第9話 マジカル暦750年:5
『死』
①死ぬこと。生命活動が停止すること。生きていないこと。
②人類を滅ぼした魔法少女。正体不明。
750年前。
その魔法は、一切の予備動作が無く、一切の発動音が無く、一切の視認性が無く。
一瞬で、世界中に降り注いだ。
その時、地球上に残っていた人類は、自分たちが誰に殺されたのか、何をされたのかも理解する間もなく、唐突にその生を、そして種族の歴史を終えた。
魔法少女ですら、起こったことを理解するのに数年の時間を要した。
何故なら、それは魔法少女も例外とせず、8割の魔法少女はこの時命を落とし、蘇生しなかった。
生き残った魔法少女は意見を交わしあった。
どうして8割も死んだのか、ではない。
どうして2割も生き残ったのか。死んだ魔法少女と生き残った魔法少女、何が違ったのか。
明確な答えは見つからなかった。偶然、と片づけるには、人類のみは100%全滅させられていることと矛盾した。
生き残った魔法少女たちは今度こそ殺されないように、『死』への対策を練った。
人は死んだが、人の作った機械は残っている。これに魔法を組み合わせ、「終末」の瞬間に起こったことを調査し、幾つかの答えを得た。
「即死」は、同時に世界に降り注いだのではなく、波紋のように広がっていた。死には、ラグがあったのだ。
そして、波紋の中心地、発生源は、とある大陸だと判明する。
魔法少女たちは、暗殺と生存に特化した部隊を、その大陸に派遣した。
彼女たちは、一定の距離まで近づいた瞬間、全員消息を絶った。
『死』はそこにいる。
魔法少女たちは理解し、生き残るために何度も決死隊を送り、それを全て失敗させた末に。
諦めた。
『死』を屈服させ、排除することを諦め、『死』を受け入れた。
既に『終末』から100年が経っていた。次の『終末』はやってこず、『死』は干渉されない限り、魔法少女を排除する気がないと察することが出来た。
生き残った魔法少女たちは、心のどこかに『死』を意識しながら、かつての暮らしを取り戻そうと努力した。
やがて世界は幾つもの勢力に分かれる。
北アメリカ大陸を支配する、『青の魔法少女学園』。
南アメリカ大陸を支配する、『赤の魔法少女帝国』。
ヨーロッパ地方を支配する、『光の魔法少女教団』。
これら三大勢力は、数百年を、交戦したり、休戦したり、同盟したり、同盟破棄したりしながら、だらだらと小競り合いを続け。
その他小勢力もまた、三大勢力の庇護下に置かれたり、裏切ったり、裏切られたり、支配されたり、滅ぼされたりしながら、数百年を生き続ける。
その間、『死』と彼女の縄張りはアンタッチャブルであり、どの勢力も、意識しながらも接触を避け続けていた。
それは、かつて先進国の人類が生活から死を遠ざけようとした動きに似ていた。
マジカル暦750年、その歴史を打ち破るかのように、一匹の鯨が、4人の魔法少女を乗せ、『死』へと近づいていた。
◇
船内は、重苦しい空気に包まれていた。
今しがた迫っていた脅威は排除された。敵は滅び、生き残った四人の魔法少女は喝采を挙げるべきなのかもしれない。
けれど、『猫』はまったくそんな気分になれなかった。
(私たちは今、『死』の射程距離に居る)
『死』。
人類を滅ぼした魔法少女。
即死魔法の使い手。
『99番目の雨』を除き、この場の三人は、いずれも「終末」を生き残っている。しかしそれは、『死』を克服したことと同義ではない。
(生き残っただけだ)
『猫』はそう実感する。死んでいった者と、生き残った者。そこに優劣は存在しない。750年前、幾つかの仮説が立てられたが、いずれも確かな証明にはならなかった。
(以前死ななかったら今回も死なない、というのは楽観的すぎる)
十中八九、『死』は『猫』を殺せる。今この瞬間にも。
ふと、『猫』は、自分がすでに死んでいるのではないか、という錯覚を覚えた。
今はまだ、意識がある。思考が出来る。髭を撫でることが出来る。
けれど、次の瞬間には、全てが無になっているかもしれない。
電気椅子に座った囚人の気分だった。いつスイッチを押されるのかただじっと待っているだけの……。
「怖がったって、仕方ないじゃない」
と、言ったのは『鋏』だった。
「元々、終末のときは、攻撃範囲が地球丸ごとだったでしょ。『死』はやろうと思えば、この数百年、いつでも私たちを殺せたのよ。今と同じようにね。だから私たちの現状は何も変わっていない。
むしろ好転してるわ。追って来た赤のバカは死んで、『死』は私たちを殺していない。『死』は私たちに明確に好意を持っていると捉えていいんじゃないかしら」
あまりにも楽観的な言葉だ、と『猫』は思った。けれど、完全に間違っているわけでもないと思う。
『死』に見られている、という意識はまだ『猫』の中にある。『死』は『猫』たちを意識しながらも、まだ排除しようとは考えていない。
交渉の余地は残されている。
「予定通り、『死』が縄張りにしている大陸に上陸しよう。『青い鯨』、傷は大丈夫か」
先ほどの戦いで吐血した彼女を労わるが、『青い鯨』はけろっとした顔で
「治ったの」
と、言った。
「早いな」
「私の鯨は、海中にいる限り自己再生能力を持っているの。あの程度の攻撃、数分で完治するの」
『猫』は自身の中の『青い鯨』の評価を向上させる。
(『白鯨』でもここまでの回復力は無かった。単純な下位互換というわけでもないのか)
「では『青い鯨』、この後も引き続き頼む。恐らく後1時間もしないうちに着くはずだ」
「了解なの」
『青い鯨』はガッツポーズを見せる。けれど、その顔は引きつっていた。
(疲労が残っている、わけじゃないな。怖いのか)
当然だ。『猫』だって怖い。『鋏』だって怖いはずだ。
ふと、『99番目の雨』はどうなのだろうと思い、彼女の方を向くと、意外にも不安げな表情を見せていた。
(農園制にも、死の恐怖はあるのか)
だとしたら、随分残酷な仕様だ。『猫』は改めて、中央委員会に嫌悪感を持つ。
鯨は進んでいく。『死』に向かって。
◇
「何これ……」
そう、『猫』は呟いた。
鯨から降り、四人はいよいよ大陸へと上陸した。
『猫』の第一声である。
彼女の目の前には、異常な光景が展開されていた。
海が波立ち、砂浜を濡らす。
大人より少し高い場所に堤防が備え付けられ、上へ昇る階段も用意されている。
「海岸じゃん」
それも、観光地ではなく、田舎町の寂れた、地元の人間が適当に眺めるためにしか使われないような、そんな風景が、四人を待ち構えていた。
「っていうかここさ……」
『鋏』もまた、落ち着かない様子で頬を掻く。
「ここ、知っているんだけど。覚えてる。ここ、私の地元の海岸だよ」
「どういうことなの?」
ここまで三人を運んだ『青い鯨』もまた、鯨の肌を撫でながら表情を歪めていた。
「一体何がどうなっているの?」
「えっと、皆さんが何をそんなに驚いているのか、若輩者の私にはよく分からないんですけど……」
どこか申し訳なさそうに、『99番目の雨』は言った。
「つまり、死が支配する大陸とは、魔法少女始まりの場所、私たちの母なる故郷、いわゆる日本列島ということなのでしょうか」
日本。ここが、ここが日本……?
「そんなはずはないの!」
『青い鯨』は叫んだ。
「馬鹿にするななの! わ、私はずっと、南下していたの! 赤の縄張り、南アメリカ大陸より更に南に進んだんだから、ここは、ここは……」
「ここは南極大陸だよ、お姉さん」
声は、あまりにも近くから聞こえた。
響きもせず、大きくもなく、特に聞き取りやすくもない、あまりにも普通の、少女の声だった。
だからこそ、その場にいた四人は驚愕し、声の方を見た。
堤防の上に、黒いワンピースを着た少女が、立っている。
「……『猫』」
と、『鋏』が囁いた。
「あの子、魔力探知に引っかかってないんだけど」
「……そんなことが出来るのは、一人しかいない」
(即死、だけじゃないのか。ありとあらゆる魔法干渉も、魔法阻害も、きっと魔法による探知でさえも)
万物を、殺すことが出来る魔法少女。
『死』。
「歓迎するよ、お姉さんたち」
青白い肌の少女は笑った。
「私の名前は黒塚めあ。妖精は私を、魔法少女って呼んだよ」
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