2-5.黒バラと呼ばれる女

「ふふ、それは災難でしたね。栗上先生は少しお固い所がありますから、あまり気にしなくていいと思いますよ。私たちでさえ小言を言われることがあるぐらいですから」

 学校から少し離れた住宅街をペアになった立花先生と一緒に見回りながら、先ほどのホームルームで起こった出来事をなるべく端的に話していると、立花先生からくすくすと笑われながらアドバイスをもらう。

 ホームルームが終わったらすぐに見回りへ行かなければなら鳴ったので栗上先生とはまだ顔を合わせられていないが、職員室に戻ったら大目玉を食らうのはまず間違いない。

 これまで幾度となく魔物と戦い続け、死線を潜り抜けてきた明音であるが、今は魔物や野生動物よりも栗上先生と顔を合わせなければならないことが何よりも恐ろしく感じられた。

「それにしても、あのクラスは武田先生が来てから随分と変わりましたよね。前までは授業中に私語が全くないからむしろ怖がられてたぐらいなんですよ」

「えー、それはないですよ。あのクラスが大人しかったら私が栗上先生に睨まれるようなことはなかったはずですもん。私から見たらただの騒がしいやつらです」

「それでいいんですよ、武田先生が来てからあのクラスはすごい生き生きしてます。武田先生でなければ、あのクラスをこんな風に変えることはできなかったと思いますよ」

 なんだか褒められているのか貶されているのかよく分からない言われようだが、嫌みを言われているようではなさそうなのでとりあえず苦笑いを返しておく。

 立花先生とは担当する学年も違うし、職員室の席も近いわけではないのでほぼ初めましての関係なのだが、この言われようを聞いていると他の先生たちが私のことをどう思っているのかなんだか分かったような気がした。

「さて、生徒の数も増えてきたことですしそろそろ二手に分かれましょうか。私はあちら側に立っておきますので武田先生は住宅街側をお願いしていいですか」

「分かりました。立花先生も気を付けてくださいよ、熊に襲われたりしたらひとたまりもないですから」

「大丈夫ですよ、子供じゃないんですし。生徒の姿が見えなくなり始めたら私の方にも連絡ください。それを合図に私も切り上げることにしますので」

 しばらくは二人一組で回っていたのだが、だんだんと下校する生徒の数も増えてきたので明音たちは二手に分かれ、見回りを再開する。

 二人が任されているエリアは人通りの多い住宅街で、見回りに来ている先生たちの数も多い。

 熊の姿を見たと通報があってから警察は辺りを詮索し続けていることだろうし、随分と気楽な見回りだった。


「おーい、お前らなに道草食ってんだ。こんな所にたむろってないでさっさと帰る」

「はーい。って、だけかと思ったら噂の武田先生じゃん。先生もいる? ここのアイス、結構美味しいんだよ」

「私を共犯にさせようとすんな。あんたらなんで一斉下校になったのかちゃんと覚えてる。声かける方も面倒なんだからいちいち注意させないでよね」

 気の赴くままにそこら辺をぶらぶらと歩き回っていると、何やら駄菓子屋に人だかりができていたので軽く注意して終わらせる。

 どうやら生徒たちは私のことを知ってくれているらしいが、明音は彼女たちの顔を覚えていないので今日初めて会ったはずなのに謎である。

 体育の授業にお邪魔させてもらうのは来週からになっているのだが、どうやら初めましての挨拶が要らないほどには明音の悪評は学校に広まっているらしかった。


「よし、生徒たちも居なくなったこどだしそろそろ学校に戻るとしますか。とりあえず立花先生には連絡入れておかないと」

 駄菓子屋でたむろっていた生徒たちとなんやかんやありながらもなんとか帰らせ、明音はスマホを開いて立花先生の連絡先を探す。

 学校からは校舎内に誰も生徒が残っていないことを確認したとの連絡がだいぶ前に来ていたし、生徒たちの姿も見えなくなり始めたのでそろそろ学校に戻った方がいいだろう。

 朝日ヶ丘中学校と書かれたグループを見ても他の先生たちが続々と切り上げているようだし、放課後にある会議のことも考えたら少し居残りしすぎなような気すらあった。

「……あ、もしもし武田ですけど。こっちはやっと生徒の流れが途絶えた所です。念のためあと5分ぐらいここにいて、誰も来ないようであれば学校に戻ろうと思ってるんですけど大丈夫ですかね」

「あら武田先生。そうですね、そうしましょうか。さっき1人の生徒が私の前を通りましたけど、もうほとんど人もいないですしね。また切り上げるときになったら連絡してもらっていいですか」

「了解です。それじゃ、また後ほど」

 立花先生の前を通った生徒というのはおそらく駄菓子屋にいた生徒のうちの誰かなのだろうが、そのことについてはあえて触れないで置く。

 下校中の買い食いは禁止していない学校なので校則的には問題ないのだが、今は一斉下校中ということもあって先生によったら問題視する人もいるかもしれない。

 余計な荒波を立てないためにもこのことは心の内に秘めてあげようと思いながらスマホを耳から離し、通話終了のボタンに指が触れようとしたとき、画面の向こうから誰かが叫んでいるような声が聞こえてきた。

「……えっ、立花先生? 立花先生!!」

 あまりにも急なことだったので少し反応が遅れてしまったが、明音はもう一度スマホを耳に当て直し、立花先生の名前を必死に叫ぶ。

 スピーカーモードに設定していなかったのに立花先生の悲鳴が聞こえてきたのだから、何かよからぬことがあったと考えた方がいいだろう。

 明音は辺りを見回し、周りに生徒が残っていないことを確認してから足に魔力を流して全力疾走する。

 今後の任務のことを考えたら今は魔法を使いたくなかったのだが、この状況を考えたら致し方ないだろう。

 明音は持ちうる限りの魔力を体外へと放出し、立花先生の姿を探すがこういう時に限ってなかなか見つからないのは一体何故なのだろうか。

 こんなことになるぐらいなら予めどの辺りに立っておくのか聞いておけばよかったと後悔していると、座り込んでいる生徒の前に立ち、熊から生徒を守ろうとしている立花先生の姿があった。

「立花先生!!」

 遠目から見て目立った外傷はないように思えるが、熊が目の前にいるのに逃げる素振りを見せないのは足を痛めているのか腰が抜けているのかどちらかだろう。

 立花先生たちとの距離はまだかなりあり、いくら全力で走ったとしてもすぐに詰められるような距離ではない。このままだと、二人が熊に襲われるのはまず確実のように思えた。

「……間に合ったからいいけどさ、もっとましな連絡手段はなかったわけ。事情が把握できるまでかなり時間がかかったんだけど」

「はぁ、はぁ……。いやー、おかげで助かったよ。誰かが来てくれるかは賭けだったけど、やってみるもんだわ。ありがとね、羽賀さん」

 だが、それは明音一人だった場合の話である。今にも襲い掛かろうとしていた熊の動きを止め、二人の命を救ったのは、黒バラという名前で魔法少女の活動を行っている、羽賀かおりだった。

「それよりこの熊どうしたらいい。このまま動きを止め続けるのは結構辛いんだけど」

「ここで逃げられたらまた人を襲うかもしれないし、もう少し動きを封じておいて。あとで応援を呼ぶようにするから」

 立花先生との連絡が途絶えた時、何かしらの緊急事態であると判断した明音は自身の中に流れている魔力を四方八方へと放出しながら立花先生の捜索にあたっていた。

 もし相手が魔物であればある程度の位置は分かるだろうと踏んでの行動だったが、魔力を検知できるほどの距離にいる魔法少女たちに異常を伝える狙いもあった。おそらく、羽賀もそれに気づいてここまで飛んできてくれたのだろう。

 他の魔法少女達が異変に気付くかどうか、そもそも近くに魔法少女が居るかは賭けだったのでなるべく大量の魔力を体外に放出していたのだが、おかげで助かった。

「それより、立花先生はお怪我ないですか」

「はい。大丈夫ではありますけど、武田先生って一体……。それに羽賀さんまで……」

「まぁ、いわゆる魔法少女ってやつですね。たまに居るでしょ、こういう人。こちらの事情で申し訳ないですけど、このことについては他言無用でお願いします。まだ任務の途中ですので」

 魔法を使っている所を既に見られているので二人には正体を明かすことにしたが、今後のことを考えてなるべく他の人には話さないようにお願いする。口約束ではあるが、この条件については快く了承してくれた。

 その後、警察に連絡を入れて現場検証を行ったり、熊に襲われた時の話やどの方角に熊が去っていったのかなど根掘り葉掘り聞かれ、学校に戻る頃には既に日が暮れ始めていた。

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