2-4.警察からの連絡

「み、みなさん大変ですー!」

 明音がこの学校に教育実習生として通い始めてから1週間が過ぎた。連合に届いた予告状が本物であればいつ魔物が襲ってきてもおかしくない状況ではあるのだが、この学校に魔物が現れる気配は一切ない。

 もしかしたら何も起きずに任務を終えれるのではないかと楽観視していたのだが、初老の先生がなにやら慌てた様子で職員室に駆け込んできた時には思わず身構えてしまった。

「……えっ、野生のクマですか? 魔物が現れたわけじゃなくて」

「はい、先ほど警察の方から連絡がありました。足跡の大きさからみておそらく子熊だろうとのことでしたが、いつ親熊が現れてもおかしくありません。すぐに生徒たちを避難さねなくては」

 正直、出たのが魔物ではなくてただの熊だったのは少し拍子抜けだった。最悪な状況を想定していた明音は少しほっとするが、かといって安心できる状況というわけでもない。

 日頃から魔物と戦っている明音にとっては熊なんてただの野生動物程度にしか思っていないが、世間一般の常識で考えればこうして警察が動き始めるほどの脅威である。

 職員室に駆け込んできた先生の言う通り、今すぐにでも生徒たちを避難させなければならないほどの重大事件だった。

「うむ、話は分かった。みんな、昼休み中で申し訳ないが今から緊急会議を開かせてほしい。とりあえず午後の授業は全て休講、生徒たちは指定した時刻に一斉下校させる。この場にいない先生もいるだろうがその人たちには今すぐ連絡を取る用に」

「あの、いつもと下校する時間が違えばご家庭の事情で家に入れない子もいるかもしれません。その場合はどうしたら……」

「詳しいことはこれから決めるが、少なくとも学校からは出した方がいいだろう。この学校は森に近く、いつ熊が現れてもおかしくない。誰か、生徒たちにすぐ教室へ戻るように放送で呼びかけてくれ」

 初老の先生から事情を聞いた教頭先生は周りに的確な指示を出し、職員室内が一斉に慌ただしくなり始める。

 グラウンドで遊んでいた生徒たちが全員教室の中へと避難し、生徒の安全を確認した先生たちが緊急会議を開くまで10分とかからなかったのは日頃から訓練を重ねてきた結果だろう。

 会議では生徒を一斉下校させる際に手を空いた先生たちで見回りをすることになり、より詳細な会議は生徒たちを送り届けた後に再度開かれることになった。


「おーい、お前ら席に着けー。今から結構大切な話すっぞー」

 緊急会議で各自の役割が決まり、一斉下校の準備や先生方の見回り等の準備で忙しい藤田先生に代わって明音がホームルームを担当することになった。

 明音は生徒たちに軽い挨拶を交わしながら教室の中へと入る。

 この学校に来た当初はなるべく丁寧な口調で生徒たちに接するように心掛けていたのだが、今ではお互いに軽口を叩きあえるほどには仲の良い関係になっていた。

「……ってなわけで、今日の授業はこれで終わり。今から一斉下校ってことになってるから、みんなは荷物をまとめていつでも出れるようにしておくように、以上」

 明音は警察から野生の熊が出たと連絡があったことを伝え、念のため午後の授業をなくして一斉下校になったことを伝える。

 てっきり休講になって教室中が歓喜の嵐になるのではないかと思っていたのだが、テスト間近ということもあって授業の進み具合を心配している生徒がいたのは少し予想外だった。

「せんせー、なら今日の部活ってどうすればいいんですか。先輩から絶対来るようにって言われてたんだけど」

「そんなの無視無視。当たり前だけど、今日は例外なく部活動禁止ね。明日以降の対応についてはこれから決まると思うから、家に帰ったらなるべく外に出ないようにして学校からの連絡を待つように」

 明日の授業を休講にするか等については子供たちを安全に送り届けた後、夕方の会議で決まることになっている。

 それらについてはクラスの連絡網を使って追々連絡すると思うと生徒たちに説明したのだが、どうやら最近の子供たちはスマホのチャットで連絡を取り合っているらしく、それを言ったら生徒たちに笑われてしまった。

 家の誰が電話に出るか分からない恐怖に怯え、頭の中でこれから話さなければならない内容を何度も復唱しながら受話器を上げていた苦い思い出を持つ明音にとって、今年一番のカルチャーショックだった。

「それより先生、実際に熊に会ったらどうしたらいいの。とりあえず走って逃げた方がいい?」

「いや、熊は相手の目を見ながらゆっくり後ずさりする方がいいよ。背中を向けたら獲物だと思われて逆に襲われかねないから」

「……あれ、熊って目を合わしても大丈夫なんですか。普通こういうのって相手の目を見ないようにしろって言いませんっけ」

「それは警戒心の強い猫とか猿とかの話だね。熊はこっちからちょっかいをかけたりしなければ無暗に襲ってきたりしないはず。あと臆病な性格でもあるから大きな音を出して威嚇するのも効果的っていうよね」

「大きな音? とりあえずクマが出たぞーって叫んでおけばいい?」

「それはオオカミ少年の話でしょ。襲われる前にこっちから威嚇してやんの、そしたら相手も襲ってきたりしないはず。……どうせまだ時間あるし誰か熊役やりたい人いる。口で説明するより実際に見せた方が理解早いと思うから」

 一斉下校を行う14時まではまだ時間があるし、少しぐらい話が脱線してしまっても問題ないだろう。

 明音は熊役に立候補してくれた生徒の中から適当な子を選び、教壇の上に立ってもらって模擬訓練を行うことにする。

 場の雰囲気に流されて面白がっている生徒たちは好き思いに野次を飛ばし、教室中が賑わい始めていた。

「へへへ、美味そうな人間だなぁ。今日の昼ごはんにでもお前を食ってしまおうか」

[……全然違う、もっと熊になりきってくれる? それじゃあただの下種な盗賊にしか思えないんだけど」

「おっおぅ、分かったよ。えっ、じゃあ……ぐ、ぐおおおお」

「はぁ……、全然声が張れてないじゃない。そんな弱気だったら野生の世界で生きていけないよ。こういうのはね、グワオォォォ!! ってやるの」

 せっかく一番元気が有り余っていそうな子を選んだはずなのに、全然迫力のある演技をしてくれなかったので明音はその生徒に見本を見せるために相手を威圧するような声を出す。

 これで脅すつもりはなかったのに思っていたよりも怖がられたので少し凹むが、せっかくなのでこのまま訓練を続行することにする。明音は相手から目を離さないように身体の向きを変えず、1歩2歩と少しずつ後ずさりしていった。

「……すげー、武田先生本物じゃん。もしかしたら熊より武田先生の方が怖いんじゃね」

「ねぇ、それ言われても全然嬉しくないんだけど。とりあえず、これで大体の流れは掴めたでしょ。じゃあさっさと帰り支度をして……、ってどうしたの?」

「いや、先生っていうのも大変な職業なんだなって……。じゃ、僕らは帰り支度があるから後はよろしくね、先生」

 あれほど賑わっていた教室内がいきなり静かになったので不思議に思うも、生徒たちの目線の先に立っていた人の顔を見て明音も一気に青ざめる。

 教室の扉の向こう側に立ち、眉間にしわを寄せながら無理に笑顔を作っているその人は学年の中で一番恐ろしいと言われている隣のクラスの先生だった。

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