方攻略作戦はアングイール将軍が同盟国であるナヴリエルからアシハブア王国に攻勢をしかけて勢力を削ぐことが前提だったのだ。


「そもそもナヴリエルによる南方からの侵攻にアシハブアが手を焼いているところを、北から一気に攻め入るはずだったのだ」


 だが、その作戦はいくつもの想定外の出来事によって大幅な変更を余儀なくされてしまった。


 ひとつは、ドラン大平原の戦で起こった爆発。


 爆発に巻き込まれた戦場の兵士たちが人間の幼子に変わってしまうという事態を、いったい誰が想定できるというのだろう。


 さらに、その戦ではこともあろうに帝国の陛下、悪魔勇者までもが幼女に変えられてしまったのだ。


 その後、戦場に残っていた兵士のほとんどは元の姿に戻った。だが、陛下を始め戦場を離れたものたちは幼女のままだという。


 古今東西、いったいどのような知将が、こんな事態を想定できただろうか。


 ひとつは、グレイベア村の存在。


 賢者の石を持つ人間を発見したのがイゴーロナックル軍であることについては、もっと評価されるべきだと、将軍は考えていた。


 だがグレイベア村にいたドラゴンとの戦闘に気を取られるあまり、攫った賢者の石を持つ人間の女を、戦場にいる陛下の元へ送ったのは失敗だった。


 今となっては分かる。分かってしまった。


 人間の女を追いかけて行った者。


 その者こそドランの戦場を幼子で埋め尽くした者であることは間違いない。


 その男は陛下を幼女にした上、その右腕までをも奪ってしまった。


 さらにその後、突如現れた――ように将軍には思えた――白狼族の村が破竹の勢いで我が軍を打ち破って行った。


 このため、アシハブア王国へ攻め入る北方の侵攻路は徐々に西へと押され、今はアシハブア王国の北西に位置するカザン王国へと橋頭保を移すことになってしまった。


 カザン王国は現在のところセイジュウ帝国と同盟を結んではいるものの、混乱の極みにあるルートリア連邦内においては、いつ裏切られるとも限らない。


 もちろんカザン王国が寝返った場合、彼らは相応の報いを受けることになろうが、そうなると益々アシハブア攻略に遅れが出てくることは間違いない。


 だがこうした諸々のことは、イゴーロナックル将軍にとってはそれほど重要なことではなかった。


 人類軍によって『連戦不敗の名将』と呼ばれるに至るまで、このような難事はこれまで何度も乗り越えてきたという自負を将軍は持っていた。


 だがアングイール将軍の死だけは別だった。


 数々の問題の中で、彼が急死した事実だけが将軍の心胆を寒からしめた。


「やはり……混沌の徒が言っていたのは本当のことであったか……」


 悪魔勇者をこの世界に召喚した星の智慧派と呼ばれる混沌の信徒。


 それまで深淵の奥底で永き眠りについていたイゴーロナックルを目覚めさせたのも彼らである。


 その彼らが言っていた――


「将軍様は、まさに悪魔勇者の忠実なる眷属にして、無敵なる混沌の知将。御身は悪魔勇者様の左腕を体現されているのでございます」

 

 彼らの言葉は、自分をおだてるための修辞に過ぎないと将軍は考えていた。


 だが海魔将軍ダゴンが謎の死を遂げたときに疑念が生じた。


 ダゴンの死と同じくして、悪魔将軍の右目が失われたのはただの偶然だろうかと。


 そしてアングイール将軍の死によって疑念は確信へと変わる。


 悪魔将軍が人間によって右腕を落とされた日時が、アングイール将軍の急死とほぼ時を同じくしていたのだ。


 その後、将軍は星の智慧派の神官を呼び、何度も確認した。神官を何人も拷問して屠った。


 その結果分かったのは「神官たちは本気で将軍が悪魔勇者の左手そのものであることを信じ切っている」ということだった。


 そして、そのことを誰よりも理解しているのが自分自身であることを認めざる得なくなった。今までは目を逸らし続けていただけなのだ。


 自分の中にある魔核――人間で言う心臓にあたる部分――が、悪魔勇者とつながっているという感覚を、将軍はずっと感じていた。


 悪魔勇者の憂いや喜びが、まるで一心同体のように自分の心に伝わってくるのを、これまで将軍は自分にある忠誠心の高さからくるものと考えていた。

 

 だがそれだけではなかった。


 自分が悪魔勇者の左腕そのものであるということを確信した将軍は、自分の魔核が見えない糸でつながっていることを実感せずにはいられなかった。


 ふと、悪魔勇者が今置かれている状況を考えた将軍の全身に怖気が走る。


 ドランの戦場で人間の子供に変えられた者は、姿だけでなく何もかも人間の幼子そのものだという。


 あの戦場に遅れて到着し、幼子になるのを免れた妖異や魔族の中には、本当は同胞である幼子を喜々として殺し、そして食していた。


 いくら陛下の忠実な精鋭に守られているとはいえ、妖異の身近に人間の子供がいる危険性なら将軍自身が身をもって知っている。


「一刻も早く賢者の石を手に入れねば……」

 

 混沌の徒から、賢者の石は悪魔勇者の力を増すために必要なものであると聞いてはいた。


 これまでは「とにかく陛下が所望しているものであれば」という程度の認識しかなかった。


 だが今はもう違う。

 

 賢者の石の捜索を行う中で、将軍は石が強力な生命回復能力を持っていることを知った。


 所持者の死の身替りわりをするとか、命を復活させるとも、聞いている。


 それはまさに今、悪魔勇者に持っていてもらいたいものだった。


 ぐずぐずはしていられない。


 吹けば飛ぶような人間の、しかも子供の命である。


 悪魔勇者を守るため、自分自身の命を守るためにも、何としても賢者の石を手に入れねばならない。


 そのためにもグレイベア村を早く落とす必要があるのだが、攻略は一向に進まない。


「となればまずは手を打てるところから進めるしかあるまい。まずはルートリア連邦内にセイジュウ帝国軍の足場を増やすぞ」


 こうしてイゴーロナックル将軍の巨大な目が、ルートリア連邦の南方諸国へと向けられた。



 




























 




 





 


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