5:爪切り

「あれがポンの隷魔かあ」

「思ったより全然小さいな、あれが村を救ったのか?」


 教室の窓の外に、暇そうな村人が集まっている。目当ては僕の机で丸まっているサクラだ。


「あんな生き物見たことないぞ」

「丸まって寝てるー」

「可愛い、あの背中ナデナデしたい!」

「今あくびしたー! 可愛いー!」


 ジン先生が教室の窓を開けて「授業の邪魔だっ!」と野次馬を蹴散らす。


「ふう……まったく、いい年した大人が獣一匹に群がりおって。すまんな、お前ら」

「いえ……むしろすいません、僕とサクラのせいで」

「お前が謝ることはない、ポン。隷魔とその主がともにいるのは当然だからな」

「でもしかたないですよ。サクラが可愛すぎるのがいけないんですから」

「なんだその勝ち誇った面は」


 マ族の襲撃から十日余りが経ち、村に漂っていたピリピリした空気も今ではほとんど解消されている。


 とりあえず平穏な日常が戻ってきた、と思いきや――この村では今、空前のサクラブームが起こっている。


「ああ、近くで見るともっと可愛いなあ」

「サクラちゃん、こっち向いて!」


 放課後の出待ちに捕まる。サクラを見せろ、触らせろモフらせろの大合唱。下手したらクラスのチビたちよりも節操がない。人間なら初老とか還暦とか棺桶なのに。


「お手々可愛いー! ピンク色の肉球ー!」

「なんて魅惑的な尻尾! フリフリしてる、誘ってるー!」

「ふわっふわな毛並み! ナデナデさせてー!」


 この世界には猫が存在しない(ネコ科っぽい魔物はいるものの、イエネコに当たるものはいない)。つまりサクラの生誕とは荒廃した世紀末に神が降臨したようなものなのだ。みんなが興奮するのも無理はない。


 当の本人はというと、僕の腕の中でスンとしている。前世はあれだけビビリで人見知りだったのに、大勢に囲まれても臆するどころか余裕の表情。自分が生物として遥か格上であるとわかっているようだ。


「ううむ、これが村を守った神獣様か……」

「ありがたやありがたや……」

「え、待って待って。神獣って、誰から聞いたんですか?」

「私だ」


 先生だ。


「なに話してくれてんすか!? そのへんはうっすらぼんやりしとくって約束だったじゃないですか!?」


 サクラが無用な注目を浴びないよう、オフレコにしておいてもらう予定だったのに。そもそも「サクラ神獣説」は先生の推測にすぎないのに。


「私もそのつもりだったんだがな……先日の事件について議論を重ねる中で、追及を振り切れなかった。というか酒のせいで口が滑った」

「正直かよ」

「村の外で言いふらさんよう強く釘を差しておいた。少し残念な気もするがな、サクラの強さなら現時点で冒険者ランク6以上は下るまい」


 冒険者ランクはその名のとおり、冒険者ギルド内での冒険者の等級を表す指標だ。漫画とかだと金銀だの白金だのキラキラ鉱物で呼ばれたりするアレだ。この世界では味気ないというかシンプルというか、普通に数字で区分される。


 新人は1からスタートし、中間層で3くらい、5以上で一流の仲間入りという感じらしい。ちなみにジン先生はランク5、〝欠け耳の赤魔女〟という二つ名で帝都ではわりと有名人だったらしい。


「マ族とその隷魔を退けた精霊種……ともなれば教団だけで話は留まらず、冒険者ギルドや帝国の中枢にまで噂は轟くことになろう」

「絶対嫌です。神獣だのランクだの、重たいゴタゴタにサクラを巻き込みたくない」


 そういうのは勇者だの救世主だの異世界と真正面からぶつかる人にお任せしたい。僕はサクラと一緒に気ままにモフモフライフをすごしたいだけだ。


「まあ、サクラの可愛さを世に知らしめたい気持ちはやまやまですけどね」

「日に日に親馬鹿が磨かれていくな。まあいい、サクラの能力についてはおいおい検証していこう。お前の魔法修行も再開せんとな」

 

 

    ***

 

 

「あらー、こんなにいただいちゃっていいんですか?」

「もちろんもちろん。サクラちゃんにうちの野菜食べてもらいたいのさ」


 こんな感じで今日もサクラへの差し入れがやってくる。最初は恐縮していた母も、今ではホクホク顔で受けとるようになっている。持ってきた人も僕がサクラの手をとって振ってやるだけでキュンとなるのでウィンウィンだ。


「サクラちゃん、バンブさんちのまだら大根よ。食べれる?」

『…………』

『サクラ? 食べないの?』

『食べる』

「食べるってさ」

「好き嫌いなくていい子ねえ。ポンは未だにピーマン食べれないのに」

「サーセン」


 猫のNG食材は多岐に渡る。それが神獣(仮)として転生したサクラにどこまで当てはまるのかは未知数だけど、当の本人はなんでも食べたがる。今のところこの世界の食材で吐いたり体調不良になったりしたことはない。


 ただ――なんだろう?


(でも……ちょっと元気ない?)


 最近ちょっと機嫌が悪いような。しゃくしゃくとサイケな色合いの大根にかじりつく背中がツンツンしているように見えるのは気のせいだろうか。


(だいじょぶかなあ)

(今日あれ届くんだけどなあ)


 サクラお気に入りのブレンド砂を敷いたトイレ(カーテンの仕切りつき)、僕が設計して父が組み立てたキャットタワー、爪研ぎ用の木板、母に縫ってもらった毛布やクッション、お手製の猫じゃらしやボールなどなど。


 僕の部屋は急速に猫部屋化が進んでいる。その甲斐もあってサクラもずいぶんここでの暮らしに慣れた感じはある。まあ初日から腹を見せて寝ていたけど。


(あと一つ……肝心なものが)


「ポン、ガジさんが来たわよ」

「あ、うん!」


 この村で唯一の鍛冶職人のガジさんだ(弟子はいる)。エフ族には珍しくやや小柄で髭が濃いイケオジだ。御年百歳也。


「よおポン、こないだつくったやつはどんな具合だ?」

「はい、バッチリでした。ありがとうございました」


 針山虫の針を素材にしたブラシはほどよいかたさと弾力で、ブラッシングしてやるとサクラはずいぶんご満悦だった。


「そりゃよかった。んで、お前さんに頼まれてたもん、つくってきたんだけどよ」

「やった! 待ってました!」


 ガジさんから受けとった包みを開く。小さなハサミだ。先がつぶれていて、刃の部分はクワガタみたいに緩く弧を描いている。


「……すごい、イメージどおり。さすがガジさん!」

「お前の注文どおりにつくっただけさ。神獣様の爪切りと聞きゃあ気合も入るってもんよ」


 そう、これはサクラの爪切りだ。形状は前世の僕らがつかっていたものを再現している。


 サクラの爪はだいぶ尖っている。家具やぼくの服が傷だらけ穴だらけになるので母が困っていた。一刻も早い爪切りは我が家の喫緊の課題なのだ。


『サクラ、爪切りしたいんだけど、いい?』


 前世のサクラは爪切りに対して「得意なわけじゃないけど気分次第」という感じだった。すんなりやらせてくれる日もあればハサミを見ただけで逃げ回る日もあったり。


『…………』

『サクラ、だいじょぶ? どっか痛いとかある?』


 やっぱり少し様子がおかしい。


『だいじょぶ、元気』

『そっか』


 そっと背中を撫でる。体温や鼓動に異常はないような気がする。


 前世での記憶が甦る。あの日突然吐いてぐったりとして――。


 この村には家畜の面倒を見ている獣医の先生がいる。猫のような動物を診たことがあるかは知らないけど、なにかあればすぐに連れて行かないと。


「じゃあ、やるよ」


 ひょいっと膝に抱っこして、むにっと手を押す。鋭い爪が顔を出す。

 神獣サクラ、いざ初めての爪切り――。


「……んぎぎ……」

「ん、どうした?」

「いや……爪がかたくて……」


 刃が立たない。悪戦苦闘しているうちに「フー、フー」とサクラの激おこ一歩手前の唸り声がしはじめたのでいったんストップ。変に力を入れると爪の根元を傷めかねない。


「そんな馬鹿な。試し切りはちゃんとやってきたぞ、魔導具用の鋼線ですら鼻毛みてえにチョキチョキ切れたってのに」


 サクラを必死にナデナデしてなだめすかし、もう一度チャレンジ。しかしやはり爪はパチンといかない。乳白色の鉤爪は傷一つついていない。


「なんだそりゃ……ドラゴンかよ……」

「まあ……神獣(仮)なので……」


 頭の中に『もういい?』『もういい?』と催促するような声。そして脱兎の如く逃げていくサクラ。呆然ととり残される僕とガジさん。


 木板で爪研ぎさせたら鰹節かよというくらい削れたので「やけに鋭いなあ、魔物だからかなあ」と思っていたけど、まさかここまで頑丈だとは。


「あの……鉄よりかたくて切れる金属とか、ないですかね……?」

「ん? ああ、白紋鋼なら……ドラゴンの解体にも使われるし……」


 白紋鋼は精錬時に日本刀の刃文のような波模様が浮かぶ白銀色の合金だ。鉄器よりも高性能で冒険者の武具にも用いられる。いわゆるミスリル的なアレだと僕は認識している。


「じゃあ、それでサクラの爪切りを……」

「いや、無理だ。白紋鋼は貴重だからな、使うにゃ村長たちの許可がいる。俺が勝手になんかつくるわけにゃいかねえ、ましてや魔物の爪切りって……」

「うーむ……」


 こちらとしてはわりと切実だ。爪の伸びすぎは家族や家具だけでなく自分まで傷つけてしまう恐れがある。健やかな二度目の猫生を送ってもらうためにもどうにかしてやりたい。


「まあ、一応村長に相談してみるけどよ……期待はしねえでくれよ」

「すいません……僕も先生に相談してみます」

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