7:ネコ無双

『サクラ、あいつら、壊す』

『壊すって、え? 落ち着けって……』

『壊しちゃダメなやつ?』

『いや確かにそのために来たんだけど……ちょ、怖いよ、サクラちゃん?』


 フーフーと興奮が止まらない。今にも僕の腕から飛び出していってしまいそうだ。


「おい、気づかれたぞ」


 先生にそう言われて顔を上げると――トロールと目が合った。


「あ、やべ……」

「オオオ、オオオオオオッ!」


 腹に響くような低い唸り声。それがいくつも連鎖して、周囲から鳥がバタバタと飛び立っていく。


「フシャーッ!」

「サクラっ、ちょっあっ!」


 ガッチリ固定していたつもりだったのに、まるでウナギかドジョウかという風に僕の腕からしゅるんっとすり抜けてしまう。ちくしょうさすがは猫=液体。


 しゅたっと着地し、四足で力強く構えるサクラ。そして向こうからはトロールがずしん、ずしんと迫ってくる。後ろから見ている分には絶望的な最終回の絵面だ。


「よし、私が許そう。行け、サクラ」

「ちょっ先生、なに勝手に――」

「シャーッ!」


 僕の制止を振り切って、サクラが弾かれたように駆けだす。

 トロールもどすどすと強く踏み鳴らしてダッシュする。


「シャァアアアアアッ!」

「オォオオオオオオッ!」


 サクラがダイナミックに飛びかかり、空中で大きく爪を振りかぶる。同じくトロールが突進の勢いのままに拳を振り上げる。


 両者が激突する寸前、世界がスローモーションのようになる。さながら実写版トラ○スフォー○ーの戦闘シーンみたいに。


「サクラぁああああ――」


 ザシュッと乾いた音が響き、地面がズズンッと揺れた。


「――あああぁぁぁ……えーー……」


 跳び上がって蛍光灯の紐を叩くような、そんな猫パンチの一撃だった。

 ただそれだけで、トロールはぐずぐずの腐葉土の塊へと崩れ落ちた。


(どゆことー?)


「オオ……オォオオオオッ!」

「オォオオオオオオオオッ!」


 やつらに仲間意識というものがあるのかどうか知らないけど、同胞が一体倒されたことで残りのトロールたちが怒号を重ねる。そして重機のごとくドドドッと押し寄せてくる。


「サクラっ! 逃げろ――」

「まあ見ておけ」


 先生にぐいっとヘッドロックをくらう。柔らかい感触がとかそんな場合ではないそんな場合では。


(サクラが……!)


「ニャァアアアアッ!」


 ――サクラが、

 緑の巨人の軍勢相手に、無双している。


 トロールは決して鈍重ではない。超ヘビー級の肉体から繰り出される拳の嵐が周囲の木々まで薙ぎ倒している。その中をサクラはひらりひらりと余裕で躱している(僕としては生きた心地がしない)。


「ニャッ!」


 サクラがびょんと伸びてトロールの顔にドロップキック。ズドンッ! とその見た目にまったくそぐわない衝撃音とともにトロールが揺らぐ。プロレスラーかよ。


「シャッ!」


 目にも留まらぬ引っ掻きが腐葉土の肉体を次々と削り飛ばしていく。よく見れば爪が光っている、光のマナを纏って切れ味と破壊力を上げているのか。


「オォオオオッ!」


 トロールが手をかざす。風が唸りをあげて集約していく、魔法だ。

 小枝や石の礫が散弾のように発射される。サクラが着地した瞬間を狙って――。


「サ――」

「ニィッ!」


 サクラの目の前で光が瞬き、散弾が弾き飛ばされた。


(ば、バリア?)


 肉球マークをあしらえた光の壁がサクラを覆っている。あんなことも可能なのか。


「ニャァアア……」


 力を溜めるようにぐぐっと身を屈める。その尻尾が光を帯び、大蛇のごとく伸びてうねる。


「――ニャンッ!」


 一閃。

 尻尾がぐるんと旋回し、光の輪を描く。


 一瞬の静寂。

 ぴたりと動きを止めたトロールの頭が、胴体が、ずるりと滑って地面に落ちた。


「………………」


 黒ずんだ土の山が十個できあがったところで、尻尾に纏った光がはらはらと散っていく。僕はへなへなとその場にへたり込む。


「スゲー! ヤベー! クェエー!」


 リッキーがよだれを撒き散らして大騒ぎ。


「まあ、想定の倍というところか。よくやったな、サクラ」

「ニャー」


 先生は腐葉土の山に近づき、ずぼっと手を突っ込む。ずるっと引き抜いたその手に握っているのは、半透明の綺麗な石だ。


「トロールの魔晶、これがマナ生物の核だ。魔導具の動力源になる。そんなに質はよくなさそうだが、一応持って帰るとしよう」

「……先生は、サクラがこれくらいやれるって、わかってたんですか?」

「いや、さすがに想定以上だな。てっきり魔法タイプだと思っていたが、肉弾戦であれほどの動きを見せるとは。あれだけのスピードは、私とリッキーが二人がかりでもヒゲ一本触れられんだろう」


 サクラがとことこと僕のほうに戻ってくる。ふんすふんすと鼻息が荒い。


「……サクラ、だいじょぶ? 痛いとこない?」

『だいじょぶ、すっきりした』

「すっきりって……」


 確かに言葉どおり満足げな顔だ。朝食後にがっつり快便したときみたいな。


『でも……』

「でも?」

『すぐ終わっちゃった。サクラ、もっと遊びたかったのに……』

「悲しい怪物ムーブすな」


 ぺろぺろと顔を洗いはじめたサクラを見て、先生が納得するようにうなずいている。


「これで多少は満足したんじゃないか? お前もわかっただろう、これが魔物だ」

「……サクラは、戦うのが好きってことですか?」

「いや、好きかどうかまでは知らん。ただ、必要なだけだ」

「必要?」


 先生がサクラの背中をそっと撫でる。サクラは特に気にする風でもない。


「滑らかな毛並みだ、お前がせっせと整えているからなんだろうな。私になにを習うまでもなく、お前はサクラの生活に最適な調度を揃え、食事から身体のケアまで適切な世話を施してきた。ネコ――とお前が名づけた生き物の世話のしかたを、まるで最初から知っていたかのように」

「あう、いや、その」


 思わずしどろもどろ不可避。


「まあ、お前のさかしさや気配りの上手さは、師匠の私でさえ時折舌を巻くほどだからな。サクラを観察し、サクラと意思を疎通させて試行錯誤してきたのだろうな。師匠として誇らしいほどに立派な心がけだ、しかし……肝心な点がもう一つある、それが代謝だ」

「代謝?」

「我々の身体を構成する血や水や細胞は、古きから新しきへと日々めぐっている。それが代謝だ、魔法修行のときにそんなことを話したのを憶えているか? それと同じことがマナにも言える」


 先生が人差し指を立てると、そこにぽっと火が灯る。


「魔法や魔導具を使わずとも、我々は生きているだけで常にマナを消費している。そのために食物の栄養からマナを生成し、空気や大地から自然とマナを吸収している。雨が川となり海へと還って雲となるように……ああすまん、たとえが少々脱線したな」

「いえ、なんとなくわかります」

「そうか……ともあれ、いわばそれがマナの代謝だ。我々ヒトにおいては、特に気に留めずとも日々の生活の中でうまく循環していく。だが魔物、とりわけサクラのように膨大なマナをその身に宿す者ではそうもいかん。ドラゴンやフェンリルといった強大な魔物が闘争を好む理由もそこにあるのさ」

「つまり、ストレス発散ならぬマナの発散が必要、と……?」

「ご名答、マナも溜め込むばかりでは身体に毒ということだな。現にサクラ、最近は欲求不満な顔をしていたじゃないか? つまりサクラのような魔物にとっては、食って寝て遊ぶように、生活の一つとしての闘争が必要なのさ」


 ――魔物のなんたるかをわかっていない。


 先生の言葉のとおりということか。サクラ自身、転生した自分の身体についてまだ戸惑う部分もあったのだろう。気づいてあげられなかった僕の落ち度だ――。


 ぽん、と肩を叩かれる。先生が小さくうなずいている。


「これでお前も一つ、よき飼い主に近づいたな」

「……ですかね?」

「サクラは暴れてすっきりして、私は労せずして狩人衆から酒を馳走になれる。みんなが幸せ万々歳よ」


 ふと、閃くものがあった。


「……そうだ。せっかくだから」

「ん?」

「先生にお願いがあるって言いましたよね」

「んん?」

「先生の代わりにサクラが仕事したんだから、僕らもその分ご褒美がほしいんですけど」

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