第17話 マジカル暦750年:9

 「猫」は海岸線を歩いていた。

 考えなければならないことはたくさんある。

 仲間の家から離れることで、徐々に感傷的な気分は癒え、思考は現実を取り戻していった。

 やはり、「死」の様子はおかしい。

 と、「猫」は思う。

 絶対的な力を持ち、この島の全て、否、この世全ての命を思い通りにできる「死」。しかし「猫」が思い浮かべていた「死」と、今日顔を合わせた「死」のイメージがどこかズレている。

 「猫」の思い違いなのか。それとも……。

(出発前に、もう少し「死」の情報を集めておくべきだったか……)

 どうせ大した情報は無いだろうし、あっても「猫」や「鋏」のような一構成員には見せてくれないだろうがな、とくたびれたため息を吐き、「猫」は何の気なしに海を眺めた。後数十分で再び「鯨」に乗り込み、海を進むことになる。しばらく陸地ともお別れである。

「ん…………?」

 ふと、波間に、奇妙なものが浮かんでいることに気づいた。

 漂流物?

 ビニール袋のようなものが浮かんでいる。

 まさか海のゴミまで再現したのか、と「猫」は呆れる。

 そんなものを再現するくらいなら、ネコでも再現すればいいものを。

 興味を失い、「猫」は視線を外そうとし。

 ——それが徐々に大きくなっていることに気づいた。

 波を掻き分けるようにして、その物体は次第に姿を現していく。

 ビニール袋だと思ったものは、それの頭部だと気づいた。

 それは、頭の上から上半身全体と下半身の一部を、ビニールのような形状のもので覆っていたからだ。

 まさか。

 「猫」は凝視する。

 そんな馬鹿な。

 彼女は、死んだはずだ。

 「猫」の目の前で、「死」によって殺されたはずなのに。

「…………雫ちゃん?」

 雨合羽の少女は、「猫」を見上げる。

 その顔は、違う。

 一度だけ垣間見た日向雫の顔ではない。

 ならば、彼女は一体何者なのか。

「お前は一体……」

「申し遅れました。私は魔法少女№642544、皆からは「99番目の雨」と呼ばれています。任務に遅刻し、結果として現地集合となってしまったことをここに謝罪します」

「なっ……」

 何を言っている?

 「99番目の雨」は、「猫」と一緒に鯨に乗って南極にやって来た。今は観光をしているはずだ。

 どうして目の前の雨合羽女は「99番目の雨」を名乗る。

 何が目的なのか。

 「猫」の訝し気な視線を、「99番目の雨」は平然と受け止める。まるで感情が欠落しているかのような無反応ぶりだった。

「どうして遅刻した? いや、それはどうでもいい……どうやってここに来た?」

「遅刻の理由は、私の調整担当者が最後まで性能実験をしていたからです。そのため予定の時間より2分遅く集合場所に到着となりました。ですが、あらかじめメンバーの数と名前などは共有されていると思い、私が着かなければ出発しないと高をくくっていたらこの始末です」

 まったく想定外でした、と顔色一つ変えずにのたまう偽・「99番目の雨」に「猫」は脱力しそうになるが、いやいやと気を取り直す。

 偽・「99番目の雨」は間違っている。

 「99番目の雨」が船内に居たから桃たちは学園を出発したのだ。

 一人来なければ出発するわけがない。

「私は『99番目の雨』と共に来た。お前は偽物だ」

「おや、おかしいですね。私が『99番目の雨』のはずなのですが」

 腕を組み、ふーむと唸る姿は人間らしいが、表情は動いていない。

「どちらかが本物なのでしょうね」

「私はお前の方が偽物らしく見えるが」

「そうなんですね」

 偽物だと疑われているという、普通の魔法少女なら焦る場面でも、偽・「99番目の雨」はマイペースのままだ。

 その所作は、「猫」の認識する人造魔法少女に合致する。

 むしろ真・「99番目の雨」は人造とは思えない人間臭さがあった。

 ということはこちらが本物なのか。

「……追いて行かれた後、お前はどうやってここに辿り着いたんだ?」

「はい。私は鯨の後を追いました」

「何に乗って?」

「泳ぎました」

 学園がある北アメリカから南極まで泳いだ。

 「99番目の雨」の言葉は「猫」を驚愕させた。

「……それがお前の魔法なのか?」

「部分的に肯定します。私の魔法は、身に着けている雨合羽が濡れている間、あらゆる能力を倍加させるというものなので」

 こと水中戦においては無敵と自負しています、と「99番目の雨」は言う。

「……で、ずっと私たちの後を追って泳いで、今着いたってわけか」

「いえ、途中、アクシデントがあり。本来ならここに辿り着く前に、合流するはずでした。すぐ傍まで接近していたのです」

 ですが、と「99番目の雨」は続ける。

「鯨を攻撃する、赤陣営の鮫を発見しまして」

「ああ、あのときか」

 南極上陸前に起こった戦い。

 赤陣営屈指の強者「釘バット」を乗せた鮫が鯨を襲い、「猫」たちは何とか「死」の縄張りまで逃げ延び、その結果「死」の怒りを買った赤陣営一行は即死した。

「あの場にお前もいたのか」

「はい。私は気づかれないように鮫に接近し、一撃を加えました。私は水中では無敵なので、鮫はあっという間に遠海に吹き飛びました」


「…………今、何て言った?」


「ですから、鮫に攻撃を加えた、最低限の仕事をこなしたので遅刻を許してほしいと言ったのです」

「そうじゃなくて……別に遅刻も怒ってるわけじゃないし……え、鮫に攻撃したの?」

「はい」

「それで、吹き飛ばした?」

「はい。恐らく2000㎞は吹き飛ばしたと思います。恐らく乗組員も全滅したでしょう」

 「99番目の雨」の言葉は、「猫」を驚愕させた。

 同時に、今まで抱えていた「死」への違和感の正体に気づく。

「……そういうことだったのか」

「何がですか?」

「『99番目の雨』よ、今すぐ私に着いてきてくれ」

「了解です、しかし、どちらへ?」

「『死』ともう一度話さなければならない」

 「猫」は「99番目の雨」に尻尾を向けた。

 頭の中を焦燥感と奇妙な興奮が占めた。

 四肢に力を籠める。

「交渉はやり直しだ」

 『猫』は住宅地に向けて駆けた。

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