第16話 西暦2015年:8 

 新藤桃は、布団にくるまって息を潜めていた。

 息を吸うと体が震え、吐くと同時に涙が零れる。

 悲しみとも怒りともつかない感情が後から後から溢れ出て、その重みで押しつぶされそうになる。

「桃」

 と、声が聞こえた。

「対処が決まった」

 桃は布団から顔を出せなかった。

「日向ひなたの死は交通事故によるものとして処理する」

「……どうして? 先輩は、殺されたのに、どうして事故死なの……?」

「それが一番穏当だからだ」

「…………何それ……」

 喉を振るわせると、唸り声が出た。まるで、獣のように。

「私さ、前に言ったよね……。あんな危険な魔法少女、早くどうにかしてって。なのに、ずっと放置してさ。その結果がこれじゃん! 人が、人が死んだんだよ!? なのに対処とか、処理とか、意味わかんない! どうしてそんなに冷静なの! 人の心とかないの、妖精には!?」

 八つ当たりだ、と頭のどこか冷静な部分が指摘しても、体中から発せられる怒りが飲み込んでしまう。叫ぶうちに、どんどん視界が歪み、頬に熱を感じた。

「返して……先輩を返してよ……」

「それは出来ない」

 どうしてこんな思いをしなければいけないのか。

 こんなことなら、魔法少女になるんじゃなかった。

 桃はただ、ネコになりたかっただけなのに。

「それだけじゃないんだ」

 妖精の言葉は、後悔に沈む桃の心にも容易く届く。その無神経な態度が、ますます桃を追い立てる。

「今度は何」

「君たちの記憶を消すことが決定した」


「————は?」


 何を言われたのか理解できず、桃は思わず顔を上げた。布団はずり下がり、崩れ落ちるように桃の背中に垂れ下がった。

 開けた視界には、部屋が映った。そして、窓辺には、一匹の黒猫が腰を下ろしている。

「プーホ、あなた、本気で言っているの?」

「魔法少女の精神に一定以上の負荷がかかった場合、記憶を消去する。魔法の暴走を止めるためにね」

「何それ……そんなの、そんなの私知らないよ!」

 怖い、怖い、怖い……!

 桃はその場で変身をしようとした。身を護るコスチュームが、脱出できる武器まほうが必要だった。

 しかし、変身は出来ない。いつもなら念じれば即座に姿が変わったのに、いくら念じても、まったく姿は変わらない。ただの女子中学生のままだ。

「嘘、どうして……」

「魔法の力は僕たちが与えたものだ。変身魔法も含めてね」

「嫌だ、こんなの嫌だ……」

「刀子や雫、くじらの所にも、僕の仲間が向かっている。……すまないね、桃。君の願いを叶えてあげたいと思っていたんだけど」

「嫌だ、嫌だよ! 助けて、誰か助けて——!」

「わかってくれ————人類を守るために、必要なことなんだ」

 桃はネコのように四つん這いになり、部屋の外に逃げようとした。

 しかし、いつのまにか彼女の四肢には銀色の鎖が絡みつき、身じろぎさえ許さない。

 大声で泣き叫んでも、家族が様子を見に来る様子もない。

 桃の心に、徐々に諦めが広がっていった。

 何も命まで取られるわけではないのだ。

 記憶を失って、普通の女の子に戻るだけ。

 魔法少女らしい終わり方だ。

 そうだ、今までのことは全部夢だったのだ。

 くじらと仲良くなったことも、魔獣を倒したことも、頭に猫耳を生やしたことも。

 全ては夢。全ては幻想。全ては虚構。

 全ては、魔法に過ぎなかった。

 だから、最期に言うべきことは。

「プーホ——ありがとう」

 こちらに近づいていたプーホの足が止まった。

 呆気にとられた表情で黒猫は桃を見上げていた。

「君は——」

 そこから先に何を言おうとしたのか、桃は分からない。

 世界が光に包まれた。

 最初、桃は記憶を消されたのだと思った。

 けれど、光の中で、桃は依然自分を魔法少女だと認識していた。

 光が消えたときも、まだ桃は魔法少女の心を宿していた。

 だから、目の前の光景を、理解できる。

 

 桃の部屋は吹き飛んでいた。

 

 天井も、壁も、机も、ベッドも、本棚も、全てが消失していた。

 ただ、桃が拘束されていた場所だけくり抜かれたように無事で、一回寝返りをうてば1階の天井に落下するほどのスペースしか残されていない。

 記憶を失っていない桃は理解できる。

 これは、魔法によるものだ。

「桃ちゃん!」

「桃さん!」

「桃!」

 見知った声が聞こえる。顔を向ければ

「…………噓でしょ」

 箒に乗った、チームの仲間がいた。

 刀子も、くじらも、雫も、全て揃っている。皆魔法少女のコスチュームに変身している。

「どういう、これはいったい……」

「桃さん、逃げますわよ!」

 くじらがこちらに手を伸ばしている。

 桃を縛っていた鎖は消えていた。

 桃は立ち上がる。少しでもバランスを崩せば落下するので怖いな、と思う。

 そして布団を蹴り、くじらの箒に飛び移った。

 普通に飛距離が足りないので、そのまま落下する。

「わー! 桃さん、どうして変身してないんですのー!?」

 このままいけば1階の天井に落下し、そのまま突き破って恐らく場所的に風呂場あたりに落下するはずだった桃の身体は、くじらによって抱きとめられた。

 そのまま魔法少女の膂力で持ち上げられ、箒に乗せられる。思った以上に細く頼りない箒の柄は不安を誘い、桃はくじらの腰に抱き着いた。

「最後の仲間を確保した、誘導と護衛を頼む」

 了解、という言葉が周囲から聞こえた。

 見渡せば、何故気づかなかったのか、桃たちの周りを、10人ほどの魔法少女が、箒に跨り飛行していた。

 それぞれがまったく違うコスチュームを纏っている。

 ただ、唯一共通するのは、赤いリボンだ。

 頭につけたり、胸につけたり、腕に巻いたりと、個性は出ているが、桃の仲間を除くその場の全員が、赤いリボンをつけている。

「この人たちはいったい……」

「ひなたさんが前から連絡をとっていた、の皆さんですわ」

「ひなた先輩が……」

 助かった、という安堵が桃を浸していく。

「新藤桃さんですね」

 赤リボンの一人が、桃に声をかけてきた。

 はい、と桃は答え、彼女の姿を一瞥し……奇妙な不安感にかられた。

 その少女のコスチュームは、三角帽子に紺色のローブと、ハロウィンの魔女のような恰好で、箒に乗る姿もかなり似合っている。帽子に取り付けられた赤いリボンも、可愛らしい。

 ただ、その腰には、黒光りするショットガンらしきものが提げられていた。

 嫌だな、と桃は思う。

 銃が嫌なのではない。

 例えばこの少女が西部のガンマンのような恰好、あるいはミリタリー風の恰好ならば、何も思わなかっただろう。

 けれど、魔女なのに銃。

 キャラになりきっていない感じが嫌なのか。

 違う。

 桃はあらためて話しかけてきた少女を観察した。

 違う、と思う。

 仲間の魔法少女、あるいはあの憎きマット・シザーとは、まったく別の空気。

 桃は周囲を飛ぶ他の魔法少女にも目を向けた。

 やはりそうだ。

 違う。

 何がどう違うのか、上手く言語化できないが、この赤リボンの集団は、今まで出会った魔法少女とはまったく異質なものだ。

「どうしました、新藤桃?」

「い、いえ……」

「今からあなた方を反妖精同盟本部まで送り届けます」

「あ、あの、私の家は……」

 2階部分が吹き飛んだあの家はどうなるのか。

「恐らく妖精が事後処理をするでしょう」

「お、恐らくって……」

 人の家吹き飛ばしといてふわっとした回答しないでよ、と思わなくはなかったが、助けてくれたのもまた事実であり、何より気軽に話すことを躊躇わせる何かを、彼女は発していた。

「しばらくは帰れないことを覚悟してください。よろしいですね」

「はい」

「申し遅れました。私はこのチームを率いる、西稀華子といいます。気軽に華ちゃんと呼んでください」

「はい」

「西稀さんはですね、ひなたさんの友人だったんですの。その繋がりもあって、今回私たちを助けてくれたんですのよ」

「あ、あの、反妖精同盟って、ここに居る人で全員ですか」

「いえ、私たちはあくまで一部隊に過ぎません。ご安心を」

「はい」

 華子の言葉には、はい、と言わざるを得ない圧を感じた。

 ひなたの友人ということは先輩魔法少女なのは間違いないが、それだけではない、大人と話しているかのような、奇妙な圧迫感があった。

「わ、私、妖精に、変身の力を奪われてしまって……」

「ああ、それは嘘です。本部に戻れば……」

 嘘!? と桃は混乱するが、華子が視線を後ろに向けていることに気づき、無数の疑問を引っ込めた。

 桃も後ろを振り向く。

 大きな鳥のような影が複数、こちらに向かってきている。

 人間態の桃ではそれらが何か分からないが、鳥にしては随分と大きい。

「……思ったより早い到着です。我々が来ることを予測していたのか……」

 出発しましょう、と華子が号令を出し、箒の一団は急加速を始めた。

 風圧と冷気が一気に桃を襲う。

 くじらの腰を掴んでいた手が緩む。

 落ちる、と思ったときには、背中を誰かに支えられていた。

 華子だ。

 華子は無言で桃の背中を撫でた。

 すると、風圧や冷気の一切を感じなくなった。

 魔法だ、と気づく。

「本部まで持つと思います。ですが落下を防ぐ効果はないのでご注意を」

「ありがとうございます……」

 怖いが、悪い人ではないのだろう。

 むしろその怖い雰囲気が頼もしいとさえ思う。

 華子はにこりともせずに、再び後方に視線を送る。

 鳥のような影は徐々に距離をつめてきている。

 既に、人間の桃でもそれが何なのか目視できる距離だ。

 影の正体は、少女である。

 全員が違うコスチュームに身を包んでいるが、共通しているのは、背中から生えた天使のような翼だ。

「止まりなさい!」

 と、先頭を飛ぶ魔法少女が言った。

「あなたたちは間違っています!」

「不良です!」

「犯罪者です!」

「イリーガルです!」

 翼を生やした少女たちは口々に言葉を投げかける。赤リボンの少女たちはただ無言で視線だけを向ける。

「魔法は危険なものです!」

「好き勝手に使っていいものではありません!」

「妖精が管理して初めて安全に使えるんです!」

「大人しく、記憶消去を受けなさい!」

 嫌だ、と桃は思った。

 だから逃げているのだ。それは仲間の皆も、一緒に飛んでいる赤リボンの集団も同じはずだ。

 箒はどんどん速度を増していくが、翼の集団との距離は徐々に縮まっていく。

 追いつかれるとどうなるのか。

 桃はそこから先を考えたくなかった。

「危ないですわ!」

 くじらの叫び声。同時に桃の視界がぐるりと回転する。

 すぐ傍を、白い光の塊が通過した。

 悲鳴を上げる間もなく、後方から弾幕の如く光弾が撃たれる。

 赤リボンの集団は、ある者は躱し、ある者は武器で弾き、ある者は光の壁で防ぐ。

 桃の仲間も、傘を広げたり、刀で斬り落としたりと対処する。

 桃はただくじらの腰にしがみつき、必死に落ちないことだけを考えていた。

 魔法少女の攻撃を生身でくらえばどうなるか。痛いで済まないことだけは確かだ。

 縋るように、すぐ傍を飛んでいた華子に目を向ける。

 彼女は腰に提げていたショットガンを翼の集団に向けていた。

BANGマジカル

 奇妙な響きが聞こえると同時に、翼の集団の先頭を飛んでいた少女。

 こちらに右手を向け、光弾を撃っていた少女の——頭部が弾けた。

 翼の集団は呆気にとられた様子で頭部を失った少女を見る。

 頭部を失った少女は既に自由落下を始めていた。墜ちていく少女だった者を慌てて仲間たちは助けに行く。

 それは、致命的な隙になるとも気づかずに。

BANGマジカル

BANGマジカル

BANGマジカル

 した少女たちが次々に落下していく。

 翼の集団は完全に静止した。

 一気に距離が開いていく。

 華子のショットガンの銃口からは、硝煙らしきものは出ていなかった。見かけこそ銃だが、内部構造は恐らく元来の銃器とはまったく異なるのだろう。

「い、今……」

「なんです?」

「今、殺した……」

「当然です、敵ですから」

「あ、あなた、おかしいんじゃないの!?」

 華子は冷め切った目で桃を見た。

「な、何……」

 ショットガンは、依然華子の手元にある。

 その銃口がこちらに向いたなら。

 否、たとえショットガンが無くても、人間と魔法少女では勝負になるはずもない。

「何をするつもりですの?」

 と、くじらが桃を抱き寄せ言った。

「私たちは味方のつもりだったんですけれど」

「ええ、私たちは味方です。

 ですから、威嚇するのはやめなさい、あなたたち」

 瞬間、桃は気づいた。周囲を飛んでいる赤リボンの集団全員がこちらを睨んでいることに。

「新藤桃、あなたが動揺するのも無理はありません。

 私の配慮が足りなかったことを謝罪します」

 ですが、と華子は続ける。

「覚悟を決めた方がいい。妖精から逃げた以上、どうしたってここから先は人対人です。ようこそ反妖精同盟へ。私たちは、あなた方をとして歓迎します」

 生まれ育った街の灯がどんどん遠ざかっていく。

 今いる場所は本当に正しいのか。

 どこかで間違えたのか。

 自信を抱きかかえるくじらの腕が震えていることに気づき、桃は未来のことを考え、気が遠くなるのを感じた。


 



 

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