第149話 念書
森の魔神ウドゥンキラーナとトゥチョトゥチョ族の協力を得られたことで、ヘルメスの新規配備やメンテナンスは当初の予定より各段に早く進んでいる。
ウドゥンキラーナの神域は東西に長く、アシハブア王国とセイジュウ神聖帝国の中間まで伸びている大森林だ。
この大森林の中には、ウドゥンキラーナの他に二柱の魔神が存在している。神域が重複している部分もあるらしいのだが、特にお互いが縄張りを主張するようなこともなく、どの魔神も大森林内であれば自由に移動することができるのだとか。
「艦長、新規ヘルメスのポイントW23への設置が完了しました」
私は月光基地の指揮所で、ルートリア連邦に潜入中の坂上大尉から報告を受けていた。
「隠蔽の方はどうだ?」
「これから取り掛かります」
るるる~♪ か~な~しみ~のぉ~♪
突然、私のスマホにビデオ通話の着信が入った。
魔神ウドゥンキラーナからだった。
「タカツ~! 隠蔽はウドゥンに任せるのでありんす!」
会談の後、いつでもコンタクトが取れるようにと提供したスマホを使ってわざわざ連絡してきていた。
「いや、ウドゥン様の姿は指揮所のモニタで見えてるし、わざわざご連絡いただかなくても……」
「いやぁ~、ヴィルミカーラにエフェクトプラグインを入れて貰ったので、使ってみたかったのでありんす!」
私のスマホにはウドゥンキラーナが映っていた。その木目の顔にはネコの髭とネコミミが合成表示されていて、顔が動く度に星のパーティクルがキラキラと散る。
「タカツ! ウドゥンは可愛いでありんすか?」
「ハイカワイイデス、ので可及的速やかにヘルメスの隠蔽をお願いします」
もう何回も繰り返されたやりとりなので、私は事務口調で定型文の誉め言葉を棒読みして受け流す。
「ふふふ、そうでありんすか。ウドゥンはカワイイでありんすか」
正直かなりウザイ。だけど私は幼女とはいえ大人なので、そこはニコッと笑って軽く頷くだけに止めておいた。
「それではこの可愛いウドゥンがヘルメスを隠してやるかのー!」
モニタの向こうでは、植物がワラワラとヘルメスに纏わりついてきて、あっと言う間にその姿を覆い隠す。上空から直下を眺めない限り、ヘルメスの太陽光パネル部分は見ることができないようにキチンと配慮してくれている。
「ほれ、完成でありんす!」
ウドゥンキラーナはこうして隠蔽を手伝ってくれるだけではない。ヘルメスの設置作業に入る前には人払いも行ってくれている。
~ 作業前 ~
「ドライアードたちよ、ここの人除けをしておくりゃれよ」
「「「畏まりました。我が主」」」
いつの間にかウドゥンキラーナの前に三人の美女が立っていた。緑の髪と緑の肌、緑色の目をした魔神の眷属らしい。
ドライアードは精霊らしいが、木彫り風味なウドゥンキラーナと違って、彼女たちの外観はまだ人間に近い。
「ほれ、褒美の先渡しじゃ、葉の盃を出すがよい」
ウドゥンキラーナがドライアードひとり一人の盃にハイパーボリアックスの液体肥料を満たしていく。
「それを飲む前の注意じゃが、お主らの目の前にいる男二人は妻持ちじゃからの。その妻もここにおるから、粗相することのないようにな」
ドライアードたちはコクリと頷いてから液体肥料を仰ぎ呑む。
一瞬にして彼女たちの頬が赤く染まる。
「「「とてもおいひぃれす……」」」
そしてたちまちピンクのオーラが彼女たちを包んだ。
「良いか、ここにいる男二人は妻子持ちじゃからの。手を出すとファイアストームが飛んでくるからの」
ウドゥンキラーナが念を押すと、彼女たちは頷いてからフラフラと三方に分かれて森の奥へと消えて行った。
ちなみに男二人というのは、南大尉とヴィルフォアッシュのことである。ヴィルフォアッシュとヴィルミカーラは夫婦ではないが、面倒を避けるために夫婦という説明を眷属たちにしている。
とにかく、このようにウドゥンキラーナは眷属たちを使って、ヘルメスが設置されている場所に人や魔族が近づくことのないように対処までしてくれているのだ。
ちなみに今回は、井上少尉が遠隔操作するアラクネとヴィルフォローランが操作するイタカにドライアードのうち二人を追跡させている。
ヘルメスの隠蔽作業が終わった後、私は井上とヴィルフォローランがドライアードたちを追跡する様子を見ていた。
二つのドローンから送られてくる映像がモニタに映し出される。
~ アラクネからの映像 ~
旅人か冒険者か、人間の男性が焚火を前にして座っている。
そこへドライアードの一体が音も立てずに近づいて行った。
「うふふ。あらあら……こんな場所で一人で野営ですか? うふ。大丈夫ですか? 子作りしますか? そうしましょう」
「えっ!? 何!? 精霊? って……なんで裸? ここで!? いきなり!? あっ……そ、そこは……あふんっ!?」
その後、映像がR18に突入しかかったところで、フワーデネットの警告が表示され、直後に風光明媚な湖を行くボートの映像に切り替わる。
~ イタカの拾った音声 ~
旅人か冒険者か、人間の男性が焚火を前にして半裸で奇妙な踊りを踊っている。
ただの変態かもしれない。
「森の神よぉぉぉ! なにとぞ! なにとぞ我輩にDTを卒業させ給えでござるぅぅ! このままでは魔法使いを越えて、ウィザードになってしまいますぞぉぉ!」
そこへドライアードの一体が音も立てずに近づいて行った。
「はっ!? 突然、目の前に緑の天使様が!?」
「うふふ。貴方のその願い。私が叶えて差し上げましょう」
「ふぉぉぉぉ! こんな美しい天使様が筆おろしをしてくださるとは!
拙者、歓喜! 感謝! もう一生、森の神様に忠誠を捧げますぞぉぉ!」
「ふふふ。さぁ……いらっしゃい……」
「ふおぉぉぉぉ! よろしくおなしゃすでござるぅぅぅ!」
その後、映像がR18に突入しかかったところで、フワーデネットの警告が表示され、直後に風光明媚な湖を行くボートの映像に切り替わった。
~ 月光基地 指揮所 ~
アラクネとイタカが拾った音声を聞いた私は、はぁーっと大きくため息を吐いた。
「もういいから、とりあえずアラクネとイタカを坂上達のところへ戻してくれ」
まぁ、こういうことなのだろうとは分かっていた。
それでもドライアードたちに襲われる犠牲者が、万が一にも「性的な意味じゃなく喰われる」ようなことがあっては一大事なので、一応追跡させてみただけのことだ。
アラクネを操作していた井上少尉が死んだ魚の目を私に向け、
「今回もただ発情してただけでしたね」
と絶対零度の声でつぶやいた。
最近、彼女は二人のクズ男によってその乙女心を翻弄されたばかりである。なので私としては、井上に恋愛や下ネタ系の話題について触れることは避けたかった。
だがこれも任務のうちだ。仕方ない。
「……ねばいいのに……」
「は?」
「……死ねばいいのに……死ねばいいのに……死ねばいいのに……死ねばいいのに……死ねばいいのに……死ねばいいのに……死ねばいいのに……」
てっきり井上少尉が私に何か報告しようとしていたのかと思っていたら、実は
私は、井上少尉が恋愛についても精神的にタフなのだろうと勝手に思い込んでいた。
だが二人のクズ男に弄ばれた乙女心の傷は私が思っていた以上に深く、ドライアードたちの塗れ場シーンは、井上少尉のハートに致命攻撃を加えていたようだ。
彼女をここまで追い込んだ二人のクズ男。アシハブア王国外務大臣の三男坊と、ロクなことしないアホのマーカス子爵に対して、私は心の中でペッペッと唾を吐いておいた。
奴らへのお仕置きはいつかやるとして、とりあえず今は井上少尉の精神回復だ!
「お、おーい! い、井上! 帰ってこーい!」
私の呼びかけがまったく届かないのか、井上の独り言は勢いを増すばかりだ。
「どうせ人間なんてひとり、ひとりなのよ! わたしはずっと一生独身のままなのよ! 死して屍拾う者なんていないの! 生れ生れ生れて生の始めに暗く、死に死に死んで死の終りに冥しなの! 男なんて! 男なんて! 男なんて!」
ちょ、怖い! 怖い怖い怖い!
「井上ぇぇぇぇぇ! こっちに戻ってきてぇぇぇぇ!」
私は井上の膝の上に乗り、その胸倉を掴んで、涙一杯の目で訴える。
私は私史上、最大のフルパワーでスキル【幼女の願い】を発動させる。後で、様子を見ていたヴィルフォローランに聞いたら、うっすらと私の体が光っていたそうだ。
それもありえるだろうなと思えるくらい、その時の私は本気で腹に力を込めていた。
「ふぬぉぉぉぉ! 私を信じろ井上ぇぇ! 南と坂上の仲人を務め、今は田中航海長とスプリングス氏を結婚へと導いた、私の力を信じるんだぁぁ!」
ギョロリ!と井上少尉の開かれた目が私に向けられる。
怖えぇぇ!
「か……ん……ちょ……う?」
「そうだ! 艦長だ! 恋愛成就で名高い不破寺神社の建立に貢献し、最近では縁結びのスキルに定評のある高津艦長だ!」
井上の目に徐々に光が戻って来る。
「わ、わたし……生きてていいの?」
「当たり前だろ!」
「信じていいの? 艦長のこと信じていいの?」
「大丈夫だ! 全て艦長に任せておけ!」
私の何を信じていいのか、私が何を任されるのか、一切不明だったが、とにもかくにも今は井上の意識を現世に引き留めるために、私は必死だった。
「それでは艦長を信じることにします」
井上少尉が落ち着きを取り戻し、いつもの彼女に戻ってきた。
「それではこちらの念書にサインをお願いします」
「は?」
いつものクールな態度に戻った井上が、私に手描きの念書を差し出してきた。
『わたくし高津裕司は井上貴子に対し素敵な伴侶を紹介し、結婚へと導くことを誓います』
ナニコレ?
「ここにサインをお願いします」
そう言いながら井上少尉は、念書の署名欄を指でトントンと叩く。
私がどうしたものかと
ナニコレ?
いま私は何を約束させられた?
艦長は……
艦長は……
とりあえず考えるのを止めた。
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