第14話 西暦2015年:7

 魔法少女・新藤桃は、敵魔法少女と向き合っていた。

 舞台は夜の遊園地・駐車場エリア。周囲には、バラバラに解体され、粒子状に散っていく魔獣の残骸が散乱している。

 敵魔法少女・マットシザーは、刃渡り1mを超える巨大な鋏を担ぎ、狂的な笑みを桃に向けていた。

「少しは成長したか、迷い猫」

「あなたは……」

 桃はマットシザーの姿を観察する。

 以前は初めての討伐クエストに加え突然の襲撃で、じっくり観察することは出来なかった。

 黒いドレスに、紅い髪。巨大な鉄色の鋏。

 そして……。

「あれ、眼帯が無い……?」

 以前はついていた筈の黒い眼帯が無くなっている。

 どうして?

 付属品が増えるなら分かる。

 桃もポイントを集め、猫耳を生やしたり、「猫クロ―」を作ったりした。

 けれど、装飾品が減る理由が分からない。

「バトルで邪魔だったのよ……眼帯のことは別にいいでしょ!」

 マットシザーが憎々し気に言うと、鋏を振り上げる。

「…………ククク! さぁ迷い猫、私という狂気から生き延びてみせろ」

 来る……! と桃は警戒した。

 作戦があるわけではなく、漠然と注視するに留まった。

 何故なら、具体的なプランを考えようという発想に至る前に、マットシザーの鋏は桃の頭上に迫っていたのだから。

(速っ……!)

「ククク……バイバイ、猫ちゃん」

 刃が桃の脳天に突き刺さる。

 しかし、それは一振りの日本刀によって止められる。

「……まだ、私は終わってないぞ、マットシザー!」

「刀子先輩!」

「へぇ、まだまだ遊べるみたいだね」

 ぐっ、と刀子はマットシザーを押し返す。マットシザーはそれに逆らわず、バックステップで距離を取った。

「新藤、ここは私に任せてお前は魔獣を狩れ」

「いえ、刀子先輩。私も一緒に戦います」

 桃は「猫クロ―」を握りしめる。

「私がこれからも魔法少女を続ける上で、こいつは超えなきゃいけない壁だから」

「そうか。ならば共に戦うぞ、新藤!」

「はい!」

「ククク、正しき魔法少女、私という狂気を前にして正義を示すがいい!」

 刀子が駆ける。後を追うように桃も大地を強く蹴る。

 鋏は笑顔でそれを迎え撃つ。

 三人の距離は一瞬でゼロになり、それぞれの武器が振るわれた。

 刀子の刀をマットシザーは刃先で受け止め、桃の猫クロ―を柄で弾く。

 二人がかりの攻撃をマットシザーは的確に捌いていく。が、

「ク、ククク……」

 徐々にマットシザーは押されていく。

(勝てる……!)

 桃の心に高揚感が広がっていく。

 正しいことを為しているという確信が満ちていく。

 そしてその時はやってきた。

 刀子の斬り上げた刃が、マットシザーの鋏をかち上げ、その隙に桃が「猫クロ―」を胴に叩きつける。

 マットシザーは吹き飛ばされ、アスファルトの上を転がった。

「見事……私の狂気を覆したか……しかし、それもまた狂気……」

「私の剣の前では、貴様の狂気など紙切れに過ぎない」

(かっこいい……私も何か言おうっと)

「私の爪は、全てを」

「また会おう、哀れな魔法少女たちよ!」

 そう言って、マットシザーは飛び上がり、遊園地の敷地外へ逃げて行った。

 駐車場には、桃と刀子だけが残される。

 疲労と羞恥で顔を赤くしている桃の肩を刀子は撫でた。

「よくぞ戦った。お前ももう一人前の魔法少女だ」

「はい、ありがとうございます!」

 認められたことに、桃は嬉しさを感じた。

 しかし、徐々に違和感を覚えだした。

 何かが違う。

 どこかおかしい。

(何で私、戦ってるの?)

 魔獣を倒すのは、夢を叶えるためだ。

 鋏と戦ったのは、身を護るためだ。

 どちらも仕方ないから戦っているのであり、戦いたくて戦っているわけではない。

 なのにどうして、戦う度に高揚感を覚えるのか。自分はそんなに喧嘩大好き人間だったのか。

(猫に近づいているから……?)

 猫、猫ちゃんなんて可愛らしく言っても、つまるところ狩猟動物である。

 獲物に忍び寄り、獲物を甚振り、獲物を食い殺す生物である。

 猫に近づくということは、少しずつ人の心から、獣の心に近づいているのかもしれない。

「あの、刀子先輩」

「どうした?」

「刀子先輩はどうして魔法少女になったんですか?」

「強くなるためだ」

 シンプルで力強い答えだった。

 この人は迷わない。そう桃は思った。

「あらかた倒したな。一度観覧車に戻るか」

「そうですね。マットシザーのことも報告しないとですし」

 二人は観覧車を目指して歩き出した。

 観覧車に着くと、くじらが待っていた。

 疲労の様子はなく、腕を組んで心配そうに遠くを見ている。

「くじらちゃん、お疲れ」

「お疲れ様ですわ、桃さん。それに、刀子さんも……」

 視線を桃に移したくじらは、ぎょっとしたように目を見開いた。

「お二人とも何があったんですの?」

 桃の顔は疲労困憊だったし、刀子の装束は土で汚れていた。

「マットシザーが表れたんだ。二人がかりで撃退した」

「それは……恐ろしいですわね」

「ああ、くじらは大丈夫だったか」

「余裕でしたわ」

 事実、くじらの顔に疲れの色は無く、ダイバースーツのような装束に汚れも見られなかった。

「ひなた先輩と雫ちゃんは?」

「まだ戦闘中ですわ」

 くじらの指差す方向を見ると、ジェットコースターのレーンが見える。そこに、何匹かの蟻型の魔獣が動き回っている。

 レーンの上を滑るように走っているのは日向姉妹だ。

 雫は傘を振り回し、ひなたは後方から炎を飛ばす。

 魔獣は次々と倒され、レーンから落下していく。

「助力した方がいいのかな」

「いえ、邪魔をしちゃ悪いと思いますわ。苦戦しているというより、あれはそう、鍛えていると言った方が正しいのかもしれません」

 くじらの言う通りだった。

 ベテランであるひなたは雫のフォローに徹しており、魔獣を倒すことのメインは雫に任せている。

 恐らくひなたが本気を出せば一瞬で残った魔獣を全滅できるのだろう。けれど妹を鍛えるためにあえて任せているのだ、と桃でも分かった。

「たぶん今回のポイントで二人の願いは叶うと思うが」

 と、刀子が言い出した。

「その後はどうする? 討伐クエストに出る必要は無くなるが」

「魔獣はどうするんですの?」

「私が狩り続ける」

 その口調に恩着せがましい様子はなく、さも当然であるかのようだった。

「私は戦うことが好きだ。魔法少女も、今のところ辞めるつもりもない」

「願いは無いんですの?」

「私は強くなることが願いだ。だから、討伐クエストを半永久的にやり続けてどこまでも強くなるのは私の願いに合っている」

「ストイックですわ」

 くじらは感心した様子で言った。

「桃とくじらはどうなんだ?」

「私は……」

 もうすぐ猫になれる。待ちに待った瞬間にも関わらず、桃の心は揺れていた。

 けれどどうして揺れているのか桃も分からないのだ。

 わかりません、と桃は答えようとした。しかし、刀子が立ち上がり、刀を抜いたのを見て、言葉を飲み込んだ。

「どうしました?」

「また来た」

 呆れたような声。

 レーンの上に、新たな登場人物が増えていた。

 雫とひなたの間に割って入るように立ち、鋏を振り回している少女。

「マットシザーめ。逃げたと思わせたのはフェイクだったか」

 刀子はレーンに向かって駆けて行く。

 遅れて桃とくじらも駈け出した。

 レーン上ではひなたがマットシザーに炎を浴びせかけていた。

 しかしマットシザーが鋏を動かすとたちまち炎は消え失せる。

 桃の耳に、マットシザーの狂笑が届いた。

 レーンを滑るように移動したマットシザーは、鋏をひなたに向けて突き出す。それをひなたはバックステップで回避した。

 その時、ぞわり、と桃の背を冷たいものが走った。

 着地をしたひなたの首から、血飛沫が舞った。そのまま、レーンの下に落下する。

「ひなた――」

 落下していくひなたを、刀子は受け止めた。

(今、何が起こったの?)

 起こってはいけないことが起きた、ことだけは分かる。

 けれど、具体的にどういう事態が発生したのか、桃には分からない。

 ただ、刀子に追いつき、彼女の傍らで先輩魔法少女を見下ろす。

「ひなた……っ、おい、しっかりしろ! 早く、早く回復を……」

 血が止まらない。

 既にひなたの顔は土気色になっている。双眸は焦点を結ばず、ぽかんと口を開けている。

 死んでいる。

 日向ひなたは死んでしまった。

「誰か……おいっ、誰か回復魔法を! 誰か使えないのか!」

 縋るように刀子は周囲に視線を送るが、答える者はいなかった。

 桃は動けない。どうしていいか分からない。こういう時リーダーシップを取っていたのはひなただった。そのひなたは倒れ動かない。

 桃はくじらに目を向けた。

(くじらちゃんは、頭が良い。くじらちゃんは、賢い。くじらちゃんなら、きっと)

 くじらは桃の傍らに居た。いつの間に居たのか、桃には分からなかった。

 そしてくじらは、桃の方を見ていた。

 僅かな期待に縋る表情で、桃の方を見ていた。

(あ……)

 桃もまたくじらを同じように見ている、とくじらが気づいたのが、桃には分かった。

 みるみる表情が崩れていき、彼女は目に涙を浮かべて俯いた。

「……何なんこれ、こんなん嫌や……」

 くじらの口から洩れた声は、普段の口調とまるで違っていて。桃はその場で耳を塞ぎたくなった。

「誰か、誰か回復魔法を……、早く……!」

 刀子の声に紛れるようにして、落下の音が聞こえた。

 雫が降りてきたのか。雫なら回復魔法を使えるかもしれない。根拠もなくそう思った桃が顔を上げる。

 マットシザーが立っている。

 日向ひなたを殺した、マットシザーがそこに居る。

 次に殺されるのは、私だ。

(嫌だ……死にたくない!)

 桃は立ち上がった。戦うためではなく、逃げるためだった。

 逃げるために、マットシザーの顔を見た。

 彼女の顔は幽霊のように青白く、凍死寸前のように震えていた。

「その子……死んじゃったの?」

「お前……お前、よくも……!」

「違う! 違う、私じゃない! 今の攻撃は、私じゃない!」

 —―狂っている。

 今まで見たマットシザーで最も狂った姿だった。

「死ねっ!」

 刀子が刀を投げつけた。

 ひぃ、と悲鳴を上げてマットシザーは紙一重でそれを躱す。

 そのまま彼女はこちらに背を向け、一目散に逃げだした。

 刀子は刀を拾うと、そのまま後を追っていった。

 残されたのは、桃と、くじらと、ひなただったもの。

「……どうすればいいんでしょうか」

 くじらの言葉に、桃は何も返せない。

 分からない。こんなことは想定していなかった。

 戦っているんだから、死ぬこともある。理解はしていても、まったく覚悟はしていなかった。

「ねぇ」

 と、声が聞こえた。

「お姉ちゃんに、何かあったの……?」

 いつの間にレーンから降りていたのか、肩で息をしている雫がこちらに歩いてくる。

「もしかして、怪我した?」

「……雫さん、ひなたさんは、もう……」

「大怪我したの……?」

 雫がどんどん近づいてくるのを、止める者はいなかった。

 すぐ後に、雫の絶叫が周囲に響いた。


 

 

 

 

 

 

 

 

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