第7話 マジカル暦750年:4

 嫌だな、と『猫』は思った。

 数百年の生涯で様々な修羅場を潜り、何度も命の危機に晒されてきたが、やはり追われる恐怖というのは何度経験しても慣れるものではない。

 ましてやそこが海中であるなら……。

『ぶっ殺してやる!』

 『鯨』の船内に響くのは、敵魔法少女の怒声である。

 しかし『猫』たちには相手方の暴言をのんびり聞いている余裕は無かった。

「もっとスピード上がらないんですか!」

 『99番目の雨』が悲鳴混じりの声を挙げるが、『青い鯨』は

「無理なの! これで全力なの!」

 と、言い返す。

 『鯨』の操作に神経をすり減らしているのか、目は血走り、全身をわなわなと震わせていた。

 時折、船内は傾き、弾み、回転する。

 船内のものは全て魔法の産物である以上、落下したり、破壊されることはなく、『猫』たちに襲いかかることもないが、『猫』を含め『青い鯨』以外の魔法少女は『青い鯨』の管轄外であるため、『鯨』が海中で見せる動きによって、揺られ、崩され、浮かされる。

 人間ならともかく、魔法少女はこの程度のことで酔ったりダメージを負うことはない。無いが……。

(鬱陶しいからやめてくれ、なんて言えるはずもないよな)

 『青い鯨』は、悪戯心で『鯨』をアクロバティックさせているわけではない。

 外の様子は『猫』には分からないし、『青い鯨』に聞くつもりもないが、恐らくは。

(攻撃され、それを回避している)

 後方から、自分たちを追う『鮫』……赤陣営。

 本来、鮫に遠距離攻撃は無いが、魔法少女の魔法は何でもありだ。歯を飛ばそうが目からビームを発射しようが、驚くには値しない。

 後方から攻撃を続ける『鮫』。それを必死に避け続ける『鯨』。自然界でもそうないであろう攻防が、海中で展開されている。

「『猫』、こっちからも攻撃するべきじゃない? 『釘バット』と海中でタイマンなんて絶対嫌だけど、無抵抗で逃げ続けるの嫌よ私」

「そうですよ! お二人ならこういう局面でも打開できる魔法があるのでは!?」

 『99番目の雨』が顔を青白くしながらも、『猫』と『鋏』に期待の眼差しを向ける。

「嫌、このまま逃げ続けるべきだ」

 『猫』は答える。

「まだここは『赤陣営』の縄張りだ。留まって戦うよりも、『死』の縄張りまで逃げた方がいい。そこまで逃げれば向こうも諦めるだろう」

「逃げながら応戦しちゃ駄目なわけ?」

 『鋏』の言葉はもっともだと、『猫』も思う。

 『青い鯨』には逃げることに専念してもらい、『猫』と『鋏』で『鮫』に攻撃する。それが最も合理的な考えだし、本来なら『猫』もそういう選択をとる。

 しかし。

「いや、駄目だ。極力魔法を使うな。このまま避け続けて『死』の縄張りに入れ」

 『猫』の意志は変わらない。

 何故なら、『猫』の毛が、髭が、しっぽが、敏感に反応しているからだ。

 『猫』の魔法の一つ、『危機感知』が鋭敏に示している。

 『鮫』ではない。『釘バット』ではない。

 もっと恐ろしい存在が、『猫』たちを視ている。

「『死』を刺激するな」

 と、『猫』が言った。

 それを聞いて、『鋏』は納得したようだった。『99番目の雨』はどういうことです? と首を傾げ、『青い鯨』は『鯨』の操作に全力で『猫』の言葉は届いていないようだった。

『いつまで逃げとんねん青のカス共! 逃げるしか能がないんかボケ! てめえら皆殺しだかんな!』

 赤陣営の魔法少女の声だけが、船内に響く。

『これでもくらえや!』

 『鯨』が今まで以上に身体を捩じり、何らかの攻撃を回避した。

 次の瞬間、『青い鯨』は吐血した。

(酷使し過ぎたか? あるいは、ついに攻撃を喰らったのか)

『ぎゃはははは! 全方位弾幕じゃいボケ! 言っとくがこんなもんじゃねえぞ! あたしの攻撃は『爆撃淑女』に匹敵すると赤じゃ有名なんだからな!』

「ぐぅっ、…………っあ!」

 床面に赤が広がっていく。『青い鯨』はそれでも『鯨』の操作を続けている。

(伊達に、生き残ってないか……)

「もう一度くらえ! あたしの『全方位・鮫地ご――」



 —―唐突に、船内は静寂に包まれた。



「…………通信を切ったんでしょうか?」

 『99番目の雨』が訝し気に問う。

「…………違うわ」

 と、答えたのは『鋏』だった。彼女は視線を後方、『鮫』が追って来た方向に向けている。

 『青い鯨』は崩れ落ちるように膝をついた。それでも『鯨』の操作を止めることはなく、目を瞑り集中している様子を見せる。

「…………いないの」

「いない? 赤陣営がですか? 逃げたんでしょうか」

「……生体反応を探っているの。でも、いないの」

「逃げたんじゃない」

 と、『猫』は口を開いた。

「死んだんだ」

「な、何でですか!?」

 『99番目の雨』が疑問に思うのももっともだった。『鯨』も、『鯨』の体内に居る魔法少女たちも、誰一人応戦していないのだから。

 あまりにも唐突な、死。

 一方的で、絶対的で、理解不能な現象。

 『99番目の雨』は知らない。しかし、それ以外の3人は、かつてこれを体験している。

 750年前に起こった、人類を滅ぼし、魔法少女を殺戮し、世界を変えてしまった魔法。

「既に私たちは……」

 『猫』は船内を見渡す。まだ生きている三つの魂を眼に焼き付ける。

「『死』の領域に入っている」

 マジカル暦750年。

 『猫』は、『死』と接触する。


 

 


 

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