第10話 西暦2015年:5

 新藤桃は、日向雫と向き合っていた。

 新藤桃は、魔法少女である。いつか猫になるために、妖精と契約した。猫要素はいくつか獲得できたが、未だ完全な猫化は遠い。

 日向雫もまた、魔法少女である。新藤桃と同じチームであり、桃と同じくまだ新人の範疇に入るレベルだ。

 二人は、いささか奇妙な状態にあった。

 本来、二人が顔を合わすのは夜。討伐クエストと呼ばれる、魔獣を倒すクエストでのみ一緒に行動する関係である。

 しかし、現在は日中である。

 夕日の日差しがカーテンの隙間から射し込んでいる。

 場所もいつもと違う。廃校や廃工場ではなく、アパートの一室だ。

(ここって、雫ちゃんの家なのかな)

 桃は部屋の中に視線をこらす。棚に納められた食器の数は多く、廊下の奥には子ども部屋らしきものもある。一家族が暮らす部屋だということは間違いない。

 けれど、写真の類は一枚も見つからない。どこかに隠しているのか。

(そんなに、本当の顔を知られたくないのかな)

 と、かなり意地悪な考えも思い浮かぶ。

 現在、二人は変身している。変身前と比べ、その恰好やその容姿は、大きく変化している。

 桃にしたって、頭の猫耳をさしおいても、まず顔が違う。アイドルや女優と遜色ない顔をしている。実際はもっと平凡な顔だ。

 雫の恰好は桃以上に奇妙で、雨合羽に長靴、手元には雨傘さえ用意している。その顔は雨合羽に隠れて分からない。魔法少女である以上、桃に勝るとも劣らない美人になっているはずなのだが、雫は仮の顔さえ見せようとしない。

(私もそうとう変だけど、雫ちゃんの恰好は、屋内だとかなり浮くなぁ……)

「今日は、き、来てくれて、ありがとう……」

 唐突に、雫は話し始めた。

「桃ちゃんが、この前、話してくれた、あれについてなんだけど……」

 あれ。

 桃はすぐに思い出す。

 妖精についてだ。桃を魔法少女にした妖精は、記憶を操作できる魔法を使える。そして、その事実を桃に伝えていなかった。偶発的にそのことを知ってしまった桃は、妖精を糾弾し、二人(一人と一匹)の間にあった信頼関係には罅が入ってしまっている。

「桃ちゃんが、そのことを、仲間の皆に共有してくれたのは、すごく嬉しい」

「私も一人で抱え込みたくなかったし」

 仲間の反応は二つに分かれた。

 最も強く反応したのは雫だった。彼女は雨合羽の中の表情が想像しやすいくらい激怒し、それ以上に取り乱していた。あまりの混乱ぶりに、桃のほうが冷静になって怒りが冷めたくらいだ。

 雫の姉、先輩魔法少女でもある日向ひなたもまた怒っていた。ただし、彼女の場合、取り乱すことはなく、むしろ、今まで抱いていた不信感が形になったような感じで、やっぱりね、と呟いていた。

 同じく先輩魔法少女である竹林刀子は、いまいち事の重大性が分かっていないようだった。ただ親友であるひなたが怒っているので、同調して怒っているように、桃は感じられた。

 一人だけ、違う反応を見せたのは、同じ新人魔法少女であり、桃と最も付き合いが長い白井くじらだった。

「それは、当たり前のことじゃないでしょうか」

 くじらは慎重に言葉を選んでいるようだった。

「人間を管理する上で、記憶を操作するのはもっとも効率がいい方法ですわ。露呈しなければ、という前提が付きますが」

「でも、実際桃ちゃんにはばれちゃったよね」

 先輩であるひなたの言葉に、くじらはそうですね、と頷く。

「ですが、それならば何故、妖精プーホは、桃さんの記憶を奪わなかったのでしょう。今こうして、私たち5人が、妖精の記憶操作を知ってしまったのは、妖精にとってかなり都合が悪い状態じゃないでしょうか。桃さんの記憶を奪ってしまえば、このような事態は防げたはず」

 一理あるわね、とひなたも素直に頷く。

「けれど、現段階でははっきりしないわ。この後私たち全員の記憶を奪いに来るかもしれない。今はまだ妖精側の準備が整っていないだけで」

「桃さんの話ですと、①頭の上に飛び乗って②呪文を唱える、というプロセスでしたわ。確かに警戒した魔法少女の頭の上に飛び乗るのは難しそうですわね」

 二人とも冷静だなあ、と桃は思った。取り乱した自分が、少し恥ずかしく思えた。

「ちょっと、ま、待ってよ! くじらさんは、妖精側なの!?」

 雫の言葉には敵意が籠っていた。

(これはちょっと、まずくない?)

 桃の思考に不安が差した。

 何が不味いのか。まだ、雫もくじらも、変身しているのだ。

 外見こそ雨合羽とダイバースーツだが、実際はパワードスーツを着て重火器を持っているに等しい。そんな二人が喧嘩をして、もし暴力に発展したら……。

(魔法少女同士の戦いなんて、そんなの、絶対駄目だよ……!)

「落ち着きなさい雫」

 姉であるひなたが、雫の肩を撫でる。

「くじらちゃんもこっち側よ。だから大丈夫」

「ええ、誤解を与える言い方をしてすいません、雫さん。私はただ、妖精側の思考を探ろうとしただけですわ。

 ただ、私たちが考慮しなければならないのは、妖精が人外だということだと思うんですの。同じ人語を話すとはいえ、彼らは人ではないのです」

「だから、信用できないって、ことでしょ……!」

「いいえ、そもそも価値観が違う可能性が高いです。向こうとしてはこちらを信頼し、こちらを守るために一般人の記憶を消しているのかもしれません。私たちに話していないのは、話すまでもないことだと思っていたのか、あるいは、話すことで魔法少女のモチベーションを下げることを恐れていたのか。そこに悪意はなかった可能性がありますわ」

 桃は、くじらの夢を思い出した。

 彼女は、鯨と一緒に泳ぎたい。そのために魔法少女になったという。

 それはつまり、最初から異種族と相互理解を前提にしたものだ。

 人と鯨は違う。鯨の生態を理解しなければ、鯨と一緒に泳ぐことは出来ない。

(私とは違う)

 桃は、猫になりたい。

 猫が欲しいわけでも、猫に好かれたいわけでもない。

 そこには、最初から桃しかいない。

「価値観が違うからこそ信用できない。そういう観方も出来るわよね」

「価値観が違うからこそ理解を深めることも出来るとも思います」

「……現状、どちらかに結論は出せないね」

「……そのようですわね」

 桃は、仲間に記憶操作の件を話して良かったと思った。

 桃が想像していた以上に、くじらは思慮深く、ひなたの懐は広かった。

 他の二人も、桃の怒りに共感を示してくれる。

「……とりあえず、みんな妖精には警戒して毎日を過ごして。万が一ってこともあり得る。後、今日知ったことをどこかに書いてそれを隠しておいた方がいい。記憶操作をされたときに、それが証拠になるかもしれない。これくらいはいいわよね、くじらちゃん」

「勿論ですわ。私も、自分の記憶を弄られたいとはまったく思っていませんので」

 そして、その場はそこで解散となった。

 それが一か月ほど前のことである。

 その翌週、討伐クエストを受けるために五人は集まり、周囲に妖精が居ないことを確認して、状況を確認しあった。

 結果、誰の記憶も改ざんされた様子はなかった。

 桃は少し安心した。妖精は敵ではない。完全に信用できるわけではないが、少なくとも敵ではない。

(私も、ちょっと繊細過ぎたかも……)

 そんな風にさえ思った。

「……桃さん。明日、ちょっと、会えない、かな」

 帰り際、雫にそんな風に声をかけられるまで。


 そして今、アパートの一室で桃と雫は向かい合っている。

「それで、どうして私を呼んだの?」

 桃が訪ねると、雫はえっと……と僅かに前のめりになった。

「……お姉ちゃん、やっぱり、妖精のこと、信用できないって」

「そうなんだ……」

「だから、妖精から独立するっていうか、ちょっと距離をとる団体と、繋がろうとしているの……」

「ちょっと距離をとる団体?」

 随分迂遠な物言いだと桃は思う。

「今は、クエストとか、全部妖精任せだけど、その辺も……魔法少女だけで、運営できないかなって」

「独立するってこと?」

「最終的には……」

 妖精から独立。

(出来るのかな? 私たちを魔法少女にしたのも妖精だし、魔獣が何処に出るのか教えてくれるのも妖精だし、学校から先生を追い出すのと同じくらい無謀な気が……)

「桃ちゃんも、妖精って、信用できない、よね。だって、記憶とか、消しちゃうんだよ」

「……信用というか、あまり親しくもなかったって感じ。記憶とか消せるのは普通にショックだったけど」

 複雑だ。桃は妖精について強い感情を持っていなかった。

 好きも嫌いもない。魔法少女にしてもらえた恩は感じているが、記憶を消せることを隠されていたのは不信感を覚える。

 だから。

「妖精と、魔法少女、どっちの味方、するの?」

「……魔法少女」

 そう答えたとき、桃には深い考えはまるでなく、自分が後に「妖精戦争」と呼ばれる、妖精と魔法少女の戦いにおいて、魔法少女陣営に所属することを今この場で宣言したことにも、まったく気づいていないのだった。

 西暦2015年。新藤桃の頭には、猫耳が生えていた。

 



 

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