第94話 ラーナリア聖主教 Side:王国使節団
原初、女神ラーナリアは星命のスープからフィルモサーナ大陸を浮かび上がらせた。女神が右手の人差し指で空中に円を描くと、輪の中に人間の男女が生まれた。女神が彼らのために右手の中指で大地に円を描くと、輪の中から木々草草が生え広がり、鳥は空へ向かい、牛と羊と狼が地を走り、魚が川と海に飛び込んだ。
男女二人は長らく幸福のままでいたが、あるとき女がいなくなった。女神は女の居場所について男に問うたが男は何も知らないと答えた。次に女神は鳥に問うたが鳥は知らないと答えた。同じく牛と羊も知らないと答えた。
女神が狼に女の居場所を問うたとき、狼は何も知らないと答えた。女神は狼の腹を裂きその中に眠っていた女を取り出したが、女の身体には狼の耳と尻尾がついていた。
「呪われしもの、とく去れ」
女神は狼と女を楽園から追放した。楽園の門は閉じられ、それ以降は女神の祝福を受けたものだけが通ることを許されるようになった。
――― 大陸神典 第一巻
~ ラーナリア聖主教 ~
大陸神典を聖典に掲げる聖主教はフィルモサーナ大陸でもっとも勢力を広げている宗教だ。
秩序の神ラーナリアを最高神として、様々な個性を持った汎神が存在している多神教である。そのため聖主教は、他宗教に対して比較的寛容な態度を取ることが多い。
ただ、男尊女卑と亜人への差別が強い傾向があり、アシハブア王国においてはそれが徹底していた。
王国教会曰く、悪の権化たる狼はつまり獣人である。曰く、耳と尻尾が生えた女はつまり亜人である。
聖主教の考えでは、獣人・亜人といった輩は女神ラーナリアの楽園の門が閉じられた原因そのものなのだ。また男性が女性を見守っていなかったため狼に食べられてしまったのだから、男性は女性をしっかりと管理しておくべきなのだと考える。
魔族についてはこの原神話に直接の記述はないものの、人に仇をなす悪魔そのものであると考えられている。
そのためアシハブア王国で聖主教を熱心に信仰するほどに、自然と人間至上主義に至る者が多くなるのは必然であった。
王国内にある都市や街で魔族を見ることはほとんどない。奴隷市場においても時折見かけることがある程度である。
山中や森の中に暮らしている魔族がいるものの、王国においては彼らは魔物と同じく討伐や狩りの対象でしかない。
亜人や獣人たちは人間と混じって生活しているものの、アシハブア王国においては彼らの肩身は狭いものだった。
差別をすることは建前上否定はされているものの、実際にはその多くが奴隷であり、蔑みの対象となっている。
そして、アシハブア王国の西方に広大な領地を有するドルネア公爵は、他の諸侯に違わず熱心なラーナリア聖主教徒であった。
王から護衛艦フワデラへの外交使節として任命を受けた彼が随行者として選んだ3人も、彼と同じ価値観を共有する者たちである。
「まったく……会見の場所が獣人共の村とは、フワデラの異人たちは良識というのを弁えておらん輩よな」
「まったくです公爵閣下」
ドルネア公のつぶやきに彼に同行している三人が次々と相槌を打つ。
「とはいえ、彼奴等がドラン大平原から南下する魔族軍を幾度か打ち払っていることも事実。多少の無礼には目を瞑ってやるのも聖主の寛容の教えに沿うものであろうよ」
悪魔勇者が魔族軍を率いて大陸各国への侵攻を開始して以降、アシハブア王国は真っ先に人類同盟に参加しているが、その戦況は全く思わしくない。
人類の命運をかけたドラン平原での大決戦では、人類軍も魔族軍も巻き込んだ謎の魔法爆発により、戦場の大半が幼子に変化してしまった。
戦場が大混乱する中、双方の軍が撤退。そのとき、悪魔勇者も幼子と化したのを見たと言うものもいるが、確かなことは分かっていない。
悪魔勇者が幼子に変化していたとしても、魔族軍の王国への侵攻の勢いは全く衰えていない。
特に魔族軍において連戦不敗の名将とされるイゴーロナックル将軍が、アシハブア王国の攻略に乗り出したと報告を受けたときは、ついに国が亡ぶときが来たかと覚悟したほどだ。
ドルネア公が白い眉を寄せながら嘆息すると、使節団で最も若い金髪碧眼の青年、コラーシュ子爵が吐き出すように言う。
「しかし、フワデラと結んでいるマーカス子爵という成り上がりは、魔族共と関係を持っているとの噂があるようです。今回の視察でもしそれが事実であると確認できた場合は、その責を追求せねばなりません」
「ふむ。それが事実となれば領地と財産の没収は免れまいな。いや、それよりも交易でかなり儲けているようだし重税を課して王国に貢がせるのも手か……」
聖主教の熱心な信者であり、王国に忠誠を誓っている彼らに私利私欲はない。少なくとも魔族軍との戦が続く限り、王国の存続が最大の目標なのだ。
「閣下! 準備が整いました!」
護衛で同行する騎士団の報告を受け、使節団は王に出立の挨拶に向う。
王宮前の広場にはマーカス子爵が乗ってきた鉄の車と奇妙な恰好をしたフワデラの兵士が立っているのが見えた。
誰に言うでもなくドルネア公がつぶやく。
「あれはアシハブア王国こそが所有すべきものだな」
「その通りでございます閣下」
揺れ始めた馬車の中で、使節団の全員が笑顔を浮かべていた。
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