第3話 マジカル暦750年:2

 


 「猫」はクジラの胃袋の中にいた。

 捕食されたわけではない。クジラとネコは生息領域が異なっている。また例えネコが水中生物であったとしてもクジラの捕食対象にはならない。

 そもそも野生のクジラは絶滅している。

 「猫」が呑まれた……もとい乗り込んだこのクジラは、魔法少女が使役する使い魔である。

 かつてシロナガスクジラと呼ばれた種族と酷似している。異なるのは潮を吹くこともなく、食事や排せつを行わず、呼吸すらしない。

 速度は40ノット。旧世界の原子力潜水艦に匹敵する。

 クジラの胃袋は、会議室になっている。

 机が置かれ、椅子が並べられ、ホワイトボードさえ備えられている。

 実のところ、これらは必要ない。机が無くても魔法で浮かせればいいし、椅子が無くても疲れることはないし、ホワイトボードが無くても空中に文字を表示できる。

 それなのに、数百年経っても、こういった様式に拘るのはどうしてなのか。「猫」は時々、そんなことを考える。

 魔法少女。魔法と少女。

(私たちはどこまでいっても少女なのか)

 答えは、未だ見つからない。

「自己紹介を提案します!」

 と、「猫」の真正面に座っていた魔法少女が口を開いた。黒い長衣を纏い、髪は短髪。頬にはバーコードのような紋様が刻まれている。

(『農場』で製造された魔法少女か。最近増えたな)

「猫」は彼女の顔を眺めながらそんなことを思う。

「私たちは『死』とお友達になるために集められました! ならばまず、私たちがお友達になるべきです!」

 はきはきと快活に喋る少女の顔を、「猫」は無遠慮に眺めている。

「賛成なの」

 と、口を開いたのは、「猫」の斜め右の席に腰かける少女だった。もこもことしたパジャマらしき服装を纏い、目元にほくろがあるのが特徴的だった。

「お二人はどうなの?」

 訊かれ、「猫」は頷いた。

「私も賛成だ。これから一蓮托生なわけだからな」

 三人の視線は、必然的に「猫」の右隣に腰かけた魔法少女、「鋏」に向けられる。

「いいんじゃないかしら」

 「鋏」の言葉はつっけんどんで、どこか冷笑的だった。

(ここしばらくずっとナーバスだったからな……。これでもだいぶ持ち直した方だ)

 「猫」は「鋏」の投げやりな態度に呆れながらも、任務のためにある程度精神状態を持ち直した彼女をそこまで責めようとは思わない。この前のような哲学的な問いを振られても困る。ネコは哲学を語らないからだ。

「え、えーと。では、言い出しっぺの私から! 私は、№642544、皆からは『99番目の雨』と呼ばれています! この中では一番後輩ですが、どうぞよろしくお願い致します!」

「99番目の雨」はそう言って、ぺこりとつむじを見せた。

「6桁台ってことは、『農場』育ちってことなの?」

 と、もこもこパジャマの魔法少女が問うと、「99番目の雨」ははい、と応える。

「今まで七度の任務に従事しました! 各任務の詳細も語った方が良いでしょうか……?」

「いや、それは後でいい。恐らくその前に到着するだろうし」

 それよりも、と「猫」は自らの頬を擦りながら言葉を紡ぐ。

「『99番目の雨』ってことは、雨に関係する魔法を使える、って認識でいいのか?」

「はい。恥ずかしながら降っている雨をある程度操作することできません。面目ない、未熟者ゆえ……」

「雨は降らせられないの?」

 口を出したのは「鋏」だ。

「私の知っている『雨』はそれが出来たけど」

「オリジナルの『雨』ですね。残念ながら、私は降っている雨を操れるだけです」

「あ、そう」

 それだけ訊くと「鋏」は「99番目の雨」への興味を無くしたようだった。

 オリジナルの「雨」。かつて、「雨」と呼ばれた魔法少女を「猫」は覚えている。

 ……恐るべき強敵だった。「猫」は彼女と交戦しあやうく死にかけたことがある。彼女は、ありとあらゆるモノを雨のように降らせることが出来た。矢の雨、雷の雨、ミサイルの雨……。思い出すだけで背筋が凍る。

 「雨」は強かった。が、それは「死」の前では特に意味を持たなかった。

 今から「猫」たちが対峙するのはそういう相手である。

「次は私なの」

 と、もこもこパジャマの少女が口を開いた。

「私は№6143、『青い鯨』なの。能力は『クジラの使い魔』を操ることなの」

 今、「猫」たちが乘っているこのクジラも、「青い鯨」の能力によるものである。

「私は終末アポカリプスの前から魔法少女をやってるの。先輩として頼っていいの!」

 胸を張る「青い鯨」を「99番目の雨」は尊敬の眼差しで見つめていた。

 「猫」は、「青い鯨」という言葉に、「雨」と同様に、一人の魔法少女を想起した。

「もしかして、『白鯨』と何か関係してるのか?」

「師匠を知っているの!?」

 「青い鯨」の顔に喜色が広がった。浜辺に打ちあがったクジラのように、「青い鯨」は机に伸し掛かるように「猫」へ顔を近づけた。

「師匠は命の恩人なの! 私を助けてくれたの、から!」

「…………そうなのか」

 「猫」は、「青い鯨」の言葉を聞き流すことにした。彼女が過去にどんな目に遭ったのか、深く掘り下げようと思えなかった。ただ、気になるのは「鋏」が彼女をどう思ったかだ。どうも、「鋏」はここ最近、人間意識が目立つ気がする。今更過ぎる悩みだと、「猫」は思うのだが……。

 「猫」の不安をよそに、「鋏」は先ほどより若干口角を上げた、微妙に感情が読み取れない表情で「青い鯨」の顔を眺めていた。

 共感しているのか、面白がっているのか、嘲っているのか。あるいは、まったく別のことを考えているのか。

 四人のうち二人の自己紹介が終わり、残るは「猫」と「鋏」だけだ。

「私は№193、『猫』。見て分かるように、ネコに変身できる。で、ネコ同様に俊敏に動ける」

 先に口を開いたのは「猫」だった。

 簡潔な自己紹介。それで十分だった。

「なんと!」

 と、「99番目の雨」が声を挙げた。

「本物なの?」

 と、「青い鯨」が目を見開く。

「『猫』といえば、黎明期から活動している魔法少女の一人! お会い出来て光栄です!」

 握手してください! と右手を差し出され、「猫」は右前足を出した。

「あ、肉球柔らかいですね」

「ありがとう」

 そこを褒められるのは満更でもない。

「……終末アポカリプスどころか、『妖精戦争』以前の魔法少女。歴史の生き証人なの」

 握手して欲しいの、と右手を差し出され、「猫」は右前足を出した。

「あ、肉球柔らかいの」

「ありがとう」

 そこを褒められるのは満更でもない。

「しかし『猫』さんが一緒なら頼もしいです。生きて帰れる気がしてきました」

「色々教えてほしいの」

「……あんまり期待するなよ。私はただ生き残っただけだから」

 死んだ魔法少女と生き残った魔法少女。そこに優劣は無かった。と、「猫」は思う。

(運が良かっただけだ。いや、悪かったのかな)

「……むしろあんたたち、さっきまでこの喋るネコのこと何だと思ってたわけ?」

 呆れたような「鋏」の言葉に、「99番目の雨」と「青い鯨」は顔を見合わせる。

「『農場』で作られた実験体の一つだと」

「あなたの使い魔だと思ってたの」

 「鋏」は肩を竦めた。

「そういえばまだあなたの話を聞いてないの。あなたは誰なの」

「『鋏』」

 変化は劇的だった。

 「99番目の雨」と「青い鯨」は椅子を蹴って立ち上がり、「鋏」から距離をとった。

 その眼に宿るのは、敵意、恐怖、……嫌悪。

 臨戦態勢の二人を前に、「鋏」はむしろ先ほどよりもリラックスした状態で、椅子に体をもたれる。

「ちょっと、何? 何の真似?」

「『鋏』って、あの『鋏』ですか?」

「冗談なら悪趣味すぎるの。もし本当なら、私はこの任務を降りるの」

 一瞬即発の状況で、「猫」は前足で頭を抱えた。

 正直、この事態は予測していた。だからこそ、「鋏」はもっと穏便に着地できる何らかの話術を用意していると思っていた。

(仕方ない)

 「猫」は「鋏」をフォローすべく口を開いた。

「二人とも、私の話を聞いてくれないか」

 思えば、先に自己紹介して良かったな、と「猫」は思う。

 老練な魔法少女の言葉に、一応二人は従うつもりなのか、こちらに目線を向けた。しかし、「鋏」が何か怪しい行動を取れば即攻撃に写ることは体の強張りや足の向きから察することが出来た。

(味方同士の殺し合いなんて、そう何度も見たいもんじゃない)

「私は百年以上『鋏』と同居している。けれど、彼女に危害を加えられたことはない。今の彼女は、だ」

 二人の警戒が僅かに薄れるのを「猫」は感じる。どうやら自分の言葉は信用されているようだ。と、内心安堵する。長生きも無駄じゃなかったのかもしれない。

「それに、『鋏』の強さは君たちも知っているだろう。『釘バット』との七度の決闘は噂で聞いているはずだ。彼女の強さは今回の任務で必要になる」

「どれだけ強くても」

 と、「青い鯨」は「鋏」を睨んだ。

「『死』の前では無意味なの。そうでなかったら師匠は死んでないの」

「知ってるさ」

 そんなことは「猫」だって痛いほど知っている。

「けれど、今回の任務。対峙するのは『死』だけとは限らない。他の陣営と衝突する可能性だってある。その時に、『鋏』の強さは必要になるはずだ」

 沈黙が室内を支配する。それはまるで、使い魔であるクジラが泳ぐ海中のように冷たい静寂だけが揺蕩っていた。

「わかりました」

 と、「99番目の雨」は言った。

「『猫』さんの言葉を信じます」

 「99番目の雨」はそう言って、椅子に腰かける。

 「青い鯨」は未だ、「鋏」を睨んでいた。

「私たちはさ、『死』と友達になるんじゃないのかしら」

 騒動の渦中に居ながら「鋏」はこの事態を面白がっているように「猫」は感じられた。

「だったらまずは私たちが友達になるべきなんじゃないの?」

「お前は、師匠の敵だったの……」

「それ、いつの話よ。私たち同じ陣営。あんた、私が青陣営に居るって知ってたはずでしょ」

「……知ってたの。もし遭遇することになったら」

「なったら? どうするつもりだったの?」

 「青い鯨」は言葉を飲み込んだ。そして静かに椅子に座った。

 「鋏」もこれ以上挑発するつもりがないのか、口を閉じている。

 室内(体内)の空気は最悪に近かった。が、殺し合いよりはマシだ、と「猫」は安堵した。

「自己紹介はこれでいいかしら、お友達のみんな」

「……ええ、構いませんよ。私としてもそろそろ話を次に進めたいので」

(意外と「99番目の雨」は冷静だな。感情が無い、わけでもないようだ。『農場』の品質もかなり向上したということか)

 果たして自分たちは生き残れるのだろうか。集められたメンバーは恐らく青陣営で最も『死』を相手取るのに特化したメンバー……のはずだ。まさか、邪魔になった魔法少女の処刑をかねた任務だとは思いたくない。

 「猫」は三人の魔法少女の顔を順々に見渡す。

 「99番目の雨」は妙に落ち着いて見える。任務を七度しか経験していない割には、浮ついた様子は見られない。よっぽど地獄のような任務を超えてきたのか。あるいは、単に取り繕っているだけか。

 「青い鯨」の呼吸は荒い。感情をまだ鎮め切れてないようだ。それでも爆発しないだけマシと「猫」は考える。

 「鋏」は片肘をついて、「猫」と同じように自分以外の魔法少女の顔を見渡している。三人の中で誰よりも余裕を見せる表情。ここ毎朝「猫」が見せつけられていた神経質そうにカレンダーを睨む彼女からはとても想像できない、自分だけは生き残ると確信しているかにも見える尊大な態度。

 私たちは生き残れるのだろうか。「猫」は自問する。

 わからない。

 これが通常の魔獣討伐や、他陣営の魔法少女との争いなら、「猫」はもう少し未来を予測することが出来る。メンバーの表情から誰が生き残るか、誰が最初に逃げ出すか、誰が最も戦果を挙げるか、ある程度推測できた。それが出来る程度には、「猫」は長く生きている。

 しかし、これが対『死』となると、まるで判断がつかない。

 『死』。

 その魔法少女はそう呼ばれている。今の世界がこうなっていることの全てを、彼女の責にするのは酷だろう。

 それでも人類のおよそ99.99割と、当時の魔法少女の8割を殺害したのは、『死』である。

 その『死』と友達になる。つまり、自陣営に引き入れる。それが出来れば、青陣営と赤陣営の長き戦いは、青陣営の勝利で終わるだろう。

 問題は……。

「何で今なんだ?」

 無意識に、「猫」は疑問を声に出していた。

 今までずっと放置してきた、徹底的に不干渉を貫いてきた『死』へ、数百年ぶりの接触。その理由。

「それはですね」

 と、口を開いたのは「99番目の雨」だった。

「赤陣営が、『卒業魔法』を開発したからです!」

「『卒業魔法?」

 「猫」が訊き返す。聞いたことのない魔法だった。というか、という単語すら数百年ぶりに聞いた気さえする。

「それってどんな魔法なの?」

 「青い鯨」も知らないらしく、首を傾げている。

「名前からして嫌な予感がするわね」

 と、「鋏」は吐き捨てるように呟いた。

「『卒業魔法』とは、文字通り魔法少女を『卒業』させる魔法です!」

「だからそれはどういう状態なのよ」

「つまりですね、魔法少女の変身を、強制的に解除させる魔法なんです」

 その言葉が鼓膜に響いた瞬間、「猫」は悲鳴を上げそうになるのを堪えた。

 変身を強制解除。それは、旧世界、終末アポカリプス前の世界ならば、ただの強力な魔法で終わっていただろう。あるいは、終末アポカリプス後でも、「猫」の年齢が2桁で収まる程度の時ならば魔法中毒になる可能性はあれど、そこまで絶望的ではなかった。

 しかし、今の時代に、魔法少女を強制的に解除するとどうなるか。

 わからない。最後に変身した時と同じ10代の少女だった頃のままかもしれない。けれど、もし変身中に経過していた年齢が一気に追いついてきたら。

 年齢750と+10代。どう考えても、する……!

「恐るべき魔法です! ですから我々青陣営は抑止力として『死』と友達にならなければならないのです! 即死には即死で対抗するのです」

 ひどい話だ、と「猫」は笑った。疲れ切った笑みだった。

 

 


 




 

 

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