第5話 マジカル暦750年:3

 『猫』は、『鋏』の顔を眺めていた。

 特に意味があるわけでもなく、ただ何となくの行動だった。

「…………何?」

「いや、別に」

 『鋏』に睨まれ、『猫』は視線を外す。

 さっきまで、『猫』は初めて『鋏』に会った夜を思い出していた。まだ『猫』が『猫』と呼ばれる前の話だ。

「『鋏』さ」

「なんなの?」

「眼帯いつ外したんだったか」

 『鋏』は突然ナイフで刺されたかのような驚愕を顔に浮かべ、苦悶の表情を見せた。

「ね、『猫』……あんたさ、人には触れられたくない過去があるってわからないの……?」

「私は『猫』だからな」

「『猫』は自分のことネコとか言わないわよ」

 それもそうだ、と『猫』は思う。

「もう少しで、『死』の支配領域なの」

 「青い鯨」の言葉に改めて全員に緊張が走る。

 いよいよ『死』と相対することになるのだ。

 『死』の支配領域に足を踏み入れることはタブーとされている。『猫』たちは、そのタブーを自ら破ることになる。

「……後方から魔力反応があるの」

「味方でしょうか、敵でしょうか」

「ちょっと待つの」

 「青い鯨」は額に指を当てて何か集中する様子を見せた。

「鮫なの。紅い鮫」

「『血まみれシャーク』ですか!?」

 『99番目の雨』は驚愕の声を挙げた。

 「猫」は記憶をひっくり返す。「血まみれシャーク」。赤陣営が保有する生物兵器の一つ。「青い鯨」の使役する使い魔より小さいものの、体長は100mを優に超える。凶暴性も段違いだ。

「向こうから通信も来てるの。『猫』、どうしたらいいの?」

「とりあえず受けましょう」

 答えたのは『鋏』だったが、『青い鯨』は素直に従った。

 通信が始まると、同時に怒声が室内に響き渡った。

【ぶっ殺す!!!】

「シンプルだな」

 『猫』がため息をつく。

【こちら赤やボケ! 青のカス共はよ止まれや! お前ら弱虫だから『死』に頼るとか恥ずかしくないんかカス! おいこらカス! 返事せんかいボケ!】

「相変わらず赤は下品ね」

 『鋏』は肩を竦めた。

「返事した方がいいんでしょうか」

 と『99番目の雨』が訊くが、無視よ無視、とやはり『鋏』が答えた。

【何や返事もできんのか青のカスは! ほんま弱虫やな、死んだ方がいいんちゃう? キッショイ、キショ過ぎるから島着く前にぶち殺したるわ】

「だ、大丈夫なんでしょうか……?」

 不安そうに『99番目の雨』が問う。

「私、あまりバトル得意じゃなくてですね……」

「大丈夫よ、私がいるから」

 そう言って、『鋏』は、自らの獲物、刃渡り1メートルを超える大鋏を出現させた。

「今からあいつら黙らせてくるわ」

 そのまま鯨から出ようとする『鋏』は、しかし次の通信でその足を止めたのだった。

【そっちの魚には誰か乗っ取るの?】

 鯨を魚だと勘違いした言葉。しかしその言葉を聞いた瞬間、『鋏』の顔が一瞬で青ざめた。『鋏』はその声に聞き覚えがあったのだ。

「『釘バット』……」

【なあ、誰が乗っ取るの?】

【バット先輩、全員ぶっ殺したらわかりますって。通信はアタシがやっとくんで、バット先輩は戦う準備だけお願いしますから。

 えー、こほん。青のカス共、待っとけよコラ。てめえら皆殺しだかんな!】

「どうする?」

 と、『猫』は『鋏』に訊いた。

「『釘バット』と戦うことになるが……」

「冗談じゃない」

 『鋏』が吐き捨てる。

「私が何回あいつに殺されかけてるか、あんたなら知ってるでしょ。事前準備も無しに戦いたくないわ」

「じゃ、じゃあどうするんですか!?」

 『99番目の雨』の悲鳴は、室内に虚しく木霊した。

「……『青い鯨』、島までは後どのくらいだ?」

「10分くらいなの」

「なら、速度を上げて島まで逃げよう。何をされても応戦はしない」

 『猫』は全員の顔を見渡す。

「『死』まで逃げ切ることにしよう」




 

 

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