1-3.絶海の孤島、赤名島

 東京から150海里程離れた場所にある小さな島、赤名島あかなとう。そこに行くためには1週間に1度しかない定期船に乗り、船で半日以上揺られ続ける必要がある。

 そんな孤島ではもし何らかの理由で本部が魔法少女からの救難信号を受信したとしてもすぐ助けに行くことはまず不可能。その点においては魔法少女としての経験が豊富な明音を派遣することは正しい判断だっただろう。

 しかし、任務を引き受けた側である明音は、船の上で気持ち悪くなりながら、お酒に釣られてこの任務を安請け合いしたことを後悔していた。


 その日は特に海が荒れており、数時間ほど沖合で海の様子を確認した後、頃合いを見計らってなんとか島に上陸することができた。

 船が島に上陸できる可能性は半々程度と聞いていたので一度の航路で島に上陸できたことはとても運のいいことなのだろう。しかし、ずっと船に揺られ続けていた明音は上陸と共に体調を悪くし、しばらく船着き場で一人横になっていた。

「うぅ……、気持ちわる……」

 幸いにも、船の上で食べ物を食べないようにしていたので戻すようなことはなかったが、吐き気がずっと収まらずに頭はくらくらし続けている。

 島に上陸してもう足は地についているはずなのに、まだ海上で波に揺られ続けているような気分だった。

「あの……、大丈夫なん? ずっとそこから動かんとけど」

 しばらく船着き場で休んでいると、一人の少女に声をかけられる。おそらく、この島に住んでいる人なのだろう。

 東京産まれ東京育ちで標準語しか喋れない明音にとって、なまり口調で話しかけられるのはすごく新鮮な感じがした。

「大丈夫よ。ちょっと気分が悪くて横になっていただけだから。もう少し休んでたらたぶん治るわよ」

「けんど、お姉さんずっとそこで横になっとるよ。そんな気持ち悪かならお医者様に見てもらった方がええ。この近くに診療所があるんやけど、うちがそこまで案内ばしよか」

「……じゃあお願いしてもいいかしら。ちょっと肩を貸してくれる。まだ足がおぼつかなくて」

 ただの船酔いで医者にかかるのは大げさなような気もするが、しばらく経っても船酔いの感覚が抜けないのは事実だし、診療所まで案内してくれるのは正直ありがたい。

 明音は少女の肩を借りて診療所まで歩いていったのだが、めまいや吐き気を催しながらそこまで歩いていくのは結構しんどいものがあった。


 この島に一つしかないらしい診療所は港の近くにあり、歩いて5分ぐらいしかかからなかった。人通りのないシャッター街を抜け、元々は町内会で使われていそうな公民館へと連れていかれる。

 待合室には十人ぐらいの人が集まっていたのでだいぶ待たされるかと思ったが、その人たちはただそこに集まって世間話をしていただけのようで、少女は彼らに軽く挨拶を済ませてそのまま診療室へと直行していった。

「んー、……他に目立った症状もないですし、まぁただの船酔いでしょうね。この薬を飲んでおけばいずれ治ると思いますんで、あとは安静にしておいてください」

 目の充血具合や喉の奥をじっくとりと診察された後、都内だったらどこでも買えるような酔い止めの薬をポチ袋に入れて渡される。

 瓶のラベルを見ながら薬の説明をしているのが少し不安だが、とりあえず着替えだけあればいいだろうと適当に荷物を整えて出発した身なので、酔い止めの薬をもらえるだけでもすごくありがたかった。

はざま先生はこの島で唯一のお医者様やけん、お姉さんもその薬飲んだらきっと良くなろうよ。うちのおっとおもこの人に治療してもらっとったんよ」

 少女は明音をベッドに寝かせた後、食器棚からコップを取り出して水を持ってきてくれたり、待合室にいた人からもらってきたらしいせんべいをおすそ分けしてくれたりした。

 吐き気がすると言っている人に対する看病ではないような気もするが、この一日何も食べていなかった明音にとって、その思いやりだけでもすごくありがたかった。

「……さて、気分もよくなってきたことだし、あたしはそろそろお暇させてもらいますか。すみません、この近くに宿屋さんってありますか。寝泊まりができればどこでもいいんですけど」

 薬を飲んでからしばらく横になり、気分もだいぶ良くなってきたので後は時間が解決してくれるだろうと身体を無理やり起こして宿屋を探すことにする。

 宿を取っていなかったのはただの怠惰というわけではなく、いくらインターネットでこの島について調べても情報が一切出てこなかったからだ。

 宿はこの島についてから探そうと思い、間先生とここまで連れてきてくれた少女(海音みおんちゃんと言うらしい)に聞いてみたのだが、二人からは明音が全く想定していなかった答えが返ってきた。

「宿屋って言われても……、この島にそんな上等なものはなかよ。商店街ですらだいぶ前になくなったぐらいやけん。この島にお店らしいお店は残っとらんのよ」

 明音は海音の言葉に耳を疑う。

 東京でしか生活したことがない明音にとって、田舎は旅行や出張でしか行ったことがなく、島民の当たり前なんて想像できるはずがない。

 車やバスが通っていなくて移動は全て徒歩になるだろうぐらいの覚悟はしてきたつもりだったが、まさかこの島には宿がないなんて思ってもいなかった。

「えっと……、あたしの他にもこの島に来た人とかいると思うんですけど、その方たちはどうされてたんですか。まさかみんな野宿してたってわけじゃないですよね」

「他の方って言われても、この島に観光で来る人なんてまずいないしなぁ……。あぁ、私がこの島に来たときは佐久間さんの所に泊めてもらったよ。もう3年以上前の話になるんだけどね。あの頃は佐久間さんもお元気だったなぁ……」

 なにやら昔の思い出に浸っている人がいるが、明音はそれどころではない。任務がいつ頃終わるかはまだ分からないが、最速でも次の定期船が出るのは今から1週間後。それまでずっと宿無しということになる。

 もうそろそろ夏に差し掛かり始めている頃なので寒くて凍え死ぬことはないだろうが、どんな野生動物がいるかも分からないような島で野宿をするのは、魔法少女と言えどあまりにもリスクが高すぎた。

「あの……、見た通り私はこの島に詳しくなくてですね、ここに泊まらせてもらうことって可能ですかね。待合室のソファーだけ借りるとかでもいいんで」

「? そんなんするぐらいやったらうちに来ればええやん。おっかあもたぶんいいって言うと思うけん」

「いや、確かにあなたの家に泊めてもらえたら私はすごく助かるけど……、いきなりお邪魔したらご迷惑じゃない? あたしはどこでも寝れるから大丈夫よ」

「えー、別にええって言うと思うけどね。お魚たくさん釣りすぎてお隣さんに分けてきなさいって怒られたぐらいやけ、ご飯食べてもらえると助かるんよ。おっかあの料理はどれも美味しいし、島の魚はどれも新鮮よ」

 どうやら港には晩御飯用の魚を釣りに行っていたらしく、今日は大漁で大きめの魚が4,5匹ほど釣れたらしい。ここでは自給自足をするのが当たり前なんよと言っているが、海に行けばいつでも新鮮な魚が食べられるのは正直羨ましい限りである。

 一日何も食べずに船に揺られ続け、宿についたら美味しい魚をつまみに酒を飲むつもり満々だった明音にとって、海音からの提案はとても魅力的なものだった。

「まぁ診療所に泊まるのは全然構わないから、もし断られたらうちに来なさい。私の所は食料の備蓄があまりないから高田さんの所でご飯をごちそうになってもらえるだけでも助かる」

「……じゃあお言葉に甘えてお邪魔させていただこうかな。とりあえずお母さんに確認を取ってきてもらってもいい? 何も言わずに押し掛けるのも申し訳ないから」

「別にそんな遠慮せんでもええのに。じゃあお姉さんはここでちょっと待っとってくれる。すぐ聞いてくるけん」

 そう言って海音は一度家へと帰り、その間明音は情報収集がてら待合室にいる人たちに聞き込みをしようとする。

 もしかしたら何かしら有力な情報が掴めるのではないかと期待して話を聞きに行ったのだが、島の人から逆に質問攻めにされて大変な目に合ったのはまた別の話である。

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