8:白紋鋼の爪切り
三日後。
「まあ……聞いたことがないではないがな。金を持て余した貴族が隷魔の世話道具にまで贅を凝らすという話は」
ジン先生が両刃を開いたり閉じたりするたびに、キィン、キィンと澄んだ音がかすかに響く。白い紋様の入った刃を持つ小ぶりのハサミ――サクラの爪切り白紋鋼バージョンだ。
トロール討伐のご褒美として、先生から村長へ口を利いてもらい、村長からガジさんへゴーサインが出た。「久々に白紋鋼と遊べるぜ! ひゃっはー!」と気合じゅうぶんなガジさんの、渾身の一作だ。
「高級素材かもですけど、実用が理由なんで」
「そうだったな。サクラの健康とメウの心労のためにも、この鋭き爪先に引導を渡してやろう」
「ブッタギレー! クェエー!」
サクラを膝にだっこし、前脚をつまんでむにゅっと爪を出させる。「いくよ」と声をかけ、ゆっくりとハサミ2号を閉じていき――
「――……んぎぎ……」
「どうした?」
「……ダメです、やっぱ……」
ほんの少し食い込んだ気もするけど、やはりパチンッとはいかない。サクラがみるみる不機嫌になっていくのでいったんストップ。
「……そんな……マジか……」
これはショックだ。白紋鋼でも歯が立たないなんて。このままでは永遠に爪切りができない。
と、先生がサクラの手をそっと握っている。左手も添えて包み込むようにして、そこに目を密着させて覗き込む。
「ふむ、なるほどな……」
「なにがですか?」
「ああ……この丸っこいお手々がすさまじく可愛くてな。肉球の感触もぷにぷにでたまらん」
「完全同意だけど今そこですか?」
「いや、そうじゃなくて……正解がわかったのさ。ポンよ、私にやらせてみろ」
「えっ!?」
「なんだその嫌そうな顔は」
先生のことは信頼している。しかしながら、素人に猫の爪切りをやらせる、というのは不安極まりない。飼い主が十人いれば十人そう思うだろう。
「なに、私だって伊達に長く生きてはいないさ。リッキー以外にも獣の扱いには慣れたものさ」
「アンダトー!? アバズレノ尻軽オンナガー! クェエー!」
簀巻きにされてベッドに放り投げられるリッキー。
「お前はサクラをだっこして、思う存分寛がせてやれ。その間に私が切ってやる。ほれ、この師匠を信じてみろ」
ほれほれと促されるままに、とりあえずサクラのお腹と顎下をもふってリラックスさせる。慎重かつ大胆な指遣いでじっくりとこね回し、喉の奥からゴロゴロ音を引きずり出してやる。
「そろそろいいか? よし、やるぞ」
「あ、先っぽの尖った部分を落とすだけですからね。根元の赤い部分は切っちゃダメですよ、血管とか神経が通ってるから」
「ああ、わかった……お前、ほんとにサクラの身体に詳しいんだな」
「あ、う……はーいサクラ、もふもふ」
「ゴロゴロ」
ここぞと先生がサクラの手をつまみ、爪の先端にハサミを当てる。
――パチンッ。
爪の先が切れてポロリと落ちる。
「おお、切れた……!」
「ふう……かたいなあ、これでもまだ」
「先生……まさか、トロール並みの怪力……」
「淑女に対して失敬な。リッキーについばまれたいか?」
「オレサマ、オマエ、マルカジリ! クェエー!」
なんて話をしているうちに右手が終わる。なんともあっさりと。
「どういうことですか? なんかコツでもあるんですか?」
「強いて言うなら、今お前がやっているのがコツだな」
「僕が? これが?」
「ゴロゴロ」
「要はリラックスだな。推察するに、サクラは爪を切られるのが苦手なんじゃないか? 先ほど見たところ、爪がかすかに光っていた、部屋の明かりで見えない程度にな」
「それって……マナで爪を強化してたってことですか?」
「そういうことだな。頑なに身構えていたからもしやと思ったが、無意識にマナで身体を守ってしまっていたんだろう」
トロール戦で見せた、爪に光のマナを纏う魔法。あれが無意識にほんの少し漏れていたということか。さっき先生が手で覆って覗いていたのも、爪が光っているかどうかを確認するためだったのだ。
「にしても、魔法を除いても白紋鋼でやっと太刀打ちできる爪か……神獣様は立派すぎる得物をお持ちのようだ。さて、残りの爪もやってしまおうか。サクラがゴロゴロ言っているうちにな」
「ゴロゴロ」
鋭利な先端がとれて、心なしか自分でもすっきりしたような顔のサクラ。ようやく解放されて僕のベッドで丸くなっている。
「先生、ありがとうございました。サクラも喜んでます」
「うむ……なかなかにハードな作業だったな……強大な力を獣の世話は、かかる手間もひとしおということか」
先生は重い息を吐きながら肩をぐりんぐりん回す。相当神経を使ったようだ。
(大変、だよな)
生き物を飼うのは手間がかかる。前世でも猫を飼うまでは、それがどれほどのものか想像したこともなかった。
(だけど)
一緒に生きていくのだ。
大変さは、その喜びと楽しさの裏返しでもある。
新たな世界でその日々が戻ってきた。サクラの背中を撫でながら、改めてそれを噛みしめる。
「他にもなにかあれば、遠慮なく私に相談するといい。一応お前の師匠だからな」
「ありがとうございます。じゃあ、お風呂入れるの手伝ってもらえます?」
「ああ、構わ……ん、お風呂?」
「見てのとおり毛深い生き物なんで、たまに石鹸で洗ってやりたいんですけど……サクラは壊滅的にお風呂が嫌いなんで。めっちゃ逃げるしめっちゃ暴れるしめっちゃ噛みつくんで。一人だと死ぬほど大変なんで……手伝ってもらえます?」
「さて、すっかり長居してしまったな。そろそろお暇しようか、リッキー」
「マタ来週ー! クェエー!」
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